第三十二章 14

 シルヴィアはオーマイレイプ本部を訪れた。

 情報が欲しいだけなら電話やネット上でのやり取りでもいいが、ここしばらく顔を見せていなかったので、その辺の謝意なども込めて、直接赴いて頼むことにした。


 出迎えたのは一人と一匹の最高幹部と、将来有望とされる構成員一名であった。他は皆忙しくて出払っているようだ。


「最近こっちに顔見せてなかったからな。仕事の依頼ついでにね」

『にそくのわらじいいかげんにしろにゃー』


 出迎えた一匹――黒猫のエボニーが、ソファーの上で不機嫌そうな声を発する。この猫がまず文句を口にするのは、大体予想できていたシルヴィアであるが、それでも鬱陶しく感じてしまう。


「お前、俺の顔を見る度にそれだな」


 シルヴィアも顔をしかめて、不機嫌そうに言う。ただでさえ怒りっぽいシルヴィアが、顔見せに来ていきなり文句を言われて、かちんとこないでいろというのが無理な話だ。


「猫、それは忘れる生き物。猫、三年の恩も三日経てば忘れる薄情な猫。でも現実の猫はいろいろで、随分経っても覚えている猫もいる。この猫は覚えているから怒った。寂しがりやだから怒った。大好きな人と会えない寂しさを怒る猫。気まぐれでツンデレな猫。でも気まぐれに会いに来たり来なかったりされるのは許せない、そんな猫」


 突然詩の朗読を始めたのは、まだ日の浅い構成員の中では特に優秀として重宝されている、稲城ほのかだ。


『こんにゃろー。したっぱのぶんざいで、だいかんぶのにゃーをかってにぽえむとかするんじゃねーにゃ』

「猫、それは威張る生き物。立場で抑えつけて表現規制。猫、たとえ猫でも許せない。詩人は屈さぬ生き物。立場で抑えても止まらない。詩を止められない。猫の力では止められない」

『ふざけんにゃー、やめろといったらよけいにやるとか、こいつはにゃーをなめてんにゃー、ぜったいにゆるせんにゃー』

「すみません、つい思いついてしまうと、口に出さずにはいられない性分なので、御理解の程をお願いします」


 憤慨するエボニーに、少しも悪びれてない様子でほのかが言う。


「シルヴィアさんが忙しい中、顔を見せにきてくれたことを、エボニーだって嬉しいんですよ。本当は。ほのかさんは詩でそう訴えているんです」


 そう言ったのは、オーマイレイプ大幹部の黒崎奈々だ。


「ま、エボニーのことなんてどうでもいいとして……」

「にゃんだとー、けんかうってんのかにゃー」

「蒼月祭っていうもんと、電々院山葵之介っていう奴の情報が欲しい」


 シルヴィアの言葉に、奈々が顔色を変える。彼女もまた魔術師であるがため、その祭りの存在も、そして電々院山葵之介という人物の名も知っていた。


「シルヴィアさん、あんな祭りと関わるつもりですか?」

「関わるかどうかはわからねーけど、まあ一応知っておいた方がいいかと思ってな」


 硬質な声での奈々の問いに、シルヴィアは答える。情報を入手したら、さっさとターゲットを殺害しにいくつもりでいるが、それらの情報が役立つかどうかはわからない。事前に情報を集めておくのは備えのようなものだ。


「いつも通り、人工衛星と占いとダウンジングと念写とクレヤボヤンスと魔術とフリーの情報屋とうちらの情報屋らとフル稼働で頼むぜ」

『ふざけんにゃー、またさいこうきんがくこーすをただでやらせるきかにゃー』


 シルヴィアの要求に、エボニーがさらに不機嫌な声を発する。


「大幹部の特権だろ。何も文句言われる筋合いはねーぜ」

『それにしてもちったあえんりょしろだにゃー。らんようとまではいわにゃーが、シルヴィアはとっけんつかいすぎだにゃー』

「いちいち細かいことうるせーんだよ、この不幸の黒猫はよー。ミルクはそこまでガタガタ言わなかったぞ」

『こにゃーっ、いちいちあのくそねこをひきあいにだすんじゃねーにゃー。そのなまえをきくだけで、みみのけがれだにゃー』


 エボニーの声が、不機嫌どころか明らかに怒りを帯びた。


「お前よくそんな口きけたもんだなあっ。ミルクが出てったの、ほとんどお前のせいだろうによっ」


 エボニーの台詞にかちんときて、声を荒げるシルヴィア。


『ふざけんにゃー。おまえだってあいつのことさんざんののしってたくせに、ぜんぶにゃーのせいとか、つごうのわるいことはわすれるべんりなのーみそもってんにゃー。こいつはぜったいゆるせんにゃーっ。』

「ああっ!? 俺だって確かにキツく言ったけど、お前ほどデリカシーの無い発言してないし、あいつが出て行くとかぬかした時に、一応止めはしたぞっ! お前はそこで追い討ちを……」

