第二十九章 マッドサイエンティスト達と遊ぼう

第二十九章 二つのプロローグ

 安楽警察署に赴任したばかりの新米警察官である彼は、その光景を見て仰天した。


(何だよ、あれは……)


 真っ昼間から天下の往来で、恥部をギリギリの際どい線で隠した――見る人によっては裸より扇情的と思える淫靡な格好の美少女六人が、横二列縦三列になって、犬のように四つん這いになって歩いている。少女達の首には首輪がつけられ、首輪から伸びた縄は、後ろにいる者の手に握られていた。

 少女達が馬よろしく引きずって歩いているのは、車輪のついた巨大な椅子であった。その椅子には燕尾服姿の男が、両脇に一名ずつ美少女をはべらしている。彼女らも椅子を引いている少女達と同様に、半裸の際どい格好だ。いや、よく見ると男の背中側にも少女がいて、椅子に腰かけた少女を椅子代わりにして寄りかかっているという有様だ。


 男はおそらく中年と思われるが、いまいち年齢がわかりにくい。ひどく童顔のまま、肌の張りを無くして皺やクマを作って、歳をとったような顔をしている。顔色は病気にでも侵されているかのように、すこぶる悪く、白と灰色の中間のようなひどい肌だ。頬はこけ、服の上からでもはっきりと痩せているのがわかる。手足も胴も細く、『針金のような』という痩身を現す表現がここまでハマった男を、新米警察官は初めて見た。


 異様な光景に圧倒されて、呆然としていた新米警察官であるが、理性を取り戻し、己の職務を思い出す。


(流石に……声かけていいんだよな。どう考えても公然わいせつ罪……。いや、性器や乳首は出してないけど、それに近い格好だし。注意していいよな……。ここで注意しない方が怒られるよな? 正直声かけたくもないけど……)


 警邏中にこのようなものに出くわした運命を嘆きつつも、新米警官は思いきって声をかけた。


「えーっと……すみません……」


 思わずへりくだった声のかけ方をしてしまう。

 警官に声をかけられ、四つん這いの半裸の美少女達の動きが止まる。


「その……えっと……」


 それ以上何と声をかけたらいいかわからず、口ごもる。


「何かね?」


 半裸の美少女を馬代わりにしている男が、新米警官をぎろりと睨みつける。どう見ても只者ではないその鋭い眼光に、新米警官はあっさりと萎縮してしまう。軽く握っただけで折れてしまいそうな細い手足と、ちゃんと内臓がつまっているのかも疑わしいほどの細い腰のこの男から、凄まじい圧力を感じた。


「その……何かのイベントですか?」


 趣旨とズレたとんちんかんなことを質問してしまう新米警官に、燕尾服の男は溜息をついた。


「君はあれか? 私のことを知らんのか。仮にも市民を守る公僕であれば、世俗のことをもう少し学びたまえ。しかも注意しにきておきながら、へりくだった態度で確認するとは、実になっとらん」


 甲高い声で上から目線で偉そうに説教を始める男に、新米警官はちょっとムッとなる。


「自覚あるんじゃないですか。何様かは知らないですけど、街中で何やってるんですか」

「君はここに赴任して間も無いようだね。私はいつも、外出時はこうだ。私は地面に足をつかん男だ。それが私の信念。常に女の上にいなければ気がすまない性分なのだ。たとえ部屋の中を1メートル移動するだけでも、決して床に足を下ろしたりはしない。女の上を踏んでいく男。それは安楽市絶好町の住人であれば、多くが知っていることである。もちろん警察もな」


