第二十八章 36
ペペが久留米と出会ったのは、精神病院に入院中の頃だ。
ペペは久留米の持つドリームバンドを被った事により、久留米が人の脳を狂わせるドリームバンドを作っていることを、知ってしまったのである。
久留米からすれば大失態であり、ぺぺを消さねばならぬと思い、殺害を試みたが、元殺し屋のペペにかなうわけもなく、あっさりと返り討ちにされた。
久留米は完全に頭のイカれたマッドサイエンティストだったし、ペペが大嫌いなタイプの悪人であったが、利用できると判断し、久留米に取引を持ちかけた。
殺意で心が塗りつぶされる前に、赤猫のヴィジョンが脳裏に浮かぶというペペのアイディアを久留米は気に入り、それも取り入れた。
***
赤猫の製作者なら、赤猫の発現条件を全て把握している。把握しているのなら、それを意図的に起こす事もできる。
純子は亜空間ポケットから、小型のトランペットスピーカーを取り出す。スピーカーの下には、小さな黒い箱のようなものがある。
純子が箱についている小さなつまみを回すと、スピーカーから断続的な低い音が発せられる。音自体はかなり大きい。
全員の黒く染まった目が、同時に正常に戻る。皆きょとんとした表情で、顔を見合わせる。
「ま、こっちもドリームバンドに仕込まれた赤猫を解析して、発現条件の複数のパターンも、断片化された赤猫のデータも、ある程度は把握したし、発動しても解除するための装置も作ってきたけどね。そうでなければ製作者がいる場所に、皆と一緒に来たりしないよ。今日のお出かけイベントが決戦の日だと予想していたんだ。で、何とか今日に間に合わすことができたよ」
ペペと、どこかに隠れているであろう久留米を意識して、純子が喋る。
「克彦君、ペペさんを捕まえて」
「え? あ、あいよ……」
純子の指示を受け、克彦は亜空間の扉を開き、黒手を展開してペペに巻きつき、束縛する。黒手単体はせいぜい人間一人を持ち運ぶ程度のパワーだが、複数で巻きつくことで、違法ドリームバンドの作用で筋力が強化されたペペを束縛することも可能であった。
「なるほど。相手が悪かったわね。流石は生ける伝説のマッドサイエンティスト……」
最早抵抗する気も失い、ペペは小さく微笑む。純子達に効かなかった事を見ると、彼女等の脳の赤猫は消滅済みなのだろうと察した。
実際には除去したわけではない。純子達は抵抗できるだけの話だ。岸夫には元々効かない。精神はあっても、肉体はロボットなので、外部の刺激による赤猫が発現しない。
純子は今日という日までに、発現した赤猫を解除できるようにしたに過ぎず、赤猫そのものを頭の中から完全に除去するまでには、未だ至っていない。それには久留米狂悪を捕まえて、協力させるのがてっとり早いと見ている。
「後で赤猫を除去するためのドリームバンドを作って、皆の頭の中から赤猫の暗示の断片情報も消しておくね」
純子が言い、みどりの方を見る。
「みどりちゃん、見つかったー?」
「あばばば、純姉ってば、丁度見つけた時に声かけてきやがって」
歯を見せて笑い、みどりが一本の太い木を指す。精神分裂体を幾つも飛ばし、周囲を探っていた。
「そこ」
「おっけー」
みどりの指した方向に、克彦が黒手を飛ばす。
「うおおおおっ!?」
茂みの陰から、黒手を巻きつけられた久留米が、一同の前へと引っ張り出される。
「おおおお、お前らっ、私をどうする気だ! 私はただの通りがかりの一般ピープルだぞ! 何かの勘違いだぞ!」
「いくらなんでも取り乱しすぎでしょ」
狼狽しまくる久留米に、毅が笑う。
「頼むっ! 見逃してくれ! 私は自分の造った殺人衝動プログラムが、ちゃんと機能しているか試したかっただけなんだ! 他は全部その女のせいなんだ! だから許してくれ! ついでに雪岡純子は私にサインをくれ!」
両手を合わせて懇願する久留米。
「いつぞやの刹那生物研究所でもそうでしたが、純子はどうしてマッドサイエンティスト達からこんなに人気なんでしょうね……」
「狂人達にも女神やアイドルは必要。ただし自分達とチャンネルが通じている者に限る。それは貴重」
累が疑問を口にし、来夢が私見を述べる。
「来夢君は本当に鋭いですねえ。表現も愉快でわかりやすいですし」
「わかりやすい……かな?」
優が来夢に感心する一方、ユマは少し疑問を感じていた。
「どうせ私にはもう、直接人を殺すことはできないと思うけど……それでも試してみようとしたけど、それも封じられちゃった」
自嘲を込めてペペが言った。
「で、この二人をどうするの?」
真菜子が純子を見て尋ねる。
「皆、私のこと軽蔑した目で見てるのかな……」
「そんな気にはなれません。私はペペさんのことが許せないけど、軽蔑はしない」
視線を地面に落として呟いたペペに、真菜子が反応する。
「私も実は、今でも心が病んでいるまま。それを隠していた。ペペさんと同じなんですよ」
「うん。知ってた」
真菜子の言葉に、ペペは顔を上げ小さく微笑んでみせる。
「ねえ……私だけどうしてこんな風に狂っちゃったのかな?」
微笑をたたえたまま、ペペは話しだす。
「私はあの時ブレーキを踏めなかった。アクセルを思いっきり踏んで、一番大事なものを自分の手で壊してしまった……。抑えられなかった……。あの時ほんの少しでもいいから我慢ができたら、こんなことにならなかったのに……。ふふふ……うふふふ……。いつもいつも……誰よりも平穏な時間を……ただ人と仲良くすることを望んでいた私が、こんなことするなんて……こんなことになるなんて……何で運命ってこんなに底意地が悪いの?」
