第二十八章 32

 闇の安息所のおでかけイベント当日の朝、雪岡研究所。


「いい日に間に合ったよ。やっとドリームバンドの解析が終わった」


 累、みどり、毅、そしてスペアの肉人形に入った岸夫を前にして、純子が告げる。


「いい日って?」

 岸夫が尋ねる。


「間違いなく今日のお出かけイベントで、赤猫騒動の黒幕は何か仕掛けてくるよー」

 楽しそうな笑顔で答える純子。


「何でわかるんですか?」

 今度は毅が尋ねた。


「赤猫を作ったマッドサイエンティスト――久留米狂悪さんが、これから皆で行く神怠植物公園に、もうすでに潜んでいるからだよ」

「その人が黒幕?」

「黒幕の一人かなあ」


 さらに尋ねる岸夫に、純子が言った。


「で、累君と岸夫君にミッション発令で」

「僕に?」


 純子の思わぬ指名に驚く岸夫。


「累君、岸夫君ていう順番で、単独行動してみてほしいんだ。うまくひっかかるかどうかわからないけど」

「ひっかかる?」

「囮ですか? 映画で単独行動している人から殺されていく理論で……」


 純子の意図が岸夫にはわからなかったが、累には今の言葉だけでも理解できた。


「そそ。それで上手いこと、現場を抑えることができたらいいなーと。まあ、犯人が何企んでいて、どう出てくるかもわからないから、上手くいくかどうかわからないけどさー」

「この肉人形も壊されると、他が無いっていうから、当分岸夫としては活動できなくなっちゃうな。気をつけないと」


 不安げに言う岸夫だが、死んでもいい体の持ち主としては、その役目も仕方無いと受け入れている。


「イェア、今日のおでかけイベント――神怠植物公園でケリつけようってわけだねぇ~。向こうもこっちも。上っ等」


 頭の後ろで手を組んで左右に上体を曲げて柔軟運動などしながら、不敵な笑みを浮かべるみどり。


「これが久留米狂悪さんね。こっちは何年か前の写真。こっちはオーマイレイプが人工衛星から写した昨日の写真」


 純子がディスプレイを空中に投影し、反転させて一同に見せる。画面には二つの画像が映し出され、どちらも同じ人物が映し出されていた。


「久留米狂悪って人と、安息所のメンバーの中の誰かが手を組んでいるのは間違いないし、この二人の悪事を暴いたうえで、生きたまま捕まえたいんだ。今、殺人の容疑をかけられてい

る二人の無実を証明するためにもね」

「最近、純姉がまともすぎるけど、油断しないようにしないとだよォ~」

「みどりちゃん、ナイス茶々入れ。でもまあ……今回はちょっとねえ。私もれっきとした悪人だけど、身内を殺すように仕向けられたうえに、その汚名を着せるとか、ここまで人を苦しませるようなのはねえ……私の美学からすると気に入らないし、関わったからには、助けられるものなら助けたいと思うじゃない。実際私達には、その助けるだけの力があるんだしさあ」

「うっひゃあ……きれいなゆきおかじゅんこだ。天変地異の前触れだ~」


 みどりに茶々を入れられてもなお真面目な発言をする純子。そしてさらに茶々を入れるみどり。


「具体的な作戦の説明が無いですね。せいぜい囮で釣るくらいで。基本的に出たとこ勝負で、アドリブしつつという感じですか」

 累が言った。


「んー、まあそうなるねえ。黒幕さん達が私達を攻撃するとしても、具体的に何をしてくるのか、一つ以外は予想がつかないからねえ」

「一つとは?」


 純子の言葉に毅が反応する。


「赤猫は特定の条件で発現する。条件は幾つもあるんだけどね。視覚、聴覚といった五感からの刺激や、たまたま頭の中で考えたこと、感情や欲求なんかも含めて、幾つかの組み合わせによるパズルが一致すると出てくる。それを設定したのは誰か? 製作者だよね? つまり……赤猫を仕掛けた人達は、赤猫が出る条件も知っているし、赤猫を仕込んだ人から、自由に発現させることもできるってことだよー」

「それは……かなり脅威じゃないですか」


 毅が呻く。その気になれば犯人は、安息所の人間全員を一斉に、赤猫憑依状態にして、殺し合わせることもできるのだ。


「凄く脅威だよー。だからこそ囮には、赤猫が発現せず、そう簡単には死なない累君と岸夫君を選んだんだよー」

「でも赤猫が効かないなら囮にはならないのでは?」


 岸夫が疑問を口にする。


「でも久留米さんが接近してくるとは思うんだよねえ。それを捕らえることができたら……って感じかな。もちろん、赤猫以外の切り札もあるかもしれないけど」


 それ故に、今はこれ以上の作戦は立てられないし、向こうの出方を見てアドリブで動いた方がよいというのが、純子の判断である。また、切り札が何も無く、想定していることしかしてこないなら、これだけで十分だと思っている。


***


 朝の神怠植物公園。

 まだ開園時刻ではない。しかし久留米狂悪は指示通りに園内に先に侵入し、待機していた。


 久留米は協力者の女に電話をかける。何回かけても出なかったあの忌々しい女。なのに突然電話が来て、実験の状況と、現在直面している難題を報告された。


「今更になってようやく連絡を寄越したかと思えば……あの雪岡純子が相手だと!?」


 その際に、純子の名を出され、久留米は目を剥いて声を荒げたものだ。


「素晴らしいじゃないか!」


 伝説のマッドサイエンティストに絡めるなど、マッドサイエンティスト冥利に尽きると、久留米は感激していた。

 そんなわけで久留米は、相手の指示に従う事にした。


「約束のブツは持ってきたが……これはまだ実際に試してはいない。あんたの実験の成果次第で渡す約束だったが、全く連絡が来ないし。私が放置プレイを食らってどんな気でいたと思う。裏切られたとばかり思って、悲嘆していたぞ」