 燕尾服の男に尊大な口調で主張され、新米警官は一応確認のために、無線で先輩警官へと連絡し、事の経緯を話す。


『ああ、霧崎教授と出会ったのか。放っておいていい。この街の名物――いや、風景の一つと考えればいい』


 先輩警官の苦笑気味な投げやりな言葉に、しかし新米警官は釈然としない。


「どうして放っといていいんですか。どう見ても公序良俗違反、公然わいせつでしょ」

『霧崎剣教授はサイボーグ力学の権威であり、障害者へのサイボーグ技術による補助で世界的に有名な人物だぞ。その一方で、裏通りでは生ける伝説扱いのマッドサイエンティストとして、名が知られている存在だ。この国では『三狂』と呼ばれる、三人のトップ・マッドサイエンティストの一人だ。そんな大物に、ほいほいと手を出せるものではない。放っておけ。女の子を犬や馬や椅子やスリッパやカーペット代わりにしているだけで、害は無い』


 無線を切り、新米警官はバツの悪そうな顔で、燕尾服の男――霧崎剣に会釈する。

 霧崎は何事も無かったように、四つん這いの少女の一人の臀部を爪先で軽く突き、出発を促した。


「懐かしいものだ。警官に呼び止められるなど十年以上振りであるな」


 細い顎に細い手をやり、元から細い目をさらに細め、感慨深そうにニヤニヤと笑い霧崎は呟く。


「そう……あれは……幽霊や冥界の存在が科学的に実証された頃。アルラウネが大怪獣化して、世界中のマッドサイエンティストが結集して対処にあたった、愉快な年か。君達の中にもあの時くらいに会った者が何名かいるな」


 当時のことを思い出し、少女達に声をかける。


「私がその頃です。怪獣化したアルラウネの被害にあって……教授に助けられたからこそ、こうして生きています」


 先頭で四つん這いになって椅子を引く少女が、一瞬だけ振り返って霧崎を一瞥して発言する。


「私もよ。アルラウネは災厄を撒き散らしましたが、こうして縁を作った一面もあるのね」


 霧崎の体を椅子代わりに受け止めている少女が言い、霧崎の細い体に手を回し、力を込める。


「アルラウネか。私と雪岡君の因縁も、思えばアルラウネから始まったな。中国との共同研究チームで、雪岡君と会った。ついでにミルクともな」


 瞑目しつ呟くと、霧崎はくぐもった笑い声を漏らす。


「彼女の存在を私は奇跡だと思ったよ。そして彼女は私の遊びについてこられる。これもまた奇跡の巡り合せ。私と雪岡君は運命の糸で結ばれている。そう思わないかね? 君達」

「いえ、別に」

「思いません」

「教授の勝手な思い込みよ」

「そんなこと思われてて、純子ちゃんも迷惑なんじゃない?」

「ぶっちゃけキモい」


 にたにたと笑いながら同意を求める霧崎であったが、少女達は誰一人として同意を示さなかった。


 それが数分前の話。


***


 その日、臼井亜希子は絶好町繁華街にて待ち合わせをしていた。

 待ち合わせにいつも使う場所。『駄菓子屋玉村』という店の前だ。


「今日は待ち合わせ長いのね。彼氏は遅刻かしら」

「そうみたい」


 店の中から出てきた初老の女性が、明るい声をかけてくる。亜希子とは顔馴染みの店員だ。この駄菓子屋で買い物もよくする。

 遅れるというメッセージは見たが、それにしても遅いのが気がかりな亜希子であった。今まで遅刻などしたことがない。


「おや、霧崎教授だ」


 初老の女性――駄菓子屋玉村の店長玉村環が、向かいの歩道を見て言う。

 亜希子が目をやると、車輪のついた椅子を、六人の半裸の美少女が四つん這いで引っ張っていくという、異様な光景が目に飛び込んでくる。

 安楽市絶好町を訪れるようになってから、亜希子も何度か御目にかかった。もちろん最初は絶句した。椅子の上に座っている人物は、世界的に有名な科学者であり、この町でも名物の変人との話だ。百合の話では、裏通りでも相当な有名人らしいが、亜希子はあまり興味が無かったので、聞き流していた。


 その直後、随分と幼い顔つきの小柄な少年が、嬉しそうな笑顔と共に現れ、亜希子の元へと向かってくる。亜希子も小さく微笑む。

 彼の名は佐野望。亜希子の恋人だ。


 恋人と言っても、未だにキス一つしていない。望は異性と付き合うのも亜希子が初めてであるというし、妙に奥手でよそよそしく、少しでも体を寄せただけで顔を真っ赤にするという有様だ。正直その辺は、亜希子からするともどかしい。


