第二十九章 12

 尊幻市――それは安楽市の南西部にある、地図にも載っていない都市。

 外壁で隔離された完全無法地帯。都市そのものが監獄のようなものであり、享楽の場所でもあるという話。裏通りの住人が多数集う暗黒都市とは、また異なる。いや、全く別物の世界だ。


 裏通りの住人は、一応様々なルールに沿って生きている。混沌寄りの秩序の中で生きている。しかしそんな最低限のルールでさえ守れない者も、世の中にはいる。完全なるアウトロー。天性のアナーキスト。生粋のアウトサイダー。そうした者が行き着く所が、暗黒都市にすら指定されない、生産性がほとんど無く、金も命もただ食いつぶすだけの町――それがこの尊幻市だ。

 尊幻市には日本からだけではなく、世界中から無法を好む者が集る。入るのは自由。しかし出るには出入り許可持たぬ者は出られない。一応、管理は裏通り『中枢』が行っており、出入り許可は中枢に申し出て認可された者だけに限られる。

 公には存在を認められていない。しかし尊幻市の話は誰もが知っている。日本だけではなく、世界中から知られている。都市伝説と呼ぶにしてはメジャーだ。親が小さな子供を躾ける際に、「あまり悪い事ばかりすると、尊幻市に送るよ!」と叱るほどである。


 二つの研究所に探りを入れに行った翌日、亜希子は真と二人でこの尊幻市を訪れた。二人の遊びの舞台は、この無法都市に決まったという。

 そもそも都市と呼ぶにしては奇妙な場所である。周囲は木々が生い茂る山地だ。ここに来るまでの間も、本当にここが東京かと思えるくらいの、森林の中の道を通ってきた。

 ある種の隠れ里であるという話も頷ける。地図上では安楽市とされているが、かつては檜原村と呼ばれていた場所の西部にあり、山梨県との境に作られた。


 しかし辿りついた場所には、山中だと言うのに高い壁が立ち塞がり、道の先には巨大な門があった。あの壁の内側は少なくとも森林では無いとの話だ。

 都市へ入る門には、ペンキで落書きがしてあった。『hell is a true heaven』と。


 目論見通り、真が亜希子を助けてくれるという運びになった。そのため真は純子と別行動を取り、亜希子も経緯を百合達に話したうえで、あえて百合達と別行動を取ることにした。

 自分が百合と別行動をするのは構わないとして、真が純子と別行動はどうなのだろうと、亜希子は疑問に思う。正直、純子と一緒に行動して、情報をこちらに流してくれる方がありがたかったのだが。


「その格好だと、格好の的だな。この中には無差別に暴れるような奴等もいるし」

 亜希子を見やり、真が言った。


「別にエロい格好はしてないでしょ~?」

 不思議そうに亜希子。


「露出のエロはないが、扇情的ではある。この中には女も娼婦も多いが、そんなファッションは珍しいから、嫌でも目立つしな」

「よくわからないけど注意しとくよ」


 真は気遣ってくれたという事はわかるが、お気に入りのゴスロリ衣装にケチをつけられたような感覚で、亜希子は不機嫌になる。


 門の守衛に話しかけ、手続きを済ませる。出ることを前提として許可を取って入るには、手続きが必要とのことだ。

 手続きを済ませ、二人は巨大な門をくぐった。


「うわあ……」


 初めて尊幻市に入った亜希子は、思わず声をあげてしまった。事前にネット上で検索して、画像でも見たが、実際にこの目で見て、空気に触れてみると、印象はまた全然違う。

 見た目は乱雑なスラム街。落書きだらけの汚らしい壁の集合住宅や、ツタまみれの家、ゴミだか建物だかわからないような掘っ立て小屋などが、道路に沿って建ち並んでいる。

 道路は一応アスファルトで舗装されているが、最初に舗装した一回限りだろうと思われる。所々砕けていたりヒビが入っていたりしている。盛り上って植物が生えている箇所も、パッと見だけで多数だ。周囲が森林なので、種子が多く飛来し、建物が密集した街中にも緑が多くなってしまっている。


「門、開きっぱなしだけど、脱走とかされないの?」

「街そのものが監獄みたいな面もあるけど、望まずに入る者はほとんどいない。強制的にブチこまれる者もいない。ここに来る奴は、大抵が望んで入る。ここが合わないと思う者は、大抵が出ようとする前に命を落とすらしい」


