第二十九章 24

 朝七時、霧崎のアジト。


「おはよう! 諸君、よく眠れたかね?」


 拘束の身にある、すでに改造済みの貸切油田屋の七人の兵士達を前にして、霧崎は快活な声で挨拶をする。当然ながら、挨拶を返す者など一人もいない。険悪な視線をくれただけだ。


「良い目だ。実に良い目だ。私への憎しみ、怒りに満ちている。他にも悔しさか? それともそれはもう割り切っているか? あるいは恐怖もあるか? 自分が人外へと改造された事の絶望か? 歴戦の兵であろうと、そこまで感情は殺しきれまい。ま、そんなことはおいといてだ、今朝は諸君らにとても良いニュースを持ってきた」


 にっこりと笑ってみせる霧崎だが、その気色の悪い笑顔は、兵士達の神経を逆撫でする効果しか生まない。


「知っての通り、君達を助けに、ハヤ・ビトンなる者が大量の兵士を引き連れて、この尊幻市へと押しかけてきた。そして現在、町の門を封鎖中だ。それで、だ。ビトン君と交渉し、君達を助けるための条件をつきつけてきた。ビトン君は了承したよ」


 兵士達は街中を自由に出回ることも許されていたので、ビトン達が来ていた話は知っていた。しかし霧崎には許可無く門には近づくなと言われていたし、その言いつけを破った者は昨夜怪人化し、ビトン達に襲いかかって、同士討ちという悲痛な結果となってしまった。


「ほほお。今、私は見逃さなかったぞ。諸君らの瞳に希望の光が宿ったのを。そう、それでいいのだ。人間、生きていくうえで、何かしらに希望を見出さないと、やってられないからな。あるいは夢でもいいぞ。大きい夢ほどいい。ま、私の夢より大きい夢を持つ者など、この世にはいないであろうがな。おっと、また話が横に逸れている」


 にやにやと笑いながら面白がるように喋る霧崎に、唾を吐く者、さらに険悪な形相で睨む者、一瞬希望を抱いたことを見透かされからかわれた屈辱に身を震わせる者など、兵士達は様々なリアクションを見せる。


「君達七人の体内に仕込まれた毒薬を除去する薬品が、人数分用意してある」


 霧崎のこの言葉に、兵士達はさらなる希望と、そして不安を抱く。希望をちらつかせて突き落とすという、邪悪な行為をされるのではないかと、警戒していた。


「私の言うことなど信じられないという気持ちはわかるが、それでも信じて従う以外、君達には選択権など無いと思わんかね?」


 兵士達の心をさらに見透かして、ネチっこい口調で問いかける霧崎。


「それに、だ。信じてくれなくても結構だが、私は自分に課した、信念にも等しいルールが幾つかある。まず、私は嘘をつかん。そして誰にであろうと、最低でも一度はチャンスを与えるということだ」


 これは本当だった。これは霧崎のポリシーだ。霧崎が自分に課したルールだ。もちろん兵士達からすると説得力は感じないが、霧崎はその通りに動くつもりでいる。


「君達には私の新たなゲームに参加してもらう。もしゲームを攻略できたら、一人ずつ解放しよう」


 兵士の何人かが、やっばりそれか……という顔をする。


「ゲームの内容は宝探しだ。宝の中味が解毒剤だ。宝は君達の人数と同じ七つ。この都市のどこかにある。それを探して見つけるのだ」


 七つの宝を探すと聞き、兵士達の何人かが別のことを想像する。


「すでにビトン君達にも話してある。彼等にも参加してもらう。ただし、君達にも彼等にも、禁止事項を設ける。君達は基本的に単独で行動してもらう。君達の仲間との合流も禁ずる。接触して情報交換程度は許してやる。しかし五分以上、近い場所で行動するのはアウトだ。通信機器の使用も認める。ただし、そのまま保護されることや、共に行動することは許さん」

「逆に言えば、五分までは行動可能か……」


 ルールを聞き、兵士の一人が呟いた。


「ビトン君達も一応参加者だ。彼等と共に行動は許さんが、接触して補佐を認めている。宝探しも行える。ただし、彼等が宝を見つけても、それを発見としてカウントはしない。あくまで君達のうちの誰かが見つけないと駄目だ。仲間が見つけたら、仲間に教えてもらうか、届けてもらうかするのだな」

「どうせそれだけじゃあないんだろ? 用意された正義のヒーローと戦わされるんだろ?」

「うむ。そのつもりでいる」


 兵士に問われ、腰に腕を回して組み、意地悪く笑う霧崎。


(まだその話は雪岡君にしていないし、これから交渉するところだがね。まあ、雪岡君ならのってくれるだろう)


