第三十四章 13
馬場のケイトへの取材記事が載ってから二日が過ぎた。
(デスクが糞記事を書いちまったせいで、ケイトの懐柔は難しくなった……か。七草がゆ事件を出したのは失敗だったかな……)
朝糞新聞のケイトインタビュー記事は、肝杉からしてみてもひどい計算違いであった。あんな駄記事に仕上げられるとは予想していなかった。
もし失敗したとなったら、別の形で成果をあげて、国境イラネ記者団への手土産にしなくてはならないと、肝杉は考える。そのために肝杉は、己の支援者達に声をかけて、情報を集めてもらっている。
肝杉には、取り巻きのような支援者が何人もいることで、知られている。
その取り巻き達も、肝杉と似たような性格の者達だ。基本的に性根がねじくれており、世の中の出来事も、人間そのものも、ひねくれた見方しかできない。色眼鏡でしか見れない。下世話なゴシップが大好きで、嘘であろうと出所が不明であろうと噂話が大好きで、他人の凋落が大好きだ。
そんな彼等からすると、肝杉のような男の書く記事は心から楽しめるし、肝杉は英雄のように見える。
彼等は肝杉に対して情報提供もいろいろと行っていたし、肝杉がテレビに出演する際には応援にかけつけていたし、肝杉と飲みに行ったりして、肝杉とはすっかり打ち解けた仲だ。
しかし肝杉はそれらの取り巻きに囲まれていい気分になりつつも、腹の底では彼等を常に見下していたし、道具のようにしか思っていない。
国境イラネ記者団に声をかけられた際も、彼等の扱いをどうしようか、しばらく迷っていた。打ち明けて協力させるか、それとも知らせぬままにしておくか。国境イラネ記者団には、信用できる協力者であれば打ち明けても構わないが、情報が公にされた場合、責任は全て自分がとらされるとキツく言われていた。それ故に迷っていた。
結局彼等に自慢して凄い凄いと持て囃されたいがために、酒の席であっさりと暴露してしまったが、今の所は特に悪影響は無い。
取り巻きの一人である馬場は朝糞の記者でもあるし、一番使える男であるが、それ以外はあまり信用していない。
しかし情報提供者としては心強い。これまでも何度も良質のネタを届けてくれた。
今回もまた、支援者の一人が、極めて有力な情報を掴んだ。ヴァンダムの隠し子である人物と接触したというのだ。しかもインタビューのセッティングまでしてくれたのである。
国境イラネ記者団と繋がって、ヴァンダム打倒に動いていることを知らせておいてよかったと、正解だったと、この時は何の疑いもなく思った。
そのヴァンダムの隠し子とやらは、馬場のケイトへのインタビュー記事を見て、カミングアウトをしたいと思い立ったらしい。そして顔の広い事情通である支援者と接触し、肝杉に連絡を取った。
また馬場に行かせようかと思ったが、その日は別の仕事が入って動けないと連絡があり、肝杉が赴くことにした。
肝杉が訪れたのは廃ビルだった。こんな場所でイタンビューをするのかと、肝杉は訝しく思い、入る前に、連絡を入れてきた支援者に電話をして、もう一度確認する。それなりに用心深さはある。
『はい、間違いありません。今、ヴァンダムの息子さんと待っています。どうしても他人に見られたくないという事で、徹底して人目につかぬ場所を選んで、ここだそうです』
支援者から返事が返ってくる。少し声が遠いのが気になったが、支援者も中にいるという事であるし、ここまで来て引き返すのもどうかと考え、不審に思いつつもビルの中に入る。
廃ビルの中を歩き、階段に近づいた所で、肝杉の鼻を異臭が襲った。ひどく焦げ臭い。一体何を焼いたのか知らないが、今まで一度も嗅いだことのない臭いが、建物の中を漂っている。
(何かヤバいぞ……)
危険を感じ、ビルの外へ出ようと踵を返したその時であった。
廊下にうつ伏せに人が倒れていた。今まで自分が歩いてきた廊下に、いつの間にか。
倒れている者の頭部がおかしいことにまず気がつく。真っ黒だ。いや、所々赤い。
よく目を凝らして、それがどういう状態か把握する。頭だけ燃やされているのだ。臭いの元はこれだと知る。人の肉が焼け焦げた臭い。
「ホラーは好きだが、あくまでフィクションの話だ。現実でこんな真似……やめてくれよ」
恐怖を紛らわせるために、声に出して呟く。抵抗はあったが、死体の脇をすりぬけて通路を歩く。この先に行かないと、外へは出られない。
殺人事件を目の当たりにし、そのうえ殺人犯も近くにいるような予感を覚えた肝杉は、死体をすり抜けた途端、駆け出した。
