第二十八章 エピローグ

 留置場の八丈勝美と狛江誠の黒目チェックと暴れる場面を撮影し、赤猫の検証が何度も行われた。

 赤猫のドリームバンドも解析されており、時間はかかりそうだが、本人の意思とは無関係の殺人衝動が与えられたとして、無罪放免に持ち込めそうだと、梅津は判断した。


 ペペと久留米は精神鑑定に回された。ペペは責任能力無し、久留米は有りという判断になる可能性が濃厚とのことである。


 その日、闇の安息所に集っていたのは、華子と真菜子の檜原姉妹と、美香と七号、優と岸夫、来夢と克彦、そして毅の、計九名であった。

 つい今しがたまで梅津が安息所を訪れて経過を報告し、帰ったばかりだ。


「勝美さんと誠君が助かったのはよかったと言えるけど、いろいろとすっきりとしない終わり方ですね」


 真菜子がアンニュイな面持ちで述べる。


「ペペさんは錯乱の極みにあって、仲間を傷つけた。ではその精神の錯乱は誰によってもたらされたのか――という話になるな。本人の責任か? しかし本人にもどうしょうもない心の病を、本人の責任にされてもいいものなのか……」


 難しい顔で、美香が腕組みして言った。


「世間では、精神障害者が殺人を犯して無罪になる決定に、不服の声が大きいけど、実際にその立場にならないから責められることだよ。赤猫と全く同じだ。赤猫に憑かれた者も、意思とは無関係に人を殺す。心の病に犯されて犯罪を働く者も、似たようなものだと僕は思う。でもきっと、これを言っても健常者達は納得しない。まず理解できないし、犯人に憎しみの矛先を向けてカタルシスに酔いたいし、罰を受ける者が――吊るし上げる者がいないままでは、釈然としないからね」


 そう語ったのは岸夫だった。岸夫がどんな気持ちで話しているのか、岸夫のこれまでの経緯を知る優だけには、ある程度理解できた。


「岸夫君の今の話を聞いて、赤猫の正体が何であるか、ちょっとわかった気がします」


 と、毅。自分にも思い当たる節はある。かつて怒りの制御が効かなかった自分にはわかってしまう。ペペの作った赤猫が、何を訴えるものなのか。何を考えてそのようなものを生み出したのか。


「私はたとえ心の病に犯されていようと、ある程度は罪と認められ、罰せられた方がいいと思いますよ」

 そう言ったのは真菜子だ。


「私は一時期、重度の精神病で、とても日常生活を送れず、人とのコミュニケーションも絶望的な、ひどい状態でした。その時、ここにいる華子を含め、周囲の人に迷惑かけまくったけど、それを精神病のせいと、そんな一言で片付けるつもりはありません。私が犯した罪ですよ。ちゃんと罰して欲しいという考えです。その罰があった方が、私も自分である程度納得できますし……」


 そこまで喋って、真菜子は華子を見る。


「罰が無い代わりの償いとして、華子が独り立ちできるまでは、ずっと面倒を見るつもりでいます。もし一生独り立ちできないなら、それこそ一生ね」

「お姉ちゃん……」

「華子に迷惑かけたの?」


 真菜子の宣言を聞いて感動して目を潤ませる華子であったが、無遠慮な来夢の問いにカチンとくる。


「迷惑なんてかけられた覚えないよっ。私がいつもお姉ちゃんに迷惑かけてるのっ」

「でも償いに面倒っていうからには、文脈としてそうならないとおかしい」

「余計なお世話っ。あんた子供だからって遠慮なさすぎなのよっ」


 華子が堂々と人前で文句を口にしたことに、真菜子は目を丸くした。


(この子、ちょっと変わった?)


