第三十一章 1

 ほころびレジスタンスは安楽市内において、順調に始末屋組織としての名声を高めている。

 ボスの晃としては、さらにもっと上を目指したいと思う。晃は上昇志向が有り、夢中になった事には貪欲な性分だ。一度熱が冷めるとあっさりと執着無く手放すが、裏通りライフはまだまだ飽きる気配を見せていない。


 とはいえ、少人数組織であるが故、仕事量にはどうしても限界がある。それは晃にもわかっている。だからといって、新しい人員を募集したいとも思わない。気心知れた凜と十夜がいればそれでいい。


「何かこうさ、歴史に名を刻むような偉業っての? 世界のピンチを救うみたいな、すごい仕事をやり遂げて、ほころびレジスタンスの名を世界に知らしめたいと思うよね?」

「全然」

「うーん……」


 事務所にて、晃がやたら大きな拳銃の手入れをしながら、朗らかに夢を語って同意を求めるも、凜は冷めた面持ちと声で即答し、十夜は困ったように唸る。


「せっかく純子に頼んで、俺専用の銃を作ってもらったんだし、早く試し撃ちしたいなあ」


 いかついデザインの銃をしげしげと眺める晃。真がじゃじゃ馬馴らしという、純子特製のマシンピストルを持っているのを見て、晃も純子にせがんで作ってもらった次第である。


「最近の生活にマンネリ感じてる?」


 十夜が尋ねる。晃が飽きっぽいタチであることは昔から十夜も知っている。何か新しい遊びを考案して続けても、十夜がまだ楽しいうちに、晃は飽きてさっさと別の遊びに移るというのが常だった。


「いや、それはない。裏通りでの生活はいろんな刺激があって楽しいし、飽きることが想像できないね。そうじゃなくてさ、単純な野心の話だよ。俺達の名をもっと知らしめたい。相沢先輩や純子みたいに、名前が伝説級に語られる存在になりたい。そう思うのって別に自然だろ?」

「また晃の悪い癖が始まった感あるけど、そういうのに執着してポカしないように、くれぐれも気をつけなさいよ」


 こちらも銃の手入れをしながら、凜が釘を刺す。


「大丈夫、凜さんの目が光ってるから、そんなもんにこだわって無茶するほど馬鹿じゃないって」

「私がいないと馬鹿になるんじゃ駄目でしょ。いつまで私があんたの世話みなくちゃいけないのよ」

「無論、死ぬまで」

「私はあんたの嫁かっ」


 芝居がかった口調で答える晃に、十夜は噴き出し、凜は呆れかえる。


「夢見るくらいいいじゃんよー。まあ凜さんが心配するのはわかるけどさ。僕のこと危なっかしいと思ってるみたいだし。自分でもそれは自覚あるし。自覚あるからこそ気をつけてるよ」


 それは晃の言う通りだと、聞いていて十夜は思った。かつては調子にのったり暴走したりするタイプであった晃だが、裏通りに堕ちてからは随分と慎重になった。また、逆境に陥ってもそれを突破する機転や行動力も兼ねているので、十夜はわりと安心感をもって晃と接している。


 その時、凜の目の色が変わった。銃を置き、組んでいた長い足を下ろし、いつでも立ち上がって反応できるよう、身構える。


(空間が揺らいでいる。亜空間の扉が開いた)


 直後、血の臭いが鼻をついた。晃と十夜もその臭いには敏感なので、すぐに嗅ぎとり、表情を引き締める。


「くっくっく……相変わらずですよのお……晃さんよォ……」


 悪役口調で、何者かの甲高い声がかかる。その声に、三人とも聞き覚えがあった。


「ちょっと……どうしたの、その怪我は」


 現れた小さな人外に向かって、凜が声をかける。


 真っ白い体のあちこちに、目を背けたくなるほどのひどい怪我を負っている。骨や内臓も一部露出しているほどだ。生きているのが不思議と感じたが、人間よりも丈夫なのかもしれないとも思う。しかし断じて放っておいていい怪我ではない。


