第三十二章 32
「いや、お姉様……頑張るとか言ってるけど、あの人、両腕折れちゃってるのよ~?」
「葉山ならいける。黙って見てろよ」
無責任に応援するかのように映って呆れる幾夜であるが、シルヴィアは確信を込めて言い切った。
「ふふふふ、お嬢様方から声援を浴びて、男冥利に尽きますなあ、葉山さん」
皮肉に満ちた声で煽りながら、佐藤がスーツの上着を脱ぎ、シャツも全て脱いで、上半身裸になる。
露わになった佐藤の肉体を見て、その場にいた多くの者が息を飲んだ。
老人と思えぬ筋肉質で逞しい肉体の表面には、怨嗟に満ちた顔が幾つも浮かび上がっている
「どうも昔の知り合いと同じような力を――術を自分の体にかけているみたいだねえ。怨霊を体内に取り込み、それでパワーアップしているような」
「正にその術ですよ。雪岡純子さん、貴女に殺された愚弟、マイク・レナードから習った呪術です。あれは私の弟子でしたが、この術は彼が先祖代々受け継いだ暗黒呪術だという話で、私にもあっているので、教えてもらいました」
純子の言葉に、佐藤が笑顔で語る。
(レナードさんと同じ術でも、この人の戦闘力はレナードさんと比較にならないほど強いねえ)
佐藤を見て、純子はそう判断する。
(それだけではないよ。佐藤は)
山葵之介が声に出さず呟いた。
佐藤一献は長年に渡って山葵之介に執事として仕えてきたが、同じコンプレックスデビルの導師であり、ほぼ同格の魔術師である。
しかし佐藤は習得した魔術の多くを、肉体を用いた戦いのために費やした。魔術は全て戦闘のため、己の強さを磨くためにあると口にして憚らない。
山葵之介にとってあまりに理解しがたい人物であった。そして佐藤も、山葵之介の行いに理解せず共感もしない。だからこそ山葵之介は佐藤が気に入った。
戦いを求め続け、誰が相手であろうとサディスティックに仕留める佐藤に、戦いと殺戮の場を提供することを引き換えに、己の執事にした。
表面上は紳士ぶっているが、闘争心に満ち、そのうえ残虐極まりない佐藤は、山葵之介にとって邪魔な者を消し続け、山葵之介を守り続け、山葵之介の手足となって働き続けた。佐藤が山葵之介の期待に背いた事など、数えるほどしかない。有能にして手練れ。そして忠実。二人は長いこと時を共に過ごしてきて、互いに信頼している。
(佐藤が負ける姿など、我輩には全く想像できぬよ)
山葵之介は信じている。いや、確信している。
(ま、両腕折られていても、葉山さんが負けるヴィジョンは見えないけどね)
一方で純子も、葉山に対して、山葵之介と同様の確信をしていた。
「そのハンデで私と遊べますか?」
佐藤が身構える。
「さっきも言いましたよね? 蛆虫には元々両腕なんて無いんです。だからこのままでも問題ありません」
「そうですか」
佐藤が右腕を振り、刃状の光を放つ。狙いは脚だ。
葉山は前方に向かって跳躍してかわす。そして佐藤との距離を少し詰める。
空中の葉山めがけて左腕を振り、また足を狙って光を放つ佐藤。今度は直撃した。
しかし葉山はけろっとしている。先程の腕に何度も光を浴びせた時と同様だ。常人なら一撃で肉が爆ぜるか骨が折れるというのに。
佐藤のパワーは、怨念をその身に宿したことで、常人を遥かに上回る。そして光は佐藤の力をそのままダイレクトに飛ばしているにも関わらず、葉山の体を直撃しても、大してダメージになっていないように見受けられる。単純に物凄く頑丈だと、佐藤には感じられた。
迫る葉山めがけて、渾身の力を込めて腕を突き出す。光が葉山の顔めがけて放たれる。
光の直撃を顔に受ける葉山。それを見て上美とアンジェリーナが息を飲む。
だが葉山はわずかにひるんだだけで、どんどん佐藤との距離を詰めていく。
(そんな馬鹿な……顔に直撃を受けて……何故平気でいられるのですか?)