 もし都合が悪くて反対されたら、尊幻市民から有志を募って、改造手術をし、ヒーロー系マウスをこしらえるつもりでいる霧崎であった。


「ゲームが始まる直前に、君達から没収した電話は返しておく。電話に仕掛けをしておいた。この都市の地図を映した場合、それぞれがランダムに宝の位置が映し出される。いつ、誰の地図に、どんなタイミングで、どの宝が映し出されるかは不明だ。君達の位置は常に全員分把握できる。君達を助けにきた仲間の位置の把握は、携帯電話を返してもらったうえで、自分達で設定したまえ」


 霧崎の話を聞き、一応こちら側の考慮もしてくれているのかと、何人かの兵士は思った。この男は狂人ではあるが、公平さだけは守るのではないかと。


***


 朝から純子の元に、ある人物が電話をかけた。


『純子、樹も呼んでよう。で、テレビ電話にして』

「はいはい」


 ディスプレイを開くと、白無地の着物を着た、浅黒い肌の美少年の顔が映し出される。


「悦楽の十三階段の一人、白狐弦螺か」

 真が言った。一応面識はある。


「霊的国防機関の重鎮白狐家の当主であり、この国の真の支配者層の一人でもあるよー」

 純子が付け加える。


「おお、白狐様。お久しゅう存じます」

「白狐様、まこと申し訳ないことに、任務中にまた一人、同胞を失ってしまいました」


 かしこまって挨拶する森造と樹。それを見て幹太郎は憮然としている


『また犠牲ぇ~……? 木島って犠牲出す率高くない? だからあまり任務回したくなかったんだよう。もう残り三人だしさあ。無理に任務まっとうしようとせず、失敗してもいいから、生き残ること優先してよう』

「気遣い、痛み入ります」


 呆れきった顔になる弦螺に、頭を下げたまま、感情を殺した声で言う樹。犠牲を出したくて出しているわけでは断じてない。これまで犠牲を出しまくっていたのは、国家から難易度の高い任務ばかり押し付けられていたが故だ。弦螺の言動は、その事実を無視しているのか、それともわかっていて嫌味を言っているのか、樹には計りかねたが、いずれにせよ屈辱だ。


『今、尊幻市に貸切油田屋の手勢が大挙しているのは知ってるよね? 木島一族に新たな指令を出すよう。尊幻市にいる貸切油田屋の兵士達を殲滅してぽぴぃ』


 霧崎とのゲームで元々彼に改造された兵士達とは戦う予定だったが、さらに厄介な任務が上乗せされた。


「それのどこが霊的国防なんだ? ただの汚れ仕事じゃないか」


 真が心なしか不愉快そうな声で突っ込む。


『あれれれ? 勘違いしてるるる。別に超常の領域や人外から国を守るのが、霊的国防じゃないんだよう。超常の領域や人外を利用して国を守るのが、霊的国防だよう』


 真を見て弦螺が言った。


『貸切油田屋は明らかに日本に害を成す組織だもん。薬仏市で暴れていたマフィアにも、裏から支援しまくっていたしさ。今回だって、いくら無法地帯の尊幻市でも、国内であんな好き勝手されて黙っていられないよう』

「木島にできると見込んで指令を出しているのか?」

『純子や君も協力してくれると見込んでるよう? あと霧崎教授もね』


 真の問いに対し、弦螺はにんまりと笑って言う。


『今回の件は見過ごせないんだよう。霧崎教授が呼び込んだとはいえ、他国に軍人や火器を持ち込んで好き勝手した奴等、絶対にやっつけないといけないよう。じゃ、頑張ってねえ。純子、よろしく頼むよう。できれば木島の人達、もう死なせないよう守ってあげてね』