「凜さんっ、早くっ、味噌っ」

「わかってる」


 晃に促されるまでもなく、凜は味噌を取り出して、小さな人外に近寄り、その体を支える。


「ふー……やっと着きましたよお……。着く前に死ぬかと思いましたが……あははは……でも死なないで済みました。何故ならオイラは……頑丈だからです」


 凜に抱かれ、安堵の笑みをこぼすのは、イーコという妖怪であった。三人とは知り合いで、名をアリスイという。


「喋らなくていい。喋るのは落ち着いてからにしなさい。」


 凜が優しい声で告げ、アリスイの白く滑らかな肌に、べたべたと味噌を塗りたくる。


「あ痛ててててっ!」

「こら、騒がないの。暴れないの」


 激しく暴れて抵抗しだすアリスイを、凜はがっちりと押さえ込む。


「いやいや、凜さん……剥きだしの内臓に直接味噌塗ってたし……そりゃ痛いでしょ」

「そうしないと治療できないでしょ。死にたくなければ痛くても我慢」


 突っ込む十夜に、凜がぴしゃりと言った。


「何があったんだろ? アリスイ……」


 意識を失ったアリスイの愛らしい寝顔を見て、晃が訝る。


「晃が興味を惹く厄介事の類をうちにもってきてくれたんでしょ」


 アリスイの小さな体をソファーに寝かせて、血や泥を拭き取りながら、凜が皮肉っぽく言った。


***


 その日、純子と累の二人は安楽市を出て、新宿へと訪れた。


 かつてこの日本最大の歓楽街は、裏社会の侵蝕が激しかった都市であるが、現在はすっかり平和そのものだ。

 新宿に限った話ではない。都心の歓楽街の多くが、極めて治安のいい状態にある。暗黒都市指定された安楽市に、裏通りの住人を隔離したおかげだ。


 人の集る場所は、表ではなく裏も実入りがいいが、東京西方面の市町村を大併合した安楽市は、その範囲の広さも手伝って、総合的な実入りがすこぶるよい。また、裏通りが表通りの商売にも協力する形になったので、以前よりも多磨方面の市町村部が何倍も経済面で潤っている状態だ。

 逆に都心繁華街の経済状況は、二十一世紀半ばから、緩やかではあるが減衰傾向にある。裏通りを追い払って健全化して衰退するというのは、何とも皮肉な話だった。


 ぴったりと寄り添って歩く美少女と美少年のカップルは、安楽市とは違い、さほど人目も惹かなかった。視線をぶつけてくる人もいる事はいるが。


「何年経っても、ここの空気は変わらないですね……」


 居心地悪そうに言う累。人の多い場所は基本的に苦手だ。それだけに、いつも以上にぴったりと純子にくっついて、肌とぬくもりの感触を味わい、気を落ち着かせようとする。

 累は温もり依存症であるし、研究所の面々は外だと余計に累が引っ付いてくる理由も知っているので、特にもう気にしない。


「私は好きだよー、この独特の空気。毒気が抜けちゃった感があるのは残念だけど」


 逆に人の多い場所が好きな純子は、うきうきとしている。

 行き交う人の中には奇抜な格好の者もそれなりにいて、純子の白衣姿も大して目立たない気がする。


「人が多すぎて、強力な霊気や妖気の察知とか、無理ですよ、これ。第一、広すぎます」


 東京ディックランドを思い出す累。あの場所もエネルギッシュな生気が満ちていた。


 同時に、東京ディックランドにて、イーコと交わした会話も思い出す。

 力霊を量産している組織が存在すると、累はあの時イーコに語った。あれは貸切油田屋の事だ。オーバーライフ間ではわりと有名な噂であり、累も自分の目で確かめたわけではないが聞いたことはある。


 その貸切油田屋を支配するデーモン一族から、力霊量産を行う者達を成敗してほしいという依頼があったことには、累も純子も驚いた。

 何か企みがあるのかもしれないと勘繰ったが、ヨブの報酬にも声をかけていると言われ、シスターの方にも確認を取って、彼等が本気だという事も理解した。いくらなんでも、雪岡純子とヨブの報酬の双方に、だまし討ちをかけるような愚かな事はしないであろう。


「そもそもターゲットがまだ新宿に潜んでいるかも、疑わしいんだよね。彼等の潜伏先の情報が特定された経緯を考えれば、自分達の場所がバレたと思って、さっさと逃げ出していそうなものじゃなーい」


 と、純子。


 日本国内にて力霊の量産を行っている貸切油田屋に所属する者の居場所は、同組織の中でも秘匿されていたが、その居場所が判明したのは、新宿区内で何体もの力霊が暴走した事が確認された事が、発端である。

 今の時代の日本国内において、力霊の量産などという危険かつ外道な行いを働く者など――それができるほどの力を持つ者など、複数いるとは考えにくい。高確率で貸切油田屋の仕業と見なされ、同組織によって粛清計画が始動するに至ったのである。


