第二十九章 8

 亜希子は帰宅するなり、百合の前で霧崎の名を出した。


「あらあら、よりによって霧崎剣のマウスにされてしまうとは。救われたと思いましたら、亜希子の恋人もとんだ災難ですわね」


 百合が意地悪く笑うのを見て、亜希子の中の漠然たる不安が、その濃さを増した。


「ママは知ってるの?」

 亜希子の問いに、百合の顔から笑みが消える。


「忌々しい話ですが、純子は私のことを対等の敵とは見ていませんことよ。けれど……そんな純子も、ちゃんと敵と目している者は、何名かいます。その中で……私が知る限りの内の一人が、あのマッドサイエンティスト三狂の一人――霧崎剣ですわ」


 ようするに百合よりも格上ということになる。そして百合もそれを認めざるをえないと、正直に述べている。そこまでの存在だと知り、亜希子は望を救うことなどできないのではないかと、一瞬だが考えてしまった。


「ひょっとして、純子よりも強い? 凄い?」


 純子に助けを借りれば何とかできるかもしれないという、そんな希望を込めて尋ねてみる。


「強いかはさておき、技術者としては純子を上回っているかもしれませんことよ。何しろ下手なオーバーライフよりずっと強い、あの芦屋黒斗を造ったのも、霧崎ですからね。実績や名声においては、純子では全くかないませんわね。サイボーグ工学の世界的権威ですし、障害者の補助装置を次々と製造している男ですから」


 百合の話を聞き、ますます暗澹たる気分になる亜希子。


「そのマッドサイエンティストは、望を改造するために助けたの? 望にそんなことする価値があったの?」

「霧崎が亜希子の彼氏を改造したことには、ちゃんと目的があるはずでしてよ」

「目的って……」


 何故か根拠も無く嫌な予感を覚える亜希子。


「霧崎と純子は定期的に、造ったマウス同士を戦わせて遊んでいますの。マッドサイエンティスト同士の、発明品の競い合いというわけですわね。おそらくはその目的のためでしょう」

「そんなことのために……望は改造されて……玩具にされて……まるでやってることが、ママと一緒じゃないっ」


 怒りを露わにする亜希子に、百合は小さく微笑む。


「ここは怒るべきところですかしら? 正直、あの二人とは一緒にされたくありませんわ。あの二人の遊びは、芸術性の欠片も無い、極めて幼稚な代物ですし」


 百合が亜希子を睨んで主張するが、亜希子にはいまいち違いがわからなかった。


「どうすればいいんだろ……。このまま放っておいたら、望、きっとろくなことにならない……。でも改造された後、望を救うことってできるのかな……。どう扱われるのかもわからないし……」

「マウス同士で戦わされると言ったのを聞いていませんでしたの? もちろん命の危険もありましてよ」


 百合の言葉に、望が死ぬイメージを思い浮かべてしまい、亜希子は青くなる。


「何かいい手は無いの? 純子に話して頼んでも……」

「純子が改造したわけではありませんから、純子に頼んだところで、やめはしないでしょう。そもそも純子は自分の定めた勝手なルールに沿って動く子ですし、聞いてくれる可能性は低いでしょうね。それに、純子が戦うわけではなく、純子が作ったマウスが、貴女の恋人と戦いますのよ。加減しろと言うのも難しい話ではなくて? もちろん事情を話せば、純子なりに便宜を図ってくれるかもしれませんが、確実性には欠けるでしょう」


 百合の言葉はその全てが、亜希子を絶望へと追い詰める代物であった。亜希子はとうとう俯き、その場にへたりこんでしまう。

 それを見て、百合は小さく息を吐く。いつもの意地悪とは違う。ただ思ったことを口にしただけだ。事実を告げただけだ。それによって亜希子が追い込まれている。その様子を見て、百合もあまりいい気分はしない。自分が原因ではなく、純子や霧崎のせいで、亜希子が苦しんでいるというのが、何よりも気に食わない。


