第三十章 25

 星炭本家の道場に出入りするその女の子と、輝明が親しくなったのは、十三歳の頃だ。それまでは互いを知ってはいたが、特に会話もしなかった。

 いつしか輝明とは、顔を見合わせるたびに会話をするようになっていたし、輝明は密かに彼女に想いを寄せていたが、それを打ち明けることができなかった。恋愛に関してはわりと奥手だった。


 しかし彼女との最後の会話を思い出すと、彼女も自分に対してまんざらでもなかったのではないかと、今では思える。


 彼女は輝明より一つ年下で、よく自作の漫画を持ってきては輝明に見せて感想を聞いていた。漫画家になりたい夢があったけど、星炭の妖術師となることが生まれつき義務づけられた家系故、諦めざるをえないとも語った。


「輝明さんは他に何か夢が……何かしたかったことはないの?」


 新学期――輝明が高校にあがり、彼女が中三で十五歳になって、輝明と歳が一時的に重なった頃、彼女はそんなことを尋ねてきた。


「あるけど言いたくねーよ……」


 彼女の問いに、不機嫌そうにそっぽを向く輝明。それはよほど触れてはいけない話題なのだろうと、彼女も察する。


「私、せめて小説家だったら兼業できたかなあ? 漫画家は流石に無理だってわかるけど、小説ならできそうじゃない?」

「できたかなあって、その気ならこれからやりゃいいじゃん」

「あはは、そうだね。でも何かさ……もうどうでもいい気分。親に反発しまくったけど、私の自由な生き方、どうしても許してくれないみたい。何でこんなくだらない掟があるのかな」


 言ってから彼女はハッとして輝明を見る。いくら親しくなったとはいえ、当主である人物の前で、あからさまに星炭流への不満を口にしてしまったのだ。


「気にすんな。俺もおかしいと思ってるからよ」

 そんな彼女の様子を見て輝明が笑う。


「しかしいくら当主でも、思い切った改革はしづらいぜ。それでなくても俺はまだ餓鬼だし、星炭流は頑固な老害が多いからなー」

「じゃあ輝明さんがもっと実績積んで、ジジババ連中を問答無用で黙らせるくらいになったら、星炭の家系に生まれても、自由な生き方が出来るようにしてね。そうしたら私、漫画家になるからさ」

「そういうプレッシャーかけんなよ。できるかどうかもわかんねーことなのによ。ま、考えとくわ」


 この時の台詞を輝明は後悔している。ここでやってやるとはっきり言っておけばよかったと。


「そうそう、今度私、二度目の実戦行くんだ。一度目はほぼ見物だけだったけど、今度はちゃんと戦いたいな」

「活躍しようなんて欲を出したら危ないぞ。くれぐれも用心しろよ。俺は実戦経験豊富だが、いつもチキンな立ち振舞いしてたからこそ、今こうして生き残っているんだからな」

「そっかー。先輩様当主様のありがたいお言葉に預かって、陰でこそこそ立ち回ってくるね」

「そうしろそうしろ。チキンな土産話、楽しみにしてるわ」


 輝明が笑顔で言い、彼女も微笑んだが、輝明が彼女の土産話を聞くことは無かった。


***


 綺羅羅は集会の翌日にまた病院に逆戻りしたが、傷は大分癒えたので、今日は正式に退院し、集会の日の夜以来、輝明と向かい合って二人で食事を取っている。


「善治との戦い、明後日まで迫ってるけど」

「やっぱその話題触れるか」


 綺羅羅の言葉に、輝明は苦笑いをこぼす。


「善治の奴、本格的に不良化しちまったぜ。学校ずっとさぼってやがる。星炭の当主になりたいがために、学生の本分である学業サボって、どっかで特訓とか、とんでもねー奴だよ」

「知ってるわ。家にも帰ってないって、良造さんが言ってたよ」


 冗談めかして言う輝明であったが、綺羅羅は真顔だった。


「自宅で良造さん相手に稽古つけてるわけでもなく、父親にも知らせない場所へ行ってるなんて、ちょっと不気味だと思わない? それもあの善治がよ?」

「んー……言われてみれば気になるかな」


 輝明の中で、嫌な想像がよぎる。善治も雪岡研究所に改造してもらいに行き、実験に失敗してすでに死んでいるのではないかと。純子に連絡して確認するのも怖くて、躊躇われる。


「俺の両親てどんな奴だった?」


 あまり考えたくないし、これ以上触れたくもないので、無理矢理話題を変える輝明。


「親つかまえて奴とは何よ。ていうか……それ聞くの初めてね」

「今まで知りたくなかったからな。ババアが俺の親だし。俺の一番古い記憶って、親が死んで途方に暮れてる自分なんだ。で、ババアが俺の手繫いでくれた時のこと」

(私と姉弟みたいに毎日仲良く遊んでいた時の記憶は無いのか……それとも照れくさくて言わないのか)


 輝明の述懐を聞き、綺羅羅は複雑な気分になる。綺羅羅にとって、輝明との一番輝かしい記憶は、その時代であったからだ。自分に弟が出来たみたいで嬉しくて、いつもかまっていた。輝明も自分によく懐いていた。


「義姉は優しい人だった。兄は……のんびりした人で、これまた優しい人だった。怒ってる所とか見た事無い。私達の両親も、私が幼い頃に死んでいたから、兄が私の親代わりしていた部分もあるし……」