肝杉がビルの外に出ようと、ロビーまで来たその時だった。
ロビーのあちこちで、立て続けに小さな爆発が起こった。爆音と、舞い上がる煙、そして爆風。入り口方面も埃が立ち込めている。
それを見た肝杉は、爆発に巻き込まれてはかなわないと、慌ててビル内部へと引き返す。誘導されているという意識も持たず、とにかく危険から本能的に必死に逃げる。
先程の死体が転がる廊下にやってきて、肝杉の足が止まった。恐怖に顔を引きつらせる。
似たような死体が二つに増えていた。もう一つも、首から上だけ焼かれていた。しかももう一つの死体の体型と服装には見覚えがあった。
それは肝杉の支援者の一人だった。のっぽで、いつも緑の服ばかり着ている男で、服のパターンも大体決まっている男。間違いない。
二つの死体を乗り越え、肝杉は如何なる事態か、この時ようやく悟った。自分は今ハメられて、追い詰められていると。何者かに命を脅かされていると。
肝杉に電話がかかる。ここに呼び出した支援者からだ。
「おい、無事かっ、どうなって……」
『助けてえっ! 肝杉さん! ぐべっ!』
「おい、もしもし……もしもーしっ!」
悲鳴がしたかと思うと、くぐもったおかしな声があがり、それっきりだった。
「ひっ!?」
背後から金属を落としたような、大きな音がして、肝杉は身を震わせて悲鳴をあげる。
がしゃんっ、がしゃんっと、何かが音をたてて近づいてくるのがかわった。しかし廊下には何も見えない。
見えないが自分に接近してくる者がいると感じた肝杉は、危険を感じて慌ててその場から離れる。
廊下を走り、階段へと曲がったその時、階段に並べられているものを見て、絶句してしまった。
三つの生首。今度は焼けてもいない。だからはっきりとわかる。三人とも支援者達だった。
金属音が迫る。肝杉は恐怖に駆られ、階段を上っていく。
二階に上がった所で、肝杉は本日何体目かの死体をまた見せられることになる。腹部を赤く染めて倒れた死体。いや、死体ではない。まだ生きている。痙攣している。目を動かして、泣きながら肝杉を見て、口からごぼごぼと血の泡を吹き出しながら、肝杉に向かって助けを乞うかのようにして、手を伸ばす。
肝杉をここへと呼び出した支援者だった。
「何があったんだっ……。一体これはどういうことだっ!?」
虫の息である支援者に、責めるような響きの声を浴びせる肝杉。
やがて彼の体から力が抜け、伸ばした手が床に落ちた。
金属がずれる音がした。
「ひっ!?」
近くにある扉が中から開いた音だった。そして扉が開く様も見た。
「早くこっちへ来い」
落ち着いた声がかかる。扉の中にいる何者かがいた。
「死にたいならその場にいてもいいけどよ」
そう言われて扉が閉められようとする。
「ま、待てっ!」
一体何者なのかわからないが、味方だと信じて、急いで扉の中へ入らんと、ダッシュする肝杉。
扉の中の部屋に入って、肝杉はまた絶句してしまった。
椅子に座った状態で、縄で縛られて拘束された、馬場殿治郎の姿があった。口には猿轡もされている。
「何で俺が味方だと思ったんだ?」
その肝杉の頭に、金属質な何かが押し付けられ、からかうような声がかかった。
「こっち見てもいいよ。おかしな動きをしてもいいよ。死ぬ覚悟があるのなら」
「お、お前は……」
声のする方を向くと、見覚えのある痩身の男がいた。
作家の犬飼一。以前肝杉が散々書評で叩いた人物だ。
「顔焼きシャーリーって知ってるか? 安瀬さんから教えてもらったんだが、人の顔だけを焼いて殺すのが趣味な魔女がいるって。ちょっとそれの真似してみたけど、どうだった?」
にやにや笑いながら喋る犬飼。その手には銃が握られ、銃口は肝杉に向けられている。
「どうやってこいつらを捕まえたか知りたいか? いや、俺は暴力とか苦手だぜ? だから頭を使ったんだ。俺みたいな虚弱で面倒臭がりな男でも、最小限の力でできる手段でな」
こいつらとは、ここにいる馬場を含め、殺された支援者達のことだろうと、肝杉にも理解できた。この男が全て殺し、そして今、自分の命も脅かしている。
情報組織オーマイレイプに肝杉の支援者とその連絡先を全て調べてもらい、犬飼は片っ端から連絡していた。
「あんたの支援者共さ、何の疑いもなくほいほいとここにやってきたよ。肝杉さんの協力がしたいってさ。人望あるんだな。よくここまで慕われてるもんだわ。そこんとこは褒めてやってもいい。おかげで俺も楽ができた」
犬飼がおかしそうに言う。肝杉は恐怖のあまり脳が半ば停止して、がたがたと震えたままだ。
