第三十四章 23

 ヴァンダムの暗殺は失敗した。刺客達の多くは生きていたが、アドニスとシャルルは度重なる失敗を原因に、この仕事を降りると告げてきた。正美も命を助けてもらった代わりに仕事を降りると言ってきた。残りの雑兵も半分以上が降りた。


 貸切油田屋日本支部にて、ラファエルとビトン、それにテオドールの三名が、ラファエルの執務室にて顔をつき合わせ、この結果について話していた。


「あえて殺さずに逃がしたのかな? だとしたら、この場合はいい判断だ。刺客に継続させる意欲を損なわせたうえに、次の刺客も雇いにくくなる」

 ビトンが私見を述べる。


「あえて殺さず逃がすと、どうして雇いにくくなるのかね?」

 ビトンの言葉に、疑問をぶつけるラファエル。


「全員殺して撃退と、ある程度生かしたまま退かせるのと、どちらの難易度が高いかは歴然としている。つまり戦力の高さを見せつけたという結果になる。おまけに刺客の一人は、情けをかけられたという理由で仕事を放棄しているぞ。こうなると、ヴァンダム暗殺の依頼をされても、殺し屋達も動きにくいだろう。戦力面でも、感情面でもな。フィクションと違ってリアルでは、殺し屋の全てが、金さえ払えばどんな仕事も引き受ける冷酷な殺人マシーンというわけではない」

「そういうものなのか。どうも殺し屋というイメージにそぐわない話だが……。我々はフィクションの殺し屋のイメージが、頭の中に焼きついているのかもしれないな」


 ビトンの話を聞いて、ラファエルは認識を改める。


「殺し屋や始末屋も人間だからな。請け負う仕事はある程度選びたいという者が多い。もちろん金さえ払えばどんな仕事も請け負う者もいるが」


 テオドールが大幅に増員した刺客の質とて低いし、あの時点で戦力のしっかりとした増強は、難しかったのだろうとビトンは見ている。ほとんどがチンピラだ。


「貸切油田屋日本支部にいる兵士を動かせないか?」


 それまで無言だったテオドールがようやく口を開く。


「お断りだ。切羽詰ったからといって、何でもかんでもしようとするな。見苦しいぞ」

「確かに見苦しいな……」


 ビトンの拒絶と指摘を受けても、テオドールは怒る気にもなれず、重い溜息をつく。


 そのテオドールに、電話がかかってきた。

 相手は純子だった。


『ちょっと大事な話があるから来てくれないかなー。テオドールさんにも頼みたいことがあるんだー。実は今ねー……』


 電話から漏れる声には、ビトンもラファエルも聞き覚えがあった。


「わかった。明日行く」

「雪岡純子から呼び出しとは……」


 ビトンが電話の相手の声を聞いて唸る。味方につけるという話は聞いていたが、その後どうなったかを聞かず、存在を失念していたラファエルとビトンである。


「何か進展するかもしれない。彼女の元にケイト・ヴァンダムも来て、対話をする流れになった。ケイトにはケイトで協力者がいるようだ。その協力者も交えて、重大な話になると思われる」


 テオドールが報告する。


「もう少し音量を下げたらどうだ……。会話が全部聞こえてたぞ」

「あ……」


 呆れて指摘するビトンに、口元に手をやるテオドール。


(この男、こんなキャラだったか? 何だか随分と人が変わったような……)


 今日のテオドールの様子が明らかにおかしいことに、ビトンは不審に思う。


「ビトン、少し席を外していてくれ」

 ラファエルが静かに告げる。


「わかった」


 ビトンは頷き、退室した。自分を追い出して、ラファエルがテオドールと二人でどんな話をしようというのかと、かなり興味はあった。


「別にビトンがいてもよかったのだがな。まあ念のためだ。大丈夫そうなら、後で彼にも話す。それに二人の方が話しやすいだろう」


 二人きりになった所でラファエルが話す。一体何のことか、テオドールにはわからなかったが、次の一言ですぐに判明した。


「君はテオドールのクローンだな?」

 ストレートに問うラファエル。


 テオドールは伏し目がちになって少し逡巡していたが、やがて無言で不安げに頷いた。まるで子供のような仕草だと、ラファエルの目には映る。

 実際に生きた年齢も子供のそれくらいしかないテオドールは、マインドコントロールが解けた影響で、時折部分的に、精神年齢が子供のそれになる時があった。テオドールもそれがわかっていて、それはできるだけ人前で出さないようにしているが、無意識下で出てしまうこともある。


