第二十九章 5

 その日、木島樹、芽室早苗、林沢森造、枝野幹太郎の、木島一族の四人組が雪岡研究所を訪れた。

 研究室の一つに通された四名は、そこで純子と真の二人と対面する。


「ああ、こいつ知ってるぞ。裏通りのサイトの画像で顔見たし」


 幹太郎がへらへら笑いながら、真の方へと近づいていく。


「これが噂の殺人人形? チビじゃん、ガキじゃん」

 真に顔を近づけ、露骨に煽る幹太郎。


「お主も童(わっぱ)であろう。背も大して変わらぬ」


 樹が突っ込む。見た目の年齢的には同程度であるし、幹太郎の方が一回り背は高い程度だ。


「俺の方が年上だし、背も高いぜ。しかしまあ、できる感じではあるな。顔が駄目だけどな。こんな軟弱そうなツラじゃぶっ!」


 因縁をふっかけている途中の幹太郎に、真の拳が飛んだ。


「お前みたいな生意気な奴は嫌いじゃない」


 顔面にクリーンヒットして、足から崩れ落ちた幹太郎に、真が告げる。


「生意気な口に実力が伴わないのは、残念な所だな」

「わははははははっ、可愛い顔してやってくれるじゃんかっ……よっ!」


 鼻血を撒き散らしながら嬉しそうに高笑いをあげると、幹太郎は床を蹴り、真に猛然と飛びかかった。


(美少年顔なのはどっちも同じじゃない)

 と、純子は思う。


 真が右腕を下から振り上げる。幹太郎の顎にアッパーを食らわせてやろうとしたが、幹太郎は真の拳の軌道を今度はちゃんと見ていた。


 幹太郎がすんでの所で身をかがめて、真の拳をかわした直後、上体をかがめたまま懐に飛び込むと、思いっきり頭を上に突き出し、真の顔面に頭突きを食らわせた。

 真も喧嘩慣れしているし、同様の攻撃を繰り出したこともある。この攻撃の予想もしていたが、体が追いつかなくてかわわせぬほどに、幹太郎の動きは速かった。


 目で見ずとも、真がひるんだであろうと見なし、幹太郎は追撃せんと、真に向かって拳を繰り出す。


 しかしそこで幹太郎は見た。顔面にまともに頭頂部による頭突きを食らっておきながら、真はひるむことなく、幹太郎を見据えて次の攻撃に備えていた。


 幹太郎のジャブが真の右眼窩を軋ませたが、ほぼ同時に放っていた真のフックも幹太郎のテンプルに入り、幹太郎は横向きに崩れ落ちる。

 脳が激しく揺れながらも、幹太郎は意識を失ってはいなかった。すぐさま立つなり転がって逃げるなりして、この場を凌がねばと意識する。そこに真の容赦の無い蹴りが、サッカーボールを蹴り飛ばすかのように首を直撃し、幹太郎の揺れる脳をさらに大きく揺らした。


