第三十四章 14

 義久が入浴している間に、ケイトは電話をかける。


『お元気ですかー? 首尾はどうですかー?』

「連絡ガ遅れまシタが、夫と喧嘩ヲして、ちょっと家出シテしまいました」

『あれまー、ケイトも夫婦喧嘩することがあるんですかー。おしぼり夫婦だとばかり思っていましたー』

「それを言ウならオシドリ夫婦ですね。ソノタメ、夫の動向を側で監視するコトができません。ゴメンなさい」

『そんなことはいいですけどー、早く仲直りできるといいですねー』

「ただ出てきたわけデハありません。協力してクレそうな人の所に駆け込ミました。ソシテ、夫と国境イラネ記者団双方を敵に回シ、両者の振り上ゲタ拳を下ろさセルため、動いてイマス」

『そうですかー。無理しないでくださいよー。任務なんて嫌になったらいつでも放り投げていいですから、家族を大事にしてくださーい』


 電話の相手の言葉はただの社交辞令ではなく、本音であろうとケイトは理解している。


「嘘をツクのは苦シイことです。嘘の自分を演じるコトも」


 声のトーンを落とし、ケイトは言う。


『ええ。ですから……辛いのでしたら、貴女の心が耐えられなくなったら、いつでもやめてくださいよー』

「では……マタ何かあったら連絡シマス」

『ケイトに神の語の御加護をー」


 電話が切れた。


「私は……決して聖女ナドではない。悪い女デス。それデモ神様は御加護を授ケテくれマスか?」


 ケイトは虚空を見上げ、哀切な声で問うた。


***


 テオドールのクローンは、己の本体を殺害して処分した翌日、また雪岡研究所へと訪れた。


「どうしても直接会って礼が言いたかった」


 応接間で純子と向かい合い、テオドールは感無量といった顔で告げた。


「今後は本体のやろうとしていた事をそのまま引き継ぐよ」

「それが貴方の望みなの?」


 再確認するように純子に問われて、テオドールは一瞬口ごもった。


 純子はそのために、食した者の記憶を継ぐ力を授けてくれた。そしてテオドールも、自分が醜いオリジナルの代替品という運命に、反感を抱くようになったから、それを実行した。しかし、テオドールに成り代わる事が本当の望みかと問われると、疑問も抱いてしまう。


「いや……私は……そうなのかな? 自分でもよくわからないな。しかし、私は誰かの代替品ではなく、一人の人間でありたいから……まずはそこから始めてみようと思う。もし、その生き方が合わないのであれば、また別の生き方を探してみるよ」


 少し照れくさそうに笑いながら、テオドールは言う。


「まずは人間でありたい。今までは、人とは呼べなかった。そういう生き方ではなかった。せっかくその呪縛から身も心も解き放ってもらえたんだからさ。人としての命を謳歌したいな」


 漠然たる希望を語るテオドールの顔は、晴れやかで、そして幼いように、純子の目には映った。


「うんうん、頑張ってねー。とりあえずは、今の騒動を片付けないといけないねー」

「それはそうだ。厄介な問題だ」

「ヴァンダムさんは私にとっても敵だし、貴方は私のマウスだから、協力するよー?」

「い、いいのかな? それは心強いし、とてもありがたい。しかし……世話になりっぱなしだな。私から君にできることは何か無いのかな? あったら遠慮なく言ってほしいよ」


 屈託の無い笑顔で気をかけてくれる純子に、テオドールは目頭が熱くなりつつ、熱のこもった声で返した。


(何か……テオドールさんて、テレビで見るかぎり、あまり感情を表さない人だったけど、クローンのこの人は、マインドコントロールが解けた反動もあるのか、情緒豊かみたいだねー。何より誠実そうだし。こんなんで本体に成り代わって、うまくやってけるのかなあ。イメージチェンジっていう言い訳でもいいかもしれないけどさあ)


 本体のテオドールを直接知るわけではないが、映像越しに見た感じや言動を聞いた限り、あまり好い印象は無い純子である。しかしクローンであるこちらのテオドールは、好印象であった。


***


 ケイトと義久は、犬飼に声をかけられ、カラオケボックスへと呼び出された。


 途轍もなく重要な協力者をゲットしたので連れてくるが、義久の家には連れていけないといわれて、カラオケボックスで対面という運びになったのである。それが誰であるかは、見てのお楽しみと言われた。


(おそらくは敵対勢力の誰か――だろうな。グリムペニスか、それとも貸切油田屋か)


