第三十三章 19

 義久のマンションに、その日も犬飼が訪れた。


「お前さんはこれからどうしていきたいんだ? 安瀬の仇を取るのか? あの移民の親子を助けたいのか? ケイトの味方をしたいのか?」


 顔を見せるなり、犬飼は義久に問う。


「それらに加えて、このままメディアバッシングされているのも容認できない」


 義久がきっぱりと言い切る。ジャーナリストの端くれとしては、ヴァンダムによって引き起こされた現状は、決して面白いものではなかった。


「このままでは報道の信用が地に墜ちるだろ。俺も一応ジャーナリストの端くれだし、ヴァンダムさんのメディアバッシングを快く思いはしない。賛同できる部分も一応あるけどさ。それにしたって、ヴァンダムさんはやりすぎだ」


 しかしそれを食い止めるには、まず諸悪の根源を吊るしあげる必要がある。一応義久の中で、非常に大雑把かつ希望的観測も込みではあるが、アテがある。


「あれやれこれや贅沢なやっちゃ。一つに絞った方がいいのにな。で、何か策はあるのか?」


 おかしそうに微笑む犬飼。義久のそんな所が気に入っている。


「ケイトさんを貶めようとした烏腹の件を解決して、奴の仕掛けた虚偽だと証明し、それを手土産にすれば、ヴァンダムさんも俺の話を聞いてくれるかもしれないからさ。一応知り合いでもあるし」

「んー……甘いんじゃね?」

「ヴァンダムさんは人を見下しているし、それを隠そうともしない一方で、その見下している相手と同じ目線で、しっかりと自分の意見を喋るという一面もあるし、相手の意見も聞いてくれるよ」

「なるほど。普通のお偉い人達は、一般人を見下したうえで、それは出さないように務めて味方面しながら、カタにハマった台詞しか吐かないしな」

「普通のお偉い人達って面白い表現だ」


 義久の話を聞いて犬飼が笑い、犬飼の言葉を聞いて義久も笑う。


「パターン通りのお偉い人達と言い換えてもいいね。んで、先のプランはともかく、今どうするかだよ」

「当面は烏腹を追うよ。こいつはマスコミの恥晒しだ。肝杉もだけど」

「肝杉か……」


 その名を聞いて、犬飼は嫌な記憶が掘り起こされた。


 犬飼は肝杉との間に因縁がある。犬飼が作家として現役の頃、肝杉にあることないこと書かれた事がある。昔からそんなことをしてばかりいる記者だった。そんな輩がずっと報道で飯を食っていられるのだから、つくづく腐り果てた業界だと思える。


(あの件では、優が肝杉に対して随分と怒ってたっけな。肝杉を破滅させれば、優もさぞかし喜ぶだろう)


 犬飼としては、自分が叩かれてもどうでもよかったが、優を怒らせ悔しがらせ悲しませたことだけに、腹が立っていた。


(しかし妙だよな。この肝杉……それに烏腹って奴も。執拗なまでにケイトに粘着している。特に烏腹はまるで取り憑かれているかの如く、ケイトにまとわりついている。まあ、一人の対象にストーカーの如く粘着している奴ってのは、確かにいるけど、それにしても何かおかしいな……。ケイト・ヴァンダムって人物は、そんなに執念を燃やしてストーキングさせるような要素あるか?)


 不思議に思いつつ、何かそのような行動を駆り立てる原因があるのかもしれないと、犬飼は勘繰る。


(そのうち調べてみるかな。この二人は)


