第三十四章 36

「あの子は、殺したらルール違反ということを無視しているようだな」


 累の強烈な殺気とテレンスの負傷を見て、ヴァンダムにもそれが理解できた。


「どうやら、この勝負はどちらに転んでも私の勝ちとなるようだ」


 味方の命など慮ってないと言わんばかりの、ヴァンダムの憎々しい物言いに、義久は息を吐く。


(ケイトさんの言うとおり、この人、嘘をつくのが下手だよな。隠すのが下手というか)


 ヴァンダムの握った拳が震えている事や、これまで以上に真剣な面持ちで戦いを凝視している事を見て、義久は思う。


(テレンス、死ぬ前にさっさと降参してしまえ。私の負けになっても構わん)


 声に出してそう叫びたい気持ちを、ヴァンダムは必死に堪える。抑える。飲み込む。

 その言葉をテレンスは望んでいない。そんなことをして水を差されたいと思っていない。ヴァンダムはそれをわかっているから、ただ信じて見守る。


 累が上段に構え、隙を晒す。隙を晒しながら、少しずつ距離を詰めていく。

 テレンスは乗らない。本当の隙ではない。誘っているだけだと一目で見抜く。


(それならそれで、こちらから……)


 ある程度距離を詰めてから、累は一気に踏み込んだ。


 上段から袈裟懸けに振り下ろす。


 テレンスはまた後方に跳んで避けようとしたが、避けきれなかった。胸に熱い感触を覚える。切れ目が入り、血飛沫があがる。

 致命傷ではない。骨までも達していない。皮と肉を切り裂いた程度で済むに留まった。


 さらに累が踏み込み、下から刀を跳ね上げる。狙いはテレンスがナイフを持つ右腕だ。


 テレンスは避けなかった。あえて受けた。右腕に精一杯力をこめて。


 刀の切っ先が上まで跳ね上がる。テレンスの右腕が肘から切断され、ナイフを握り締めたまま床へと落ちる。


「テレンス!」


 思わず身を乗り出して義久が叫ぶ。ヴァンダムも唇を噛み締める。


 テレンスは慌てることなく、腕の切断面を累の顔に向けた。


 血飛沫による目潰し――しかし累はそれすら読んでいた。テレンスが腕を斬られるのを防ごうともかわそうともしないのを不審に思い、そうくるのではないかと予期していた。目に血が入らぬよう上体を素早く傾ける。


 その刹那、テレンスの存在がその場から姿を消したかのように、気配が消えていた。


「え――?」


 思わず累は声をあげて呆然としてしまう。

 観客達も同様だった。テレンスの姿は確かに有る。動いている。しかし消えている。実体をその場に残して、どこかへ消えてしまったかのように、存在が――動きが見えているのに、見えない。認識できなかった。認識を狂わされていた。


 累が頭を傾けた先を、テレンスは読んでいた。血飛沫がかわされる事も予想していた。血飛沫を食らわせた瞬間、テレンスは自分の色(しき)を消して、空(くう)に溶けこみながら動いていた。累から見て斜め前方へ。累が体を傾けた方向へ。回転しながら動いていた。


 体を一回転させつつ、テレンスはローリングソバットを累の側頭部に見舞った。蹴りが入るその間際に、テレンスは色を伴って出現していた。

 テレンスの姿が視覚的に見えなくなっていたわけではない。誰の目にもはっきりと映っていた。なのに誰の目からも存在が映らなかった。一秒あるかどうか程度のほんの一瞬であるが、見えているのに見えていない状態となった。


 控え室で見ていた真とシャルルと亜希子とミランには、理解できなかった。彼等の目には、はっきりとテレンスの姿が最初から最後まで映っていた。それは直接見ていなかったからだ。生で直接見ていた者は、視覚以外でもテレンスの存在を認知していたが、その視覚以外の何かから、認識が外されていた。


「あれ、見たことあるよ」


 睦月が今のテレンスのしたことを指して言う。


「ええ、あれは葉山が用いる技ですわね。一瞬ですが、消えたように錯覚させる。実体が移動しているのは、視覚的にははっきりと見えますのにね。葉山は本能レベルで使用していましたが」

