第三十二章 13
上野原家の道場にて、アンジェリーナは大の字で寝ていた。
アンジェリーナはうなされていた。最近よく見る悪夢。自分が今まで殺してきた人達がゾンビと化して、集団でアンジェリーナを追い回す夢。
かつてアンジェリーナはグリムペニスの幹部であった時、日本人を何人も拉致して船に乗せて、船上で残酷な方法で殺害していた。
あの時は自分の行いを悪とすら思わなかった。日本人は存在そのものが悪と信じて疑わず、それを成敗している感覚だった。
今になるとあの時の自分が、完全にサイコな異常者だと思う。何故あんなことをしていたのかとさえ、疑問にすら感じる。
許しを請いながら、アンジェリーナは必死に逃げる。
そのアンジェリーナの前に、子供の頃、自分が最初にイジメ自殺に追いやった同級生が現れて、立ち塞がった。
「呪われた人殺しめ! お前に待つのは、永遠に救われることのない地獄の責め苦だ。死んだ後がお楽しみだな!」
歪んだ笑みを広げて、その子が叫ぶ。アンジェリーナは底無しの恐怖に襲われ、その場にへたりこむ。
そこに後方から追いかけてきたゾンビ達が群がり、アンジェリーナをもみくちゃにする。
泣きながら必死で抵抗するが、ゾンビの数が多すぎてどうにもならない。
「起きなっ。アンジェリーナ」
声によって目覚めると、梅子と上美が自分を覗き込んでいた。うなされていた自分を心配しているのがわかる。
「ジャップ……」
夢だとわかって安堵するも、恐怖と罪悪感は抜けきらない。
アンジェリーナは今の姿になってから様々な経験をして、その心も大きく変わっていた。
刹那生物研究所で受けたあの虐待――自分が徹底的に虐げられる立場に回り、いつ終わるとも知れない地獄の日々は、これまで自分がしてきた事への報いではないかと、密かに疑っていた。神が罰を与えたのではないかと。しかしあの頃はまだ、大きな心境の変化は無かった。
その後、ただ可哀想だからという理由だけで、自分を救ってくれた葉山に、感謝の念が沸くと同時に、アンジェリーナの中にある濁りが少しずつ消えていったのである。
葉山と行動を共にしているうちに――そして上野原家に厄介になり、上美や子供達と遊んでいるうちに、アンジェリーナの中の濁ったものが、どこかへと綺麗さっぱり消えてしまった。そしてその代わりに、激しい罪悪感が彼女の心に現れ、のしかかってきたのである。
犯した罪と抱えた業はあまりにも重く大きい。償いたいという気持ちはあるが、その術も見当たらず、ただ苦しみだけが渦巻いている。
昔、罪人は罪を認識して改心することこそが最大の苦痛であり罰であると、テレビで見たことがある。今の自分にはそれがよくわかる。
そして償いたいという気持ちも、結局は苦しみから逃れたいという想いである事もわかっている。
「ジャップ……」
心配そうに覗き込む上美を一瞥してから、アンジェリーナはふるふると頭部を横に振る。
一番苦しいのは、上美や近所の子供達に慕われていることだ。いつも意識してしまう。自分が過去にどれだけ悪行を働いてきたか、皆に知られたら――と。
「ジャップとしか喋れなくても、気持ちだけは伝わってくるから面白いね」
梅子が言い、茶をすする。
「うん、アンジェリーナさん、苦しそう。でも伝わるのは気持ちだけで、何が苦しいのかはわかんない」
アンジェリーナのおでこを撫でながら上美が言った。その上美の手を、そっと握るアンジェリーナ。
「そんなこと、きっと言葉が喋れても、喋りたくないんじゃないか?」
梅子の言葉に、アンジェリーナはどきっとする。
この人達に、自分の過去は死んでも知られたくない。自分は喋れないし、そう簡単にバレないと思うが、例えば自分をこんな姿にした雪岡純子は知っているし、他にも自分の所業を知る者は少なからずいる。どこから漏れるか、わかったものではない。
この恐怖も含めて、自分に与えられた罰なのだろうかと、アンジェリーナは意識する。
***
シルヴィアは銀嵐館本邸へと一旦戻った。幾夜がいるルキャネンコ邸の護衛は、他に任せてある。
何故シルヴィアがルキャネンコ邸を離れたかと言えば、刺客を送ってきている電々院山葵之介を殺しに行くためだ。また、その前に情報も集めるつもりでいる。
「当主っ、お疲れ様です!」
