第三十二章 33

「我輩に死力を尽くして戦う機会が巡ってこようとはな。全ての火の粉は佐藤が払ってくれていたが故に、今までそのようなことは無かった」


 山葵之介が立ち上がる。背の低い小男が立っても、大きさはさほど変わらない。しかしその立ち上がるという所作一つで、山葵之介の存在力が大きく増したように、その場にいる者達の目には映った。

 ガルシアとその他十人近くの戦士達も、戦闘態勢に入る。銃器を持つ者はいない。全員素手か、西洋剣、槍、あるいは警棒といった近接武器だ。


「乱戦になるな、こりゃ」


 銀嵐之盾を山葵之介に向けて構え、シルヴィアが微笑む。


「お嬢、雑魚は任せろ」

 分胴鎖を振り回しながら申し出る栗三。


「お前の目は節穴か? そいつら全部が雑魚じゃねーぞ。強いのも弱いのも混ざってる」

「それはわかっている。だから雑魚だけ担当する」


 不機嫌そうに言うシルヴィアに、栗三が戯けた答えを返した。


「ふざけろ。お前はあいつ担当な」

 シルヴィアがガルシアを指した。


「一番強そうではないか。ひどいな。考え直してほしいものだ」

「ひどいのはてめーの脳みそだ。純子、手貸してくれるか?」


 抗議する栗三を無視して、シルヴィアは純子に声をかけた。


「らじゃー、向かってきたのを適当に散らすね」


 笑顔で了承し、純子がガルシア達の前に進み出た。


 山葵之介の周囲に炎の輪が発生し、回転しだす。シルヴィアが盾を構え、山葵之介を注視する。

 回転する炎の輪が弾け、炎の塊があちこちに飛び散る。その炎の中に、シルエットが浮かび上がり、やがてはっきりと具現化した。


(兎っ)


 炎の中に現れた兎は、そのまま炎を纏ってリングの床に降り、高速で不規則に駆けずり回る。


(面倒だな……)


 シルヴィアが舌打ちする。炎の兎が複数なうえに、一直線に来るでもなく、本物の兎そのものの動きで、あちこちに跳ね回りながら襲ってくる。そのうえ小さく、しかも低い位置から迫ってくる。巨大盾で防ぐのは面倒な代物だ。盾を回り込んでくる可能性が高い。


(面倒なだけだがな)


 シルヴィアが全身の筋肉を膨張させ、銀嵐之盾を持ち上げ、浮かせる。

 炎の兎がタイミングをずらして左右正面果ては後ろからも飛び掛るも、シルヴィアは、人が二人分すっぽり入る巨大盾を高速で振り回して、兎達を片っ端から盾で殴りつけていく。殴られた兎は炎ごと消滅する。


「何とも豪快なお嬢様だ」


 感心して笑いながら、山葵之介は次の術を唱えにかかっていた。


「我輩の意識の中の住人達にもっと御登場願おう。さあ、久しぶりの現実界、存分に堪能せよ」


 山葵之介の周囲に、様々な姿形の生き物が姿を現す。


 細長い体つきで、手足が異様に長く、特に手は地面まで届きそうなほど長い、全身青い炎で燃え上がる巨人。

 巨大な老人の顔に、耳から長い脚、目からは骨のない触手のような手、後頭部からは蝶の翅を生やした異形。

 全身が眩く発光している、目の退化した空飛ぶ魚。

 全身が蛍光ブルーの、巨大な赤ん坊の顔が逆さについている、人の背より高い巨大蚤。


「悪趣味極まりねーな」


 シルヴィアが呟き、盾を前方に構え、透視する。この巨大盾は所有者の視界を遮ってしまうが、シルヴィアは透視能力を持つため問題は無い。


(速い……)


 山葵之介の出したイメージの住人達の中に、先程の炎の兎より厄介な敵がいた。光り輝く空飛ぶ魚だ。大きさは鮒程度であるが、飛翔する速度が半端ではない。


(あれは流石に防げそうに無いぞ)


 脅威を覚えたその時、近くで銃声がした。


「あったり~」


 幾夜が歓声をあげる。幾夜の撃った銃が当たったようで、光の魚が砕け散って消滅する。


「お手柄だが、お前は下手に手出ししない方がいいぜ」

「えー、どうしてよォ。私も戦うっての」


 忠告するシルヴィアに従わず、蝶の翅をはばたかせて舞う老人頭に向かって銃を撃つ幾夜。


「痛っ」


 幾夜が撃った銃が外れ、幾夜に痛みを与える。適当に撃っても高確率で当たる呪いがこめられた銃であるが、外した場合は痛みも衝撃も己に降りかかってしまう。衝撃以外は肉体の損傷には至らないが、これでしばらく動けない。


