第三十章 26
「いよいよ明日だぞ」
修と輝明がいつものように揃って下校している最中、修が輝明に向かって善治との戦いの件に触れる。
「何がいよいよだ。俺からすれば、自分に酔って彼我の実力差もわきまえず噛み付いてくる身の程知らずのザコ助一匹、息一つで吹き飛ばすようなもんだ」
「わざわざそこまでディスるってことは、テルも善治のこと相当意識してるってことだろ」
余裕風を吹かせていた輝明だが、修の指摘を受けて口ごもる。
「善治に勝ち目は薄い。でも勝負なんてどう転ぶかわからないもんだ。テルだってそれくらいわかってるだろ」
「油断してかかるような真似はしねーさ。ナメてかかって負けましたとか、最悪すぎる。それに……あいつに手を抜く気分にゃあなれねーよ。一生モンのトラウマ刻みこむくらい、徹底的にボロクソに負かしてやらねーとな」
善治を意識するだけで、輝明の中で激しく怒りと闘志が沸いてくる
(善治は何もわかっちゃいねえ。綺麗事ばかりなうえに、自分の価値観以外認めない独善野郎だ。善治の価値観からすれば、俺の痛みも、あいつの死も、きっと頭ごなしに否定だ。だからこそ許せねえ)
そう思ったところで、ふと昨夜綺羅羅に言われたことを思い出す。善治ともしっかりと会話をしろと、そんなことを言われた気がする。
(話してわかるような奴でもねーだろうに。馬鹿馬鹿しい)
この世には絶対にわかりあえない者というのもいる。輝明にとっては善治がそれだ。今まで散々顔を合わせてきて、どんな小さなことでも反発しあって、それを嫌というほど味わっている。
今回の星炭の騒動もそうだ。真相を知ってなお、輝明の方針を否定したうえに、自分を当主の座から引きずりおろし、己が当主になって今後も国防に従事するとまで宣言した。その事を意識するだけで、頭にきて仕方がない。
「久しぶりだな」
道の角から、輝明と修の前に立ち塞がるようにして、忘れたくても忘れられない髭面マッチョの巨漢が姿を現し、ニヤリと笑う。
「おい……まだ俺達のこと狙ってるのか?」
オンドレイの登場に、輝明が訝る。てっきり銀河に雇われていたと思っていたが、銀河はすでに輝明側についているので、輝明を狙う理由は無い。輝明につくと堂々と宣言もしているし、あれが嘘だとも思えない。
「そりゃあまだ殺してないから狙うともよ。今度は痛み分けになどせんぞ」
獰猛な笑みをひろげ、オンドレイは殺気を漲らせる。輝明と修も臨戦体勢に入る。
「はいはい、ちょっとごめんなさいよ」
と、そこへ輝明と修の後ろから声がかかり、占い師風な怪しい風体の初老の男が現れ、輝明と修の横をすり抜けて二人の前に立ち、オンドレイと向かい合う。
「義により――否、打算により助太刀いたす。星炭流妖術継承者殿」
ギラギラとした異様な目つきで、しかし口元はだらしなく緩ませてへらつきながら、突如現れた謎の男が宣言した。
「何だ、お前は」
修が問う。輝明と修は、男が術師だと見抜いていた。暗い性質の妖気が、男から如実に漂っている。
「星炭流呪術師星炭玉夫と申します」
オンドレイを見据えたまま自己紹介する玉夫に、輝明も修も驚いた。
「星炭流呪術……生き残りがいたのかよ。しかもそれが何で俺を……?」
「話は後でな。まずはこの大男を退けてからで」
言うなり玉夫は大量の呪符を撒き散らし、短い呪文で術を発動させた。
玉夫が術を用いた刹那、オンドレイが玉夫に向かって銃を撃つが、銃弾はあっさりと弾かれる。
玉夫の足元から大量の黒い人影のようなものが沸きでている。それらによってもたらされた物理的作用で、銃弾を弾いたのだ。
「悪霊か……それもかなり強い」
嫌悪感と共に吐き捨てる輝明。妖術師の多くは、呪術の類を好まない。
十を超えるであろう悪霊達が一斉にオンドレイに向かって飛び掛り、まとわりつく。憑依しようとしているのは明白だ。かなり強めの悪霊をあれだけ大量にけしかけられたら、常人はもちろんのこと、超常の領域にいる者でも危険だ。
「ふんがーっ!」
しかし超常殺しのオンドレイは、気合いの雄叫び一つで、全ての悪霊を消し飛ばした。黒い影が劇的までに全て消え去る。つくづく化け物だと、輝明と修は舌を巻く。
「ふん、悪霊をけしかける術か。くだらん。俺の超常殺しの名を知らんのか。呪いも祟りも俺は気合いだけで跳ね返すっ」
「おやおや、確かに凄いものだ。流石は超常殺し。しかし……いいのかな? どうやら呪術の本質を知らぬと――知識を持ち合わせてないようだ」
嘲るオンドレイに、しかし玉夫は術を退けられたにも関わらず、まるで動揺せず、へらへらと歪な笑みを張り付かせたままであった。
「何の負け惜しみだ?」
「呪術というものはだな、弾けば呪術をかけた者へと返る」