 何がきっかけかわからないが、ふとそんなことを思う真菜子。


「全くだ! 子供の特権とはいえ、少しは言葉を選べ! 頭に思ったことを何でもかんでも口にするな!」

「ごめん、今度から気をつける。美香にそれを言われたら流石におしまいだから、改める」

「私を引き合いにして皮肉るな! あてつけるな! もっとまともに謝れ!」


 真顔で余計なことを沿えて謝る来夢に、美香が続けて注意する。


「ペペさんはあの様子だと、結構罪悪感覚えて苦しんでいるような気がするんですよねえ」

 湯のみを手にした優が口を開く。


「ペペさんは人を許すのが大事と言って、自分が管理する場所に少しでも不和が見受けられたら、例えそれが表面に出てなくても許せなかった人ですけど、だからこそ許す心が大事と言っていたのではないでしょうかぁ」

「赤猫にしても、普段の台詞にしても、全てペペさんのもう一つの気持ちや性質が裏返しに出ていたのかな……」


 優の考えを聞いて、毅が神妙な面持ちで言った。


「心を開かなかったのが悪いとも言えるけど、そう簡単に人は心を開けないものですよ。私だってずっと隠し事をしていた。でもペペさんの場合、無様でも不和の元でも何でもいいから、素の心を見せた方が救われていたかもしれませんね。それも難しい話だけど」

 と、真菜子。


(ペペさんは自分のしたことに罪悪感があるようですが、私はペペさんより、もっとおぞましくて恐ろしくて邪悪なことしましたけどねえ。それに対して罪悪感が無いことを、安息所の人達が知ったらどう思うでしょうねえ。この心も、とても人には見せられないものですし)


 真菜子の口にしたことをもっともだと頷く一方で、優はそんなことを考えていた。


***


 ユマはペペの後任となるために、ちゃんとカウンセラーの資格を取るための勉強を始めていた。二十一世紀初頭まで、カウンセラーは民間資格だったが、二十一世紀後半の現代においては国家資格が必要となっている。

 そして勉強と同時進行で、闇の安息所の管理も務めている。そんなユマを、現在通っているメンバー達は、支えてやろうとしていた。


 その日のユマは裏通りの方の仕事が入っていたので、安息所へ赴くことは無かった。そして仕事を終わらせて帰る途中、ある光景を目にした。

 褥通りの入り口の通りで、気弱そうな男子高校生一人に、何人もの高校生が男女混じって殴る蹴るなどの暴行を加え、さらにはゴミをかぶせている。


(裏通りの住人が出入りする場所であんなことして……)


 安楽市に住む者なら大抵が危険な場所だとわかっていると思っていたが、そうでもなかったようだと、ユマは嘆息する。


『助けるつもりなの? 馬鹿じゃないの? どんな面して、どうやって助けるつもりよ』


 イジメが行われている場所に歩いていくユマの頭の中で、ねちっこい声が響く。しかしユマは無視して、そのまま歩く。


「弱いものいじめ、楽しい?」


 褥通りの奥からやってきたユマに声をかけられ、高校生の男女はぎょっとした。彼等も褥通りのことは一応知っていたし、それ故に人目のつかないこの場につれこんで、イジメを楽しんでいた。そしてこの通りの中から来たということは、相手は裏通りの住人ではないかと思ったのだ。


「てめえには関係ないだろっ」


 恐怖はあったが、相手が自分達とそう年齢の変わらない少女一人だと見なして、一人が精一杯粋がって凄む。


 そして彼は粋がったことをすぐに後悔する事になった。ユマが無言で銃を抜き、撃ったのだ。

 撃たれた少年がうずくまり、他の高校生達は無言で硬直していた。少女達は悲鳴の代わりに震えながら粗相をしていた。


「警察に電話してもいいのよ? 無駄だけど」


 ユマが冷たい声で告げ、顎をしゃくって失せろと促すと、少年少女達は助かったとばかりに逃げ出した。撃たれた少年はそのまま動かない。

 この場所でイジメなどしていたのが運のつきだ。死体は明日には業者に片付けられる。褥通りには毎晩、死体処理の業者が巡回している。仮にユマの所に警察が来ても、イジメを行っていた人の形をしたゴミを一つ処理したと、素直に事情を話せば無罪放免だろう。安楽市の裏通り課の警察官達は、話のわかる人間ばかりだ。


