第三十二章 5

 魔術教団『コンプレックスデビル』は、日本、中国、韓国、台湾、インドネシア、ベトナム、シンガポール他、東アジア全域に跨って活動する、巨大魔術結社である。魔術師としての力の向上と研究、そして富と権力を得るため、社会の暗部でひっそりと暗躍している。


 電々院山葵之介はその結社の導師(メンター)の一人であり、八十年以上もコンプレックスデビルに在籍する重鎮だが、結社内では異端視され、煙たがられている。

 不老化処置を行い、見た目の若さこそ保っているが、その容姿は怪人と呼んでもいいほどの異相だ。大きくせりだした縦も横も広い額、生え際の後退した短い頭髪、長すぎる指、そして三頭身の低い身長。人間以外の種族と主張しても、そう違和感が無い。


「あ~……あ~う~……あ~……」

「うー……ああぁぁ~……え~……」

「ぅああぁ~……あー……あぁ……」


 薄暗い室内の中央には、体中に奇妙な紋様を描かれた三人の裸女が中腰になって座り、くねくねと奇怪な動きをしている。その顔は呆け、口々に喘ぎとも呻きともつかぬ声を漏らしている。

 山葵之介はいかにも魔術師然とした黒いローブ姿で、頭部にもフードを目深に被り、女達に向かって長い人差し指を指揮棒のように振るいながら、呪文を唱え続けている。

 三人の女は、術と薬の双方によって、トランス状態にあった。まるで踊りでも踊るかのように、常に全身を動かしている。


 やがて山葵之介が杯を手に取ると、中に湛えられた液体を女達めがけてぶちまける。

 女達がかけられた液体に反応し、突然三人で取っ組み合いを始めた。

 いや、取っ組み合いどころでは無い。相手に噛み付き、爪を肉深く食い込ませ、動脈を引きちぎるまでに至る。目玉をほじくり、喉笛を食い破り、耳に中指の根元までねじりこみ、素手で出来うる限りの方法で、互いの体を破壊しあう。


 やがて二人の女が痙攣しながら事切れた。残る一人も全身血まみれの満身創痍で、両目が飛び出して足元に落ち、歯も指も半分以上折れ、鼻も潰れた状態で、へらへらと心地よさそうに笑っていた。


「おお、美しい……」


 目の前で行われた裸女同士の殺し合いを見物していた山葵之介が、恍惚とした面持ちで呟いた。


 ノックの音がする。


「入れ」

 邪魔をされた気分になり、少し眉音を潜めて言うと、執事が入ってきた。


「失礼します。ルキャネンコにさらに追加の刺客を送りました」


 見た目はもう老人という年齢であるが、その肉体と戦闘力は全く衰えていないと思われる執事が、手を胸の前に当てて恭しく禿かけた頭を垂れながら、報告する。

 この執事の名は佐藤一献。もう五十年近く山葵之介に仕える身である。執事としてだけではなく、護衛としても。


「加減はしてあるだろうな」

「言わずもがな。私が直々に直接会って確かめて、人選は行いましたが故。最初に送った刺客と腕は変わりませぬ」


 名声や実績だけで人選をすると、隠れた強者などを送る事になる。殺してしまっては意味がない。そこまで思慮を巡らし、佐藤は己の目で、返り討ちにされる程度の腕かどうか、刺客の質を確かめた。


「ここに確かな美がある」

 血にまみれた女を指し、山葵之介は話す。


「美が理解できる我輩は、幸福であると断ずる。しかし美が理解できないことは、別に不幸ではない。ただし、我輩はそのような輩と、わかりあえない。それだけの話」


 そこまで言って、山葵之介は佐藤に顔を向け、尋ねた。


「佐藤、お前にはこの美がわかるか?」

「わかりません」


 即答する佐藤に、くぐもった声で笑う山葵之介。


「当然だ。わかりあえる者など不要なのだ。もしわかると答えていたら、殺している所よ。我輩だけが理解できる美であればよい。我輩が一人だけ独占する価値観よ」

「お言葉ですが、世界に一人だけの価値観や嗜好など、存在しえますか?」


 悦に入った表情で語る山葵之介に、佐藤が異論を口にする。


「世界には多くの人間が存在します。リアルタイムのみならず、過去にも未来にも存在します。どんなにマイノリティな嗜好、思想、価値観、欲求も、世界にたった一人だけがそれを持つなど、有りえないでしょう。必ずどこかに、共通の価値観を持つ者がいると、私は考えます」

「うむ。その考えは正しい。少なくとも我輩は一人知っている。だからこそ、生かしておけぬと判断した面もある」


 山葵之介の台詞を聞いて、それが何者を指すか佐藤は理解した。


「あのルキャネンコの娘こそ、我が同族よ。そのような者は不要だ。コンプレックスデビル内にも、墨田俊三のように、我輩に同調する者もいるようだ。それらも不要だ。我輩一人でよいのだ」