「各自ばらばらに動いて探すというやり方は、正しいと思いますけどね。僕らが真とも離れて動くのはどうかと思いますが。しかも真がみどりとセットとか」


 不服げに言う累。


「真君と累君のセットは私も見たいけど、真君の負担が大きそうだし、真君はみどりちゃんとの相性がいいみたいだしさあ」

「ダブルでどういう意味ですか……」


 純子の言葉を聞いて、不服から憮然へと変わる累。


「とりあえず怪人が現れて暴れたっていう、高校に行ってみよう」


 純子が促す。表通りへの情報は出来る限り規制しており、ニュースでは不発弾の爆発という捏造報道がされているが、実際には高校に怪人が現れ、生徒の大半がその怪人によって殺されたという、非現実的な事件が発生していた。

 その怪人こそが、逃げ出した力霊に憑依された者であると見なされている。


 他にも手がかりは幾つか有る。ゴースト・ウェポン・プロジェクトの指揮を取っているという、アブラハム吉田という名の貸切油田屋の大幹部が、新宿に出入りしているという情報。彼の部下達も新宿で目撃されているという情報。そしてアブラハム吉田が出入りしている風俗店があるという情報。


「元々アブラハムさんが新宿で活動しているのは、知られていたそうだよ。アブラハムさん自身は隠していたつもりだったらしいけどね。内部からも狙われていることを知っていたから」

「そんな状態で力霊の研究を続けるなんて、凄い綱渡りですね」

「潜伏先そのものはわからなかったんだってさ。新宿地下のどこかって話だけどね。超常の力を用いて尾行もまいていたっていうよ。それに、力霊暴走の事件を起こすまでは、貸切油田屋の力霊反対派も、手を出しづらかったみたい」


 力霊が暴走して民間人に被害を出したことで、強引な処罰に踏み切ったのだろうと、累は話を聞いて納得した。


「敵である純子にまで依頼するとは、よほどの事態なんですね。それに純子もよく受けましたね」

「ま、罠にかけるつもりとかじゃあないと思ったしねー。何しろシスターも動いてるし。で、私は人一倍好奇心が強いし、上手くいけば、力霊に憑依された人もゲットできるかもしれないじゃない」


 力霊を欲しがるのではなく、憑依された方を欲しがるのが、純子らしいと累は思う。


「力霊の量産に携わっていた人達は、力霊の暴走させた後、新宿から出て逃げた可能性はありませんか?」


 累が疑問を口にする。


「どうかなあ。多分、新宿内に力霊を作る研究施設があるんだろうけど、その研究施設って、ほいほいと移すことができるものなのかな? 簡単に手放せるものなのかな? 完全に自分達の身が危うくなると判明したならともかく、暴走させる事故を起こした程度じゃあ、手放さないと思うんだよねえ。ある意味、力霊量産の研究をしている人達も、マッドサイエンティストなんだよ。きっと自分達の研究には、執着していると思うんだ」

「なるほど……と言いたいところですが、実際その事故がどれほどの規模であったのか、彼等がどれだけ危機感を抱いているのか、外部には全く状況がわかりませんから、逃げるか逃げないかもわからないのでは?」

「んー……そうかなあ……」


 累の指摘を受け、純子は思案顔になる。


「ところで依頼内容は、力霊を作っていた人達の退治だけですか?」

「いや、力霊自体がこの地に解き放たれてしまったから、それも何とかしないといけないって、シスターに言われちゃったよー。こっちは貸切油田屋の依頼には含まれてなかったけどねー。ま、累君がいるから大丈夫でしょー」

「霊体が剥きだしならともかく、誰かに憑依していたり物に宿っていたりしたら、浄化は無理ですよ」


 二人はその後も会話を交わしつつ、事件が起こったという高校へと着いた。


 校門はロープで閉鎖されている。人の気配は感じられない。しかし無念や恐怖に満ちた霊気が濃く漂っているのが、校門の外からでも累にはわかる。殺された生徒が地縛霊化していると思われる。


「貸切油田屋の人達がもうしつこく調べた後だけどねー。私達が見落としを発見できるかもしれない。霊の痕跡に関しては、累君の嗅覚だからこそわかることだって、あるだろうし」

「人を犬扱いして……」


 校門をくぐり、純子が口にした言葉に、累は微苦笑をこぼした。

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