「知っているぞ? お前には……返ってないようだが」
「当然よ。呪術返しにあっさりとやられるのは、中級までの術師。私はこう見えても上級呪術師でね。さて、その防ぎ方だが、私のはちょいとばかし特殊な仕掛けでね。けしかけた悪霊が払われた場合、その者の親しい者へと向かうようにしてある」
笑いながら口にした玉夫の言葉を聞いて、オンドレイは顔色を変えた。
「さて、良いのかな? こんな所で油を売っていて。心当たりある者をすぐに優秀な拝み屋にでも連れて行けば、助かるかもしれんがね」
「貴様……」
歯噛みして玉夫を睨むオンドレイ。今現在オンドレイの近くで親しい者と言えば、下宿先の老婆だ。彼女の身が危ない。
オンドレイは堂々と背を向け、走り出した。
「はったりが上手いな」
オンドレイの姿が見えなくなった所で、輝明が玉夫に声をかける。
「はったりだったのか?」
修が驚く。堂々とはったりをかました玉夫にも、それを見抜いた輝明にも。
「うむ。呪術ではなく話術だがね。流石は星炭流妖術の当主。見抜いたか」
「ああ、悪霊はあのデカブツの気に当てられて、成仏しちまってたからな。あいつにはそこまでは見えなかったみてーだが」
大したタマだと、玉夫を見て感心する輝明。
「で、俺を助けた理由は?」
「単刀直入にお願いする。私を星炭流妖術の末席でよいので、加えていただきたい。身の置き場が無い生活も、もううんざりでな……」
それから玉夫は、星炭流呪術に見切りをつけたことや、銀河が輝明を殺すことに自分を利用したことも、全て口にした。
「気にいらねーなあ。いくらあの銀河があてにならないからって、あっさり裏切ってテルに取り入ろうとする性根はどうなんだ? 僕はこういう奴は信用できないぜ」
玉夫の話を聞いて、修が不信感を露わにする。
「いやあ、俺は別に構わんよ。そりゃあ銀河なんかについていっても、駄目だろうし、当主である俺に直接取り入ろうとするのは、良い選択だろうさ。修もこいつの立場になって考えてみろよ。銀河なんかに筋通してもいいことなんかありゃしねーよ」
「では?」
「オッケーだ。ただし、犠牲を払うようなタイプの邪悪な呪術の類は全て御法度だぜ? そいつを約束できればの話だ」
「約束しよう。感謝する」
恭しく頭を下げる玉夫だが、その間もへらへらと笑ったままだ。
「ところで、どうしてあんただけ生き残ることができたんだ?」
修が問う。星炭の呪術師は残らず雪岡純子の実験台にされたという話は、超常関係者の間では有名だ。
「雪岡純子との戦いを始めると聞いて、行く末を占ってみたのだ。そうしたら全て悪い結果しか出なくて、こりゃヤバいと、一足先にとんずらしたまでよ」
玉夫の言葉を聞いて、やっぱりこいつは信用できないと思う修。
「とはいえ、テルが当主なら許可もできるけど、善治に当主の座が移ったら、あいつなら絶対許可しないと思うぜ」
「おい、俺が負けると思ってんのかよ。ふざけんなよ」
「絶対勝ってくれ。頼むぞ」
修の言葉を聞いて、玉夫が力強い声でお願いする。
「で、あのオンドレイは誰に雇われて狙ってきてるんだ? 銀河だと思ってたのに……」
輝明が疑問を口にした。
「銀河に雇われて、そのまま銀河も忘れてるとかいう可能性はないか?」
「ちょっと確認してみるか……」
修に言われ、輝明は銀河へと電話をかけた。
***
雪岡研究所内の訓練場。輝明と善治の決戦前日。
「今日はもう稽古は無しにして、じっくりと休んだ方がいいですよ。もちろんイメージトレーニングだけは、行うようにして」
朝一番で累にそう言われたので、善治の訓練は無しとなった。しかし明日に備えて、綿密なシミュレーションが行われていた。
想定していた展開に持ち込めず、うまくいかなかった場合の切り替えパターンまでも幾つも出して、すぐに動けるようにしておく。応用力が低くて咄嗟のアドリブが苦手な善治であるが、しかし基本を叩き込めばそれに忠実に動けるという性質であるのを見て、三人がかりで何パターンもの動きを叩き込んだ。
「それなりに仕上がったんじゃないか?」
手札化した作戦パターンや、善治の昨日までの特訓を考慮して、真が言った。
「そうだといいが……。自分ではわからない」
正座をした善治が、うつむき加減に言う。
「自信が無いのか?」
「不安はもちろんある。だが、ちゃんと勝ちに行く気持ちで臨む」
気合いを入れて言ったつもりの善治であったが、自分でも驚くほどの頼りない声が出て、情けなくて恥ずかしくて、正に穴にでも入りたい気分になる。
「ふわぁぁ~……できることはやったけど、メンタル面が不安だあね」
あぐらをかいて座り、両手に顎を乗せた格好のみどりが、難しい顔で言った。