「喧嘩はやめてください」


 すっかり喧嘩腰になって甲高い声で怒鳴り散らすシルヴィアに、奈々が静かだが妙に迫力に満ちた声で制止をかけ、シルヴィアは決まり悪そうに頭をかき、仏頂面で息を吐く。


「またやっちまった……。すまね」

『がくしゅうのうりょくのなさはあきらめてるにゃー。でもにゃーもわるかったにゃー』


 互いに謝罪するシルヴィアとエボニー。


「暇があったら、ミルクに会ってこようかな……。いや、ここを出てってからも何度かは会ってたけどよ。肝心な話はしてねーし」


 かつて仲違いしたオーマイレイプの大幹部は、現在薬仏市でマッドサイエンティストをしている。もっともその所在を知る者は、ごくごく限られているが。


「よろしく言っておいてくださいねー」

『にゃーのことは、けほどもわだいにだすんじゃねーにゃ』


 奈々がにっこりと笑って言い、エボニーが沈んだ声で吐き捨てた。


「私、手配してきますね」

「頼む」


 ほのかが言い、部屋を出ていく。わざわざ部屋を出ずとも、電話で全て手配できるだろうにとシルヴィアは思ったが、自分達が喋りやすいよう、気を利かせてくれたのかもしれないとも解釈する。あるいは、すぐに悪くなる空気が面倒で逃げたのか……


「蒼月祭に関しては私も話だけなら知っています。魔術師達の間では有名ですしね」

 と、奈々。


「中にはこの祭りに参加したいがためだけに、自ら呪いを身に受ける人までいるそうです」

「殺し合いをする祭りに、そんなに惹き付けられるもんがあるのか?」


 かなりイカレた催しのように、シルヴィアには思える。そんなものに、幾夜が少し惹かれているという事が気になった。


「別に殺し合いだけではないみたいですよ。他にもいろんな目的があるって話です。ただ祭りを楽しむだけとか、特別な儀式をするとか、普段ではできないことをその祭りで実行できるって感じみたいですねえ」


 奈々の説明を受けても、いまいちピンとこないシルヴィアであった。


***


 銀嵐館本家の庭では、見習い戦士の狐村星尾と狸街月菜が、他の先輩戦士達と混じって修練に励んでいた。

 朝、当主であるシルヴィアに声をかけられ、二人共いつも以上にやる気になっている。戦士達の指導を行っていた栗三の目には、彼等の気迫がいつもより増しているのが、はっきりとわかった。


「美しくない」


 気迫に満ちた見習い二人の顔を見て、栗三はぽつりと呟く。


「狐と狸、こっちに来い」


 栗三に声をかけられ、訓練に励む戦士達の中から抜け出て、栗三の前へと向かう二人。


「姿勢が悪い。動きも悪い。何より顔つきが悪い」

「はいっ。え?」

「すみませんっ……え、顔つき……」


 返事と謝罪した後、栗三の台詞に戸惑う狐村星尾と狸街月菜。


「顔というのは気持ちの表れがそのまま出る。気合いを入れすぎて、眉間に皺を寄せているのはよくないな」

「はいっ」

「わかりました!」


 栗三の言葉の意味が実はわかっていないが、とりあえず返事はしておく二人。


「動きももっとスタイリッシュを意識しろ。たとえ訓練だろうと、見栄えはよくしないと駄目だ。格好をつける意識は大事だ。人間、見た目こそ大事だ」

「……」

「……」


 偉そうな口調で語る栗三に、今度は返事をしない二人。


「どうした? 何を黙っている」

「俺、桃島さんみたいに格好よくないし、見た目なんて気遣っても……」


 狐村星尾が意見する。


「だからといって諦めるのか? 生まれ持った容姿の善し悪しなど関係無い。むしろ一般的な容姿の悪いとされる水準は、個性の強さと捉えられる。そこから自分に最も適したスタイルを磨いていくんだ。例えばお前は、モヒカンにして顔の半分にタトゥーを入れるというのがいいかもしれん。まず個を際立たせ、そこから磨きをかけるんだ。わかるか?」

「え……いや…その……」


 わかりたくはない――と、正直に言うことはできずに口ごもる狐村星尾。


 その時、栗三に電話がかかってきた。シルヴィアからだ。


「何だ、お嬢。今大事な所だ。世間話なら後にしてくれ」

『誰がお前なんかに世間話したくて電話かけるってんだよ。夕方、電々院山葵之介を殺しに行く。お前も来い』


 一方的に命じ、シルヴィアは電話を切った。


「ふっ、憎まれ口を叩かないと、私とはまともに会話ができないのだな。全くお嬢は照れ屋さんだ」


 己の解釈を信じて疑わぬ口振りの栗三に、見習い戦士の狐村星尾と狸街月菜は何とも言えぬ顔になっていた。

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