第三十二章 4

 銀嵐館の名の由来は、周囲の建物を倒壊させた激しい嵐にも、当時建っていた銀色の洋館だけは建っていたが故という説があるが、シルヴィアは正直信じていない。

 しかし銀嵐館の名の通り、当主は巨大な洋館を本家として住まうことになっており、本家敷地内には本館以外に、戦士達の訓練場や寄宿舎も存在する。


 朝、シルヴィアは食堂にて一人で食事を取りながら、食堂に飾られた絵をぼんやりと見つめる。

 この絵を描いたのは、今は亡き友人であった。同じ情報屋であるが、あちらはフリーで、よく仕事上の交流をした。ウマの合わない部分も有り、喧嘩することも多かった。しかし情報屋として協力関係にあったことや、絵という共通の趣味があったので、それなりに友人関係は続けていた。

 いなくなってしまった人間は沢山いる。同じ銀嵐館の中にも多い。いなくなる事に慣れることもない。慣れたいとも思わない。


 シルヴィア丹下は児童養護施設に預けられていたが、十歳の頃に銀嵐館に引き取られた。

 十七歳にして筆頭戦士の座に就いたシルヴィアは、同時に当主の座も継ぎ、以後五十年近く、当主を務めている。様々な力を手に入れ、オーバーライフと呼ばれる領域にまでたどり着いた彼女は、見た目の年齢を少女のまま維持しつつ、現在に至る。


 銀嵐館の当主は、筆頭戦士か次席戦士しか就く事が許されず、力の象徴である。それ故、当主だからといってふんぞり返って、実戦に赴かないわけにはいかない。むしろ歴代当主達は、積極的に現場に赴くような者ばかりであったという話だ。シルヴィアもまた、その例に漏れない。

 この仕事は気に入っている。しかし時々息が詰まりそうになる事もある。見たくない悲劇を見る機会は多い。刺激の代償と言ってしまえばそれまでだが、シルヴィアは昔から深く考えこんでしまうタチだ。


(俺のことを打算的だ何だの言う奴は多いが……少しでも悲劇を回避したいからこそだってのによ。杏の奴も同じこと言ってたけど、その一方であいつは俺のその気持ちを、口にしなくてもわかってくれてはいたな)


 食堂に飾られた草木の風景画を見ながら、絵を描いた亡き友人の事を思い出すシルヴィア。


 食事を終え、シルヴィアは画材を持って庭へと出る。今日は絵を描いて一日過ごそうと決めた。


「銀嵐館之心得! 守るは護衛対象! 守るは愛と正義! 守るはルックス! 守るは使命! 守るは我等の矜持! 守るは己が命! 守るは人の心!」

『守るは護衛対象! 守るは愛と正義! 守るは使命! 守るは我等の矜持! 守るは己が命! 守るは人の心!』


 広大な庭の敷地の一角で、訓練前の銀嵐館所属戦士達が数列に並び、次席戦士の桃島栗三のかけ声を復唱する。


「何故ルックスを入れん!?」


 怒ったように問う栗三だが、誰も何も答えない。

 シルヴィアは彼等の元へと足を運ぶ。


「おはよう、お嬢。今朝も可憐で美しいな。口さえ開かなければ」


 シルヴィアが挨拶するより前に、栗三が爽やかな笑顔で声をかける。


「おはよう、お前ら。栗三は朝っぱらから人に喧嘩売りたいってか?」

『おはようございますっ! 当主!』


 シルヴィアの挨拶に応じ、戦士達は一糸乱れぬ動きでシルヴィアの方へ向いて頭を垂れ、完璧に声を揃えて挨拶をし、全く同じタイミングで頭を下げた。

 北朝鮮の兵士の如く完璧に統制の取れた動きは、彼等の錬度の高さを如実に表している。もちろん個々に実力差は有るが、銀嵐館の戦士と認められた者は、一人残らず屈強な戦士である。


「おい、前島。今の礼で右前髪が1センチ左にズレたぞ。自分で気付かんのか。礼程度で髪形を乱すな。誤って乱してしまったらすぐ元に戻せ」


 栗三が注意したが、注意を受けた戦士は平然と無視する。栗三のこうした所に、馬鹿らしくて付き合っていられないというのが、彼等の本音である。そしてそれは当主であるシルヴィアも、付き合わなくていいと容認しているので、そちらに従っている。


「自分の外面には責任を持つと同時に、誇りが持てるようにせねばならん。それをお前達もお嬢もわかろうとしない。実に嘆かわしい。私が当主になったら、その辺は徹底させるぞ」

「当初の座は、お前には絶対渡さないから大丈夫だ」


 厳かな口調で述べる栗三に、シルヴィアがにっこりと笑って断言する。

 銀嵐館の当主に就けるのは、筆頭戦士か次席戦士のみであるが、前当主の許可がいる。当主の席次が三番目に落ちた場合も、前当主が二人の内のどちらかから決める事になっている。


「全く……己の外見に気遣いをせぬ者の神経が、私には理解できん。自分の外面を保つということは、己を磨き続ける事の一環であり、そこで手を抜く者など信じられん。私など自分のドッペルゲンガーが欲しいくらいだ。そして常に共に行動し、自分の表情の作り、動き方をチェックしあい、自分で気付かぬ見た目の悪さを知りたい。そうしてより研鑽を積むのだ。常にスタイリッシュな動きを、クールな振る舞いを出来るように。仕草、表情、全て格好良く決まって見えるように。そうすれば、美の求道者としてより高みに上れるというもの」