「何でこんなに遅刻したのー? 玉村のお婆ちゃんに声かけられちゃったのよ。彼氏遅刻だから引っぱたいてやれって」

「ちょっ、ごめんっ。僕も遅刻するつもり無かったんだけどさ。事情があって」

「どんな事情?」

「迷子の人がいてさ、カンドービルに連れていって欲しいっていうから、ナビ使えないのかって聞いたら、ケータイ持っていないとか言うし。仕方ないから場所教えたら、今度はビルの中の雪岡研究所まで直に連れていけとか言って……。知ってる? 雪岡研究所の話」


 知っているどころではないが、無言で頷くに留めておく亜希子。


「わからないって言ったら、せめてビルまで連れて行けと言うから連れていったんだ。そうしたらその辺の店員に片っ端に、雪岡研究所はどこだって聞きだして……何かいろいろとズレてる感じの人だったな」


 実験台志願にしてはおかしいと、望の話を聞いて亜希子は思う。雪岡研究所を訪れる実験台志願者は、予めネットで純子と連絡を取り、研究所に入るための手順も知らされるという運びである。


(純子にとって敵という可能性もあるけど、それにしては変な話よね。人にわざわざ聞いて攻め込むなんて)


 後で純子に聞いてみようと思う亜希子。


「それにしても望って結構親切なのね~」


 望の顔を覗き込み、亜希子はにっこりと微笑む。


「え? そりゃ困ってる人いたら助けなくちゃって思うし、普通でしょ」

「そうかなあ。私、まだまだ世間知らずだけど、それができない人って世の中には多いと思うわ」


 亜希子は自分が世間知らずであると自認する一方で、それ故に今いる環境の中で、様々なことを知ろうとしている。そのためにアルバイトを幾つかこなした。どれも長続きしなかったが。本もよく読んでいる。


「臆病なだけだよ。出来ないことからは逃げるしね」


 少し沈みがちな顔になってうつむく望。


「武麗駆の彼女がさ、事故で亡くなったんだ」


 唐突な望の報告に、亜希子は少しショックを受けた。大槻武麗駆(おおつきぶれいく)は望の親友だ。亜希子とも面識はある。ダブルデートをして、武麗駆の恋人とも一緒に遊んだことはある。大人しい少女であったが、話しかけると愛想良く反応してくれた。


「あいつ、完全に落ち込んじゃって、一応声はかけたけど……そっからどうにも会話も続かないし、近寄りがたい雰囲気だから、僕も少し距離を置いてしまっている」


 苦しそうに言う望に、亜希子は小首をかしげた。


「それが逃げてるっていうの? 私はそれで正解だと思うけどな。しばらくはそっとしてあげた方がいいよ」


 亜希子の言葉を聞いて、望は顔を上げた。


「露骨に避けているのもどうかと思うけど、相手が落ち込んでるのに、普段通り楽しく接するとか、それも無理でしょ。そんなこと世間知らずの私だってわかることよ」


 亜希子がわざわざ世間知らずの私と主張する所で、望は思わず笑ってしまった。


「そうだね。そう言われてちょっと楽になったよ。僕、何かにつけて自信が無いからさ」

「知ってる。でも望も少しずつ成長してるのがわかるし、私はその成長を見るのが――」


 喋っている間に、亜希子の言葉が途切れた。


 一台のトラックが、結構な速度で車道から歩道に突っ込んできたのだ。


 亜希子のすぐ前で、望の小さな体が大きく舞った。

 空中で回転する望の体が、その時点であちこちおかしな方向に折れ曲がっているのも、はっきりと目に焼きついた。


 地面に打ち付けられて、血を流して動かなくなった望の体を見て、亜希子は数秒ほど固まっていたが、悲鳴と共にその体が動いた。


 それも数分前の話。

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