第三十章 24

 善治が中学生だった頃の話だ。善治の担任女教師が、テレフォンセックスのアルバイトをしていた事が判明した。

 当然学校では大騒ぎになったが、担任教師は涙ながらに事情を話した。家が借金苦で、少しでも仕事をしないといけないと。


 その時、彼女の肩を持ったのが、当時の校長と理事長だった。理事長は担任の借金の肩代わりをするからテレフォンセックスを辞めるようにと言い、校長は熱心に彼女の弁護を行った。

 特に校長の活躍は、善治の印象に残った。教師達にも、生徒達にも、PTA相手にも、事情は話して寛大な処置を求めた。


「確かに彼女はルールを犯し、教育者としてはあるまじき行為を働きました。しかし、人は人の事情や立場に立ってみて考えることが、何よりも大事です。もし自分が彼女の立場であったらと、考えてみてください。他に出来る事が思いつかず、追い詰められたうえでルールを犯してしまう人の気持ちを全く考えず、ただルール違反というだけで、ただ建前だけを考えて、免職するような処罰をしてしまったら、これは逆に教育上よくない。無論、悪いことは悪いことですから、減給なり停職なり、多少の懲戒処分は必要でしょう。私は彼女一人の肩を持つのではなく、自分の教育者としての信念に基づき、学園に通う生徒達の事も考えたうえで、寛大な処分を願うところであります」


 PTAへの緊急説明会にて行われた校長の弁に、割れんばかりの拍手が起こった。その様は撮影され、動画サイトにも上げられ、生徒達も後で見る事となった。校長が脂ぎったバーコード頭を光らせて熱弁を振るう様に、善治は感動した。この世には確かに正義の人がいるという事が、嬉しかった。


 しかしその後、担任教師の借金どうこうの話が、真っ赤な嘘であった事が判明した。理事長が借金の肩代わりをするということで、どこから借りているか調べて、あっさり嘘だとわかった。単に彼女はホストに入れ込んで貢いでいただけだったのである。

 担任はもちろん免職。校長も責任を取って自ら辞職を願うという、非常に後味の悪い結果になった。


 善治はこの出来事にショックを受け、ルール違反をする者は例えどんな事情があっても、許すべきではないという、極端な考えを抱くようになる。


 ある日、理事長が珍しく学園を訪れた。理事長は学校法人だけではなく、複数の企業のトップを兼任している忙しい人であった。善治は理事長を呼び止めて、担任と校長の問題で、自分の思う所をぶつけてみた。


「確かに私は彼女に腹が立っているし、校長先生のことは残念に思っている。しかし私は校長先生にこう伝えた。貴方のしたこと、貴方の考えは間違っていないし、私は貴方を誇りに思う、と。君の考えは極端だし、物事を白か黒の二つで考えてはいかんな」


 息子の鈴木竜二郎とは全く似ていない、厳めしい強面の鈴木竜太郎は、優しい眼差しで諭した。

 しかし理事長の言葉を善治はどうしても受け入れられなかった。善治の考えはさらに極端に、そしてシンプルに、エスカレートしていった。


 世の中の全ての人間が他人への気遣いを大事にして、決まりを守って生きていれば、それでよい世の中になるはずだ。

 しかし世の中には自己中心的で、ルールを守らず、他人に害をなす奴が沢山いる。おかげで世の中が悪くなる。そんな奴等、世界征服して皆殺しにしてやりたいと、善治は本気で考えるようになった。


***


 集会があった昨日の日まで、善治は放課後に雪岡研究所に通い、真、みどり、累の三人に戦闘や術の手ほどきを受けていた。

 だが期限を一週間と定めてしまったからには、とてもではないが、それだけでは時間が足りない。純子に雪岡研究所で泊まりこみの訓練をする許可を貰った。


「学校も休んだ方がいいな。いや、休め」


 純子の承諾を得た後、訓練場にて真、みどり、累の三人を前に、輝明との戦いの期限が一週間である事と、泊り込みで特訓をしたい旨を申し出ると、真がそう告げてきた。


「そうはいかない。そんな不良にはなれない」


 何故か後輩の女子である風紀委員のことを思い浮かべながら、善治は拒絶する。何故彼女のことが思い浮かんだのだと、善治は一人で狼狽していた。


「両立するのは厳しい状況だ。一週間しかないんだぞ」

「人の上に立つつもりなら、少し融通を利かせるという考え方も大事ですよ。他人に対してはもちろんのこと、自分に対してもです」

「優先順位を考えようぜィ」


 真、累、みどりの三人がかりで説得される。


「しかし……」


 身勝手な理由で優先順位を決定づけ、学生の本分である勉学を怠るなど、どうしてもいけないことだという気持ちが、善治の中に強く根ざしている。


「まあ僕達は強要しないさ。後悔しない結果にすればいい」

「いや、みどりは強要するぜィ。せっかくあたしら三人がかりで協力してやってんのに、当人が半端にやって、んで結局負けましたとか、何だそりゃってことになるじゃんよォ~」