「御苦労様ですっ!」
シルヴィアの姿を見て、元気のいい声で挨拶をしてきたのは、つい三ヶ月前に銀嵐館に入ったばかりの見習い戦士、狐村星尾と狸街月菜であった。
「お前……御苦労って言葉は、目下の者に使う言葉だからな、気をつけろよ」
「そ、そそそうでしたか! 申し訳有りませんっ!」
微苦笑をこぼしてシルヴィアが注意すると、狸街月菜が緊張しまくった声で頭を垂れる。
「お前ら揃って筋がいいようだし、しっかり伸ばせよ。自分に妥協を許すな」
「はいっ!」
「ありがとうございますっ! 頑張ります!」
シルヴィアに活を入れられ、見習い戦士達は気を引き締めて叫ぶ。
(有望そうな奴が入ってくれるのは嬉しいことだ)
当主としては、組織の維持のために常に気を遣っている。銀嵐館にとっては優れた人材が喉から手が出るほど欲しい。仕事上、人員も人材もいくらでも欲しい。人の消費が無い年など無い。
(何十年も当主してるのに、毎年ビクビクしていやがる。今年は人が死にまくって、新しい奴も来なくて、銀嵐館も維持できなくなるんじゃねーかとかさ。変わらねえな、俺は……)
衰退の惨めさに怯える自分に嫌気がさす。だがそんな自分を変えようとする事も、とっくに諦めている。永遠の命とさして成長しない心の組み合わせは最悪だと、シルヴィアは溜息をついた。しかも新参には成長しろと促しておいて、自分はこの体たらくだと。
(さてと……オーマイレイプに顔出しに行くか。最近御無沙汰だから、また文句言われそうだが)
二つの組織に籍を置くシルヴィアだが、どちらを重視しているかは、その組織が忙しいかどうかの時期による。
***
ルキャネンコ邸には数名の戦士と、シルヴィアの代わりとして内藤屠美枝が派遣された。
「相変わらず凄い庭ッスね」
庭の手入れをする幾夜の護衛をしつつ、屠美枝は思ったことを遠慮なく口にする。
「私の庭を馬鹿にする人も多いけど、これだって大変な労力で維持してるのよ~。枯れた花はすぐぼろぼろになっちゃうしぃ。枯れさせるにも時間がかかる。枯れやすくして、なおかつ枯れた状態で少しでも長持ちさせる。常に手入れがいるんだから」
枯れていない花と枯れかけた花、そして枯れきった花とを選り分ける作業をしながら、幾夜は言う。
「屋敷の内装も頭捻ってるんだからぁ。どうすればより楽しくなるか、客人に喜んで貰えるか。彫像のチョイスや配置だけでも、散々悩んでる。私にとって、この屋敷はとっても大事な宝物なんだよ~」
「屋敷の内装はわりと好きッスよ」
「本当? 嬉しいなあ、そう言ってもらえると」
屠美枝の方に振り返り、にっこりと笑う幾夜。
「幾夜ちゃんは当主のことが好きなのに、何で今までアタックしてこなかったんスか?」
「えっとさ……」
言葉を全くオブラートに包みもせず、思ったことをそのまま直球で口にする屠美枝に、流石の幾夜も言葉を濁す。
「上手く言えないけど、こっちから積極的に声かける方がよかったの? 私、そこまで大胆には……ねえ……。もしかしたら迷惑だと思われて、それで離れられちゃったのかとか、いろいろ考える所もあったしさあ」
「ふーん、私は積極的にガンガンいった方がいいと思うんスよねえ。当主の性格考えれば。あ……敵に余計なこと言っちゃったッス」
悪戯っぽく微笑む屠美枝
「敵なのぉ? でもアドバイスありがと」
屠美枝に微笑み返し、幾夜は礼を言う。
「押しが強い方がお姉様には有効ってことかな」
「もう敵に塩は送らないッス。私の言葉を信じるもよし、疑うもよしッス」
「よ~し、機を見ていってみるわ」
「くっくっくっ……騙されていやがるッス」
「いやいや、冗談でもそこでそういうこと言わないで。あ……」
ふと、幾夜は思いついた。
「私も銀嵐館に入るっていったら、お姉様どう思うかなあ? お姉様目当ての不純な動機ってことじゃ、怒ると思う?」
「いや、怒らないと思うッスよ。それどころか腕の立つ人材は、当主は欲しくてたまらなくているッスから。下心があろうと、きっと承知するッス」
「そっか……」
屠美枝の言葉を信じ、幾夜はあっさりと決めた。この一件が解決した後で、銀嵐館の一員として入れてもらおうと。
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