第二十九章 6
望が意識を取り戻したその翌日、望の命を救ってくれたという人物が現れた。
(本当にこの人が助けてくれたのか……)
燕尾服などを着て、半裸の美少女を馬代わりにした、安楽市名物の変人、霧崎剣を目の当たりにして、望は思う。
「佐野君、この方はサイボーグ工学の権威、霧崎剣さんだ。障害者の補助機能としてのサイボーグ化手術を施し、君の全身マヒも短期間で治してくれると仰っている」
霧崎と共に部屋に入ってきた担当医が口を開く。
「でもお高いんでしょう?」
「うむ。君の場合、全身サイボーグ化が必要だから、七億円はいるな」
霧崎の口から金額を聞いて、一生寝たきりを覚悟する望。
「しかしだ、私の言うことに従ってくれれば、タダでこの手術をしてやらんでもないっ」
望の落胆を見てニヤリと笑う霧崎。
あまりに気前がいいというか、都合のいい話を切り出され、望は胡散臭さを覚える。
「悪の怪人と戦う正義のヒーローになってくれ。それならタダでいい。タダだし、男の子としては燃えるシチュエーションだし、引き受けないはずがないなっ。よし、決まりっ」
(あ……想像以上にヤバい人だ……)
勝手に決めつけて話を進める霧崎に、呆然とする望。
「悪の怪人なんてどこにいるの……」
「いるのだよ。実在するのだよ。マッドサイエンティストか実在するのだから、悪の怪人と正義のヒーローがいてもおかしくはあるまい」
ぼそりと口走った望に、霧崎は力説する。
「今そういう冗談聞いてる気分じゃないです」
全身マヒで自分の人生終わった感でいっぱいな所で、こんな変人の相手をすることになるとは思ってもみなかったが、壮絶に煩わしい。
「佐野君、冗談ではないんですよ。霧崎教授は裏通りで、生ける伝説と呼ばれているマッドサイエンティストです。霧崎さんは本気ですし、本当にヒーローを何人も作っている。その筋では有名な話です。それだけではない。実質上の死である脳死から君を救ってくれたのも霧崎教授なんですよ」
担当医に解説され、やっと真実味が帯びてきた。
(私ではないが、まあそういうことにしておこう)
ミルクから自分の名を出すなと言われているので、霧崎は自分の手柄へと変えてしまった。しかしその一方で、ミルクから第二の脳の作り方も習っているので、今後も、霊魂さえ冥界へ旅立っていなければ、例え脳死だろうと霧崎には蘇生ができる。
「僕は人間ではなくなってしまうんですか?」
恐る恐る尋ねる望。
「人間はどんな姿になろうと人間だろう。それとも君は、心は人のままでも、体が人でなくなれば差別する手合いかね? 普通の人間ではなくなるが故に、普通信仰者や普通狂信者からすれば悲劇かもしれんがな。君がもし、普通でなくなるくらいなら寝たきりの方がいいという、狂った思想の持ち主であれば、無理強いはせんよ」
ただの変人かと思ったら、妙に重い台詞を口にしてきたので、望は霧崎への認識を改めた。
「他に方法は無いんですか?」
良い答えが返ってくるとは思えなかったが、それでも尋ねる望。
「私の出した条件は置いておくとしても、動けるようになるならサイボーグ化は避けられん。出来る限りは有機装置を使うようにするが、定期的にメンテナンスが必要となるという、不便な点はどうしても生じる」
「有機装置?」
「サイボーグ化といっても、金属製の人工物のみを体に組み込むのみではない。そういった無機物ではなく、有機物を用いた方が体に馴染むのだよ。有機物とは物質の区分けで、生物的なものを指すと考えればよろしい。無機物は非生物だな。もちろん人間の体も、有機物によって成る有機体だ。私の生み出した有機装置は、人の体内で人の細胞とも半ば同化するので、その部分はメンテナンスも不要となるのだよ」
移植手術のようなものかと、望は何となく納得した。
「わかりました……。正義のヒーローでも何でもいいので、どうか助けてください」
諦めたように懇願する望に、霧崎はちっちっちっと舌を鳴らし、顔の前で指を横に振ってみせる。
「自棄になってはいかんぞ。むしろ新しい世界が開けたと、ここは喜ぶべき所なのだ。人生常に前向きになるべし。君は常人が体験できぬゾーンへと羽ばたいていける、ラッキーな男なのだぞ」
明るい口調で励ます霧崎であったが、望の憂いが晴れることはなかった。
(亜希子が知ったらどう思うだろう……。亜希子のことだから、きっと受け入れてくれるとは思うけど……いや、思いたいけど……。いや、疑ったらダメだ……)
自分が人外的なものになることへの抵抗感もあったが、それ以上に亜希子の自分を見る目が気になる望であった。
