第三十一章 死都を築いて遊ぼう
第三十一章 四つのプロローグ
誰かの不幸は誰かの幸福になる。
幸福を勝ち得た誰かの足元には、不幸な屍が敷き詰められている。
彼は不幸どころではない不幸を――残酷極まりない地獄を生きながらに与えられた。繰り返される拷問の数々。拷問と同時に進行する謎の儀式。
それが何を意味するかも、彼は知っていた。聞かされていた。
自分はそう遠くないうちに殺される。だが死は救いにすらならない。
死してなお、彼の魂は苦痛の檻へと囚われる。死してなお、苦しみ続けるだけ、恨み続けるだけの悪霊へと加工される運命。それを知っている。
絶望と嘆き、拒絶のための絶叫と懇願。しかしそれらは無視されるどころか、彼等が望んでいるものですらあった。
さあ、苦しめ苦しめ。絶望しろ。お前は死んでなお、苦しみ続けなくてはならない。この先何十年、何百年と、ずっと。我々の糧となるために。我々の幸福のために。
言われなくても彼は知っている。自分を拷問し続けている者達の真意は、そういうことだ。
この世には信じられぬほど邪悪な者達がいる。彼の不運は、その邪悪な者達に捕らわれてしまったことだ。
彼にできることは何も無い。せいぜい神に祈るしかない。この邪悪な者達を退け、己の魂を救う天の御使いを望むくらいしかない。
それが、つい最近の話。
***
宮村好吉は十七歳にして、現実の全てに絶望していた。将来はもちろんのこと、今現在のことですら、考えたくない。
学校に行けばいじめられ、家庭内では優秀な兄と比較されて両親にないがしろにされ、誰にも心を開けず、自室と妄想以外に逃げ場が無い。
妄想に逃げられる分、好吉は何とか己の心を維持していられた。
異世界ファンタジーの空想に耽り、小学生の頃から続けてきた妄想ノートを書いている時、気持ちが安らぐ。ネット上でチーレム系の異世界転生小説を読みあさっている時も、嫌な現実から目を背けていられる。
好吉は自分の前に非日常が到来することを、真剣に切望している。今すぐ異世界への扉が開いてくれと何千回と願ったし、自分にとって理想の美少女が現れて救ってくれることも、夢想し続けている。
せめて小さな夢として、現実で優れた異能の力を手に入れ、家族も同級生も皆殺しにできるだけでも構わない。
だがどんなに祈っても願っても、祈りは届かず願いもかなわない。
つまらない現実はつまらないまま。現実をこんな超絶クソゲー風味に設計した神とやらを、好吉は呪う。
その一方でこの世には、幸福に生きている人間もいるので、余計に神を呪う。
しかし神は好吉の願いを聞き届けた。
『ぶおおおおぅうぅおぉおぉぉおぉおおううぇえぇぇぇえああううぁああぁぁっ!』
後々振り返って黒歴史となるであろうノートを書いていると、家の外から異様な叫び声があがったので、好吉は仰天した。
『うべウェばアァアあぁあうわぅワぅうふぁああゥあァァぁァッ!』
叫び声は明らかに、窓のすぐ外から発せられているのがわかる。一応ここは二階だ。発情している猫の類でもない。
恐る恐る窓を見て、好吉は腰を抜かす勢いで驚いた。
窓の外には異形がいた。体中至る所に、怨嗟と憤怒に満ちた人間の小さな同じ顔が、何十という数でびっしりと重なり合って溶け合った状態で浮かび上がった、幽霊とも怪物ともつかぬ異形。それが窓の外から、好吉を睨みつけてきた。
『憎いいぃいいぃ! 全てが憎い! 恨めしい! この世の全て壊れろおおおぉおっ!』
喚きながらそれは、窓をすり抜けて部屋の中へと入ってきた。それまさしく幽霊そのものであり、体が微妙に透けている。おまけに浮かんでいる。一応足はある。
『お前と俺、同族也いいぃぃぃぃぃ! お前の心に俺は惹かれてここまできた! 合体するぞ! 合体するぞ! 合体してパワーアップして皆壊して幸せになるぞおぉおぉっ!』
幽霊らしき恐ろしい存在が一方的に宣言し、好吉に飛びかかる。