「亜希子……今ここで決めなさい。純子を信じるか、私を信じるか」


 百合に促され、亜希子は怪訝な顔で百合を見る。


「どういうこと?」

「私が力を貸してあげるという話ですわ。ちょっかいを出すことに決めました。このまま何もせずに、悪い方向に進んだら、亜希子に恨まれそうですしね」


 その時、亜希子の目には、百合が心なしかはにかんだ笑顔で話しているかのように映り、亜希子の頭に鮮烈に焼きついた。


「とっくの昔から恨んでるけど、ますます恨むよ、そりゃ……。でも何で急に力を貸してくれるなんて言い出したの?」


 嬉しさが胸の内からこみ上げてきて、声を震わせながら、亜希子は尋ねる。


「同じ家に住んでいて、日常生活でぎすぎすしあうほどに恨まれるのは、ごめんですわ。それに、純子の鼻を明かしてやるいい機会だと、計算しただけのことでしてよ」

「ありがたいけど……嬉しいけどさ、ちょっとわからない。純子を信じるか、ママを信じるかっていう選択させる意味は?」

「私を頼るのなら、純子に懇願するのはおよしなさい。それは許しません。そして純子に懇願するなら、私も力を貸す気にはなれませんわ。おわかりになりまして?」


 亜希子の疑問に、百合は真顔になって答える。


「じゃあ、ママを取るわ」


 百合の言葉の意味をようやく理解した所で、亜希子はきっぱりと即答した。


(私を選んだ理由……聞くのは流石に野暮ですわね)


 そう思い、思わず微笑みをこぼす百合。


「そういえば、私が彼氏作った時さ、ママはきっとそれを殺そうとして、私の神経逆撫でするんだろうなーとか思ってたけど、ママは……それをするつもり無いみたいね」


 互いに照れくさそうにしている空気に耐えられず、亜希子が話題を変える。


「亜希子が私の家族でいる限りは、そのつもりはありませんわ。けどね、私の元を去った場合は、その保障はできませんことよ? これは脅しではありませんわ。私の中のルールのようなものでしてよ」

「はいはい。私だってここを出たら行く所なんて無いし……」


 言いつつ、部屋の入り口を見た亜希子は、そこに睦月と白金太郎が顔だけ覗かせているのを見た。


「あはっ、立ち聞きしちゃったあ」

「話は聞かせてもらったぁっ」


 睦月と白金太郎が続け様に言い、部屋の中へ入ってくる。


「俺も付き合うよ。面白そうだしねえ。駒は多いほうがいいだろう?」

「ありがとう。睦月」


 笑顔で申し出る睦月に、亜希子もにっこりと笑う。


「百合様が行くなら当然俺も行きますよ」

 白金太郎が胸を張って申し出る。


「え~……白金太郎も~……?」

「ちょっ……そんな露骨にいやそうな顔しなくても……」

「冗談よ。ありがとう、白金太郎。これで葉山もいれば完璧かなあ」


 愕然とする白金太郎に微笑みかけ、亜希子は百合を見やる。


「葉山は武者修行の旅に出ると言い残して、それっきりですわ」

 肩をすくめて百合は言った。


***


 雪岡研究所にて、木島一族の四名――木島樹、芽室早苗、林沢森造、枝野幹太郎の改造は無事終了した。

 樹のみが、命にも関わりかねない危険な施術を施された。純子の正式な実験台となった形だ。しかしその分、強大な力を与えられている。他の三名は実験とは言えず、命の安全を保障された改造なので、純子からすると、ボランティア兼遊びのような代物だ。


「どうやら弊害も出ていないようだね」


 下着姿の樹の体のあちこちに、コードが伸びた電極を繫いで、機械で体の調子をあますことなく計測しながら、純子が言う。


「四人共手術したばかりだし、今日一日は安静にしておいてねー。結構派手に改造したから、体が馴染むのを待たないと」

「承知した。他の者にも伝えん」


 神妙に頷き、樹は体中に繫がれた電極を外して、服を着る。

 別の部屋へ行くと、すでに改造を終えて休んでいる森造、早苗、幹太郎と、真の計四名が雑談をかわしているところであった。


(幹太郎……友人ができて何より)