流石の佐藤も、戦慄と驚愕を禁じえなかった。
しかし葉山が次に取った行動は、さらに佐藤を驚愕させ、恐怖させた。
躊躇い無く折れた腕を振るい、佐藤の横っ面を打ち据える葉山。蹴りが来るのは警戒していたが、まさか平然と腕で攻撃してくるとは予想しなかったために、まともに食らってしまった。
「怒れる蛆虫は、己の身をオリハルコンより強固にします。知らなかったのですか?」
大きく体を傾け、数歩後退してひるむ佐藤に向かって、自分の攻撃が通じなかった事への疑問と驚愕に答えるかのように、葉山が言ってのける。
一方、佐藤はこっそりと早口で呪文を唱えていた。
(くらえっ)
佐藤の両目から、レーザービームの如く、二条の光が解き放たれる。
葉山は上体を横に傾けていとも簡単にかわすと、佐藤に向かって踏み込んで、また折れた腕を振う。
アッパーを放った葉山であったが、今度は佐藤も回避する。そして佐藤がカウンター気味に、葉山のこめかみを狙って右フックを放つ。
その佐藤の拳めがけて、葉山は左腕を振るった。拳で拳を打――ったのではない。折れて腕から飛び出た骨の先で、佐藤の拳を突き刺したのだ。
(葉山さん……いくらなんでもそんな……)
我が身を全く省みぬ葉山の戦い方を見て、上美は顔をしかめる。アンジェリーナも隣でムンクの叫びのポーズをしている。
とんでもない方法で拳を破壊され、佐藤は己の右手を押さえ、青ざめた顔で後退する。
「貴方は……自分より強い相手と戦ったこと、あまり無いですよね? 命の危険に晒されて生還した事とかも、それほどないですよね? それは蛆虫の僕でもわかります。そういうのって、戦う相手と相対すると、わかってしまうものなんです」
佐藤に冷ややかな視線を浴びせ、葉山は淡々と語る。
(信じられん……あの佐藤が押されているとは……何とも愉快)
佐藤と葉山の様子を見て、山葵之介はにたにたと笑っていた。
「僕は……自分と同じくらい強い人とか、自分より明らかに強い人と、何度も何度も戦っているんですよ。梅子さん、純子さん、バイパーさん、テレンス君……。そんな強い人達との戦いを糧にして、僕も成長できました。しかし――」
喋りながら、葉山の身から立ち上る闘気がさらに漲るのが、間近にいる佐藤には如実に感じられた。
強敵と出会った際や敗色が垣間見えた時は、出来る限りすぐに逃げようにしている事は、ここでは内緒にしておく葉山であった。
「貴方は僕の糧にはならないでしょう」
葉山のその言葉に、佐藤は衝撃を受けた。言葉が凶器となって、魂に突き刺さった。
誰かに追いつめられ、見下され、コケにされた経験など、佐藤にとっては随分と久しぶりの事である。それはまさしく、自分より弱い者とばかり戦ってきたからだと、佐藤も認める。
果てしない屈辱と怒りが、佐藤の心を焦がす。紳士ぶっていても本性は下衆な男であり、年長者ぶっていても、実は幼稚な精神の持ち主である。仮面が砕け、化けの皮も剥がれ、いつも余裕ぶっていたその顔がこれでもかと無様に歪みまくる。
「ちくしょ……!?」
叫びながら葉山に向かって殴りかかろうとした佐藤だが、その叫び声も、その動きも、葉山によって中断させられた。
葉山が佐藤の目の前で思いっきり飛び上がったのだ。飛び蹴りでもするのかとギャラリーは思ったが、そうではなかった。
眼前で思いっきり跳躍するという葉山の動きに意表をつかれ、佐藤は反応しきれなかった。気がつくと自分の前に葉山の下半身が迫り、太股の間で首をがっちりと挟みこまれていた。
(んんっ、あれはっ……!)