 シルヴィアがライフルでもって、老人頭からいろいろと映えた異形を撃ち抜く。その間に、巨大蚤と炎の巨人がシルヴィアめがけて迫る。


 その時丁度、ガルシアの頭部が鎖分胴で砕け散る。栗三とガルシアの勝負はあっさりとついてしまった。

 栗三がガルシアより圧倒的に強かったというわけではない。瞬発力や膂力では明らかにガルシアが上回る。しかし変則的な飛び道具があるという事で、ガルシアに何もさせずに勝負をつけてしまった。

 もしガルシアの接近を許していたら、勝負はどうなっていたかわからない。栗三もそれを認めている。傍目から見れば楽勝にように見えるし、実際完全勝利ではあったが、それを奢る気にはとてもなれない。


「強かった。たとえ一瞬で勝負が決まろうと。私に一度も触れられずに敗北しようとな。君は強かった」


 ガルシアの体を見下ろし、まるでその場にいる者達に聞かせるように、声に出してはっきりと告げる栗三。

 ガルシアは再生能力を持っており、頭を吹き飛ばされた程度では死なないので、この時も当然死んではいなかったが、栗三がそれを知る由も無い。ガルシアの再生能力もそれほど優れてはいないので、頭を潰されたことで、動くに動けなくなった。


 シルヴィアのライフルの銃声が響いた。炎の巨人の細い胴体を弾が穿ちぬく。しかしこれまでのクリーチャーとは違い、一発食らって即座に消滅ということもなく、まるで効いてないかのように、シルヴィアめがけて長い手を振りおろしてくる。

 上めがけて盾を振りかぶるシルヴィア。巨人の腕は防ぎ、熱もほとんど防ぐ。数億ボルトの雷ですら、防ぎきるほどの盾だ。熱も通すことは無い。


「おらあぁぁっ!」


 叫ぶなり、シルヴィアは盾を掲げたまま巨人めがけて走り出す。全身の筋肉がはちきれんばかりに膨れ上がっている。

 巨人の懐――というより足元に入った所で、シルヴィアは盾を垂直に構えなおす。そしてそのまま巨人の脚へと突っ込む。


 巨人の長く細い脚がへし折れ、シルヴィアはそのまま巨人の後方へと抜けた所で、振り返る。巨人は前のめりに崩れ落ち、最後に残った巨大蚤がシルヴィアに向かって飛び跳ねてくる。


 シルヴィアまであと少しと迫った所で、巨大蚤の逆さ赤子顔の前に、ライフルの銃口が突きつけられていた。

 銃声。衝撃。頭部から血を撒き散らし、巨大蚤がシルヴィアの横に不時着し、そのまま痙攣しだしたかと思うと、消滅した。巨人も消えていく。


「危ないっ」


 上美が叫ぶ。シルヴィアに向かって。


 その時、爆発が起こった。


 アンジェリーナ、上美、葉山、安瀬は遠くからはっきりと見ていた。いつの間にか移動していた山葵之介が、シルヴィアの後方から光弾を放ったのを。光弾はシルヴィアに着弾したように、ギャラリーの目には映った。そして爆発。


 爆風がリング上に吹き荒れ、比較的近くにいた幾夜と栗三も倒れてしまう。遠くで見学していた四人は強風を浴びた程度で済んだ。


 もうもうとたちこめる煙と埃で、リングが覆い尽くされる。


「迂闊よの。我輩を忘れているとは」


 リングに近い客席まで移動した山葵之介が、爆発で巻き起こった煙を見つめて呟く。


 その煙の中から、山葵之助のすぐ目の前に、全身血まみれで服もぼろぼろになったシルヴィアが、鬼気迫る形相で飛び出してきた。

 さすがの山葵之介も凍りついた。シルヴィアはライフルの銃身を持って振りかぶっていた。


 ライフルを振りかぶり、銃床で山葵之介の大きな額を打ち付ける。


「ありがとうよ。わざわざ目晦ましを作って、近づきやすくしてくれてよ。で、誰が迂闊だって?」


 顔中血まみれになりながらも、シルヴィアは満足そうに笑い、倒れた山葵之介に向かって言った。


***


 決着はついたように思われた。ガルシアは頭部を破壊されて倒れている。山葵之介は昏倒している。ガルシア以外の戦士達は、純子によって皆足を凍らされて床に繋ぎとめられ、動けない状態にされている。


 このまま山葵之介もさっさと撃ち殺してしまいたかったが、幾夜が最期に話がしたいと望んだので、それに従うことにする。

 全員が山葵之介を取り囲む格好になった所で、山葵之介は目を覚ました。


「ガルシアも逝ったか? ならば御苦労であった。しかしすぐに冥府で会おうぞ」


 意識を取り戻した山葵之介がまず発した言葉は、配下へのねぎらいだった。実際にはまだ生きていたが。


「電々院さん、あんた矛盾してなぁい? 価値観の独占と言いつつ、毎年蒼月祭を開いて、似たような価値観の人達を楽しませてることはどうなの。そっちは別に構わないっていうの? どこに違いがあるの?」