 亜希子の問いに、真は知っている限りの説明をした。真は何度かここに訪れているが、街のことを全て知っているわけでもない。


「で、これからどうするの?」

 歩きながら尋ねる亜希子。


「情報収集できる場所を一つだけ知っている。そこに行こう。霧崎の行方くらいはわかるだろう。何せ目立つし」


 この都市にも何度も訪れているし、知り合いもいる真である。


「任せるわ~。頼りっきりになっちゃってるけど、いろいろとありがとね、真」

「気にするな。雪岡の邪魔してやるのが趣味の、僕の都合でもあるし」


 笑顔で霊を述べる亜希子に、いつも通りのポーカーフェイスで真は答えた。


***


 霧崎と半裸美少女軍団と望は、早朝すでに尊幻市へと入っていた。


 尊幻市の存在はもちろん望も知っている。眉唾な噂とはいえ、ネタとしてはよく聞く話であり、テレビでもネットでもかなり名を聞く。しかし実在を目の当たりにし、いざ足を踏み入れる事になるとは思わなかった。


 これが日本国内だとは信じられない光景だった。スラムのイメージがぴったりの場所。建物も道路も汚らしくて、道路幅もろくに統一してなくて、あちこちに汚水が溜まっていて、ゴミも散乱している。


 そんなスラムを背景に、全く似つかわしくない光景が重なっている。半裸の美少女複数名が馬となり、車のついた椅子を引きずり歩く姿。

 時折、通行人とすれ違う。皆眼光が鋭い。顔つきも一般人のそれではないのが、望の目にもわかる。だが彼等は半裸の美少女達と椅子にのる燕尾服姿の痩せ細った男を一瞥するだけで、絡んでくるようなことはない。


(そうか……ここの人達は皆、知ってるんだ。霧崎教授のこと)


 望はそう判断した。だから手を出さないのだろう、と。


「ヘイ! ナンノぱふぉーまんすダ!」


 望がそう思った矢先、身長190はあろうかという筋骨隆々のイカつい白人男性が、片言の日本語で絡んできた。

 他の通行人がそれを見て、哀れみを込めた嘲笑を浮かべたのを、望は見逃さなかった。


(つまり……この人は知らないんだ。霧崎教授のこと)


 望はそう判断した。だから絡んできたのだろう、と。


「一人クライ私ニクレヨ。イイダロ?」


 白人が近づいてきて、馬になっている半裸の美少女に手を出そうとする。


 直後、触れられようとした少女が、弾かれたように動いた。

 伸ばした手がへし折られる。白人は自分に何が起こったのか、わからなかった。


「ノオオオオォっ!?」


 少女の細い手で折られたという事実を受け入れられず、折れた手と少女を見比べながら、喚き声をあげる。


「警告するよ。次は足を潰す。そうすれば、ここでは生きていけないよ?」


 腕を折った少女がキツい眼差しと口調で告げたが、白人は怒り狂い、懐から銃を抜いた。

 少女の回し蹴りが白人の手を潰すと同時に、銃を蹴り上げていた。少女は身を落として、さらにもう一回転すると、水面蹴りで白人の両脚をへし折っていた。


「警告はしたよ」

 仰向けに倒された白人に冷たく告げる少女。


 片腕、手、両脚を破壊されるという悲惨な状態に陥ったことに、白人は青ざめた。この都市に来てから、腕に自信のある彼はそれなりに暴れていた。自分に恨みを持つ者も多い。

 遠巻きに伺っていた町の住人が何人か、倒れた白人の方へとやってくる。


「よう、ルーキー……こないだは世話になったな」


 片腕を三角巾で吊った、ターバンを巻いた褐色の肌の中年男が現れ、にやにやと笑いながら、懐からナイフをちらつかせる。それを見て、白人の顔がますます青ざめる。


「ノー! プリーズヘル……」


 白人が命乞いをしている最中に、ターバンの男がナイフを走らせた。


「いい光景だろう。人間が純粋な獣に戻った街の、日常風景だよ。法に縛られず、純粋なる弱肉強食。実に美しい」


 草食動物にたかる肉食動物の如く、住人に袋叩きかつ滅多刺しにされる様を見て、霧崎が楽しげに言う。


(どこがさ……。日本の中に、こんな漫画みたい場所が本当にあったなんて、信じられない。ていうか、何がよくて、こんな場所に住んでいるのさ)