「嫌だ……こんなの嫌だ……。美少女じゃないから嫌だーっ! はがっ!?」
拒絶する好吉の口の中から、霊が体内へと入り込む。
好吉は霊に入りこまれることで、霊が味わった苦痛を知ることとなった。そしてシンクロしあう。そして互いを受け入れあう。つまり憑依された。
憑依されたがしかし、主導権の大半は好吉にある。好吉は霊から力を借りたような状態であるが、精神状態もかなり霊の影響を受けていた。しかし根本的な部分は変わらない。
「何を騒いでいるんだ、この馬鹿息子!」
父親が怒号と共に現れた瞬間、好吉の顔が憤怒に歪み、殺意の視線がたっぷりと父親へ降り注がれた。
「ひゃっはーっ! 来たなーっ! このばかちん親父がーっ! いつもいつも俺をなじって追い詰めやがって! その報いを受ける時が今きたのだーっ! あきゃきゃきゃきゃーっ!」
狂気の哄笑をあげる息子を見て、父親はぞっとした。ついに狂ったかと思う一方で、それは自分達が追い詰めすぎた結果であることを理解した。
「報いとは何ぞやー! 答えは明快! 殺す! 今すぐ死刑!」
「ぶげっ!?」
好吉が腕を振ると、父親との距離が離れているにも関わらず、父親の胴が弾け飛ぶようにして両断される。血と臓物をぶちまけながら、上半身と下半身が分かたれた父が転がる。
「うっひょおぉーっ! 気分爽快ぃーっ! 素晴らしいィーっ! この調子で俺を嬲った他の糞野郎共も殺す! 恨み晴らさでおくべきかあ! 我が事成れりッ! でもやっぱり美少女に助けてほしかったアァーッ!」
「おいっ、何喚いてるんだよ、好き……ち……」
好吉が喚いていると、兄が部屋に訪れて、部屋の前で真っ二つになっている父親を見て絶句する。
父は真っ二つになってなお、まだ息があった。息子に殺されるという絶望と死の恐怖と苦痛を味わいながら、涙を流しながら、瞳だけを長男へと向ける。
「糞兄貴いぃぃぃ! お前も散々俺を馬鹿にしてくれたなーっ! 俺の苦しみも知らず、いや、俺を苦しませて喜んでいやがったなあぁぁっ! 人を馬鹿にして苦しませた者には、当然報いとして罰が必要! 当然死罪! 死刑執行!」
好吉がその場でぱちんと手を叩く。するとその直後、兄の胸から下が、横からプレスされたかのように、ぺちゃんこになった。
「これが正しい裁きであ~る! 今の人間界の善悪の基準は狂ってる! 俺を準拠すべき!」
何が起こったかもわからぬまま、崩れ落ちた兄の頭を踏みつけて声高に叫ぶ好吉。
その後母親も似たような感じで、ノリノリで殺害した。
「よーし、明日になったら、学校に行って、クラスの奴等皆殺しだーっ! ブスしかいねーが、女子は全員念入りにレイプしてから殺してやるので、ありがたく思いながら死ぬよーにっ!」
自分以外誰もいなくなった我が家で、目を血走らせて歪んだ笑みを張り付かせて高々と叫ぶ好吉。彼は今、人生の幸福を確かに噛みしめていた。
それが二日前の話。
***
貸切油田屋の幹部であり、実行部隊隊長でもあるハヤ・ビトンは、上司たる大幹部のラファエル・デーモンによって、都内某ホテルへと呼び出された。
電話もせず、わざわざホテルに呼び出すということは、何か大切な話があるのだろう。そしてラファエル以外にも誰かいるのだろうと、ビトンは判断する。おそらくは、貸切油田屋内で密かに勢力を伸ばす、改革派としての会話だ。
貸切油田屋の度の過ぎた合理主義に嫌気が差している者は、組織内にも、そして組織を支配するデーモン一族にも存在する。それらは組織の在り方と意識を変えようと考え、密かに改革派を結束していた。
ビトンは先日、この改革派の一員に勧誘され、加わった。拒めば生きてはいなかっただろうし、断る理由も無かった。
ラファエルの待ち受ける豪華な部屋には、ラファエルの姿しかなかった。だが、ラファエル一人だけに見えて、室内にもう一人潜んでいる事をビトンは察知する。
(かなりの手練のようだが。俺の受け答え次第で、俺を殺すつもりでもいるのか?)