葉山が何をしようとしているのか察して、ちょっと興奮していた純子であったが、葉山のそこからの動きは、純子の予想と若干異なった。
葉山は佐藤の首を脚で挟んだまま、腹筋運動をするように上体を一気に起こす。佐藤の上に、逆向きに肩車する格好となると、佐藤の頭を両手で掴んで顔をできるだけ上に向かせる。そして佐藤の顔に己の顔を近づけると、葉山はぽつりと呟いた。
「蛆虫ファイアー……零距離射撃」
「ぬ……? うごおおぉォッ!」
至近距離から放たれた吐瀉物が、佐藤の顔上部分にもろに浴びせられ、葉山の行動を注視せんとして大きく見開いていた目が、胃酸で焼かれる。
至近距離でゲロを吐いた直後、葉山は、今度は上体を逆に思いっきり反らして回転し、同時に首を挟みこんだままの下半身も勢いをつけて回転する。
振り子の要領で佐藤の体を頭からぶっこ抜いて回転させて、その頭部を床へと思いっきり叩きつけた。プロレス技でいう、フランケンシュタイナーだ。
(普通にフランケンシュタイナー仕掛ければよかったのに、わざわざ間に蛆虫ファイアーを挟んでからやる必要って、あったのかな……?)
くすくす笑いながら、心の中で突っ込む純子。
目を焼かれ、首をおもいっきり捻られ、何より脳天をしたたかに床に打ち付けられた佐藤は、すぐには立ち上がることができない。仰向けのまま目を開いて、脳震盪を起こして視界が揺れまくった状態で天井を見上げる。
その佐藤の頭部に、固い金属質なものが押し当てられる。その感触の意味する所が何か、ぼやけた頭でも、佐藤にわからないはずがなかった。
「腕が折れているのでは、狙いをつけるのは困難ですが、この距離なら……ただ引き金を引けばいいだけですよ。折れた腕でも十分です」
しゃがみこみ、倒れた佐藤の頭に銃口を押し当てた葉山が、静かに告げる。佐藤は死の恐怖に硬直し、思考停止していた。
「さて……言い残すことはありますか?」
そう訊ねてから三秒と経たぬうちに、佐藤が答えるのも待たずに、葉山は引き金を引いた。
「よく考えたら、訊く意味などありませんでした」
虚しげにそう言うと、葉山は立ち上がる。
「ジャーップ!」
葉山の勝利を見て、アンジェリーナが歓声をあげる。上美が葉山に駆け寄り、負傷の手当てをしようとする。
(私と屠美枝が二人がかりでもかなわなかったあの老人を、両腕が折れた状態で、格下扱いして、いともあっさりと斃すとは……)
佐藤の骸と、折れた腕をぶらぶらと揺らして佇む葉山を交互に見やり、栗三は戦慄していた。
「当て木になるもの、これしか無かった。そこに落ちてたんだけど」
トイレの詰まりを取るアレ――俗に言うすっぽん(正式名はラバーカップ)を取り出し、上美は自分の上着を脱いで、葉山の腕に巻きつける。
「ふふふ……蛆虫には相応しいです……。ありがとうございます」
「でもこれじゃ腕片方だけだし、他に当て木になるもの探してみる」
「これはどうだ。ないよりはマシだろう」
安瀬が護身用の警棒を取り出して伸ばすと、葉山のもう片方の腕に当てて、ハンカチを巻く。
「嗚呼……蛆虫の僕なんかに至れり尽くせり……」
恍惚とした顔になる葉山。
乾いた拍手の音が、闘技場内に響く。山葵之介だった。
「佐藤を斃すとはな。正直……無敵ではないかとまで思った男だが、世の中上には上がいる。わからぬものよ」
言いつつ、山葵之介は佐藤に黙祷を捧げる。
「長年……御苦労であった。お前と過ごした日々は、我輩の宝よ」
万感の思いを込めて告げる山葵之介のその顔には、この不気味な男が今まで一度として人前で見せた事のない、涼やかな笑みが浮かんでいた。
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