「こればっかりはあたし達にはどうにもできないというか、甘えてないで自分でどーにかするべきことだよね。乗り越えるべき壁。最大の敵は自分自身たあよく言ったもんだァ」
「今まで自分をここまで真剣に見つめたことがなかった」
善治がぽつりと呟く。みどりに言われるまでもなく、善治もそれはわかっていた。
「今までの俺は、自分の願望しか見ていなかった。本当の自分を見ていなかった。輝明に全くかなわない自分。輝明にいつも言い負けていた自分。自分に言い訳をして、自分は正しい、間違ってないと、偽りの自分を溺愛していた」
「そういう人……多いですよ。大人にもね。まだ子供のうちに気付いただけ、上出来です。気付いたとしても、修正するにも苦労しますけど」
悲嘆する善治に、累が微妙なフォローを飛ばす。
「経験者は語る、か」
「そうですね。僕なんか相当ひどかったです」
真の言葉を受け、累は気恥ずかしそうに微笑む。
「皆の協力に報いるためにも……いや、俺の純粋な対抗心のために、輝明に絶対に勝ちたい。あいつと喧嘩して勝ったことは一度も無い。今度は勝ちたい」
敗北への不安より、これまでの敗北の悔しさと勝利の執念が上回り出す。
「殴り合いとかしてあんなちんちくりんに負けたの?」
「いや……口喧嘩しかしたことはないな。あいつは手を出すような真似はしたことないし、俺もあいつに手を出す気にはなれない。体格差ありすぎて……」
みどりの問いに、渋面で答える善治。
「輝明を嫌っていた理由さえも誤魔化していた。確かにちゃらんぽらんでだらしない奴という部分も嫌いだが、そんなあいつが当主にいた事や才能を持ち合わせていた事に、嫉妬していたんだ」
いざ自分を誤魔化さず見つめ直すと、善治は自分の醜さに反吐が出そうな気分に陥る。
「俺は……こんなに醜い人間だったんだな」
「それが普通だろ。普通じゃないのは、清廉潔白にこだわりすぎてることだ。自分を綺麗にしようと、変な理想にハマりすぎていることだ」
真が言った。この一週間で、善治の性質は大体理解できていた。
「世の中には汚いものだって溢れている。それを全部否定してどうする。蒸留水だけ、飲んでいるわけにはいかないだろ。空気清浄機が効いた部屋に、ずっと引きこもってるわけでもないだろ。誰だって汚染された毒水を飲んでいるし、毒水を飲んでも壊さない腹を持っているんだ。排気ガスまみれの汚い空気を吸っても、いちいちそんな意識はしないんだ」
「父にもしょっちゅう、似たようなことを言われている」
しょっちゅう言われて、その度に心の中で反発していた。しかし真にまで同じことを言われ、いくら反発していても自分がおかしいのだろうなと、理解して受け入れざるをえない。
「差が有りすぎて手を出す気になれないと言ってましたが、輝明との実力差を考えると、輝明の立場ではその体格差のある小さな君を、本気で殴りにかかってくるんですよ?」
沈みがちの善治に、累が確認する。
「君も肉弾戦に持ち込んで、実際に殴りにいく予定ですしね。躊躇する気持ちがありますか?」
「無い……。全てをぶつけてやる。そして俺が勝つ」
善治が力を込めて言い切る。己の中にある全ての不安は、輝明への対抗心で噛み殺す所存であった。
***
「おや、オンドレイ君や、どうしたの? 血相変えちゃって」
下宿している亡き師の家に帰ったら、師の妻である老婆がにこにこと笑って出迎えたので、オンドレイはほっとした。
(もしかしなくてもあいつの狂言か。呪い返しの類はすぐに返るはずだしな)
術だの霊だの呪いだのといった超常関係に造詣が深いオンドレイは、すぐにその結論に行きついた。
(俺らしくもない……。仕事を途中で放り出すとは、殺し屋失格だな。しかし……恩師の奥さんに迷惑をかけたらそれこそ人間失格だ)
そう思ったその時、依頼主の銀河から電話がかかってくる。
『すっかり忘れてた。事情が変わったんで、輝明の殺しはキャンセルで頼むっ』
泡を食った声で銀河が告げる。
「そうか。ギャラはちゃんと振り込んでおけよ」
『え……キャンセルしたのに……』
「当たり前の話だろうが。タダ働きさせるってんなら、俺はもう一度俺の意志でタダ働きすることになるぞ。ターゲットは、今俺が電話している相手だ」
『わ、わかった……』
笑い声で宣言するオンドレイに、銀河は声を震わせて了承し、電話を切る。
「悪い顔してるわねえ、オンドレイ君。あんまり悪さしちゃだめよ。どんどん悪い顔になっていっちゃうから」
「心配して急いで帰ってきたのに、そりゃないだろ」
からかう老婆に、オンドレイは広い肩をすくめてみせた。
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