第三十三章 16
アメリカ某所。とあるビルの中にある会議室にて、デーモン一族を取り仕切る執政委員会の定例会議が行われていた。
直接出席する者よりも、テレビ電話を通じての出席者の方が多い。世界各地に散っている者達が、会議だからといって、ほいほいと移動して参じることなどできない。
議題は今世界中の注目の的となった、ヴァンダムと国境イラネ記者団の確執についてだ。
国境イラネ記者団を仕切るテオドールに賛同する声もそれなりにあるが、否定的な声の方が強い。
「何故ケイトを叩いて、藪から竜を呼び出した」
テレビ電話のホログラフィー・ディスプレイに映るテオドールに向かって、執政委員の一人が腕組みしながら忌々しそうに言う。
「君はこのままコルネリス・ヴァンダムと本気で一戦交えるつもりなのですか?」
「まあ、待て、テオドールだけを責めるな。奴が宣戦布告してきたのに、このまま放っておけるわけがない」
「例え貸切油田屋が無視しても、世界中のメディアは黙っていないだろう」
「そうかな? 無視するという手もあるが」
「マスコミと戦うと息巻いても、マスコミが無視して報道しなければそれで終わりか」
「馬鹿な。その無視をさせないために、彼は監視機関を作ると言い出したのだ。協力者も募ったうえでな。おそらく世界中に協力者が現れよう」
「そもそもヴァンダムとやりあって勝てると思っているのか? 奴は世界の歴史を動かした男だぞ」
一族の者が口々に喋る中、テオドールは無表情のまま沈黙している。
「皆に問うておきたい。この中で一人でも、あのヴァンダムと同じことができる者がいるか? それをできると言い切れる者がいるのか?」
年配の執政委員の問いかけに、全員が沈黙する。誰一人としてできると発言する者はいなかった。
「我々は確かに巨大だ。しかし、所詮我々はミハイル・デーモンという巨大な個が作った力を譲り受けただけだ。有象無象の秀才に過ぎん。はっきり言おう。私は勝てる気がしない。秀才如きでは決して天才に勝てないのは、諸君らが一番よくわかっているはずだ」
さらに悲観的な言葉を口にする年配執政委員。
「巨大な才能が――巨大な個が必ずしも勝利するとは限りませんよ。もちろん個で張り合ってあの男にかなう者は、この中にはいないでしょう。しかし、我々には集の力があります」
沈黙を破り、冷静にそう述べたのは、ラファエル・デーモンであった。彼もテオドール同様、日本からの映像だ。
「逆に言えば敵はコルネリス・ヴァンダムのワンマンチーム。頭をとれば済む話だ」
これまでずっと黙っていたテオドールが口を開いた。
「暗殺しろとでも言うのか? あの男がこれまでどれだけ暗殺者に狙われ、それを悉く返り討ちにしていると思っている。海チワワの優秀な戦士達に、常にガードされているのだぞ」
一族の一人が、テオドールに向かって言う。明らかにテオドールを快く思っていない者であった。
実際には、ヴァンダムは常に海チワワにガードされているわけでもないが、他所からはそう思われている。
「コルネリス・ヴァンダムと事を構えるのは予定通りだ。すでに刺客も放ったが失敗した。アドニスですら撤退を余儀なくされるほどのガードの固さだ」
テオドールのこの報告に、会議室は二重の意味でざわついた。
「すでに刺客とか……殺せば逆に奴の正当性を示しかねんぞ」
「しかもあのアドニスでも無理となると……」
アドニスは貸切油田屋が過去何度も雇った殺し屋の一人で、組織にとっての邪魔者を幾度となく消してくれた。デーモン一族の中でも、有名な人材となっている。
「正当性を示すにはならない。奴を始末したその時、奴の悪事を一斉に暴露すれば、民衆は死への同情や疑問よりも、安直な正義の怒りに燃え、奴の死を喜ぶ。そういうものだ」