未だラファエルを信用しきってない所があるビトンは、そう疑ってしまう。そもそも何故隠れていなければならないのか。
「まず私からの報告だが、この度、私はデーモン一族の執政委員の一人となった。ああ、賛辞はいらないよ。報告終わり。で、肝心の用件だ。次の仕事は……改革派としての仕事だが、組織の膿を出すニュアンスが強い。組織の腐敗が、公にされる事となるだろう。そして、外部の力も借りる」
ラファエルの前置きを聞いて、かなり大仕事になりそうだと、ビトンは判断する。組織内だけでなく、外部の力も借りる時点で、それは明白だ。
「相手は貸切油田屋の超常部門の一派だ。彼等はゴースト・ウェポン・プロジェクトを打ち立て、ずっと日本で暗躍していたが、いまいち成果をあげられなかった。知っているかもしれんが、ゴースト・ウェポン・プロジェクトとは、その名の通り、ゴーストを兵器として量産しようという計画だ。日本国内で妖術師や呪術といった連中を密かに殺害し、この国では力霊と呼ばれている、ゴースト・ウェポンへと作り変えようとしている。この国のサイキック・ディフェンス・ポテンシャルも弱体化できて、一石二鳥というわけだな」
「その噂は聞いたことがあるな。『ヨブの報酬』が我々を特に目の仇にしているのも、その辺が理由だと」
貸切油田屋にひけを取らぬ大組織であり、世界のフィクサーの一つであるヨブの報酬の使命に、救われぬ霊魂の解放というものがある。人工的に悪霊兵器を作るなどという行いは、彼等の怒りを買うには十分すぎる所業だ。
「ああ。我々の中にも、不快に思っている者はかなり多い。私を含めてね。で、こいつらのプロジェクトを潰してほしい。できれば一人残らず始末して、痕跡も抹消できれば言うことはない。痕跡も消すのは難しいだろうがな」
「すでに外部に知られていると?」
「中々察しがいいな」
「外部の力も借りると前置きがあっからさ」
ビトンは真顔のまま告げる。
「彼等は二日前、管理していたゴースト・ウェポンを暴走させてしまった。その結果、多数の犠牲を出し、ゴースト達を街に解き放ってしまった。場所は新宿だ。すでに民間人にゴーストの犠牲も出ている」
新宿のような人の多い場所で、そのような活動をしていた事に、ビトンは呆れてしまった。おまけに暴走させるという杜撰さに、呆れ果てる。
「ヨブの報酬とも連携してもらう。すでに話はついている。他にも協力者はいる。君と関わった雪岡純子にも要請した」
「全てが敵同士の間柄じゃないか。そこまでして、困った身内を屠りたいのか」
ヨブの報酬との提携はまだしも、雪岡純子とまで手を組むというのは、理解に苦しむビトンであった。
「想像してみてほしい。一握りの人間の欲望のために、一人の人間が散々苦しまされて殺されたあげく、その霊さえ解放せず、兵器として何百年単位で苦痛を与え続けて、利用するという邪悪な所業。私は純粋に許せない行いであると感じるし、そのようなおぞましい輩が、同じ組織にいることも耐え難い」
本当にそれだけか? と、ビトンはラファエルの言葉を真に受けることができない。純粋な正義感の問題で、組織内の恥部とも言える者達を粛清しようなどと、ただの建前で本当の狙いは別なのではないかと勘繰るが、しかし綺麗事の建前で誤魔化そうとするなら、もっと現実味のある作り話をしそうなものだとも考える。
「しかし雪岡純子と協力など……うまくいくのか?」
「心配無用」
ビトンの疑問に対して答えたのは、ラファエルではなかった。
「な、何だっ!?」
机の陰から突如現れた小さな人型のそれを見て、思わずうわずった声をあげてしまうビトン。
「僕が潜んでいた事に気付かなかったか?」
一見して、四歳から六歳くらいの全裸の幼児のようなそれは、白目の部分が黄色く瞳は黒い目でビトンを見上げ、淡々とした声で言った。
「い、いや……わかってはいたが……その……」
その姿が明らかに人間ではなかったので、ビトンは驚いたのだ。
「イーコか……」
自分を見上げる小さな人外を見て、ビトンは呻く。日本で都市伝説として伝わるその妖怪の名は、ビトンも知っていた。
「否。僕はイーコではなく、ワリーコのミサゴ。然れどこの件はイーコもすでに動いていた案件であるし、イーコ側とラファエルとの間で、以前から情報交換は行っていたようだ。そして雪岡純子、あれは味方にすれば意外と心強い。不義理な行いもせぬ」
