第三十四章 16

 肝杉が死んだ当日の夕方、ニュースで彼が殺害されたと報道された。

 義久とケイトは、義久のマンションにてそのニュースを見て、肝杉の死を知った。犬飼もいる。


「まさか肝杉が殺されるなんて……」

 義久が唸る。


「ああ、国境イラネ記者団の奴等、よっぽどお冠だったんだろうぜ」


 細い顎に手をあて、にやにやと笑う犬飼。


「考えタクはナイですが、コルネリスの仕業カモしれません。国境イラネ記者団にダーティーイメージを植えつけるタメに」


 陰鬱な面持ちで、ケイトが考えを口にする。自分の口から言うには憚られることだが、夫ならそれくらいやりかねないと思っているので、口にせずにはいられなかった。


「ネットを見たら、ケイトさんと同じ読みの奴も結構いるな。あ、国境イラネ記者団も声明出したようだぞ。うわ、笑える。『自分達の仕業じゃない。自分達のせいにしようとしたヴァンダムに殺された』だってよ。こうなるとヴァンダムに汚名や疑いを持たせるためと、ウサ晴らしと両方兼ねて、国境イラネ記者団がやったとも見られるな」


 ホログラフィー・ディスプレイを投影し、けらけらと笑いながら犬飼が報告する。


(何がおかしいんだか……)


 義久は不機嫌そうに、犬飼の様子を横目で見ていた。

 ペンを持つ者に対して剣が振りかざされ、その首がはねとばされた。例え殺されたのが肝杉であろうと、義久が一番嫌う構図だ。そして――


「ドチラの陣営からしてみてモ、このタイミングで肝杉サンを殺シタのは、得策とは言イ難いと思うのデスが……」

 と、ケイト。


「そういう意味では――不謹慎なこと言うが、肝杉の死はどちらにも打撃を与えて役立ったとも言える。どちらも疑惑がもたれ、信用を低下させた。うん、あいつは死んで役に立ってくれたな」


 不謹慎極まる事実を、犬飼は笑いながら口にした。


「ひょっとしたら全くの第三者の仕業かもしれないぞ。肝杉に恨みを持つ者は多いし、今のタイミングで殺せば、国境イラネ記者団に罪をなすりつけられると踏んで、実行した、と。そう考えると、『自分がもし不審な死を遂げたら国境イラネ記者団の仕業でしょう』っていう、あの予防線が、逆効果で働いちゃったかもなー。あははは」

(だから何がおかしいんだよ。何でそこで笑えるんだよ……)


 犬飼が口にしている事に、間違いは無い。しかし、言い方が気に入らないし、楽しそうに笑っているのは尚更気に入らない、義久である。


「もう例の手を使っていいんじゃないかな?」


 こっそり大きく息を吐いて気を落ち着けると、義久はそう言ってケイトを見た。


「ヴァンダムと国境イラネ記者団、双方の信用が損なわれた状態になれば、効果的な手だ。当初の予定では、もう少しチマチマと突いていくつもりだったけど、もう十分な気がする。世間が両者に疑問を抱いている今がチャンスじゃないか?」

「そうデスね。お膳立ては整イました」


 義久の言葉を受け、ケイトが頷く。


「そうか、いよいよか」


 犬飼がにやりと笑う。予定していた最後の手段を使う時がとうとう来た。逆に言えば、自分達ができるのはここまでだ。少なくともその先のことや、他の手は考えていない。思いつかない。


「じゃあ、そろそろ俺はお暇するよ。ケイトさん、頑張ってな」

「お疲れサマママ、お気をツケテ」


 犬飼が立ち上がり、別れの挨拶を告げると、玄関の方へと歩いていく。ケイトは挨拶を返したが、義久は何も言わない。

 犬飼が義久の家を出ようとした際、義久が無言で犬飼の後を追って、玄関までやってきた。


「どしたー?」

 振り返り、薄笑いを浮かべて義久を見る犬飼。


「犬飼さん、俺だってそこまで馬鹿じゃないんだぜ?」


 飄々とした犬飼を真剣な眼差しで見つめ、義久は言った。


「肝杉がこのタイミングで死ぬとか……さ。もしかしなくても、俺が一番嫌う手を使っただろう」

「んー? お前さんが一番嫌う手ってのが、そもそも何だかわからないし、俺はあいつと個人的に因縁もあったし、それに……いや、まあぶっちゃけるか。清濁併せ呑むってことは、お前にできないか?」