「星炭の当主でさえも、危険な任務であっさりと命落としまくってるんだよなあ……。次から次へ危険な任務押し付けられてよ……」


 自分で振っておいて、この話題は失敗だったと、輝明は思う。急激に食事が不味く感じられる。


「俺の親もじーさんも、星炭のくだらない宿命と、霊的国防なんていうアホ丸出しの任務のために死んだよーなもんだろ。どっちもぶっ壊して何が悪いってんだ」


 口では両親と祖父母を挙げていたが、それよりも、親しくなった一つ年下の少女のことを強く意識している輝明であった。


「輝坊がそう考えるに至った話を全て、善治にも聞かせてやったらどう? あいつは確かに融通利かないけど、情の無い子ってわけでもない。少しは感じ入る所があって、考えを改めてくれるかもよ?」

「ねーよ。あの木石にゃあ何を言っても無駄だ。話をするだけ時間の無駄。んでもって、話したところでろくな返しをしてこねーし、それで余計なムカつきそうだわ」


 幼い頃から顔を合わせる度に、言い合いばかりしてきた善治のことは、誰よりも知っているつもりでいる。相性最悪で互いに嫌っているにも関わらず、小中高と同じ学校に通い、同じクラスになる事がやたら多かったうえに、同い年ということで、星炭の道場でも顔を合わせることが多かった。


「あんたの接し方もよろしくないと思うけどね。善治に限った話じゃないけど、いつも言葉が足りない。肝心なことを言い逃す。そのくせ、言わなくていい余計なことは言うし」

「うぐっ……」


 心当たりはあるし、それで失敗や後悔も沢山あるので、綺羅羅のその指摘は輝明に突き刺さった。


(あいつにも……もっと言葉をかけてやるべきだった。そうしたら運命も変えられたか? いや……そんなことはないか)


 今でも忘れられない少女のことを思い出し、輝明はそんな無益なことを考えていた。


***


 オンドレイは数日間、安楽市民病院に入院していたが、その日、医者が止めるのも聞かずに強引に退院した。


「あんた裏通りの人でっしゃろ。ワイにはわかりまっせ」


 同室だった丸眼鏡をかけた痩せた中年の関西人も同時期に退院で、一緒に病院を出た所で、そう声をかけてきた。

 この男はテレビで何度か見たことがある。犯罪心理学の教授という話で、関西弁で過激な言動を繰り返していたので、オンドレイは嫌でも覚えてしまった。

 やたらお喋りで、病室にいる際にも、巨体強面外人のオンドレイ相手に全く臆する事なく、話しかけてきた。おかげでオンドレイは、退屈を大分紛らわすことができた。


「しかも一戦かますつもりやろ。ワイにはわかっとーで。しっかり体、治してからの方がええんちゃいますの?」

「負傷して仕事を途中で放り投げていたからな。良いコンディションとは言い難いが、いつまでもサボっているわけにもいかん」

「無理して死んでもーたら元も子も無いですやん。まあ、気をつけていき。何かワイ、あんたに禍々しい兆しが見えるわ。おかしなこと言うとーけど、そういうもん感じることあるんや。用心した方がええな」


 丸眼鏡の男の言葉に、オンドレイは舌打ちする。


「気遣ってくれてありがたいが、嫌な気分だ」


 見かけによらず、不吉の兆しなどを信じるオンドレイである。


「せやろな。ワイも言われたら気分悪いわ。でも言わんよりええやろ」

「まあな」


 丸眼鏡の男の言葉に、オンドレイは渋面で頷いた。


***


 その殺し屋の今回のターゲットには、いろいろと条件がつけられている。


 人を殺す際に、遠方からスナイパーが狙撃するという方法は、この国ではあまりお目にかからない。中枢が狙撃銃を出回らないように制限しているからだ。狙撃などが流行ってしまったら、誰にとっても面倒で仕方無いという、暗黙の了解も機能している。

 しかし全く無いわけでもない。彼は裏通りでも珍しい、狙撃を用いての暗殺を行う者だ。故に彼には多くの組織や個人から賞金がかけられている。


 彼はあまり派手に仕事をしない。正確にはできなくなってしまった。名は知られてしまっているし、彼を狙う者も多い。あまり頻繁に仕事を取る事は、リスクに繋がると踏み、彼は三ヶ月に一度までと、仕事量を制限することに決めた。

 名が売れる前には、己の名を売り出そうとどんな仕事でも受けたが、今はクライアントを見て慎重に決めている。今回もそうだ。国家機関からの任務であるというからこそ、引き受けた。依頼主の身元が、はっきりしたものであったから受けた。


 ターゲットの名は星炭輝明。超常の者を相手の狙撃も、何度も行っている。人智を超えた力を持っていても、頭を撃ち抜かれれば死ぬ。知らない間に遠くから銃を撃てば当たる。普通の人間と何も変わらない。今度の仕事も変わらない。彼はそう思っていた。


 ただ一つ違うことと言えば、結果次第では殺さなくてもいいと伝えられていることだ。ターゲットが戦いを行って勝利した場合に殺せと言われている。ターゲットが戦いで敗れれば、その命は救われるという皮肉な話。もちろん殺さなくてもギャラは出る。

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