 義久はそう察する。


「セッカクカラオケに来たのですカラ、何か歌ってミテは?」

「音痴なんです……。あまり歌とかは……」

「デハ私が歌いマショウ。私など日頃からコンナ風ですシ、もっとヒドイですけどネ」

「いえいえ」


 にっこりと笑って、ケイトがマイクを手に取って、レゲエ系の曲を選んで歌いだす。


 ケイトが四曲ほど歌い終えた所で、犬飼ともう一人の人物が現れた。


「肝杉っ……!?」


 犬飼の後ろから入ってきた、脂肪まみれの体の小汚い中年男を見て、義久は驚愕して叫んでしまった。


「うん、まあそういうわけだ。次はこいつを利用するプランでいこうと思う」


 にやにや笑いながら言う犬飼。肝杉は萎縮し、その瞳は恐怖に濁っているのが見受けられた。


(どんな魔法を使ったんだ……。しかも肝杉のこの様子はただごとじゃないぞ)


 肝杉の様子を見て、義久は激しく不審を抱く。テレビやネットの動画に映る時の肝杉は、善人面をする一方で、明らかに他者を見下した目で見ているのが丸わかりな、自信に満ちた尊大な内面が読み取れる、そんな男だった。しかし今の肝杉ときたら、人見知りの激しいハムスターのようだ。もちろんハムスターのような愛らしさは微塵も無いが。


「ヴァンダムはとりあえず後回しにして、まずはこいつに、国境イラネ記者団の闇を暴露させる」

「そ、そんなことをして私の身の安全は……」


 どんな協力をさせられるのか、ここにきて初めて伝えられた肝杉は、犬飼の話を聞いて震え上がった。国境イラネ記者団に声をかけられた際、裏切れば命の保障もできないというノリで、恫喝気味だった。あれは絶対にただの脅しではないと感じた。


「国境イラネ記者団に殺されることは、100%無いと言い切れるぞ。そんなことしたら、都合の悪いことを書いたから制裁で殺されたとして、国境イラネ記者団側の立場が悪くなる。ああ、ついでにこう書いておけよ。『自分がもし不審な死を遂げたら、それは国境イラネ記者団による制裁だ』と」


 犬飼のこの弁は嘘だった。犬飼はそうは思っていない。国境イラネ記者団の背後にいる貸切油田屋は、最初からヴァンダムを殺すつもりでいる。風評が悪くなることなど、気にせずに敵の殺害を考えているような連中だ。故に、肝杉を殺さない保障など無い。


「暴露サセルとはどのようなコトをですか?」

「そのまんまだよ。多くの記者に声をかけて、国境イラネ記者団お抱えの工作部隊みたいなもんを作っていると。しかも半ば脅迫されたような形でな。せっかくだから義久が知った情報も、全て暴露しちまおう。報道革命とやらの正体もな」


 ケイトの問いに、犬飼がにやにや笑いながら答える。


「なるほど……それを公にすれば、国境イラネ記者団が、新たに工作員代わりの秘密お抱え記者を作ることは、難しくなる……か。それに今抱えている記者達も、非協力的になるかもしれないな」

 と、義久。


「軽いジャブ程度のもんだが、有効打にはなると思うぜ」


 そう言って犬飼は肝杉の肩に馴れ馴れしく手を回す。その動作だけで、肝杉が恐怖に震え上がっている。


(マジで一体何をしたんだよ。こんな傲岸不遜な男を、ここまでビビらせまくるって……)


 啞然とする義久。ケイトも不審がっている。


「もちろんこいつはその後も有効活用してやるさ。なあ? 協力してくるよな?」

「は、はい……」


 笑顔で確認する犬飼に、消え入りそうな声で答える肝杉。


「あんた……一体どうやってこの男を従わせたんだ?」


 義久が半眼で訊ねる。相当ろくでもない方法なのは確かだろう。


「企業秘密。知らない方がいいし、俺を信じてくれるなら、知ろうともしないでおいてほしいな」


 ちっちっちっと指を振り、犬飼が答える。


「ヴァンダム後回しと言うが……どちらかを先にやっつけたとすると、もう片方がパワーアップしてしまうんだよな、これ。両方同時じゃ駄目かな?」


 義久が問う。


「んー……一時的に評価は片方に傾くかもしれないが、その分凋落も激しいだけさ。気にしなくていいぜ」

「私も犬飼サンに同感です。片方ズツ順番でもよいかと」


 犬飼とケイトに言われ、義久はあまり納得しきれてないが、納得することにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る