「やりすぎやりすぎ、ストップストップ」


 純子が制止し、真が攻撃の手を止めたその時、幹太郎が立ち上がり、真の腹に向かって蹴りを入れた。

 真が吹き飛んで倒れるが、幹太郎もそれが精一杯の反撃だったようで、再び倒れる。


「人の身で鬼と互角の格闘をしてのけるとは、恐ろしき童(わらべ)よ」

「私はあの幹太郎君が凄いと思ったよ。肉弾戦とはいえ、真君にひけを取らないんだから」


 樹が真を見て、純子が幹太郎を一瞥して、それぞれ感心する。


『互角ではない。幹太郎の方がダメージは上』

 早苗が紙に書いて主張する。


「思ったよりやるな」


 真がすぐに立ち上がり、血の混じった唾と折れた歯を吐き出し、まだうつ伏せに倒れたままでいる幹太郎を称賛した。

 幹久の耳にも真の称賛は届いていたが、床に突っ伏したまま不敵な笑みを浮かべただけで、声に出して返答はしない。


「痛っ……ヒビ入ったかな」


 右目を押さえる真。早くも腫れあがっている。


「超音波治療してあげるねー。でも幹太郎君の方を先に診ないと」


 純子が幹太郎の近くでしゃがみ、傷をチェックする。


 その後、二人は揃って治療を受けた。幹太郎ももう暴れようとはせず、因縁を吹っかけることもせず、大人しく治療を受けていた。


「提案だけど、今すぐ改造するんじゃなくて、幹太郎君はしばらくここで、真君が稽古つけてあげた方がいいかもねえ。幹太郎君はまだ技量面で荒削りだし、二人共出会ってすぐに打ち解けるくらい相性いいようだし」

「あれは相性がよいというのか?」


 純子の言葉に、森造が呆れて突っ込む。


「こいつが納得すれば、僕は構わないぞ」

 隣に座っている幹太郎を一瞥する真。


「納得はするさ。俺よりお前のが強いことはわかった。俺より弱い奴にものを学びたくなんかないけど、強い奴から学ぶのに不服は無いぜ。よろしく頼む」


 幹太郎が立ち上がり、真の前へと進み、深く頭を垂れる。


(生意気だが、根は素直な奴みたいだな)


 自分が微笑んでいる顔を思い浮かべる真。


「何だったら樹ちゃん達は、私が稽古つけてあげようかー?」

「強くなれるのであれば、是非願いたし」

『同じく』

「改造するという話であったのに、どうしてそうなるのか……私は勘弁してくれ。孫娘のような年頃の娘に稽古をつけてもらうなど、気色悪い」


 純子の申し出に、樹と早苗は笑顔で受け入れたが、森造は心底嫌そうな顔で拒絶した。


***


『貸切油田屋』の幹部ハヤ・ビトンは、工作員達の現場指揮官でもあった。


 今回の霧崎剣襲撃に関しては、ビトン自身は動かなかったが、信頼する精鋭を送ったつもりである。しかし結果は散々な代物だ。二十人のうちの十人が殺され、残り十人は霧崎にさらわれた。間違いなく、怪しげな人体実験の餌食とされるだろう。

 現在ビトンは、貸切油田屋日本支部において、直属の上役と言える人物ラファエル・デーモンに、捕らわれた兵士達の救出部隊の手配を申し出ていた。


「その要請には応えられん」


 執務室にて、スーツ姿のラファエルが、厳かな口調で言った。


「一度に動かせる兵の数は限られた。一族の決定でな。今はあまり派手に動きたくないとのことだ。然るべき時に備えている」


 ラファエルの通達に、ビトンは顔色を失う。


「しかし中途半端な戦力では返り討ちになるだけでは?」


 ビトンはラファエルに、兵の増援を頼んでいた。組織中枢を支配するデーモン一族に決められるくでもなく、現在動かせる兵士の数は知れている。その程度の数では、二十人の兵士を返り討ちにするような化け物相手では、歯がたたないであろうと踏まえたうえでの、増援要請であった。


