第三十四章 24

 グリムペニスビルに襲撃が行われた翌日、義久、犬飼、ケイト、さらにはテオドールの四名が、雪岡研究所に訪れた。

 研究所勢は純子と真の二名が出迎え、応接間に六人で向かい合う。テオドールだけが、純子と真側に座る。


 まず義久と犬飼が最初に違和感を覚えたのはテオドールであった。テレビで見る人物とは雰囲気がまるで違う。


(確かこの人はクローンなんだよな。本体の方は……顔はわりとイケてるけど、人相も目つきも悪いし、爬虫類みたいな印象だったけど……こっちのクローンはそんなことないな)

(何だか……顔つきが幼いような、そんな感じがする。作られて間もないから、頭の中も子供のままとか、そんなんか?)


 義久、犬飼の二人が、テオドールを見てそれぞれ思う。


「負けるが勝ちって言葉は、今のこの状況を指すと思うんだよねえ。今、先に退いた方がいいんだよ」


 以前ここで口にした言葉を、テオドールの前で改めて口にする純子。


「それはもうそのつもりでいるから、安心していい。これ以上意地を通しても仕方無い」


 微笑みながら、吹っ切れたような顔でテオドールは言った。


「シカシそれとは別に、夫を止めナクてはなりマセン。それには是非テオドールさんの協力もお願いシタイです」

「わかっている。できる事ならする」


 ケイトの要望に、静かに頷くテオドール。


「なあ、テオドールさん……あんたは俺と会話した方のテオドールさん……ではないんだよな?」

「ああ。記憶はあるけどね。私はクローンの方だ」


 義久が確認し、テオドールは即座に頷く。


「じゃあ、別の考えもあるってことでお願いしたいが、正攻法でいってくれないか?」

「正攻法とは?」


 義久の要望の意味がわからず、テオドールが問う。


「ヴァンダムの言い分を一部認めてくれ。これまでのマスメディアの悪を認めて、反省を口にしてちゃんと謝罪し、今後は改めると表明してくれ。偏向報道や世論誘導、政治屋やイデオロギーの走狗となってプロバガンダなどせず、真実の捏造や、報道しない自由を行使せず、世の中で起きた事をありのまま伝える、本来の役目を果たすと」


 義久の訴えに、テオドールは露骨に顔をしかめて難色を示した。


「なあ……テオドールさん、それで済むことじゃないか。それが人々の望むことじゃないか。ヴァンダムの言うとおり、それが正しい在り方じゃないか。これを認めて、そう努めるとこの時点で宣言すれば、何より実行すればいい」

「それを宣言したとして、可能だと思うか? 世界中のマスコミが素直に従う姿が、君には想像できるのか? ただ宣言しただけでは収まりがつかないことなんて、三歳児の私にでも判断がつくよ」


 義久の説得に対し、テオドールは静かに否定した。


「想像できねーよ。でもやるんだよ。諦めてたら、それこそ有りえないが、少しでも変えようとする努力をするとしないとでは、全然違うだろ」

「あのさー、義久……」


 食い下がる義久に、犬飼が口を挟む。


「上辺だけ繕っても意味無いってことを、テオドールは言いたいんだよ。そしてお前以外皆それをわかっている。それを宣言してどーするんだ。誰も信じないぞ」

「もちろん宣言したからには実行してもらう。ぜひ実行してくれ」


 犬飼の言葉に対し、少しムキになった口調で義久は言う。


「高田君の言いたいことはわかるし、正しいし、私もその努力はしてみようと思う。しかし今大事なのは、ヴァンダムをどう抑えるかであって、国境イラネ記者団とマスコミが今後改心しますと宣言するだけでは、抑えられないと思う。今大事なのはそこだろう?」

「う……そ、そっスね……」


 実質三歳児に説き伏され、決まり悪そうに首をすくめる義久。


「義久君が口にしたことも、それはそれで実行して欲しいことだし、ヴァンダムさんとの戦いにおいて、大事な主張だと思うよー」


 純子が助け舟を出す。


「で、提案なんだけど、いっそ国境イラネ記者団が、ヴァンダムさんがやろうとしている監視機関の役目を務めればいいじゃない。もちろん最初は信用してもらえないかもしれないけど、誠実に仕事をこなしていけば、そのうち人の見る目って変ってくるものだよー」

「なるほど……それなら筋が通る」

「おー、流石純子……。つーかその手があったな。何で気付かなかったんだ……」

「素晴らしいアイディアデス」

「相手のパクリか」

「いや……それは俺が訴えていたことと、似たようなもんじゃないのか? 何でそっちは皆認めてるのさ……」


 納得して感心するテオドール、犬飼、ケイトの三人。真だけが半眼で突っ込んでいたが、純子はスルーした。一方、義久は他の三人が感心している理由がわからなかった。


「即効性のある策ってわけじゃないな。だが、ヴァンダムのマスコミ監視目的があんなふざけた代物だし、そいつを強行されても一部の人間が利を得るだけで終わる。まともな奴がちゃんと監視し、罰も与えられるようになれば、それでいいんだ。そのうち民草も納得するし、ヴァンダムの計画は白紙になる」