 いじめられていた少年も、突然の殺人を目の当たりにして、震えていた。ユマより一つか二つ年下程度の、痩せて小柄で、いじめられっ子として納得できる風貌の少年だった。


「次も都合よく誰かが助けてくれるなんてことはないのよ? 自分の力で自分を助けないとね。いつまでもやられっぱなし、逃げっぱなしでいる方が、ずっと苦しいと思うよ?」


 静かなトーンで告げると、ユマは死体の脇をすり抜け、褥通りを出る。


『自己満足偽善野郎め』

「あなたは口だけ野郎だけどね。いや、口すらない。あなたの声なんて、私にしか聞こえないし、聞こえた所で、もう私は何ともない」


 自分の中のもう一人の自分に向かって、ユマは言ってのけた。声の気配はすぐに消え、ユマは満足げに笑った。


(美香だって最初はマイナスからのスタートで、あそこまで大きくなった。そして今は自分のためだけではなく、誰かにとってプラスになるために頑張っている。私もそうなるつもりで頑張る)


 未来への希望と決意を胸に、ユマは爽やかな表情で帰路に着いた。


***


 久留米狂悪は精神鑑定の結果、責任能力有りとされたので、実刑を覚悟していたが、突然釈放された。

 裏通りに関わった人間が逮捕された場合、突然無罪放免で釈放されるという話は、裏通りに片足突っ込んだ程度の久留米も聞いたことがある。その場合、大抵裏が有るという事も。


「超法規的措置だよー」


 警察署の前に、白衣姿の赤い瞳の少女が久留米を待ち構え、屈託のない笑みをひろげる。


「雪岡純子……貴女が出してくれたのか」


 嬉しくて久留米の顔も綻ぶ。ただ解放されただけではなく、それを行ったのが憧れのマッドサイエンティストだったことがなお嬉しい。


「検察が顔真っ赤でこっちに文句言ってきたとか、梅津さんが笑ってたけどね。で、解放の代償として、うちの研究所専属の研究員になってもらうけど、それでもいいかなー? 体は無くなって、不老不死で脳みそだけになるけど、多分久留米さんならその状態にも耐えられると思うし」

「一向に構わんっ。是非やってくれ! 体なんて飾りですっ! 貴女の元で永久に開発研究に没頭できるなど、最高だ!」

「そ、そう? それは好都合だねえ」


 全力で喜びを表す久留米、若干引き気味になる純子であった。


***


 ペペは未だに安楽警察署の留置所にいた。

 精神鑑定で異常と判断されたら、起訴されることはほぼ有り得ない。そのまま入院する流れだ。

 精神鑑定では異常と判断される気配が濃厚なペペである。通常は真っ先に鑑定を行われるが、裏通りの住人であるうえに、赤猫というややこしい問題まであるため、赤猫の実証が確定されるまでの間、鑑定は後回しにされ、しばらくはここにいる事となった。


 聞いた所によると、久留米は純子が権力の手を回して釈放したらしい。そんなことができるなら、誠と勝美もとっとと釈放すればよかったではないかと思ってしまうペペであるが、一方で、はっきりと無実の証明をして、二人の心を軽くしようという配慮だったのかもしれないとも考える。


 ペペはずっと一人で会話を交わしている。もう一人の自分と会話をしている。

 ユマのそれとは違い、ペペは自分で自分を罵るようなことはしない。だがペペの中にある二つの心は、ユマ以上に相容れぬ者同士だ。

 それは区分するなら、理性と狂気に分けられる。どちらもペペの中の善意と嘆きで溢れている。


『赤猫はまだここにいる。いつかまた赤猫が這いずり出てくる』


 狂気の自分が――赤猫が告げる。いつしかペペは狂気の自分を赤猫のヴィジョンで、頭の中に思い描いていた。


 ペペは望んでいる。自分の心の制御ができない苦しみを、他の人間にも味わってもらいたいと。その願望があったが故に、久留米に赤猫を作らせた。久留米とペペの望みは一致していた。