 百合が解説した。


「今の……見た? いや、見なかった?」


 自分でも口にしていて、おかしな質問をすると、純子は思う。みどりは無言で頷き、犬飼も無言無反応で心の中で肯定していた。


 累は脳震盪を起こし、意識を失って倒れる。実の所、累は脳震盪くらいではダウンはしない。それどころか脳を破壊されても、第二の脳を用いて動けるのだが、超常の力を封じて戦うコンセプトで臨んだ累は、あえて第二の脳を作動させずに、そのまま気絶して敗北することを選んだ。


『テーマ4はグリムペニスの勝利です。それでは……二対二となり、いよいよ最終テーマです。最終テーマは……』

「救急班! 早く手当てしないと死ぬぞ!」


 義久がアナウンスの途中に、血相を変えて叫ぶ。テレンスは、切断された腕の断面から噴きだす血を、もう片方の手できつく掴みつつ、脇腹に押さえて、止めようと試みていた。

 救急隊員が数名、リングに駆け込み、テレンスの救護に当たる。


「すごいねー、あの子。超常の力を一切使わなかったとはいえ、累君に勝つなんて。しかも最後のあれとか……達人の域の技だよ。それをあの歳でやってのけるなんて」

「運にも恵まれて、それでもほぼ死にかけてるけどね~。でも確かにすげーわ。上ッ等ォ。褒めてつかわすっ。あばばばば」


 純子が感心の声をあげ、みどりは苦笑しつつも称賛する。


「神ヨ……どうかテレンスを……お助けくだサイ。そしてアノ子の罪をお許しヲ」


 観客席ではケイトが祈っていた。死人を出さないように現在のルールを求めたケイトの前で、平然とそれを無視して、相手の命を奪おうとした者がいたことに心を痛め、許しを請う。


『テーマ5 自由に徹底討論』


 ディスプレイに映った文字を見て、本当にこれらのテーマは誰が決めたんだと、義久はつくづく思う。


「あのさ、ヴァンダムさん。討論ていうんじゃないけど、あんたのその人を人として見ないのは、本当改めてくれないかな?」


 静かな口調で義久が語りかける。


「あんたが俺と最初に会った頃か? 二度目か? あの時もそうだった。千晶ちゃんと一緒に貴方とケイトさんに会いに行った時もそうだった。まあ、あん時は俺が文句言ったら謝ったけどさ。で、今もだ。あんたは世の中の多くの人達を、見下しきっている。人とすら見なしていない。程度が低く見えても、人は人なんだよ。程度が低かろうと精一杯生きているし、あんたが程度の低いと思う者と喜びを分かちあう事もあれば、彼等から学ぶ事もあるんだよ。頭悪く見えるかもしれないけど、考えもするし、感じることもいろいろなんだよ。人を動物や虫に例えて見下すな! 羊でも蝿でもない! 前にもあんたには言った! どんな性質を持とうと、人は人だ! あんたはその時、心に留めておくと言っていたが、すぐに忘れたみたいだな! あるいは俺なんかの言うことは馬鹿らしくて、最初から聞く気が無かったか!?」


 途中からヒートアップしてしまい、怒鳴り散らしていた。義久から見て、ヴァンダムの一番許せない部分であったが故に。


「難しいな。まあ……ケイトにも散々言われていても、どうにもできない部分であるし、今君にここで――人前で非難されても、難しいよ」


 笑いながらそう答えるヴァンダム。これは見込み無しと見て、義久は話題を変えることにする。これも絶対に言おうと思っていたことの一つであるし、取りあえず言ってやったから、もうよしとする事にした。


「あんたはマスコミだけを批難するが、メディア側は大衆のニーズに沿っているからこそ、今の形という側面もある。これもさっき言ったけどな。その件に関して、あんたの答えを聞きたい」

「ふ、いかにもマスコミ側から見た都合のいい主張だな。大衆の不安や不満を煽るような、品が無く節度も無くあざとく無節操なプロバガンダを繰り返す事で、散々マスコミの側から印象操作をしておきながら、その言い草はあるまい。ナチ公の――ゲッベルスのやり方そのものだ。考え方もそうなのではないか?」


 ヴァンダムから返ってきた答えは嘲り気味だったが、彼が何を言いたいかは義久には伝わったし、一理有るとも感じた。


(しかしよりによってゲッペルスを出すとは……。あんたは、ゲッペルスが否定したやり方をいつもしているってのに、皮肉か?)