***


 それはいつだったかわからないが、みどりは真に聞いたことがある。


「へーい、真兄。その透明の針も、純姉が作ったもんだけど、純姉に教わったもんじゃないよねえ? それは誰に習ったん?」

「これも僕が傭兵していた頃に、シャルルに習ったんだ」


 みどりの前で透明の長針の手入れをしていた真は答えた。


「こっちはシャルルと同じくらいには、上手く使えるようになったかな」

「ふえぇ~、そのシャルルって人は暗器使いか何かなのォ~?」

「いいや、漫画の技使いだ」

「漫画の技使い~?」


 真の答えに、みどりは素っ頓狂な声をあげる。


「シャルルは子供の頃から日本の漫画が大好きでさ、アニメやラノベも好きだけど。特にバトルものの漫画が大好きで、あらゆるバトル漫画を古い奴も含めて読みまくって、漫画に出てくる技や武器の扱いをマスターしようと、五歳の頃からひたすら修行に励んだらしい。大人になった後もずっとな……。で、そのうちの幾つかは本当にマスターしたと言っていたよ。世界中の人間から元気を分けてもらってエネルギー球にする技は、一年以上かけて会得しようと頑張ったけど無理だったと、悔しがってたけどな」

「ふわあぁ~……すげえ求道者もいたもんだァ」

「しかしそのおかげで、接近戦に関してはとんでもない強者になった。僕が尊敬する、最強の傭兵と呼ばれているサイモン・ベルにさえ、シャルルと接近戦だけは避けたいと言わしめるほどだ。もっとも傭兵としての総合力では、サイモンや李磊に及んでいなかったように見えたけど、それでも十分に屈強な兵士だった」


***


「タトゥー、すごいね。あ、俺も一応タトゥー入れてるんだ。ほら」


 そう言ってシャルルがミランに右手の甲をかざしてみせる。アニメの美少女ヒロインの顔が彫られていた。


「オットー……」


 ミランはそれどころではなかった。長年付き合っていた相方を失った事で、少なからずショックを受けていた。


 しかし今自分は戦場にいるということを意識し、気を引き締めてシャルルを睨む。


 ロバートが銃を撃ってくる。オットーを殺されたショックとシャルルに気を取られていたことで、ミランはこれに反応できず、脇腹に食らってしまった。防弾繊維を貫通し、銃弾が肉を突き抜ける。


 衝撃に体勢を崩したミランめがけて、シャルルが片手を振るい、何かを飛ばした。

 ミランははっきりと見た。釣りの錘のようなものが三つ飛来するのを。そして錘からは、糸のようなものがついて、シャルルの手から伸びているのも。


 斬殺されたオットーの屍と、飛来するものが結びつく。錘は文字通りの錘だ。シャルルの武器の正体が、ミランにはわかった。通常、トラップとして用いる超音波震動鋼線だと。


 崩れた体勢で、ミランはジャケットを素早く脱ぎ、目の前で振り回した。


「へえ」


 感心して、手を引いて鋼線を収納させるシャルル。鋼線を伸ばすための錘がジャケットで振り払われたのだ。


(瞬時に対処法を思いつくとは、中々やるねー。命の危険に晒されて、頭が冴えたかな)


 シャルルが軽やかに疾走し、ミランに迫る。ミランは銃を二発撃つが、シャルルの接近は阻めず、あと4メートルほどまでに迫る。そこでロバートが銃を撃ち、ミランは回避を余儀なくされる。


 その回避直後を狙って、シャルルは手にした何かを投げた。

 また鋼線かと思い、ミランはジャケットを振るったが、違った。ジャケットを振るった腕に鋭い痛みを感じる。


(針だと……)


 防弾繊維を突き抜けて、透明の長い針が腕に刺さっていた。ジャケットにも一本刺さっている。

 針などという得物を用いたからには、当然警戒するのは毒物が塗られていることだが、それがわかっても、今のミランにはどうにもできない。


 実際にはシャルルは、毒など塗っていない。そう思わせて慌てさせればそれでいいとしている。何故毒を用いないのかといえば、この武器を使っていた漫画の主人公は毒を塗っていなかったという、ただそれだけの理由だ。


 さらにロバートが銃を撃ち、回避を試みたミランだが、胸に当たる。防弾繊維は突き抜けなかったが、ダメージは食らっている。


(まさか……俺もここで死ぬのか?)