「見くびりすぎではないかね?」
傲然と主張するテオドールに、ラファエルが冷めた口調で言った。
「ついこの間、アブディエルが暴走して、内外共にかき混ぜてくれたばかりだというのに、今度はエンジェルネームすらもたないはねっかえりが、調子に乗って、我々の頭を悩ませてくれるわけか」
かなり老齢である執政委員が、テオドールを睨みつけて、露骨に嫌味をぶつける。
「アドニスは威力偵察の役目を果たしたとも言える。それに彼は死んだわけではないし、まだ使えるだろう」
年配の執政委員の嫌味を無視して、テオドールは本題に入った。
「アドニスの意見を参考にして、新たに刺客を雇う。日本国内にいる貸切油田屋の兵士達は動かさない。今、そこの古びた置物が囀っていた通り、アブディエルがやらかした後に、また余計な騒動を起こして、刺激したくはない」
「おい、貴様……」
「各国の使えそうな殺し屋や始末屋を雇い、日本の裏通りでも雇うとしよう」
目を剥く年配執政委員を無視して、テオドールは話を続ける。
「アドニス同様、貸切油田屋が贔屓にしている殺し屋を使えばいい。贔屓以外の優秀な殺し屋も雇う。前から目をつけていた者もいる。次々と刺客を送り込み、疲弊させていく」
「うまくいくことを祈っている。しかし、どんな結果になろうと、日本に滞在するうちの工作員は貸さないから、そっちで好きにやってくれ」
プランを述べるテオドールに、ラファエルがきっぱりと前もって告げておく。それに対しテオドールは、表面上は何も反応を示さなかった。
***
赤村家に泊まりこみで護衛をするようになった真は、自腹で布団を買い、そのうえ貧乏な赤村親子の分も含めて出前を取って、奢っていた。
「何から何まで……本当にすみません」
ピザを食しながら、スハルトが礼を述べる。
「僕だけ美味いものを食っても悪いと思ってるだけだ」
無愛想にそう返す真。赤村親子が一日五百円にも満たないひどい食生活を送っていたので、見かねて食事を奢るようになった。
(僕がいる間だけの話だがな。その後は……もしかしたら、スハルトの方は逮捕という流れになるかもしれない。そうしたら千晶も養護施設に送られ、多分生活そのものは今よりはマシになるが、親子は離れ離れになってしまう……)
真はいろいろと考えてしまった。赤村親子はとても仲がよく、結束が固い。しかしそうなった理由が、貧しさ故なのだ。そしてこの親子は間違いなく、離れ離れになるくらいなら、貧しくても一緒にいたいと願うことだろう。
(なのに、貧しさを抜け出るために危ない橋を渡って、親子が引き離されるかもしれない危機へと導くなんてな……)
出来心で悪事に手を染めたスハルトのせいで、親子揃って罪を犯し、苦しむこととなった。この先もどうなるかわからない。確かにスハルトは罪を犯したが、その代償としては重過ぎるとも、真は思う。ここまで酷い目に合わなくていいだろうと。
(理不尽な運命だ。助けてやれるものなら助けたいけど……)
無傷での救済は無理だと真は見ている。最終的には絶対に、公の場での謝罪は避けられないからだ。それは千晶とスハルトも、もう覚悟している。そうなるとスハルトの罪も明るみに出る。
「真さんは家に帰らなくて平気? 家族が心配しない?」
「雪岡研究所の連中が家族だよ」
千晶の問いに即答する真。
「お父さんとお母さんは?」
「二人共殺された」
千晶の問いに即答する真。固まる千晶。
「こらっ、千晶っ。すみません……うちの娘が……」
「ごめんなさい」
叱るスハルトと、血の気が引いた顔で謝罪する千晶。
「いいよ。でも僕はいいけど、他の人に対しては今後気をつけろよ」
「はい……気をつけます」
