第三十二章 34
「いいんですか……? 僕を見逃してしまって」
両腕を包帯ぐるぐる巻きにされた葉山が、体のあちこちに包帯を巻かれたシルヴィアに尋ねる。
シルヴィアはちらりと、葉山の傍らにいる上美とアンジェリーナを一瞥する。二人が不安げな面持ちで自分の答えを待っているのを見て、シルヴィアは大きく息を吐いた。
「今ここで殺すってか? 馬鹿じゃねーのか。いくら合理主義の俺でも、そんなみっともない真似できるか」
人質に取られた少女を助けるために両腕を折られ、助けた少女の前で殺せるかというニュアンスをこめて、シルヴィアは吐き捨てた。
「両腕が使えなくても、僕は戦えますよ」
「お前本っ当馬鹿なんだな。今この状況で、逆境を跳ね返した正義のヒーローっぽく戦って、お前を慕う奴もいる前で、喧嘩売る気になれねーんだよ」
そう言ってシルヴィアは笑いかけた。葉山にというより、傍らにいる上美とアンジェリーナを意識して。
「ジャーップ」
「よかったね、葉山さん」
「よかったよかった。じゃ、葉山さんは私が頂いていくねー」
「お前は空気読め」
安堵するアンジェリーナと上美。そして笑顔で告げる純子に、突っ込むシルヴィア。
(つーか……こいつは部下を沢山殺した、憎むべき蛆虫男って認識でいればよかったのに、変に格好いい場面見せ付けてくれたおかげで、憎しみも敵意も少し萎えちまったぜ。少しだけどな)
部下を殺されたといっても、互いに仕事で殺し合いをしたのだ。しかもこちらから仕掛けておいて、力及ばず負けたのだから、それをネチネチと恨むのもどうかと思っている。シルヴィアの考えとしては、命がけで戦った結果を穢すような感覚だ。もちろん感情的に完全に割り切っているわけでもないから、恨みを消しきれるわけでもないが。
「ていうかさぁ、お姉様って合理主義だったの?」
幾夜に突っ込まれ、シルヴィアは嫌そうな顔になる。
「合理主義で功利主義で打算的で長いものに巻かれるタイプだって、周りからよくディスられるよ」
頭を押さえてシルヴィアが言う。主にオーマイレイプの者達から言われていたことだ。
「私あんまり役に立ってなくてすまんこ」
純子がシルヴィアに向かって言った。
「そんなことねーよ。かなり助かったぞ」
「少なくとも私は助けてもらったし、ありがとうございまーすっ」
「ジャップジャアーップ!」
シルヴィアと上美が純子に笑顔を向けるが、アンジェリーナは威嚇のポーズを取りながら、怒声を放った。
「それにそっちの望みがかなわなくなって、利用だけしちまったことは、こっちこそ悪いと思ってるよ。大きな借りできちまった」
「そうだねえ。そのうち機会があったら返してもらおうかなー」
気恥ずかしそうに言うシルヴィアに、純子がお馴染みの屈託の無い笑みを返す。
ふと、シルヴィアが栗三の方に目を向けると、栗三の手にある、膨らんだ鞄に目を落とす。中に何があるかは明白だ。
シルヴィアが栗三の方へ近づく。幾夜も後をついていく。
「屠美枝、こんな姿になっちゃって。私、この子とは仲良くできそうな気がしてたのに……」
栗三の鞄に向かって、幾夜が語りかける。
「使い古された陳腐な言葉だが、戦いに生きる者の宿命って奴だ。皆覚悟のうえだよ。俺は銀嵐館に何十年もいて、ずーっとこういうことの繰り返しさ。でも……慣れないし、慣れたいとも思わねーけどよ」
ニヒルな口調で話すシルヴィア。
「お嬢にそう言ってもらえれば、死んだ者達も報われる。お嬢がそうである限り、安心して戦える。私は死ぬつもりはないがな」
「当たり前だ。簡単に死ぬのは許さねーぞ」
力強く宣言する栗三の顔に、シルヴィアは殴るジェスチャーをして微笑みかける。
「お姉様、ちょっとお話が……」
「栗三、先に帰っとけ」
栗三に視線をチラチラ走らせながら言う幾夜に、シルヴィアは溜息をついて命じた。
そして純子や上美達からも離れて、リングの隅に移動するシルヴィアと幾夜。
「ねえ、お姉様……。こんな時にこんなこと言うのもどうかと思うけど……その……私じゃ駄目かなあ? 私……お姉様のこと、本気で……」
おずおずと告白する幾夜に、シルヴィアは腰に手をついて小さく息を吐く。
「告白するならもっとはっきり言って玉砕しろよ」
呆れて言うシルヴィアに、幾夜はしばし絶句した。
「ちょっとお姉様ァ……はっきり言えよならまだしも、玉砕しろよはないんじゃなぁい? その時点でもう駄目だって言ってるようなもんじゃないのよっ」
少ししてから、自分の気持ちをたてなおすニュアンスも込めて、幾夜は抗議する。
「うん……悪い、駄目だ。悪いな……。別にお前のこと嫌いとかそんなんじゃない」
「他に好きな人いるんだ……」
曖昧な微笑を浮かべて言うシルヴィアに、幾夜は指摘する。
「好きなのかなあ……。まあ、一時期、一心同体ってな感じで行動を共にしていた奴ならいるよ。いつもそいつと一緒だった。仲間達と――銀嵐館とは別な――オーマイレイプを一緒に立ち上げて、裏通りの組織なのに、世界最高峰と言われるまでの情報組織にまでにして……。そいつがいつも隣にいるのが当たり前って感じだった。今でも……いる気がしているんだよ。離れていても、すぐ側にいる気がしている。それを意識すると、他の女……いや、他の男……あ……いや……」