 テレビ電話が切れると、まるで入れ違いのように、霧崎から電話がかかってきた。


『雪岡君、実はだね、新たなゲームを考えて、すでに準備を整えているのだ』


 そう切り出してから、霧崎は兵士達の宝探しの件を告げた。


『よかったらこの遊びに、雪岡君達も参加してみないかね? いや、是非参加してくれ』

「もちろん参加するよー。参加しないとかいったら、ゲームそのものが途切れちゃうしさー」


 霧崎の誘いに、純子は弾んだ声で了承する。


「またお遊びか……。いい加減にしろよ」

「これ、ミキ」


 幹太郎が吐き捨て、樹がたしなめる。


「気持ちはわかるが、今は飲み込んでおけ。機会があったら引っくり返してやればいい」


 真が幹太郎の肩に手を置いて言い、幹太郎も大きく深呼吸して気を落ち着けた。


***


 アジ・ダハーカの二階の宿泊室。

 今いるのは亜希子と望だけだ。睦月と白金太郎は買い物へと向かった。


「いろいろあったけど……僕の気持ちとしては、今回の件で、亜希子との距離がかなり縮まったかなーって思う……」


 ベッドの上に座る望が、ソファーにいる亜希子に向かって、上機嫌にそんなことを言う。


「勝手に距離を取ってたのは望の方だよ」


 望の台詞に喜ぶことはなく、眉をひそめる亜希子。


「望はいつも私と、おっかなびっくりで付き合ってたよね? いつも自信なさげで、デートする時も心に溝を掘って壁を置いてた感じ」


 亜希子の指摘を受け、望の顔から笑みが消え、うつむき加減になる。


「手繫ぐに至るまでも、随分時間かかったしね~。いっそ今、救出記念にキスもその先も全部やってくれてもいいのよ?」

「そんな……」


 ありがたいお言葉であるにも関わらず、望はまるで抵抗を示すかのように、自分でも無意識のうちに、ふるふると小さく首を横に振っていた。


「ただ自信が無いだけ? 恥ずかしくて奥手なだけ?」


 まるで幼子のような望の挙動を見て、亜希子は意図的に優しい声音を出して尋ねる。


「子供の頃、友達を助けられなかったんだ」


 亜希子から目線を話したまま、望は自分がこうなってしまった原因を話しだす。


「犬に襲われた友達を助けてあげられなかった。怖くて叫んで助けを呼ぶことも、逃げることもできなかった。その子は病院送りになったけど……俺のことをチキン野郎と罵って、絶交されたよ」


 そこまで喋って、望は顔を上げて亜希子を見た。


「例えば亜希子が危険な目にあっても、またあの時みたいに腰をぬかして、ただ震えて何もできなくなるのかと、そんなことをイメージしてしまう」

「やっぱり……トラウマあったんだねえ。何かおかしいなと思ってた。ちょっと普通じゃない距離の置き方だったもんね」


 そう言って亜希子はソファーから立ち上がり、望のいるベッドに密着して座る。

 どぎまぎする望の手の上に、亜希子がそっと己の手を重ねると、同じく静かな動作で少しずつ体を傾け、己の体を望に預ける格好になった。


「改造されて、亜希子にどんな風に見られるか怖がっていた一方で、おかしな世界に足を踏み入れて、少しわくわくしていた気持ちもある。情けない自分……少し変えられるかなって」

「改造されて強くなったから気持ちも強くなるって、そんなのさ、本当に強くなったと言わないよ」

「うん、そうだね……。僕もそう思った」


 そう言って望は力なく笑い、再びうつむくも、亜希子が重ねた手を握る。

 望がほんの少しだけ自分から動いたのを見て、亜希子はそれだけで嬉しくなった。これが今の彼の精一杯なのだろう。しかしそれでも凄く嬉しい。


「望……」

「何……ッ!?」


 声をかけ、顔を上げさせたところを狙い、亜希子は望の唇を素早く奪う。

 本当は望の方からしてくれることを望んでいたが、今、亜希子はどうしてもそうしたかった。


 唇だけのソフトな接触に留めておく。それで今は十分だと。


「望が臆病でも私は構わないけどさ、それを気に病んで暴走するような真似だけはやめてよ?」


 顔を寄せたまま、神妙な面持ちで告げる亜希子。


「暴走って何のこと?」


 ファーストキスの余韻に酔いしれながら、亜希子の言葉が気になって尋ねる。


「力を手に入れたからって、いいとこ見せようとして背伸びして、それでヘタうつとかそういう展開。漫画とかでよくあるじゃなーい」

「どんな漫画……。そんなことしないよ。そんな度胸さえ無いしね」

「あはは、そんな度胸無くてよかったわ」


 亜希子が小さく笑い、望も微笑んだ。


「僕、いつも亜希子に叱られることが怖くて、否定されることが怖くて、それでビクビクしてた。今もだけどさ……」

「あははは、私は十八年もあの屋敷に閉じ込められていたのよ。そこから自分の世界を広げようとしている。望よりずっとハードよ。そんな私が望を非難とか、無理無理」


 亜希子がそんな子だからこそ、少し安心して付き合える――という本音は、胸の内にしまっておく望だった。

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