『精神障害者のくせに!』


 大好きだった幼馴染の言葉が、心に突き刺さっている。心の病を持たぬ者には、この苦しみがわからない。それならば無理矢理でも味合わせてやりたい。それが赤猫。

 飼い猫を真っ赤に染めたペペ。罵られ傷つけられたペペ。平和を望むペペ。不和を憎むペペ。安息所に通う者達を愛するペペ。安息所に通う者達の、表には出さぬ醜い一面が許せないペペ。


 いろんなペペがいる。いろんなペペが悩み、迷い、苦しみ、求めた先にいたのが赤猫だった。


「貴女は間違っている」

 赤猫に向かってペペは告げる。


「いいや……私が、貴女の使い方を間違えた。抑える事ができなかった。だから今私はこんな所にいるし、誠君や勝美を哀しませ、啓次郎さんや誠君のお母さんを死なせてしまった」


 己のしでかした事への後悔と罪悪感が一気に沸き起こり、ペペの手が震えだす。


「私の勝手な都合で、私の勝手な問いかけで、彼等に害をもたらすことなんてなかった。そんな必要無かった。なのに私は何をトチ狂ったのか、憎悪の矛先を身近にいる大事な人達ばかりに向けてしまった……」


 理性を司るペペは、全てわかっていた。わかっていながら、制御ができなかった。自分の中の赤猫という名の、人の心の制御を狂わす存在を。それはきっと、自分一人の力では絶対にどうにもできない存在なのだ。


「この世には、もっとろくでもない奴がいるのに……。自分本位で、他人に害をなしても平気な、殺すべき人間がいっぱいいるのに。そうした奴に向けて、貴女を……赤猫を這わせるべきだったのに、私は……間違っていた」


 理性を司るペペが出した結論がそれ。


「次は絶対失敗しない。見ていて……。ここを出ることが出来たら、世の中をもっと綺麗にするために……私は貴女を正しく扱ってみせる」


 ペペが最終的に辿りついた結論はそれ。


 今のペペは狂気という刃を有効に使う術を、理性が見出したと言えるのか。それとも最早ペペは二つではなく、理性と狂気の境目を失い、理性も狂気に侵蝕されているのか。

 それは誰にもわからない。他ならぬペペにも理解できないのだから、誰も知る事は無い。人の精神は基本的に孤独であり、完全なる相互理解など不可能に等しいのだから。


***


 雪岡研究所のリビングルームには、安息所に行かなかった純子とみどりと累、それにようやく帰宅した真の四名がいた。


「結局赤猫って一体何だったんでしょうね。猫に思い入れがあるとかはわかりますが、真っ赤な猫とかすごく不吉な印象ですし」

 累が疑問を口にする。


「子供の頃に飼い猫が死んで血で真っ赤だったとか、そういう系かねえ~。ペペさんにトラウマ作っちゃって、そのトラウマの共有でもしたかったとかじゃね?」


 みどりの推測は外れていたが、かなり近い所に迫っていた。


「ああ、そうだ。雪岡に言いたいことがあったんだ」


 二人の会話の内容を聞き流し、真が純子に声をかける。


「んー、何かなー?」

 珍しく編み物などしていた純子が顔を上げる。


「そろそろプロレスごっこ禁止令、解除してくれてもいいんじゃないか?」

「イェア。真兄の言うとおりっ。もう今度は気をつけるからさァ」


 真の申し出に、みどりも笑顔で乗っかる。


「すまんこ。私はこの研究所を、争いのない平和な空間にして、皆で楽しく仲良く笑いあって過ごしたいんだー」


 屈託の無い笑みを広げ、純子は真とみどりの要望をはねのけた。


第二十八章 精神障害と遊ぼう 終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る