 笑顔のまま問う犬飼に、義久は数秒ほど無言で見つめたままだったが、やがて大きく息を吐いた。


「今回のことは……俺の頭が回らなかった。気付かなかったっていう事に……疑いすらもたない馬鹿だったって事にしておくよ」


 義久のその言葉を聞いて、犬飼の笑みが変わった。薄笑いではなく、哀愁を帯びた微笑となっていた。


「すまんな。でも俺と付き合ってると、こういうことがわりとよく起こるから、それが嫌なら、俺と組むのは今回限りにした方がいいかもなあ。俺としてはお前に、もう少し汚物も食える度量を身につけてほしいもんだがね」


 いつものからかうような喋り方ではなく、落ち着いた口調でそう告げると、犬飼は今度こそ扉をくぐって外へと出る。


(似たようなこと、いろんな人に言われてるよ……)


 大きな溜息をつき、義久は口の中で呟いた。


***


 肝杉が死んだ翌日の昼、ラファエルは国境イラネ記者団日本支部に乗り込み、テオドールと直に会って問いただした。


「肝杉を殺したのか?」


 ラファエルのストレートな問いに、テオドールは息を飲む。


「馬鹿なことを……そんなこと……するわけがない」

「馬鹿なことだ。国境イラネ記者団に嫌疑がかかるだけで、デメリットしかない。ヴァンダムの仕業だという声明を出したが、それも実に苦しいな」

「まるで私がやったように断定している物言いだな。私が腹いせにやったと決め付けているのか?」


 ラファエルの言い方にむっとするテオドール。


「それに、だ。元々我々はヴァンダムも暗殺しようとしていたのだ。風評など気にしない。風評を作るのは私だよ。いくらでも操作できる」


 豪語するテオドールが、ラファエルの目には精一杯の虚勢としか映らない。


「いいや、世間は誤魔化せても、マスコミは誤魔化せない。君の構想は大分崩れたはずだ。肝杉達のように、国境イラネ記者団の傀儡となって動く者達は、もう作ることはできない。従わせられない。殺されてしまうと思うからな。それとも従わなければ殺すと脅すか?」

「それは……確かにそうだな」


 言い合いの最中、突然折れて、苦しそうに認めるテオドールを見て、ラファエルは驚いた。

 この男のことだから、何を言っても傲然としてはねのけると思いきや、このような反応をしてきたことが、意外だった。


 そしてテオドールははっとする。本物のテオドールならば、こんなリアクションをするはずがない。もっと尊大で傲岸不遜なはずだと。


「どっちの味方だ、貴様は」


 本物の真似をして、冷たく言い放ってみるテオドール。しかし言った後で、何とも気持ちの悪い違和感を覚える。この台詞は自分の本意ではない。


「私は良識と品性を持っているだけだ。君のやり方にはそのどちらも無いがな」

「黙れ、エンジェルネームが。今の言葉、覚えておく。撤回も認めん。いずれその台詞を口にしたことを後悔させてやる」

「ほう、君にもそんな人間味のある台詞が言えたんだな」


 鉄面皮と思われていた男が、追い詰められてあっさりと本性を露わにした事を嘲笑うラファエル。

 一方でラファエルは内心訝ってもいた。やはり今日のテオドールはおかしい。肝杉の死によって動揺しているのかもしれないが、自分の知るテオドールとはどこか違う。このような人間臭い反応を面と向かって見せた事からして、意外である。


 テオドールはというと、焦っていた。早くも自分が偽者である尻尾を見せてしまったようで、ラファエルに疑われている気がすると。


 その時、テオドールの部下から電話がかかってくる。


『ケイトがネット上で緊急声明を出すそうです。生配信です』

「わかった」


 テオドールがホログラフィー・ディスプレイを投影する。ラファエルにも見えるように、少し大きめのサイズで。


『コルネリス・ヴァンダム、テオドール・シオン・デーモン、両名に私ハ提案します。いい加減殴り合いモ飽きませんカ? そろそろ頃合デス。双方、矛を収メ、無かったコトにしませんか?』


 ケイトのこの呼びかけに、テオドールは目を丸くした。


(なるほど……このタイミングでそれを口にするのは効果的といえるな。ケイトはこの時を待っていたのか? まさか陰で動いていたのはケイトか?)


