第三十四章 37

 テーマ5の判定は、ヴァンダム109、義久が888という結果に終わった。自らの口で負けを認めたにも関わらず、ヴァンダムへの票が一割以上あったのは、彼の実力を認め、ヴァンダムが相応しいと判断した者も、それなりにいたが故だ。


(俺の勝ち……。俺、本当に勝ったのか?)


 急に震えが生じ、義久は今自分が夢でも見ているのではないかと疑った。


「おめでとう」


 爽やかな笑顔で、ヴァンダムが身を乗り出して握手を求める。


「どうした? 心ここに有らずという顔だな。勝ったのは君だぞ。それも文句のつけようがない完全勝利だ」

「そ、そうなのか……。俺勝ったんだ。なのに……実感が……」


 義久がゆっくり手を差し伸べ、固く握手を交わす。


(革命には二つの方法がある。機関銃を手にした者には勝てないと認めるまで、掃射し続ける方法が一つ。しかしこれは安易な手段。もう一つは精神面からの国家の改造。これなら敵を殺さず味方にできる。最高の勝利は敵の殲滅ではない。敵に勝者たる我々の賛歌を歌わせること――か)


 今まで戦っていた相手と握手をしながら、ゲッペルスの残した名言が、義久の脳裏をよぎる。まさしくこれこそペンは剣より強しの精神だと、学生時代の義久は感銘を受けたものだ。


「貴重な体験させて……いただきました。いろいろ貴方から学べた。そして……無礼な言葉をいっぱい言って、すみません」

「その言葉は今私が言いたかったことだが、先に言われてしまったようだ。ま、お互い様という奴だな」


 謝罪する義久に、ヴァンダムは笑顔のまま告げる。


「ヴァンダムさん、貴方の言ったとおりだ。あの時記者会見で口にした台詞――真実をありのままに伝える事が報道の正しい姿勢。それがあるべき姿だ。しかしそんな当たり前の事をしていなかったから、色々とおかしい事になった。それは絶対に改めていかないといけないし、本来の役割に従事していくよう心がけるべきだ」


 ちなみにこの会話は未だマイクに拾われているが、義久はそれをあまり意識せず、今伝えたいことを口にした。


「テオドールさんはそれをわかっているし、頑張ってくれるさ」

「私も敗北者なりに、微力ながら協力させてもらうよ。テオドールがカバーしきれない部分を補助し、防衛するような形でね。もちろん、君もケイトもテオドールも世間も納得してくれると思えるやり方でだ。ま、今は秘密だがね」

「そ、そうですか。期待してます」


 ヴァンダムは何をするつもりなのだろうかと、正直少し不安な義久であった。

 空中壇が下ろされ、ヴァンダムが壇からリングに降りたのとほぼ同じタイミングで、リングに一人の女性が現れた。ケイトだ。


「やあ……もう怒っていないかね?」


 決まり悪そうに声をかけるヴァンダム。すでにマイクは声を拾っていない。


「ゴメンなさいね。辛かったデショウ?」

「大したことないさ――と言ったら嘘になるな。それにそんな嘘をついても、君にはすぐばれる」


 気疲れした顔で言うと、ヴァンダムは両手を広げる。ケイトがゆっくりとヴァンダムの方に向かっていき、二人は観客達の前でしっかりと抱擁しあった。


「私は貴方を愛しています。だからコソ間違っているコトは間違ってイルとして、止めるのです。いくら私のタメにと立ち上がり、戦っていたトシテも、それが間違いでアルなら、私は敵になってデモ止めます。他ならぬ貴方のためニです」

「わかっている。君はやはり女神だな……。そんな君だから、私は心を許せた」

「いつも同じ台詞バカリ……もう少シ気の利く言葉は口ニできませんか?」

「そんな器用な男じゃないことは、君が一番よく知っているだろう?」

「他人の悪口ハぽんぽんと口カラ出るくせに……マッタク……」


 抱き合いながらヴァンダム夫婦は語らい合う。


「んー、一件落着だねー。絵になる終わり方だよー」


 抱き合うヴァンダム夫婦を見下ろし、純子がいつもの屈託の無い笑顔で言う。


(違うけどな。これで終わったわけじゃあない……)