 みどりの言葉を聞いて、善治も踏ん切りがつく。みどりの言うことが正論だと受け入れる。


「僕も闇の安息所はお休みにしておきますね。しかしたった一週間では、住み込みであろうと、出来ることに限りがありますよ」

「一週間で都合よくパワーアップできるなら、世界中の誰だってやってるしね~」

「だから改造……」


 累とみどりが言った直後、訓練場の扉が微かに開き、たまたま通りがかった純子が扉の隙間から覗きこみながら、ぽつりと呟く。


「しっしっ」

「ぐっすし……」


 真がすげなくそれを手で追い払う。悲しそうに去る純子。


「一週間で詰め込められる分だけ、詰め込もう。対輝明戦を想定しての訓練を積むことと、あとは一週間以内にでも覚えられそうな技や術を会得し、限られたチャンスにかけるんだ」


 力強い声で方針を打ち立てる真に、善治は頼もしさと申し訳なさを覚える。


(会って間もない他人の俺に対し、こんなに真剣になってくれているのに、一方で俺は不安でいっぱいだ……)


 輝明の前では威勢よく振舞ってみたものの、今現在、その威勢は持続していない。自分が敗北する未来しか思い浮かばない。


「気後れしているようだが、空元気でもいいから気合いを入れて臨め」


 そんな善治の内面をあっさりと見透かして、真が告げる。


「当たって砕けろの精神で――と言いたい所だが、お前が砕けたら話にならない。輝明の方を砕くつもりでな。勝利しないと意味無いからさ」

「わ、わかった」


 抑揚に欠けた淡々とした口調で鼓舞されることに違和感を覚えつつも、善治は力を込めて頷いた。


「で、具体的にどーするよォ? 昨日まで続けていた基礎訓練はもう教えることないし、そいつを手合わせの形で続けていても、一週間じゃどうにもならなくね?」


 正直みどりは、一週間の特訓で勝てる見込みは、無きに等しいほど薄いと思っている。しかし真が真面目にその方法を模索していく構えなので、はっきりと無理とは口にしないでいる。


「体力作るだけなら間に休憩の日も挟みたいけど、その余裕すらないし。不意打ち的戦法を幾つか練習するのと、輝明がどんな術を使うか想定してその対処の訓練だ。前者は僕が考えるとして、後者は善治に言ってもらわないと話にならないな」


 真がてきぱきと方針を固める。


「同じ星炭流妖術師ですからね。同門の妖術は互いに心得ているでしょう。でも、輝明が天才と持て囃されている理由は、オリジナルの術を短期間で編み出せることなんです」


 累が言った。つまり、善治の知らない術を用いてくる可能性も高いということだ。


「それはもうどうしょうもないし、諦めて切り捨てよう。根性と機転で耐えるか避けるかしないと」

「ヘーイ、真兄……詰まった時はいつも必ずそれだよね」

「でも実際それしかないだろ。最後に行き着くのは精神論とアドリブだ」


 茶化すみどりに、真面目に反論する真。


(しかしそういう応用力が無いのが俺なんだ……。輝明にも父さんにも他の奴等にも、昔から散々指摘されてきたが……)


 そう思う善治だが、泣き言にしかならないので、真達の前で口にはできない。


「みどりが、雫野の妖術には短期間で身につけられるものもあると言っていたが、それはどうなんだ?」

「いや……でも、それは……」


 真の言葉に、善治が顔色を変える。さすがに他流派の妖術を用いるのはどうかと思い、一度は断っていた善治である。


「こだわりは捨てろ。勝つことだけを優先させろ。輝明の性格を考えれば、それにとやかくクレームはつけないだろ」

「わ、わかった……」


 真にぴしゃりと言われ、それ以上主張するのをやめて、受け入れることにした。


「確かに雫野流の妖術には……触媒に依存する術であれば、一週間でも何とか会得できそうなものがありますよ。いえ、君も妖術師ですから、もし奇跡的に術と相性がよければ、一つの術につき一日もかからないで習得できるかもです」


 累が言った。


「じゃあ累はその担当で。僕は奇襲戦法と回避訓練担当にしよう。みどりは両者のフォローや、傍で見てアドバイスをする係」

「よっしゃあ、一番楽そうで重要な係、お任せあれ」


 真の指示に、みどりは朗らかな笑顔でどんと胸を叩いてみせる。


「んー……」


 立ち去ると見せかけて実は立ち去らず、部屋の外から様子を伺っていた純子が唸る。


「雪岡道場を開くってのも……アリかなあ。真君達が喜んで協力しそうだし、優ちゃんや来夢君といって他のマウスの子達も、定期的に訓練にも来てるし……」


 腕組みしてぶつぶつと呟く純子。


「で、己の限界に行き詰った人に、こっそりと改造の勧誘をする、と。いや、コスパ悪いか」


 思いついた計画を速攻でボツにし、純子は今度こそ訓練場を離れた。

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