 平穏を望み、争いを忌避する性格の望には、何から何まで理解できなかった。


***


 尊幻市大通りの真ん中に、異様なものが置かれていた。

 それは棺おけだった。いつから置かれたのか、誰が置いたのかも、見た者はいない。

 通行人は不審な目で棺おけを見ていたが、手を出そうとする者はいなかった。


 しかし好奇心旺盛な不運な男が現れ、棺おけへと近づき、蓋に手をかける。


 その瞬間棺おけの蓋が中から開かれ、一人の大男が飛び出し、好奇心旺盛な不運な男へと襲いかかった。

 異常なほどに全身の筋肉が膨れ上がったその全裸の男は、紙でも引き裂くようにして、好奇心旺盛な不運な男の前頭葉から顔、胸と腹をひっぺがした。頭蓋を綺麗に割られた頭からは脳がこぼれ、筋肉繊維がむき出しになった顔からは目玉が二つとも飛び散り、肋骨ごとはがされた胸や腹部からは、血と臓物が大量にあふれだした。


 筋肉ダルマの大男は憤怒の形相で、周囲を見渡す。通行人達も皆アウトローであり、それなりの猛者であるが、この謎の怪人の出現には心底驚き、慄いていた。


「がおおぉおおぉっ!」


 男が咆哮をあげると、肥大した筋肉の表面に、トカゲの鱗のようなものがびっしりと生えていく。その顔つきも、人のそれから変化していき、トカゲのそれとなり、体色もくすんだ藍色へと変わっていった。

 通行人達が一斉に逃げ出す。怪人トカゲ男は側のあばら家へと突進していき、破壊衝動の赴くまま、あばら家を壊し始めた。


***


 尊幻市に数ある酒場の一つ、『アジ・ダハーカ』。この店は昼も夜も開けてある。昼は店を開けていてもあまり客は来ないし、酒場というより飲食店として機能していた。


 店主であり住人である狭間凶次(はざまきょうじ)は、ホログラフィー・ディスプレイを開いて、ゲームにいそしんでいた。

 午前十時。広い店内に、客はほとんどいない。少ない客も、ただたむろしているだけで、コーヒー以外に何か注文するわけでもないので、楽でいい。コーヒーはセルフサービスで淹れさせている。


 狭間凶次はこの町の他の住民と同じく、この町での生活を大層気に入っていた。明日にも死ぬかもしれない危険な町であるが、だからこそいい。町の雰囲気、住民の気質、無法の気楽さ、何もかもが凶次の心を心地好くくすぐるものだ。

 面白い事件やイベントには事欠かない。それらを見物するもよし、関わるもよし。住民も愉快なアウトローばかりで、見ていても接していても飽きない。たまに殺しあうがそれもまたよし。


「おーい、東大通りでまた怪人が現れて暴れているらしいぜっ」

 店の扉を開け、客が大声で報告する。


「霧崎の遊びだろ。霧崎とエロい格好の娘っ子軍団を見たぜ」

 店内にいた客の一人が言った。


(ああ……またあいつらの遊びか)


 凶次は納得した。霧崎剣と雪岡純子の二人のマッドサイエンティストが、尊幻市を舞台にして、怪人とヒーローを戦わせる遊びをいつも行っているのは、住民のほとんどが知っている。

 その巻き添えで住民が殺されても、凶次に思う所は無い。無法地帯であるこの場所なら、住人を巻き添えにして殺して遊んでも構わないとして、遊び場に選んでいるのだ。別に腹が立つ事も無い。そんなくだらない理由で殺される奴が悪いと、皆割り切っている。ここでは全てが自己責任だ。


(あいつもここに来るかな)


 凶次が一人の少年を思い浮かべた正にその時、当人が扉をくぐって店内に入ってきた。


「今日は女連れかよ。純子とは別れたのか?」


 少年――相沢真の隣にいる、ゴスロリ風味の黒い服に身を包んだ少女を見て、凶次はからかった。

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