 呆れる義久。ゲッペルスは、他者を嘲笑したり罵ったりするアピールの仕方は非としていたが、ヴァンダムはやたらとそればかりしている。

 あまり人には言えないことだが、義久が最も尊敬している人物は、ナチスの宣伝大臣だったパウル・ヨーゼフ・ゲッペルスである。彼の政治思想の立場はともかく、宣伝に対するスタンスは、非常に好感が持てる。


「そこでゲッペルスを引き合いに出すのもどうかと思うなー」

「そうか? 現代のメディアは大概が、ゲッベルスの遺伝子を組み込んだような代物だろう。彼の手法をよく真似ている。いや、取り入れている」

「『嘘も百回繰り返せば真実になる』とゲッペルスが言ったというデマを、ヴァンダムさんは信じているのか? あれこそ嘘だ。ゲッペルスの宣伝手法は概ね正攻法だったし、大衆を見くびるような姿勢は無かったんだぞ。確かに後世のメディアは、ゲッペルスのプロバガンダのやり方を粗悪な形で模倣しているが、大衆を言葉巧みにたぶらかした嘘吐きの悪の宣伝大臣みたいなイメージは、後世で捻じ曲げられたものだ。ヴァンダムさんは間違った知識を詰め込んでないか?」

「そ、そうか……?」


 義久に指摘され、ヴァンダムは動揺する。


「露骨なプロバガンダとか、そういう悪い部分は改めるだろうさ。テオドールさんもこのやりとりを聞いているし」

「ふむ。つまり私が口にした批難は、全て参考にしてくれるというわけか。例え私がこの討論で負けたとしても、私の言葉は死なない、と」

「ああ、勿論だ。当然だろ」


 からかうように言うヴァンダムであったが、義久が大真面目に頷いて肯定したので、ヴァンダムも笑みを消して真顔になる。


「君のそういう所には私も好感を抱くし、君の魅力である。しかしその魅力が通じない者には、逆に利用されてとんでもない落とし穴に突き落とされるかもしれないから、注意しておきたまえよ」

「どうも。御忠告、心に留めておきます」


 ヴァンダムの言葉が皮肉でも嫌味でもなく、真剣な忠告だと感じ、義久も真剣に受け止める。


(以前も注意されたな……。常識や固定観念に捕らわれて、思わぬ落とし穴に落ちないようにって、この人に言われた)


 ヴァンダムにスカウトされて、断った時のことだ。人は人だとヴァンダムに最初に言ったのも、同じ時だった。


「これを機にマスコミも変わると君は言うが、あるいはテオドールも本気でそう思って取り組んだとしても、変わる事無くマスコミが愚昧なままだったらどうするのだ? 私にはその可能性の方が高く見える。そしてメディアが大衆の鑑だと断ずるのであれば、大衆の方こそ変化が必要であるだろう。それとも、メディアが大衆を善導してやるなどと、思いあがったことでも考えているのかね?」


 ヴァンダムのその問いかけには、慎重に言葉を選んで答えないといけないと、義久は思った。ここは極めて大事なポイントだと。そしてこれは、テオドールへ送る言葉ともなる。そのニュアンスも強く込めて、義久は答えを述べる。


「確かに思いあがっているな。善導は言いすぎだし、傲慢な考えだ。でも大衆に対して標(しるべ)を担う役割は、多少なりとも有ると俺は思っているよ。情報の発信媒体と、それを担うマスコミにその役目があったからこそ、そしてその重要な役目を歪めていたからこそ、問題になっていた」