 あるいはそちらの方面では、自分よりも優れた芸術性を持っているかもしれないと、山葵之介は考えている。だからこそ、生かしておけない。


***


 シルヴィアと屠美枝二人が歩いていると、それなりに人目を引く。何しろ片方はお人形さんのような容姿の際立った美少女で、もう片方は頭から服まで白ずくめの女性だ。

 繁華街で一通りショッピングをして、行きつけのこじゃれた喫茶店で昼食を取る。


「昨夜悪い夢を見て、ちょっと不安だったんスよ」

 カルボナーラを箸で食しながら、屠美枝が話す。


「どんな夢だ?」

「当主の前で口にするのも憚られるんスが……」

「じゃあ言わなくていいわ。お前がそこまで言うとしたら、相当ろくでもなさそうだし」


 そう言ってシルヴィアがコーヒーカップに口をつける。


「ええ~? そんなこと言われちゃうと、ますます言いたくなるッスよー」


 悪戯っぽい笑みを浮かべる屠美枝。


「当主が素っ裸になってて……」

「いや、もうその時点でストップしてほしいわ」


 悪夢の出だしを聞いただけで、シルヴィアは苦笑してしまう。


「他にも素っ裸の女の子が何人もいて、当主に御奉仕していたッス。当主は完全に女王様っぽい感じだったッスよ」

「夢って、本人の精神状態とか願望とかそういうのいろいろ絡むらしいから、お前は俺のことそういう風に見てるっていう、証明になってないか? それは」


 自分のことをレズだと疑っているのか、あるいは屠美枝にレズっ気があるのだろうかと、シルヴィアは勘繰ってしまう。


「そっかー、つまり私、そっちの気があるのかもしれないッスねー。いつまで経っても男ができないことも含めて、そうかもしれないッスねー。あははは」


 冗談めかして笑う屠美枝だが、彼女が冗談程度に受け取っているのか、本気にしてなおかつ何とも思っていないのか、シルヴィアにはいまいちわからない。付き合いは結構長いのに、常人と思考回路が所々ズレている屠美枝には、理解できない部分が多い。


「当主もやっぱりそっちの気があるから、いつまで経っても男と付き合えないんスよねー?」

「いや、それって、『も』とか言ってる時点で、お前はレズだって認めてねーか?」

「あ、そうなっちゃうッスね。でも言葉のあやッスよ。夢もきっとただの願望ッス」

「願望だともっと嫌なんだけどな……。俺が男と付き合わないのは、そういう理由じゃねーよ……多分」

「じゃあどんな理由なんスか? ていうか多分って言ったことは何か引っかかる所が……」

「あー、やめろやめろ。言いたくないし考えたくもないんだ」


 理由は歴然としているが、シルヴィアはその理由をあまり人に知られたくない。恥ずかしいと感じている。

 シルヴィアの中では、色恋沙汰というのは女を狂わせたあげく弱くするという、そんな強迫観念があった。自分の母親を見て、そう思い込むようになった。


 浮気をして、家庭を滅茶苦茶にして、相手の男にも捨てられて、打ちひしがれていたあの母親の情けない顔が忘れられない。そうなる前の母親は、強い女性だと思っていたのに、浮気相手の男に入れ込むあまり、おかしくなった。

 父親は蒸発し、母親は首を吊った。家庭崩壊後、子供のシルヴィアはいろいろと辛い想いを味わった。親戚をたらい回しにされ、児童養護施設でもいじめられていたが、ある時、自分をいじめていた相手に反撃して、殺してしまい、それを機に銀嵐館に引き取られた。


 銀嵐館がどういう場所か、そこに引き取られる事の意味を知ったシルヴィアは、己の運命を受け入れた。


(母みたいにならないようにという思いで、俺は力を求めた。強さを求めた。がむしゃらに……。代償も省みず。そして今の俺がある。何も後悔はしてねえ。後悔はして……いないつもりでいる……)


 本当にそうなのかと問いかける自分が、心の奥に潜んでいる。しかしシルヴィアは意識しないよう務めている。


 メールが入る。ディスプレイを開くと長老からであった。


「さっきお前が言ってた俺御指名の依頼ってのがきたよ。やっぱり俺の方に回ってきた」


 依頼者の名前を見て、シルヴィアは面倒臭そうに重い溜息をついた。


「誰ッスか?」

「幾夜ルキャネンコだ」


 嫌そうに報告すると、屠美枝はくわっと大きく目を見開いた。


「げーっ、当主ラブのレズっ子、幾夜ちゃんッスかぁ。当主、こいつはやべーッスよ。引き受けない方がいいッス。代わりに私が行って、当主の身も心もすでに私のもんだからと言って、諦めさせてくるッス」

「お前が言うと本気か冗談かわからなくて怖い」


 本日何度目かの苦笑いを浮かべ、シルヴィアはコーヒーを飲み干した。

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