 視界にオットーの亡骸が入って、ミランはそう意識した。実際、明らかに危険な状況だ。シャルル一人でも手強いのに、二人がかりで、そのうえ負傷している。何より流れは敵側にある。


 ミランめがけてシャルルが迫り、銃声が響く。

 シャルルが後方に跳んだ。シャルルがいた空間の前方を銃弾がよぎる。


「面白い人がいるね」


 銃を撃ったテレンスが、シャルルを見て呟く。ビルの入り口から丁度出てきた所だ。その後ろには、キャサリンとロッドのクリスタル姉弟もいる。

 オットーがやられたのを見て、ヴァンダムが至急助っ人に向かうよう、ビル内にいた三名に連絡を入れ、大急ぎで出てきた所であった。


「ちょっと……ヤバい。何あのイケメン。もうすぐ殺し合いが始まる前だってのに、これはもう間違いなく恋に落ちた感? 何この悲劇……ヤバいわ」


 膨れ上がったぷにぷにの赤く染まった頬に両手をあて、キャサリンがうっとりとした眼差しでシャルルを見て呟くが、全員スルーしている。


「傭兵学校十一期主席班のシャルルか。御目にかかれて光栄だね。僕は海チワワの頭目、テレンス・ムーアだ」

「ふふふ、死神テレンス……あんたの名前も戦場じゃよく聞いていたよ。でも、戦場でうちら十一期主席班と遭遇していれば、今ここにいなかったんじゃないかなあ」


 テレンスとシャルルがそれぞれ、柔和な笑顔を向け合い、自己紹介する。


 ロッドが無言で、ボクシングの構えでシャルルに向かって接近していく。いつも通り、徒手空拳だ。


「ほほお、俺と近接格闘(CQC)やる気かー」


 嬉しそうにロッドの方に向くシャルルであったが、そのシャルルに対してミランが銃を撃ち、ロッドから逃げるように後方に跳んで距離を取らざるをえなかった。


 一方でロバートもロッドに向かって銃を撃つ。ロッドは軽々とかわすと、シャルルから攻撃の矛先をロバートの方へと変え、小走りに接近する。

 向かってくるロッドに、何発も撃つロバートであったが、右に左にと、いともあっさりとかわしつつ、気がついたら目と鼻の先まで迫っていた。


 ロバートの恐怖は一瞬で消えた。ロッドの放ったアッパーが顎を完全に粉砕し、脳にも強烈な衝撃をもたらしつつ、ロバートの意識をかき消したからだ。ロバートの体は宙に舞い、仰向けに倒れた。


(こりゃ流石に無理があるかなあ)


 テレンス、キャサリン、ミランの三人がかりの銃撃に晒され、おまけにロバートも倒されたのを確認し、シャルルはこれ以上この場に留まって戦うのは無理があると判断した。


 シャルルがポケットから何かを取り出し、それを地面に叩きつける。

 爆音がしたかと思うと、もうもうと煙が立ち込める。


「煙幕とはね。でも――」


 テレンスが呟く。煙は相当な広さに広がっていたが、海に面したこの場所では、強めの風が吹いていることが多い。今日もかなりの風が吹いているので、煙はすぐに吹き流された。

 だが煙が消えた時、シャルルの姿も消えていたので、一同目を見張った。


「あんな一瞬で姿を消したっていうの?」

 キャサリンが驚きの声をあげる。


「どこに消えやがった?」


 ミランが呻く。周囲は海であるし、この人工道には一本道が続いているだけで、遮蔽物も無く、隠れられる場所は限られているというのに、完全に姿を消した。


「海の中か、それとも下水道か。謎ですね」 


 テレンスが呟く。考えられるのはそれくらいだが、いずれにせよ、そこまで追撃する気にもなれなかった。


 実際、シャルルは海の中へと逃げていた。彼は幼少の頃に読んだ漫画で、長時間水中で活動できるキャラクターを見て、自分も同じことができるようになろうと訓練した結果、息を吸うこと無く五分以上水中にいられるようになった。


(周囲が海で助かったよー。しっかし、汚い海……赤潮も出てるし)


 東京湾の中を泳ぎながら、シャルルはげんなりしていた。

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