「ふーむ……鶏が先か卵が先かの話になってしまいそうだな……」

「大衆(マ ス)と媒体(メディア)が、モラルハザードの鶏と卵――どちらが先にモラルを失わせているか――か。俺はモラルに例える場合、鶏が先だと思っているし、鶏が大衆だと思う。大衆のモラルが失われていたから、マスコミも腐ってしまった。でも……俺が言ったこととは逆だけど、腐ったマスコミ側が姿勢を改めるべきだろうと思う。大衆が腐っていたからって、メディアも腐っていいなんて事は無い」

「ではもう一度同じ質問だ。マスコミが愚昧なままだったら? モラルを失ったままだったらどうするかね?」

「否が応でも変わらざるをえなくするための、とっておきの方法がある」


 ヴァンダムの問いかけに、義久はにやりと笑った。ここで最後まで温存していた、本当の切り札を切ることにした。


「ヴァンダムさんが国境イラネ記者団の監視をすればいい。マスコミの監視をするのが、テオドールさんの率いる、国境イラネ記者団。その国境イラネ記者団が、ちゃんとマスコミを監視しているかどうか、監視するのがグリムペニス。この構造にすればいい。もし国境イラネ記者団がさぼっていたら、今度こそヴァンダムさんに監視を任せるしかないという形でさ。そうなれば、マスコミも必死に更生するだろうし、国境イラネ記者団も真面目に監視するよ。もちろんそのためには、ヴァンダムさんも――さっき言ったように、人から信じてもらえるようにしなくちゃ駄目だけどね」


 この案は、義久やケイトが純子達と、この対決に臨む相談をしている際に、義久が純子の言葉から閃いた、ヴァンダムを納得させられるかもしれないと思った切り札であった。『勝者がマスコミの支配権と管理権を得るのは当然として、敗者は――』と聞いて、敗者は監視の監視をすれば、双方の顔が立つのではないかと。

 このカードを最初から切っても効果は薄かった。ある程度自分の方が優位に立ったうえで、そして語れるだけ語り尽くしたうえで、最後の最後の場面で切ってこそ威力を発揮すると、義久はあの時に計算していた。これこそが正真正銘、上手く最後にまとめるために温存しておいた、義久の切り札だった。


 さらには、ヴァンダムは先程、自分の非を認めて――自分が他者から信用されない思考や言動を改めるよう心がけると、口にしていた。この宣言が活きてくるかもしれない。テオドール達の監視役を任すにしても、ほんの少しだけ、ヴァンダムを信ずる後押しともなるかもしれないと、義久は考える。

 甘いかもしれないと、自分でも思うが、それなら自分のような甘い人間限定で、温かい目で見てくれるだろうと考える。


「どうしてその構造で、マスコミが必死に更生するというのかね?」


 不思議そうに訊ねるヴァンダムに、義久は意地悪い笑みを浮かべ、こう答えた。


「そりゃあ世界中のマスコミは、ヴァンダムさんには絶対監視役を任せたくないと思っているからさ。そうさせないために、必死に真面目になろうとするだろ」

「ぶっ……」


 義久のその言葉に、ヴァンダムは吹き出し、会場も失笑で満ち、その後拍手で包まれた。


「ようするに私はマスコミにとって、日本の妖怪で言う、なまはげみたいなものか」


 笑いながらヴァンダムが言う。会場にいる者達の多くが『悪いことをするとヴァンダムが来るぞ!』と脅されて泣くマスコミの様子や、なまはげのコスプレをしたヴァンダムが『わりいマスゴミはいねがー』と包丁を振りかざして記者達を追い回す姿を想像し、一瞬だが会場内に笑いが満ちる。


「そうだな。ヴァンダムさんのした事にも、大きな意味はあったのさ」


 義久が肩をすくめて微笑み、ウインクしてみせる。いつもウインクの下手な義久だというのに、この時ばかりは、奇跡的に綺麗に決まっていた。


「そうか。ふっ……わかった。よろしいっ、私の負けだ」


 判定を待つことなく、ヴァンダムは爽やかな笑顔で宣言する。


 ヴァンダムのその宣言の直後、再び会場は拍手で包まれた。今度の拍手は先程よりずっと大きい、割れんばかりの拍手であった。

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