 仰向けに倒れたまま、完全に俎上の鯉となった山葵之介に、幾夜が問いかける。


「祭りは一人ではできないからな。大勢を呼び込んでこそ祭りとして機能する。しかしいずれ最後は皆殺すつもりでいたさ。祭りの快楽を知る者は、最終的に我輩一人の思い出の中で独占する形でな。我輩一人の中で生きていればいい。蒼月祭そのものが私の創作物であり、参加者は我輩の創作の手伝いを担ったに過ぎん」


 せせら笑いながら山葵之介は語る。


「この世界に全く理解も共感もできないものなんて、多分無いよ。百億を超える人間がいるんだから、どこかの誰かと必ず価値観も嗜好も通じている。その一方で、完全なる理解なんてものも存在しない。精神融合でもしない限り、100%通じる気持ちなんてありえないからね」


 シルヴィアの手当てをしながら、純子が言う。


「私は……理解者が欲しかったから、電々院さんが私にとっての一番の理解者だと思ってたから、それが嬉しかったのにな……。電々院さんは全く逆だったとか……。ははは、まさしく理解できないよ」


 切なげな声で語りかける幾夜。


「それは嬉しい台詞だな。理解されないことが、我輩にとっての最高の悦びであり、安堵であるからな」


 せせら笑うのをやめずに、山葵之介は幾夜に視線を向けて言った。


「我輩のこの独占欲は、理解されないことで成就される。理解できる者が現れたら、殺していかねばならないのだ。それが我輩のルールだ」

「お前のそんなくだらねーしょーもねー独占欲のために、殺される側のことは何も考えてないのか?」

「そう、それが価値観の相違だ。我輩の望むべき形だ。誰かから見てくだらないものでも、我輩にとっては、どれだけ屍の山を築いてでも、やり遂げずにはいられない。それが我輩の性(サガ)だ。善悪の基準で単純に語れるものでもなし」


 怒りに満ちたシルヴィアの言葉に、山葵之介は悟ったように告げる。


「理解も共感もいらぬ。しかし、だ。楽しかったであろう? それは同じであろう? 手段は選ばぬ。大儀も不要。明確な目的なども無用。そう、楽しむことそのものが、我輩が求めたこと。どうすればどれだけ楽しいか、それだけよ。お前達、正直に述べよ。我輩が企画運営し、招待したこの祭り、楽しくなかったか? よい経験ではなかったか?」


 からかうような声での山葵之介の問いかけに大志、否定する者は誰もいなかった。誰も言葉を発しようとしなかった。その無言の肯定を見て、山葵之介はそれ見たことかと笑った。


「ふはははははは、よい答えだ。祭りとは、楽しむことが全てである。歌い、踊り、酔いしれ、狂い、騒ぎ、笑い、潰れる。これだけでよいのだ。そのために何が必要であるか? 特殊な性癖を持つ者――呪われた運命を持つ者でも楽しめる祭り。それが我輩の蒼月祭よ」

「幾夜、もういいか? 純子、ありがとさままま」


 純子に手当てをしてもらったシルヴィアが立ち上がり、幾夜に確認を取る。


 幾夜が無言のまま寂しげに頷くのを見てから、シルヴィアはライフルの銃口を、山葵之介の胸へと向けた。


「ルキャネンコの娘よ。言うまでもなくわかっておろうが、我輩を理解しようなどとは思うなよ。それがお前のためよ。しかし……最期に言っておこう。我輩はお前の家に呪いの売買に通い、よくお前と茶を飲みながら語り合ったが、あの時間は紛れもなく楽しかったよ」

「私もだよ。ばーか」


 幾夜が掠れた声で告げた数秒後、銃声が響いた。


 シルヴィアの呪いのライフルより撃たれた銃弾を食らった者は、今まで生きてきた中で、積み上げた業に応じた悪夢を見て、苦痛を味わうはずだが、呪いを好むこの男にとってそれは、果たして悪夢と呼べるのか? 苦痛になるのか? シルヴィアはそんな疑問を抱いたが、撃たれた本人以外、それを知る由も無い。


 山葵之介が果てたその時、幾夜はふと気がついた。今更になってようやく気がついた


『お前は……俺みたいになるな……』


 父の最期の言葉は呪いなどではない。祈りだったのだと。呪われて殺されるなという、ただそれだけの祈りであり、ルキャネンコの誇りを継ぐなという意味ではなかったと。


(今……冷静になって考えると、とんでもない誤解じゃん。馬鹿なの? 私。ごめん……父さん)


 父とは似ても似つかぬ山葵之介の亡骸に、父の面影を重ね、幾夜は心の中で謝っていた。

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