「安心していい。脅すつもりなら、わざわざビトンを退室させたりしない。二人がかりで脅すさ。彼を退室させたのは、君を安心させるためというニュアンスもある」

「それは……わかっている」

「どうして君がそうなってしまったか、本体がどうなったか、私には全く興味がないことだ。それは問わない。私が言いたいことは、だ。君が本体のような振る舞いをしなければ、私は君に協力してもよいと考えている。君はどうも、本体とは大分性格が違うようであるからな。つまり……正体がばれないように、本体に似せる行為などしない方がいい。それは誰にとってもよい事はない。君だって嫌なんだろう?」


 ラファエルの確認に対し、テオドールはまた無言で頷いた。


「本当に……信じていいのか?」


 今度はテオドールの方が、躊躇いがちな口調で確認する。


「大丈夫だ。一族の前でも、君の周囲でも、あまり無理して本体のように振舞おうとしない方がいい。戸惑われてもいいから、君の思うように振舞え。それが君にとってもよい。急に君の振る舞い方や言動が変われば、もちろん周囲も戸惑うだろう。しかし戸惑うのは最初だけで、すぐに君の変化にも慣れる。何かがきっかけで人が変わったくらいにしか思われない。もしクローンだとバレたら、私が全力で君のことをかばおう。まあ、さっきも言ったが、ビトンにだけは話しておく。彼は私が信頼している部下だからな。心配しなくていい」


 諭しながら、子供をあやしているようだと、ラファエルは意識する。そしてこの時ラファエルも察した。このクローンは本当に、中味は子供のそれなのだろうと。例え記憶は引き継いでいても、生きている年数は長くないと。

 正直、このテオドールがクローンだとバレても、それを問題視する者はいないだろうとラファエルは見ている。オリジナルの方が、はっきりと嫌われて疎まれていたのだから。


「私を……人間だと思ってくれるのか……?」

 声を震わせ、テオドールが喋りだす。


「私は……父もいない。母もいない。完璧なる私生児だ。私は年齢的には子供のはずだが、子供だった事が無い。記憶をコピーペーストされ、気がつけば代替品として存在していた。私は思考や感情さえコントロールされていた。それが解けた今は、普通に考えるし、感じる。しかし……私が、こんな私が人間だと思えるか? 人間として接してくれるのか?」

「どこからどう見ても、君は人間だ」


 テオドールの目に光るものを見て、ラファエルはそっと彼の肩に手を置いて、静かに告げた。


「あ……ありがとう……ぐ……うううっ……うぐ……」


 礼を口にしてから、テオドールは嗚咽を漏らした。


***


「敵を退けはしたが、こちらも負傷者続出か」


 テレンスの報告を受け、ヴァンダムは椅子に深くもたれかかり、小さく息を吐いた。


「いつまでこのようなことが続くのでしょうか……」

 不安げに言う勝浦。


「私の読みではもう、暴力に訴える方法は取らないだろう。今の向こうが可能な、全力だったはずだ。貸切油田屋日本支部が私兵を投入しなかった件から見ても、それは明らかだ」

「襲撃に増員された兵の質も低かったですしね。僕もヴァンダムさんと同感です」


 ヴァンダムとテレンスが続け様に言った。


「もし、貸切油田屋が組織をひとまとめにして、事に臨んできたとしたら、かなり脅威だがね。だが貸切油田屋は、とても一枚岩とは言えない組織だ。今回の件も、テオドールのやり方に反感を抱いている者が、きっといる。そうなると商売第一の奴等からしてみれば、予算は徹底して渋るし、同胞の援助はさらに渋る」


 ヴァンダムは貸切油田屋の本質も内情も、ほぼ見抜いていた。


「私の読みが必ず当たるというわけでもないから、油断はできんがね。引き続き私はここに篭っておく。完全に決着がついたとなるまでは、ここを出るのは危険だ」


 喋りつつ、ケイトのことを思い出す。一体どこへ行ったのかと、心配する。何より喧嘩して出て行った形なので、思い出す度に胸が締め付けられるような気分になる。早く会いたくて仕方がない。

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