 犬飼が解説したが、義久にはなお理解できず、仏頂面であった。


「まだわからないか? 戦争には大儀が必要だ。足がかりもいる。主張するだけなら通らないが、その主張を通りやすいように、あれやこれや実行していくんだよ。例えばケイトさんに動いてもらってな。発端であり最大の被害者であるケイトさんが、国境イラネ記者団が自ら築いた監視機関は信用できると太鼓判を押せば、どーなるよ?」

「ああ……」


 犬飼にそこまで言われて、ようやく義久も、この手が有効であることを理解する。


「もちろん他にもいろいろと策を巡らし、あの手この手を使って説得力を持たせていくんだ。さっき義久がえらそーにテオドールに向かって言ったことなんて、そりゃ基本中の基本だっつーの」

「ぐぬぬ……」


 少し意地悪く言って笑う犬飼に、義久が唸る。 


「ヴァンダムさんでなくても、最初はきっと『問題の当事者であるマスコミ自身が監視機関の役割を担った所で、信じられない』と思うよー。でも結局の所、大事なのは誠実さなんだよ。それをちゃんと人前で姿勢として示し続ければいい。信用がガタ落ちになって叩かれている今だからこそ、より重要になってくる。さっき義久君がテオドールさんにお願いしていた事も、当然実行していく、と」


 純子が持論を交えて主張する。


「どうデスか? テオドールさん。純子さんノ案」

 ケイトがテオドールに訊ねる。


「私はオリジナルならこうしたであろうと、それに従う形で動いていただけで、今やっていることは心から私自身の望みというわけではない。執着する理由も無い。正直言えば、私もうんざりしていたんだ。幸いというか、一族内でも反発されている。今が……いい機会だよ」


 ここに来る前のラファエルとの会話を思い出し、テオドールは決心していた。


「純子の提案を実行するのは少し怖いし、本当に理想通りの形になるのかと疑っている。だが……魅力的でもある。やれるだけやってみよう」


 そう言ってテオドールは拳を握り締めてみせ、にっこりと微笑んだ。


(こっちのテオドールさんは、本当いい人だなあ。つーか、クローンに縁があるな、俺)

 義久がしみじみと思う。


「それでもヴァンダムが退かなかったら?」

 真が問う。


「ソレデモ退かナイ可能性も、低くはアリませんね。アアイウ人ですし。退かないヨウなら、私とテオドールさんデ組んで、一緒に私ノ旦那をやっつけましょう。もちろん義久さんと犬飼さんにも協力願いマス。よろしければ、純子サン達も」


 ケイトが笑顔で言った。


「ケイトさんがこういう立場になって、テオドールさんの方も反省して謝罪したとなったら、ヴァンダムさんだって戦う理由はなくなるだろうにな」


 義久がやるせない表情で言った。言ってから、これをケイトの前で口にしたら不味かったかとも思ったが、ケイトは特に顔色を変えてもいなかった。


「義久君、もうヴァンダムさんはあちこちの国やメディアや企業とナシつけて、自分のプランを進行中なんだよ? そりゃ普通に考えれば引っ込みがつかないよ」

「あー……そっか」


 純子に言われ、義久は気まずそうに頭をかく。自分の考えが単純すぎた。


「だからヴァンダムさんにも引っ込みをつけやすいように――ヴァンダムさんの計画に便乗しようとしている人達も、これなら諦めても仕方無いと、もしくはヴァンダムさんに協力したら不味いと、そう思わせるよう、仕向けないとね。ま、義久君達のこれまでの活動のおかげで、ヴァンダムさんの支持率も大分低下したし、ヴァンダムさんに寄っていた人達も離れやすくなってると思う。あるいはもう離れたいのかもね」

「私も正にそんな感じだったよ。デーモン一族の連中も、この騒動にはもううんざり気味で、さっさと退けという空気だった。私自身もそう思っていたし……」


 純子の話を聞いて、テオドールが疲れた顔で言う。


「私の立場からこんなことを口にするのも何だが、私のオリジナルが存命中だったら、一族の者に何を言われようと、世間の支持が全く得られなくても、己の道を突き進もうとしていただろうな。そして間違いなく破滅したと思うよ。あれは意地っ張りで、承認欲求とコンプレックスの塊だった。狭量で、つまらない人間だったよ」


 どんなに能力があっても、どんなに社会的に成功しても、テオドール・シオン・デーモンという男に、人間としての魅力は皆無に近かったと、クローンであるテオドールはつくづく思う。そしてそんな人間と同じDNAを持つことを意識すると、凄まじい嫌悪感が沸く。


「そういや俺が今まで会ったジャーナリストも大半は、すぐムキになったり意地を張ったりするようなタイプが多かったし、度量が狭いというか、ケツの穴がちっちゃいというか、人間的に面白くない奴ばかりだったなー」

「犬飼さんよ、俺という例外と付き合ってるくせに、そんなこと言ってくれるなよ。例え俺が該当しなくても、目の前でマスコミの悪口言われてるの、あんまりいい気分しないんだ、俺は」


 いつもの犬飼の意地悪に、義久は思いっきり苦笑いを浮かべて言った。


 話が一段落した所で、真はメールが入っていたのを確認し、ディスプレイを開いてみた。

 相手はかつての傭兵時代の仲間である、シャルルだった。

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