 ラファエルが口元に手をあてて推測する。


『コノママでは、どちらの陣営ガ勝っても、世の中ニトッテ、多くの人々ニとって、よいことは無いデショウ。互イに自分達の利権のため、利用したいダケということが、白日の元ニ晒され、人々はモウどちらノ陣営も信じてオリません。そんな状態デ、両者が強引にそれぞれ手前勝手ナ機関を作れば、ドウ考えてもカオスになります。正シイ情報は出回らず、これまで以上ニ、捏造情報に翻弄されまくる世の中にナルでしょう。はっきり言ワセていただきます。どちらも無い方がヨイです。貴方達の暴走デ、世の中ヲ滅茶苦茶にされたらたまりマセン』


 全くだと、ケイトの配信を見ていた者達の多くは、ケイトの言葉に大きく頷いていた。ラファエルも、そしてテオドールもこっそりそう思っていた。


『一番いいのはメディアが良識を働かせ、夫――コルネリス・ヴァンダムの言うとおり、正しい報道に徹することデス。それを行わなかったカラ、このような事態にナッタのでしょう。コルネリスもテオドール氏も、綺麗にコノ件から退き、世界各国のマスメディアは今回ノ騒動を戒めとシテ、メディアとして在ルべき、正しい報道姿勢で臨んでいただきタイと存じます』


 ケイトの配信はそこで終わった。

 テオドールは感動し、感嘆の吐息をついていた。流石は聖女扱いされて大勢の人々から支持されているだけのことはあると思う。素直に尊敬できる。


 無意識のうちに微笑みさえ浮かべていたテオドールだが、そんな自分にラファエルが視線を向けていた事と、自分が微笑んでいた事に気がつき、はっとする。


「振り上げた拳を双方下ろせだと? 最も有りえない要求ではないか」


 必死で取り繕い、オリジナルを習って悪ぶってみせるテオドールであるが、その語気は弱々しい。


(私の気持ちとしては……ケイトの言うことが正しいと思える。しかしあの心の貧しいオリジナルなら……意地を張って退かないに違いない……)


 そう思って演技をしているテオドールであるが、いい加減それも馬鹿馬鹿しく感じてきた。


「しかし最も賢い選択とも言える。それが出来ないからこそ、人類はいつまで経っても愚かで、争いを延々と続けるのだ」

「うむ……」


 ラファエルの言葉に説得力を感じ、テオドールは思わず頷いて認めた。


 ラファエルは不思議そうにテオドールを見ていた。その顔にも、明らかに表情が現れていた。どこか不安げで、苦渋を感じさせる面持ちをしていた。


(この男は、テオドールではなく、別人か?)


 そう思ったラファエルだが、警戒はしていなかった。今のテオドールは、あまりにも毒気が無さすぎる。どんなに悪ぶった発言をしても、それが背伸びしているようにしか感じられないのだ。


(確かテオドールはクローンを影武者にしていると聞いた。目の前にいるのが、そうなのではないか? 姿形はともかく、中味が随分違う印象であるし……)


 考えてみれば、先程から言動がいちいち演技くさいようにも思える。そして度々、善性のようなものが垣間見えている。


(クローンだとしたら、ここにいる理由は何だ? オリジナルが誰かに狙われていて表を歩けないのか、どこかでよからぬことをしていてアリバイ作りか、あるいは……もう本物は死んでいるか。その三つしか考えられない)


 オリジナルが殺されてクローンがすり替わっていたとしたら、それが一番良い状態であると、ラファエルには思える。

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