***
貸切油田屋日本支部を取り仕切る幹部の一人であり、関東地域担当の工作員部隊の部隊長であるハヤ・ビトンは、霧崎剣にさらわれた工作員を救出するために、日本国内各地に潜伏する、貸切油田屋の構成員をかき集めていた。
そもそも貸切油田屋は裏通りの組織ではない。秘密結社的な一面もあるが、普通に表社会で認知されている、巨大金融機関である。実際には金融だけではなく、化学工業、食品生産、運輸、石油産業と、幅広く手を広げているが、それらは別名義の企業として取り扱い、表向きはコングロマリットを装っている。
貸切油田屋の実態は産業面から政治を操り、多くの国家や民族の支配することを目的として結成された、結社である。そこいらの小国すら上回る私設軍隊も持ち合わせ、世界各国に工作員を放っている。彼等によって紛争や戦争が発生させられる事もあれば、組織及びデーモン一族にとって都合の悪い者達を闇へ葬る事も、頻繁に行われていた。
イスラエルマフィアなどという物も、半ば架空の存在である。貸切油田屋の工作員が武力を行使した際などに、貸切油田屋が非難の的にならないように、罪を被せるためのダミーとして存在する。何か有ってもマフィアの仕業ということにして、自分達は被害者ぶることもできる。
「まだ駄目だ。二十人がかりで敗北したんだ。もっと必要だ」
集った兵士達のリストを見て、ビトンは渋面で告げる。
「これ以上の規模となると、一個中隊になってしまいますよ。いくら暗黒都市でも、街中でこの規模の争いを行うとなれば、警察はもちろんのこと、マスコミも、そして日本国政府も黙っていないでしょう。何より組織の者も……」
ビトンの隊の副隊長が告げる。
「お前はどっち側だ? デーモン一族の傀儡か?」
副隊長を睨みつけるビトン。自分でも苛々しているのはわかっているが、つい口に出てしまった。
「そういう幼稚なことを言わないでください。口止めされていましたが、そもそも兵がこれだけ集ったのは、ラファエル・デーモン氏の口添えがあったからですよ」
副隊長の言葉に、ビトンは驚いた。
「冷酷な鉄面皮かと思っていたがな……。意外だった」
「彼には彼の立場があって、いろいろと苦しいのですよ。皆ギリギリの所でやりくりしているんです」
「彼一人に良識があろうと、他の一族の者達の目があるというわけか……」
おそらくデーモン一族全体としては、人を駒のように使い捨て、利を貪るのが基本方針なのだろうと、ビトンは思う。その中に良識を持つ者がいても、一族の基本的なスタンスに合わせないと、様々な不都合が生じる故に、ラファエルは自分の前で、ああいう態度を見せざるをえなかったのだろう。
「しかしお前がそれを俺に教えてしまったら、ラファエルの苦労も台無しだな」
「私は偶然知ってしまっただけですし……」
苦笑しながら指摘するビトンに、副隊長は決まり悪そうに言った。
「それと……数を揃えればどうにかなるという次元の敵ですか?」
「数は力だ。片方が霧崎を誘導している間に、捕らわれた者達の解放という手もできる。他に有効な手も思いつかん」
組織の中には強力な個人も存在するが、ビトンはそうした者達に依存するやり方を好まない。際立った個の力を認めたくないという、頑固な想いが強くある。
***
望が意識を取り戻した翌日、亜希子は一人で見舞いに病院へ訪れた。
しかし病室に望の姿は無い。看護士に聞くと、喋ってもいいものかと逡巡している。
「私、望の恋人なのよっ。お願いだから教えてよっ」
「全身マヒの治療のために、霧崎教授の研究所へと運ばれました。全身サイボーグ化の手術を施すそうです」
担当医が現れて、言いにくそうに話した。
「つい先日に霧崎教授が実現したばかりの、完全型脊髄損傷による身体機能停止を完全に治療する方法ですよ。神経伝達機能が絶たれて体が動かせなくなっていても、全身に機械を埋め込んでサイボーグ化して、脳波だけで体を操る事が可能となるのです。ドリームバンドの応用ですね」
担当医はわかりやすく解説したつもりであったが、亜希子にはよくわからなかった。しかし望がサイボーグとなれば、動けるようになるという事だけは理解し、多少の安堵を覚える。
一方で不安もある。霧崎剣と言えば、いつも街中で沢山のエロい格好の美少女を馬代わりに
して歩いている変態だ。そんな人物に一任してしまって、果たして無事に済むのだろうかと。
(ママに相談してみるしかないかなあ。何か知ってるかもしれないし。それとも同じマッドサイエンティスト繋がりで、純子の方がいいかな?)
しばらく迷っていた亜希子だが、やがてどちらに相談するかを決めた。
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