己の運命を嘆き、自己憐憫にひたるペペであったが、誰も責めもせず、蔑もうともしない。
悲惨な運命など知り尽くしている面々だ。容易く同情することもしないが、最後に皆の前で堂々と恥を晒し、自分の気持ちをぶちまけているペペを、生温かく見守る程度の優しさはある。
「皆ならわかるでしょ? どうして自分はこんな風なのかって嘆いたことあるでしょ? 自分ではどうにもできない、制御しきれない心の病に犯されて、しかもそれを理解してももらえない。世間では狂人扱いされて終わり。私はそれに少しでも抗いたくて、どうにかしたくて、闇の安息所を作った。なのに……もう一人の私が、自分で作ったものを壊そうとした。もう一人の私は、私が運命に抗おうとすることを許せなかった。仲良くする場所にしたのに、仲良くしきれてない人達も許せなかった。私は問いかけた。赤猫に。白く可愛い猫を真っ赤にするものの正体は、何なのか? それを抑える事はできないのか。問いかけたの。赤猫はその化身。貴方達は……その問いかけに答えてくれた。私は信じないわ。人は性悪ではない……。私の答えは出たわ」
「だからさ……ペペさん、その仲良くしてない云々が、ペペさんの勝手な思い込みなのよ」
ペペの長広舌が終わるタイミングを見計らって、ユマが呆れ気味に突っ込む。
「そんなんで暴走して、こんな騒ぎ起こして、八丈さん夫婦や誠君をあんな風にしたの? 不満があったら吐き出せばよかったのに、それもせず一人よがりに突っ走って……」
ユマの言葉を聞き、ペペは辛そうな顔でうなだれる。
「迷惑なタイプだ!」
美香が一言で切り捨てた。
「美香が言う?」
「うるさいだまれ!」
ぼそっと呟く来夢に、美香が叫ぶ。
「ペペさんが二重人格で、善い方のペペさんもいるっていうんなら、何をすれば一番いいかもわかってますよね?」
真菜子が冷めた声で問う。たとえ二重人格で悪い方の人格の所業と言われても、真菜子は感情的に、ペペを許す気にはなれない。しかしその気持ちを押し殺して、確認する。
「ええ。誠君と勝美さんの無実を証明するためにも、警察に出頭するわ」
憑き物が落ちたような顔でペペは告げた。
「この久留米さんもセットで警察に引き渡せばいいねー。もちろん私の解析結果も添えて」
正直、久留米を警察に引き渡すのは勿体無いと思っている純子であるが、誠と勝美の無実の証明するためには、そうするしかない。
そして久留米には、完全な赤猫除去のために協力させるつもりでいる。久留米の協力が無くても、時間さえかければ純子はいずれ解析できるであろうが、製作者である久留米の協力があった方が早いのはわかりきっている。あるいはその方法を久留米は知っているかもしれない。
「そんな……同じマッドサイエンティストのよしみで見逃してくれっ」
「マッドサイエンティストって、そういう繋がりがあるものなんですかあ? そんなマッドサイエンティストの渡世の義理で、曖昧にしてはいけませんよう?」
「いや、そんなの無いから」
懇願する久留米に、優が疑問を投げかけたが、純子が即座に否定する。久留米は頭を抱えてうずくまる。
「都合の合わなかった人……ごめん」
「え? 何のこと?」
ペペがぽつりと呟いた台詞に、華子が尋ねる。
「お出かけイベント……。都合の合わなかった人も、また何度もお出かけするし、そのうち都合が合うとか……言ってたのに……次が無くなっちゃった……」
「いや、全員来てるけど……」
一応安息所のこともちゃんと考えてくれているのかと思いつつも、ユマは否定した。
「あれ? そうだっけ……勘違いしてたみたい……。私、本当に馬鹿ね……」
ユマに言われ、植物公園に来る前から自分が混乱の極みにあったと、ペペは自認した。
「安息所はどうなるの?」
華子が誰とはなしに問いかける。
「私が……ペペさんの後を引き継いでいい?」
ユマが申し出て、皆の視線がユマに注がれる。
「正直、ユマちゃんじゃちょっと不安な部分もあるけど、何事も挑戦よ」
ペペはいつもと変わらぬ穏やかで優しい笑みを浮かべ、ユマを力づけた。そんなペペが、ユマの目には痛々しく映る。
「リーダー属性的に適しているのは純子か美香だろうけど、二人共別の仕事が大変だし、美香の弟子であるユマは、わりと適している気がする。美香を見習って頑張ればいい」
「弟子じゃない弟子じゃない」
「弟子にした覚えはない!」
来夢が変なフォローをして、ユマは思わず微笑み、美香も笑いながら叫ぶ。
「あっけないけど、これで一件落着ですかね?」
「んー、そうなるかなあ」
累が純子の方を見て確認し、純子は頬をかきながらそう言った。あっけないといわれてしまえばそれまでだが、なるべく安全かつ理想的な形で終わらせるよう取り計らった結果だ。
「純子さんがきっちりと前もって対策してきたから、あっけなく終わることができたんですよう。純子さんが何もしなければ、もっとスリリングな展開になったかもしれませんよう?」
ちゃんとそれを見抜いていた優がフォローしてくれたので、純子は微笑をこぼす。
「つまり純子が悪い?」
「悪くはないだろう! どうしてそうなる! そこは褒めるべきだ!」
意味不明なことを言う来夢に、美香が突っ込んだ。
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