 口に出さず呟く犬飼。


(この物語はそんなに綺麗な話には終わらない。ハッピーエンドにはならない。俺がさせない)


 ヴァンダム夫婦を意識し、犬飼はダークな気を発していた。


(ふぇぇ~……何か犬飼さん、様子おかしいなあ……。珍しく不機嫌そうっつーか)


 犬飼のダークな気にみどりは気がついていた。犬飼も近くにみどりがいるので、自分の気持ちが流れているであろうことは察していたが、意に介さない。


 そこに純子の見覚えのある、ウェーブのかかった赤毛の女性が現れた。


「はーい、純子ー、おひさしぶりでーす」

「おお、シスター。そんなに久しぶりってほどでもない気がするねえ」


 シスターが純子にとびつき、嬉しそうな笑顔で互いにひしっと抱きあう。


「人前でまあ破廉恥な……」


 シスターと抱き合う純子を視界に収め、百合が険悪な声を発して睨む。


「俺がひとっ走り行ってきて、抱き合う二人に飛び蹴りの一つでもくれてきてやりましょうか?」


 不敵な笑みを浮かべて申し出る白金太郎だが、百合は黙殺した。


「あはっ、中々楽しい見世物だったよねえ」

「確かに。期待はしていませんでしたけれど、中々どうして愉快なイベントでしたわね」


 睦月も百合も、このイベントにはわりと満足していた。


「論戦だけではなく、戦闘まで交えるのはどうかと思いましたけど、結果的には飽きさせない趣向になっていましたわ」

「亜希子は残念だったけどねえ。あの累が負けたのは驚いたよぉ」

「私もですわ。そして敗北したとはいえ、ヴァンダムという人物はそれなりに傑物だと、改めて感じましたわ。そして彼の欠点も、実によく浮き彫りになっていましたわね」

「俺はあの高田っていうでかい人が気にいったよ」

「あらあら……私はああいうタイプは暑苦しくて遠慮――って……白金太郎は?」


 睦月と喋っている間に、白金太郎の姿が見えなくなっている事に気がつき、百合は嫌な予感を覚えた。


「裁きのドロップキックをくらえーっ!」

「ちょっ……」

「何ですかあなたはー」

「はははっ! 罪への罰だーっ!」


 ふと百合が純子達のいる方を見ると、丁度純子とシスターの二人に、宣言通り飛び蹴りを食らわせていた白金太郎の姿が見えた。


「さ……帰りましょうか、睦月」

「百合さあ……白金太郎はちゃんと口で言って止めないと駄目だよぉ? 何も言わないでいると、勝手に都合のいい方に解釈しちゃうんだから。そのうえ、一から十まで全部言わないといけないタイプなんだから」


 席を立ち、そそくさと引き上げる百合の背を追いつつ、睦月が注意した。


***


「累は大丈夫なの?」


 診療室にやってきた亜希子が、寝台に寝かされたままの累を見て、真とシャルルに声をかける。


「ただの脳震盪だからな。大したことはない。こいつと戦ったテレンスの方がよほど重傷だよ。救急車で運ばれていったけど」

 真が報告する。


「シャルルはしばらく日本に滞在するようだし、僕もこいつにいろいろと戦い方習ったから、亜希子もよかったら習うといい」

「うんうん、俺、はりきっていろいろ教えちゃうよ」

「う、うん……」


 真が促し、シャルルも気さくに声をかけてくるが、亜希子は躊躇いがちに頷く。


「何かお気に召さないっぽい返事ー。俺、何か気に入らないことしたかなー?」


 苦笑いを浮かべ、亜希子に直接尋ねるシャルル。


「上手く言えないけど、下心丸出しって感じが、ちょっと引く」

 亜希子の答えに、シャルルはうなだれる。


「上手く言ってないかもしれないけど、ストレートに言いすぎじゃないか?」

「あ、そっか……ごめんなさい」


 真に言われて、そして落ち込んでいるシャルルを見て、亜希子は謝った。この程度であっさり傷つくのだから、そんなにいやらしい男ではないのかもしれないと、亜希子は先入観を改める。