ミサゴと名乗った小さな妖が断言するが、もちろんビトンがそれを鵜呑みにするわけもない。
「暫定的に手を組むだけだがな。彼女が我々と敵なのは間違いない。しかし今回の相手が、共通の敵というのも変わりない。奴等の潜伏しているおおよその場所が、やっとわかったのでな。協力しあい、包囲して叩く」
ラファエルが言う。貸切油田屋、ヨブの報酬、そして雪岡純子、どれも敵視する間柄が手を組むという展開に、ビトンの胸が熱くなったかというと、全くそんなことは無い。非常に懐疑的であった。
それも二日前の話。
***
新宿某所。とある高校の校門前。
「何だよおぉぉッ! こいつらあぁあぁあぁっ! 俺の邪魔しくさりやがってーっ!」
宮村好吉は憤怒の形相で絶叫し、目の前に複数いる人ならざる者達を睨みつけた。
好吉の顔は未だ元々の原型を留めていたが、その全身は人のそれとはかけ離れていた。全身が赤黒く変色し、体表は蟹の甲羅のように変質している。両手は地に着きそうなほど長く伸び、爪は尖っている。
「イーコとか本当にいたのかよっ! しかも俺を悪者扱いとかふざけんな! ちょっと人殺しとレイプしてただけだろうが! その程度で悪者扱いはねーだろ! 頭おかしいのか!?」
最初に叫んだ好吉の隣にいる好吉が叫ぶ。
好吉と全く同じ姿をした怪人が、その場に七人いた。そのうち二人は戦意喪失して虚ろな眼差しになっている。足元には何人もの生徒の亡骸と、生きてはいるが、犯されて放心状態になっている少女が二人ほどいる。
複数の好吉達の前には、都市伝説の妖怪イーコが三人、その姿を露わにしていた。そのうちの一人は、うまく助け出すことができたぐったりした少女を、亜空間トンネルの中へと引っ張り込んでいる最中だ。
残りの二人を何とか救助したいが、こちらの手も向こうにはバレた。催眠による戦意喪失化もすでに実行して、相手に知られている。
一瞬のうちに足元の無事な少女二人を救助しなくてはならない。しかし一瞬で催眠ができるのは、せいぜいあと一人か二人だ。
少女を亜空間に入れ終え、イーコの一人が好吉の足元にいる少女へと亜空間トンネルを伸ばす。この動きは悟られていないはずだ。
「げっとおーっ!」
イーコの一人が好吉の足元から飛び出し、倒れている少女を掴んだ。
「早く中へっ!」
もう一人のイーコに少女を押し付けると、手前のイーコは亜空間トンネルを飛び出して、もう一人の少女へと向かう。
「アリスイ! 無理するな!」
「大丈夫です! 何故なら、無理したい年頃だからです!」
仲間の注意も聞かず、アリスイと呼ばれたイーコは、もう一人の少女を掴みにかかった。
「このや……ろ……」
好吉の一人がそれを防ごうとしたが、別のイーコの催眠が効き、その場に立ち竦む。
「この野郎!」
だが別の好吉が、アリスイの助けようとした少女の体を引き裂き、さらにはアリスイの体も引き裂いた。
「アリスイーッ!」
離れて見守っていたイーコの一人――ツツジが悲鳴をあげる。
「ドジった……オイラに構わず、皆……行って! オイラを助けようとすると、被害が増えるからっ!」
血まみれで倒れたアリスイが、仲間のイーコ達に向かって叫ぶ。
「ふざけないで! アリスイのくせに!」
ツツジが血相を変えて叫び、アリスイを救おうと駆け出そうとしたが、仲間のイーコ達二人がかりによって、取り押さえられた。
「離して!」
「もうアリスイは駄目だ。ツツジまで犠牲になる」
「駄目じゃない! 私は絶対に助けるから離して!」
必死の形相で喚くツツジ。普段冷静沈着なツツジがここまで取り乱しているのを見るのは、仲間のイーコ達も初めてのことだった。
「お涙頂戴うぜええええぇぇっ! まるで俺が悪役じゃねーか! こいつは許せねーっ! お前らまとめて異種姦してやるーっ!」
好吉が喚き散らしつつ、アリスイの小さな体を思い切り蹴り飛ばす。ガードレールにしたたかに打ち付けられるアリスイ。大きく開いた傷口から、大量の血がアスファルトに流れ出すのを見て、ツツジは息を飲んだ。
「行こう」
イーコ二人がかりで、強引に亜空間トンネルの中へツツジを引きずり込む。
「いやあああーっ! アリスイーっ!」
泣きながら叫ぶツツジの声は、亜空間トンネルの門が閉じられることで途絶えた。
それが昨日の話。
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