「返り討ちでも構わんだろう?」

「は? どういう意味だ?」


 さらりと口にしたラファエルの一言に、ビトンは険悪な声を発する。


「増援を出すのは現場組をなだめるためだ。全く増援無しでは現場にも不満が出よう。組織内での体面にも響く。救出に失敗すれば、兵の増援を控えて見捨てる口実にもできる」


 このような発言を平然と出来る神経の持ち主であることは、ビトンも知っていたが、それでもなお怒りを覚えずにはいられない。


「今の言葉、そっくりと現場に伝えておく」

「まあ待て……それなら手出しそのものを控えておこう。今は慎重な時期だ」


 吐き捨てるビトンに、ラファエルは冷たい声で、ビトンの神経をさらに逆撫でする決定を下す。


「霧崎を襲撃した者達の半数以上は捕まっている。おそらく実験台にされるぞ。その救助も諦めろと?」


 ほのかに殺気すら漂わせてビトンが睨みつけてくるが、ラファエルは全く動揺せず、冷然とビトンを見ている。


「そうだ。死んだ者として諦めろ。相手の戦力を見極めるための、威力偵察だったと考えれば、彼等の損失も無駄では無かっただろう」

「ふざけるな!」


 デーモン一族が、人を駒としか見なしていないサイコパスの集団だとは、わかりきっていた事だが、それでもなおビトンは憤慨せずにはいられない。


「いちいち感情的になるな。君は現場組の指揮役であるが、幹部の一人でもある。選ばれた者だ。現場に赴いたとしても、一番後ろにいる君に、害が及ぶわけでもないだろう。危険になったらすぐ逃げればいいのだから、君は現場組であっても、命を消費することも役割の一つである兵士とは、根本的に異なるのだよ」


 しかしラファエルが次に口にしたこの発言には、怒りを通り越して戦慄してしまった。


(本当に……心底、人を人とも思わないのだな。人の命を何とも思っていない連中だ)


 戦争も商売と票集めのために行い、世界各地で争いの火種を撒いているような者達であることは、ビトンも知っている。それどころか、ビトンもそうした任務に何度も携わっている。しかし組織や一族のやり方を快く思っているわけではない。


「そんな言いつけなど誰が聞くものか。私は彼等を決して見捨てない。組織内で有志を募って救出する」


 仲間も平然と切り捨てるようなやり方には、ビトンも堪えられなかった。ラファエルを睨みつけ、覚悟を決めて宣言する。

 貸切油田屋の上層部の大半を占めるデーモン一族を、組織内部でも忌み嫌う者達は多い。真っ向から楯突いた者もいる。そして、楯突いた者たちが不審な死を遂げた事も、ビトンは知っている。知ったうえで、覚悟のうえで反発を露わにした。


「その救出のために、人命が失われるのは構わないのか?」


 部屋を出ようとするビトンの背に、ラファエルが何の感情も交えぬ声をかける。


「だからといって見捨ててもよいというのか?」


 冷たく問い返すと、ビトンは返事も待たず荒々しく扉を閉めた。


 ラファエルが大きく溜息をつき、電話をかける。


「ビトンの救援要請があっても、妨害するな。ちゃんと応じてやれ。いや、陰から支援しろ」


 部下に命じて電話を切り、さらに大きな溜息を一つつく。


「憎まれ役も辛いんだぞ」


 先程までここにいて、自分に噛み付いていたビトンのことを思い出しながら、ラファエルは忌々しげに呟いた。


***


 望が意識を取り戻したと聞いた翌日、亜希子は病院へと向かった。

 本当はその日のうちに訪れたかったが、武麗駆曰く面会はまだできないということなので、一夜明けてからとなった。


 武麗駆と共に病室を訪れると、確かに望は意識を取り戻していた。ベッドに寝たままの望は、亜希子の顔を見て、嬉しそうに微笑んでみせる。望のその顔を見て、亜希子の頬に涙が一筋つたう。


「何だ、亜希子も泣くんだな」

「あんただって泣いてるくせに何言ってんのよ」


 亜希子の言うとおり、茶化す武麗駆の顔も涙と鼻水で濡れまくっていた。


「脳死からの蘇生という有り得ない奇跡の生還だってさ」

 望が口を開く。


「でも全身マヒで、首から下は動かないって……」


 それでも生きていてくれただけいい――と言おうとした亜希子であるが、望の顔が沈んでいるので、口にはできなかった。亜希子達からすればよく生き返ってくれたという気持ちだが、望からすれば、目が覚めたら体が動かないという、絶望的状況だ。


「それも治せると思う」

 同じ病室にいた担当医が言った。


「佐野君を死の淵から生還させた人が、体も治して元の動ける状態にすると言っている」

「凄えな、そのスーパードクター」

「脳死から生還させたくらいだから、それくらい朝飯前ってわけね」


 担当医の話を聞いて、安堵する亜希子と武麗駆。望はというと、希望と不安が入り混じった状態だ。 


「医者ではないよ。いや、医療免許も持っていたが、専門はサイボーグ工学だ」

 担当医は言った。

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