「真が何も言わなければ、俺は勝手に期待して、傷つかなかったかもしれない……」

「勝手に期待してたんたなら駄目だろ。それに、僕のせいにするな」

「やっぱりそうだったの……」


 シャルルの台詞を聞いて、亜希子は改めかけたシャルルへの先入観を、そのままの評価として、セットしなおした。


***


 義久が控え室で一息ついていると、テオドールがやってきた。


「お疲れ様、そして……よく……頑張ってくれた。上手い言葉が見つからないが……頼りない私の代わりに戦ってくれて……その……」

「俺のための戦いでもあったよ。あんただけのためじゃないぞ」


 礼の途中で言葉を詰まらせるテオドールに、義久は告げた。


「名前を呼ばれる度にどきっとしていたけどね」

「俺もいちいち呼んですまないと思ってたさ」


 そう言って互いに笑いあう。


「俺ができるのはここまでだよ。ここからはテオドールさんの戦いだ」

「わかっているさ。君が築いてくれた土台――受け継いだ者として、無駄にはしないよ」


 笑顔のまま、二人は握手を交わす。


「日本を去る前に……もう一度君に会いに行く」

「ああ」


 何故か意味深な笑みを浮かべて告げるテオドールに、義久は訝りながら頷いた。


***


「プロフェッショナルだからといって、無条件に信じるのは危険な思考停止なんだよ。もちろんその道のプロが、『プロだから』と言い張るのもね」


 雪岡研究所リビングにて、真、累、みどりを前にして純子は語る。


「もう昔の人だけど、私の尊敬するお医者さんがこう言ったんだ『優秀な医者なら医者の無力さを知っている』ってね」

「でもその道のプロも信じられないなら誰を信じろって話だよ。一番信じられるのはプロだろう?」


 真がラノベを読みながら、疑問を口にする。


「闇雲に盲信して思考停止してはいけないって話だよー。プロだって間違ってることはあるから、全部委ねるのは危険なんだ。プロはプロで、プロだからと思い上がってもいけないしね。例えば、虫歯を治したいと思った時、百年前の歯医者と現代の歯医者と百年後の歯医者、どれにかかりたい?」

「そりゃ百年後だな」


 純子の言わんとすることを理解して、真は即答する。


「だよねー? でもそれは百年後からすれば、今の歯医者は旧式の治療をしているって事になるからじゃない? つまり現代の歯医者は間違っているとも言える」

「百年後の純姉が見りゃあ、今の純姉も旧式マッドサイエンティストかぁ」


 両手を後頭部に回してソファーに深く腰かけたみどりが、にやにや笑いながら言った。


「どんなプロも、常に模索している状態と言えるわけですね」


 純子に引っ付いてしなだれかかった累が言う。


「そういうこと。そして年月と共に発見と改良を重ねて、進歩していく。さてここから本題。報道のプロって何か進歩してたかな? 私は百年前も今も大して変わってないように見えるんだよねえ。下手すれば退行しているようにも見える」


 百年以上生きている累とみどりからすれば、純子の言葉には同感だった。


「義久君やテオドール君、それにヴァンダムさんは、停止して変わらないマスコミを前に進ませるためのトリガーを引いたと思うんだ。プロだと誇れるような職業とはとても呼べず、人々に忌み嫌われていたマスコミも、そう遠くないうちに、どこに出しても恥ずかしくないプロフェッショナルになるかもしれないね」

「マッドサイエンティストから、マッドの字が外れる日は来るのかな? 僕はマスコミなんかよりも、そっちの方に興味がある」


 主に純子一人を意識して、真はぽつりと呟いた。

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