「あんた、俺の小説の批評の大半が、読んだか読んでないかもわからない悪罵だったけど、一つだけ、明らかに読んだっぽい批評があったなあ。そう……人を焼き殺す描写に関してのアレだ」
銃口を肝杉に向けたまま、笑顔で犬飼は話し続ける。
「確かこんな風に書いてたっけ? 『人を焼き殺す際の描写があまりにも生々しくて、気持ち悪い。どうしても想像してしまう。この作者は実際に犬や猫を生きたまま焼き殺して、それを見て参考にして、描写しているのではないかと。そしてそのような異常な性癖の持ち主だと勘繰ってしまう』こんな文章だったよな? ここだけはシビれたね。あんたを評価できるよ」
犬飼がどうしてこんな台詞を口にしているのか、その台詞の裏に何があるのか、わからない肝杉ではない。
「あれは半分当たりで半分はずれだ。正に実際に焼き殺しているからこそだよ。いやー、実に慧眼。もしかしたら適当ぶっこいてただけかもしれないけど、それでも半分は当たりだ。何がハズレかっていうと、焼き殺していたのは犬でも猫でもないってことだ。そんな可哀想なこと、できるわけがないだろ。罪も無い動物を生きたまま焼き殺すなんてさ」
では何を殺したのかなどと、聞くまでもない。すでにここに来るまでの間に、肝杉はその答えも目の当たりにしている。
「ま、あの書評を書いたのはあんたじゃないけどな。同じ記憶はあるんだから、話は通じるだろ」
「何?」
意味不明な言葉に、思わず怪訝な声を漏らす肝杉。
「あんたは二歳児のクローンだってことさ。ああ、信じられないだろうから、信じなくてもいい。ちなみに烏腹もだぞ。見た目はあんたより年上だが、あいつもあんたと同い年だ。二歳児だ」
そう言うと、犬飼は肝杉に向けていた銃口を下げた。
ほっとする肝杉。危険を冒して、いちかばちか飛びつこうなどという発想は無い。それで勝てる保障は無いのだ。
銃声が響き、肝杉は硬直した。
犬飼が撃ったのは、椅子に縛り付けられた馬場だった。
「ケイトのおかげで改心できたのに、残念な話――かな? いや、そんなことないよな?」
即死させないように腹部を撃ちぬいて、犬飼は死にゆく馬場を見つめて、語りかける。
「死ねば英雄になれるからいいじゃないか。あんたが所属している新聞社が、延々と何十年も、オマンマと自慰のネタとして、あんたの死を書き続けてくれるよ。許されざる暴力によって、尊い記者の命が奪われた忌まわしい記念日として、な。そして暴力には屈しないだの何だの、毎年毎年別の記者が入れ替わりで、記事と謳ってしょーもない作文を書く。恒例行事になる。あんたにとっては最高の名誉だろ? あ……でもよく考えたら死体は業者に始末させるし、行方不明扱いか。やっぱり残念。名誉ある自社記者殺され記念日は無しだ」
そこまで言った所で犬飼は、喋っている最中に事切れた馬場から、再び肝杉の方に顔を向ける。
「ひっ……!」
顔についた脂肪を大きく震わせて、震え上がる肝杉。
「ところで――ペンは剣より強しって言うだろ? それを今この状況で実践してみせてくれないか?」
硝煙のたちのぼる銃を軽く振り回して弄びながら、犬飼は肝杉に要求する。
「からかっているわけじゃないぞ。大真面目に、さ。ペンの力――つまり人の心を振るわせる力で、俺の心を動かして、この状況から逃れるんだ。できないか? それともう一つ勘違いを訂正しとくが、俺は人殺しなんてしたくないし、嫌いだからな」
「よ、要求は何だ……。ここまで恐怖の演出をするからには、私を脅して、何か……あるんだろう……?」
希望的観測を込めて、泣きそうな顔で肝杉は言う。これが精一杯だ。
もしかしたら、ただの恨みによる、殺害そのものが目的かもしれない。そうだったらおしまいであることは、肝杉にもわかっている。
「話が早くて助かるが、ちっとも面白くなかったし、心も震えなかった。さて、クエスチョンだ。ペンは剣より強しってのは、本当だと思うか?」
言いつつ犬飼は、再び肝杉に銃口を向ける。
「ペンで……剣に……勝てるはずが無い……」
掠れ声で肝杉は答えると、その場にへたれこみ、大分前に股間から液体を垂れ流していた事に、今更気がついた。
「ペンが武器であるはずの小説家の俺が、剣を用いる。いやはや、これ如何に」
心の折れた肝杉を見下ろしながら、銃を収めた犬飼が、皮肉げな笑みを浮かべて呟いた。
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