途中でうっかり口走ってしまい、しまったと思い、しどろもどろになるシルヴィア。
「お姉様もやっぱりレズだったんじゃない」
ジト目で指摘する幾夜。
「ち、ちげーよっ。た、多分違う……うぐぐ……」
「その人は生きてるの?」
「ああ、まるで死んだみたいに聞こえたか? 生きてるよ。オーマイレイプのボスだしな」
「げっ、それってあの、自称クィーンオブビッチだのビッチエンプレスとか悪名高い……」
「最近はゴッドネスオブビッチと名乗ってるよ」
あからさまに嫌そうな顔をする幾夜に、おもいっきり苦笑いを浮かべるシルヴィア。
「ま、今は以前ほどべったりってわけでもない。当時は銀嵐館の仕事おっぽりだして、オーマイレイプにかかりっきりだったけど、今の俺は銀嵐館とオーマイレイプの二足のわらじだからさ」
「そっかぁ……でもその話聞いて、いろいろ希望持てたわ~。お姉様もやっぱり女の子が好きだったこととか、離れているなら、そのうちチャンスもあるとか」
「だから違うっつーの……」
「違うんなら、そんな人を引き合いにして、私を断るのもおかしくない?」
にやにやと笑いながら、幾夜はシルヴィアに問いかける。
「あ……いや……その……」
「まあ、お姉様って長生きしているわりに、そっち方面がさっぱりってのは、今の会話のちぐはぐさでもわかるけどね~」
「図星すぎて怒る気も起きねー」
本日何度目かわからない溜息をつくシルヴィア。
「ねえ……私も銀嵐館の一員になるのって、駄目かなあ……? そうすれば、お姉様と一緒になれるし」
恐る恐る要求する幾夜。
「いや、俺は全然構わんし、むしろ歓迎だが……」
あっさりと了承するシルヴィアに、幾夜は喜びかけたが、台詞の先が気になる。
「呪いの売買と銃作りはどーすんだ?」
わりとどうでもいいことだったので、幾夜はほっとした。
「お姉様と一緒で、兼業でー」
「あのな……」
「私、ずっとお姉様のこと密かに慕ってたけど、今回一緒に行動して、抑えきれなくなっちゃった感じなのよ~。だからさ、せめて近い場所にいたいの~。ねえ……だめ? 私、客以外は人と話もしないし、心開ける相手もいなかったし……お姉様、甘えられたら迷惑?」
「いいや……。そういうの、別に嫌いじゃないぜ。ただ……」
シルヴィアの表情に少し陰りがさす。
「はっきり言ってやる。俺も卑怯だぞ。屠美枝が死んだ心の穴を、お前で埋めたいなんていう、そんな気持ちがある。あいつは俺に懐いてたから、その代わり的な感じでな。自分でもひでーと思うし、これ……ああ……畜生、やっぱ言うべきじゃなかったな」
幾夜から視線をそらし、決まりが悪そうな顔で頭をかくシルヴィア。
「屠美枝さあん、どう思う?」
幾重が虚空を見上げて問いかけた。
『当主にそこまで想われてたことにむしろ感激ッス』
「うおっ!?」
幾夜の術で呼び出された屠美枝の霊がすぐ間近で浮かびあがり、声をかけてきた事に、シルヴィアは驚愕の声と共にのけぞった。
『幾夜さんの術のおかげで、こうして当主の目にも見えるよう実体化できたッス。現世に未練ありすぎて成仏できなくてすまんこってス。できれば成仏できるまで、幽霊の状態で引き続き銀嵐館に置いていただけると、ありがたいっス』
「一緒に頑張ろうねぇ、屠美枝さ~ん」
「ったく……」
顔に手を押さえ、シルヴィアが横を向く。その仕草の意味する所が、幾夜と屠美枝に理解できないはずもなかった。
***
上美とアンジェリーナが上野原家に帰りついたのは、深夜であった。
安堵と共に眠気が襲ってきて、起きたら話すと口にして、上美は汚れまくった服を着たまま、泥のように眠ってしまった。
翌朝になり、上美は風呂に入った後、朝食の席で、父と母と曾祖母を前にして、昨夜のあらましを語った。
「あの男にそんな気概があったとは……礼を言いたいのにこの場にいないのが残念だ。いや、せめて入院費はうちで賄おう」
人質になった自分のために葉山が腕を折られたことを言うと、上野原が腕組みしてうんうん頷きながら言った。
「あれ? 父さん、どうしたのよ……。悪いものでも食べたの?」
「どうしてそうなるっ! 娘を助けてもらった親としては、当たり前だろうにっ! お前は私のことを今まで何だと思ってたんだ!?」
驚く娘に、上野原は声を荒げる。
「最低最悪の駄目親父だけど?」
「あががが……」
さらっと言ってのける上美に、顎が外れそうになるほど口を開いて呻く上野原。
「上美、たまに父さんがいいこと言ったんだから、そこは素直に感心しておきなよ」
「そっか。父さんりっぱー」
梅子にたしなめられ、上美は棒読みで言った。
「アンジェリーナも上美のお守り、お疲れ様だったね」
「ありがとうね、アンジェリーナちゃん」
「ジャアァァ~ップ」
笑顔でねぎらう梅子と礼を述べる上子に、アンジェリーナは手で輪を作って頭の上に乗せ、おどけたような声をあげた。最近のアンジェリーナのお気に入りのジェスチャーであった。
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