 真を一瞥してから幹太郎の方を向いて、小さく微笑む樹。


「で、改造内容は知っているだろうから、皆もわかっているだろうけど、これからこの四人は正義のヒーローとなって、悪の怪人軍団を打ち砕くため戦うんだよー」


 屈託のない笑顔で告げる純子に、森造の顔は曇り、幹太郎と樹の顔は綻ぶ。早苗は特にリアクションが無かった。


「喜ばしきことよ。この国に仇名す者達を討ち滅ぼし、功績をあげ、木島の力を示せるではないか」

(あ……そういう風に捉えちゃうんだ。これはちょっとヤバいかなあ……)


 素直に喜ぶ樹の台詞を聞いて、純子は内心焦る。


(弦螺君に話して、帳尻合わせてもらおう。それに加えて、霧崎教授にも頼んで、物凄い悪の軍団作ってもらって、悪いこといっぱいしてもらって、それをやっつけることで、ちゃんと樹ちゃん達の手柄になるようしてもらおう)


 嘘で嘘を塗り固める形になるが、いつものことだからと、自分に言い聞かせる純子であった。


「星炭流妖術がお家騒動に入って、霊的国防の任をこなせない今こそ、我等が力を示す好機也」

「そう言えば輝明、ややこしいことになってるらしいな」


 樹の台詞を聞いて、知り合いである星炭流妖術継承者の名を出す真。


「輝明君が国家専属を辞めるとか、流派のルール変えるとかで、内部から物凄く反発されているみたいだよー」

「国からの信頼も厚い御高名な妖術流派が、そんなグダグダした内情で、霊的国防の任務も放棄するとはな。これだから調子にのった大家は信用ならん」


 純子の言葉に反応し、森造が不機嫌そうに吐き捨てる。


「なあ、真はなんで改造してもらわないんだ? 改造すればもっと強くなるだろ?」

 幹太郎が尋ねる。


「こだわりとでも言うかな。とにかく嫌なんだ」


 理由は幾つもある。はっきりしている。しかしそれを人前ではあまり、口には出したくない真である。


「俺が改造したことも、気に入らないのか?」

「本音を言えば、快くは思っていないが、責めはしない」


 改造して安易に力を手に入れようという考えそのものも受け付けない真であったが、それを口にして、美香に怒られたことがある。そのため、他者が改造を望むことをなるべく批難はしまいと、心がけている。


「責められるいわれもねーだろ。力を望んで何が悪い。お上品ぶって手段なんて選んでたら、守りたいものも守れないだろ」

「うん。そうだな」


 幹太郎のその主張もわかるが、真には真で譲れない部分もあった。

 幹太郎が純子に呼ばれ、真から離れた所で、そのタイミングを見計らって樹が真の側に来て、声をかけた。


「あの未熟者の面倒をみてもらい、感謝の言葉も無い」


 純子によって診察を受けている幹太郎を見やりながら、樹は言う。幹太郎が真から離れた所で、そのタイミングを見計らったかのように、樹が真の側に来て声をかけた。


「あのように嬉しげで活き活きとしたるミキは初めて見る」

「そうなのか?」

「あれはきっと……自分と歳の近いお主と交流を持てたことで、嬉しいのだろう。今まで己に近しき歳の友人なぞいなかったが故に。一族の者しか接する相手はおらなんだ」

「あんたはどうなんだ?」

「私には一応友人はいた故」

「過去形か」


 それが何を意味するか、真にわからないはずもない。


「任務で命を落とした。私が当代になりし時は九人いた木島だが、三人は命を落とし、二人は去った」


 その後、早苗と樹と森造のたった三人で任務をこなし、木島を支えてきたが、国から声がかかることは次第に減っていった。


「木島は次第に力が衰えてゆく故、国に仕えし霊的国防の戦士達の間では、立場が悪しくなりてゆく。声も中々かからず、穀潰しとまで陰口を叩かれる始末。故に、与えてもらいし仕事が多少は理不尽なれど、木島の誇りと立場を守るため、遂行せねばならず」

「酷い話だな」


 ストレートに思ったことを口にだす真。


「だからこそ我等は……己の身を造り変えてでも、より強き力を求む。弱きは何ももたらさすず。生き延びるためにも、一族の再建のためにも、少しでも力が必要ぞ」


 樹が静かに言い放ったその言葉に、真は哀愁を感じた。

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