 顔の前で拳を握りしめ、憂いの表情で大真面目に力説する栗三。


「純子の所に行って改造してもらえ。ドッペルゲンガー出す能力でももらってこい」

「雪岡研究所に依頼も真面目に考えたがね。おかしなリスクは背負いたくないとして、やめておいたさ。せめてお嬢が私と行動する時、私のことを逐一チェックしてくれればよいのだが」

「何を戯けたこと言ってんの? お前」

「真面目だ。同じ銀嵐館の釜の飯を食う同胞として、そうした相互協力はしあうべきだ。私が当主になったら、その辺は徹底させるというのに」

「ならねーから。いいから訓練しとけ」


 栗三とのお喋りも飽きて、シルヴィアは彼等がいる場から離れる。正直うるさいので、声の届かぬ所で落ち着いて絵を描きたかった。

 花壇の前で腰を下ろして絵を描くこと一時間。シルヴィアの元に訪れる者がいた。


「おっおっ、おー、相変わらず上手いッスねー、当主」


 弾んだ口調で声をかけてきたのは、白スーツで身を包んだ、二十歳前後の女性だ。服だけではなく髪の毛も真っ白なので、遠目からも目立つ。歳をとって銀髪になった白髪ではなく、白く染めた髪である。愛嬌のある、そこそこに可愛らしい顔立ちだ。

 彼女の名は内藤屠美枝(ないとうとみえ)。銀嵐館の戦士達の間では、一応上位陣に入る戦士であり、六席目に位置する。シルヴィアとは、銀嵐館の中では唯一、オフでも親しい仲だ。


「前にも言わなかったか? 上手いとか下手とかどうでもいい。大事なのは個性と気持ちなんだよ。上手い絵だけでもつまらないだろ」

「そうッスねー。流石当主」


 にこにこ笑いながら褒める屠美枝。


(何が流石なんだ。相槌打つにもちょっとは言葉選べよ)

 そう思うが、突っ込むのも面倒だった。


「しっかし相変わらず当主は絵が上手いッスよねー。本当素敵ッス」


 巻き舌による癖のある声で、にこにこ笑いながら褒める屠美枝。


「わかったからどっか行け」

「そりゃないッスよー。私、当主の気に障ること何か言いましたッスかあ?」

「用事がねーならどっか行けよ。絵描いてるのに話しかけられたくねーし、お前の会話はいつも人間の会話になってねーだろ」

「ええー、そうッスかねー?」


 文句を言うシルヴィアだが、屠美枝はまるで意に介さず笑顔のままだ。


「用事はあるッスよ。新しい依頼で、難易度高そうってわけじゃねーッスけど、当主を御指名の依頼ッス。うちら銀嵐館とも懇意の方なんで、一応当主の耳に入れた方がいいかなーって、長老達がごちゃごちゃ話し合ってたッス」


 仕事の振り分けや銀嵐館の方針の決定等の運営は、当主であるシルヴィアと長老と呼ばれる引退者達によって行われるが、今日のシルヴィアは休日であるがため、長老達だけに任せていた。


「ごちゃごちゃとか、人を見下した無礼な言い方だぞ? ここの当主である俺だって、少なくとも長老連中を指してそんな言い方しねーぞ。長老達がお前みたいに、口の利き方の一つも知らんお馬鹿だったら、そう言うかもしれねーけどな」

「あははは、そうでしたかー。以後気をつけるッス」


 シルヴィアに注意されて、屠美枝はあっけらかんと笑う


「真面目に注意してる時にへらへらするなって何度も言ったのも、もう忘れたのか?」

「あ、真面目だったんスね。すみませんッス」


 ジト目で見られ、屠美枝は笑みを消し、頭を下げた。


「で、依頼者は誰だ?」

「わかんねーッス。長老達が話してるのを立ち聞きしただけッスから」

「後で聞いてみるよ……」


 確かに決定したなら長老達から直に連絡があるだし、わざわざ屠美枝を使って報告も無いだろうと、屠美枝の答えを聞いて思うシルヴィアだった。


 屠美枝は銀嵐館在籍戦士の中で六席目と高評価だが、他者と会話がまともに噛み合わず、仕事中もこんなノリなので、任務の足を引っ張ることも多く、また戦闘以外の役割は危なっかしくて一切任せられないため、銀嵐館ではお荷物扱いされている。しかし純粋な戦闘力だけならば、栗三すら凌ぐナンバー2であるため、扱い方次第では力になる。

 そもそも屠美枝に性格的な難点さえなければ、次席戦士という扱いになったのだが、そのマイナス面があまりに多いので、六席目という扱いだ。


「それはそうと、私も今日は休みなんスよねー」

「だから何だ?」


 何を言ってくるか大体予想がつくが、一応尋ねる。


「絵描き終わったら遊びに行かないッスかー?」

「いいぞ」


 目を細め、口元を綻ばせるシルヴィア。出来の悪い部下であるし、会話もいちいちまともに噛み合わないが、気の置ける友人としては、屠美枝に対して親しみを抱いていた。

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