淡々と注意する真に、千晶は消え入りそうな声で言った。
昼食を取り終えた後、赤村家に義久が訪れた。
「おう、ちゃんと護衛してるか」
「ただいるだけだが、一応は護衛のつもりだ」
下手糞なウィンクをして声をかける義久に、真は言った。
「ヴァンダムがとんでもないことを始めたようだが、高田の方と関わりがあるのか?」
「今の所は全然無いけどな。しかしいずれは接近していくかもしれない。赤村さん達の件経由でな」
真に問われ、真の前に胡坐をかいて座った義久が真顔で答えた。
「高田の今後のプランは?」
「状況の変化を待っている所だ。ま、二人を脅している烏腹の出方待ちだよ。烏腹は烏腹で、赤村さん達をまだ利用するつもりがあるからこそ、繋がりを断とうとしないんだろうし」
「奴が来た時、僕は押入れにでも隠れておくかな。何かあったらすぐ飛び出すが」
「ややこしいから、その方がいいな」
押入れで銃を構えたまま待機している真の姿を、義久は想像してしまう。
「早くケイトさんに謝りたいな……」
千晶がぽつりと呟く。
「事情を話せばきっとわかってくれるだろ」
言いつつ、義久は迷う。ヴァンダムとなら連絡が取れる。しかし今千晶とケイトを会話させてよいものか。赤村親子が脅されていることを話して、ヴァンダムにおかしな具合に利用されるのではないかと。
普通ならさっさと打ち明けた方がいいに決まっている。だが義久はコルネリス・ヴァンダムの事が信用できない。
(今はこの二人を脅している烏腹に専念しよう。ヴァンダム側と連絡を取るのはそれからの方がいい)
無論、恩を売るための計算を働かせている部分も、義久にはある。烏腹を何とかした後で、赤村親子が脅迫されていたということを明るみにして、自分が動いていたということをヴァンダムとケイトに売り込むことで、貸しを作っておきたいと。
「ケイトさんに謝るだけじゃなくて、もう一度テレビの前に出て、あれは嘘でしたって言って、早く謝りたい。怖いけど……そうしたい。命がけで、私の命を助けてくれた人なんだし」
「世間はきっとこう言う。そこまで思うなら、最初から脅迫に屈しなければよかったってな」
千晶の言葉の後に、真が言った。
容赦ない真の言葉に、千晶とスハルトは一瞬固まったが――
「だからさ――きっと赤村親子も混乱していただろうし、スハルトは娘を思うがあまり、千晶は父を思うがあまり、追い詰められて烏腹の脅しに屈してしまったと、誰か第三者がフォローしてあげた方がいいと思うんだ」
義久を見ながら、続けて口にした真の提案に、親子は安堵と感謝の念を抱く。
「いや……それを俺にやれってのか? 俺はもう裏通りの住人だぞ?」
戸惑う義久。
「じゃあ誰がやるんだよ」
「真君、ありがとう。でもフォローはいりません」
穏やかな微笑と共に、スハルトは覚悟を決めた面持ちで告げる。
「それは自分達の口できちんと言います。そこまで誰かを頼りにして、甘えちゃ駄目でしょう。千晶も……そう思うよね?」
「うん……」
父に念押しするように問われ、躊躇いながらも千晶は頷いた。
「偉いっ!」
場を少しでも明るくしようと、ぱんと膝を叩き、張りのある声をあげると、千晶に向かってにっこりと笑ってみせる義久。
空気が固まった。静寂の時間が十数秒流れる。千晶は驚いてきょとんとしている。真はそっぽを向いて、頭の中でげんなりした顔の自分を思い浮かべている。スハルトは義久に同情の視線を向けている。
「え……最近の子は駄目なの? こういうノリ……」
堪えきれなくなり、義久が悲しげな顔でお伺いを立てると、千晶が愛想笑いとも苦笑いともつかぬ笑みを浮かべてみせた。
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