 電話をかけ、久留米は忌々しそうに愚痴る。


『それについては謝るわ。でもこちらにも事情があったと言ったでしょう?』


 協力者の女――東村山ペペロンチーノが、電話の向こうで冷たい声を発する。


『雪岡純子含めた赤猫を仕込んだ実験台が、今そちらに向かっているわ。もちろん私もいる。こちらの指示に従って、全員の赤猫を発現させて』

「わかった」


 手にした鞄の中身を意識して頷く久留米。


 久留米の持ってきた装置は、赤猫を任意で発動できる。

 赤猫の発動には幾つかの条件のパターンが有り、その条件も時間経過でランダムに入れ替わるため、非常に特定されにくい。赤猫の発動は主に、視覚か聴覚への刺激と、その時抱いた感情や思考や欲求との組み合わせによって起こる。眠気がさした際に特定の音を聴いたり、過去のことを考えていた際に太陽光を一瞬でも直視したり等といった風にだ。故に、刺激の無い空間では発現しにくい。

 久留米の装置は、その条件を全て無視できる。問答無用の赤猫スイッチだ。しかし、理論上は上手くいくはずであるが、実際に試したわけでもない。


「その代わり、死体は全て回収するぞ。融解した後の脳の様子を調べたいのでな」

『好きにするといいわ』


 感情を交えぬ声で告げ、ペペは電話を切った。


(散々やきもきさせられ、諦めもしたが、これで前進できるぞ。しかもあの雪岡純子のおまけつきだ。雪岡純子だけは、殺さないようにしないとな……)


 久留米が憧れるマッドサイエンティストの一人である。殺すのは大いなる喪失となってしまう。できれば共同研究など持ち掛けたいと、久留米は夢想していた。


***


 闇の安息所のメンバー全員、電車で神怠植物公園に向かうことになった。

 美香と七号は帽子を目深に被り、顔ばれしないようにしている。


「優、無理してない? 大丈夫?」


 電車の中で、来夢は椅子に座ろうとせず立ったまま、目の前の席に座っている優に声をかける。


「大丈夫ですよう。純子さん特製の凄いお薬のおかげで、ゲームの宿屋に泊まった後みたいにばりばり全快しましたから」

 冗談めかして優が言った。


「ごめんね。赤猫に憑かれていたとはいえ……」

「気にしちゃ駄目ですよう。私は来夢君と戦うのも、中々楽しかったですし。いい経験になりましたよう」

「そう言って貰えると救われるし、嬉しい。俺は経験値高めな敵で、優の大きな糧となったわけだ」


 微笑む優に、来夢もつられるようにしてにっこりと笑う。


「電車に乗るなんていつ以来かな」


 優から視線を外し、来夢は車内を見渡す。時間帯のせいで混雑こそしていないが、それでも結構は人が乗っている。空いている席は多少ある程度だ。


「昔、新宿に行った以来? 俺と一緒以外にも乗ってたなら話は別だけど」


 優の隣に座っている克彦が、来夢を見上げて言った。


「家族で旅行もたまには行ったけど、車だったから。電車は克彦兄ちゃんとしか乗ったこと無かった」

「にゃーは電車なんて生まれてはじめて乗りますにゃ。皆に自慢してやるにゃ」


 克彦の隣に座っている七号が、話に混じってくる。


「移動はタクシーばかりだったしな! 今度の休日に皆で遊びに行く時は、電車を利用してみるのも一興かもな!」


 電車内でも叫ぶ美香。彼女は来夢の隣で立っていた。


「美香さん、変装しているのに叫んだらバレちゃいませんかあ?」

「ついうっかり!」


 優に指摘され、さらに叫ぶ美香。そして口を押さえる。


「やっぱり美香はあまり頭がよくない。あんな歌を歌うだけはある」

「うっかりだから頭の善し悪しは関係無い! そのうえ歌まで引き合いにだしてディスるな!」


 来夢の台詞に一際大きな声で叫ぶ美香。そしてまた自分の声量を気にして、口に手をやる。


「わかったから電車の中でくらい、声を小さくしてほしい」

「そうね、他の乗客さんにも迷惑になるからね」

「す、すまなかった……」


 来夢だけではなく、ペペにも注意され、美香はしょげてしまった。


「電車って、ある意味学校と似ている。管理された空間というか、乗っている人が人でない気がする。凄く不気味。人が物となって運ばれているみたい。おまけに皆、何で死人みたいな顔してるのかな」


 見たまま感じたまま、忌憚無い感想を述べる来夢。


「確かに来夢と私では、感性がまるで異なるな。私には無い捉え方だ」


 美香が言うものの、死人のような顔という点では同意だった。


 一方、純子と累だけ、皆から少し離れた位置で、こっそりと会話を交わしていた。読唇術も警戒して、ペペ達から顔を背けて喋っている。


「これから行く場所に久留米を呼び寄せたからには、何か企んでいるのは明白ですが、何の目的だと思います? 単純に僕達を皆殺しにして証拠隠滅するだけでしょうか?」

「あるいは証拠隠滅を兼ねた新しい実験かもねえ」


 累の疑問に対し、純子は己の推測を述べる。


「私とみどりちゃんと累君に、赤猫がすでに効かないことは知らないからね。もしも……赤猫を自由に操作できるとしたら、それも可能と判断するんじゃないかなあ」

「実際問題、赤猫に憑かれる事に抵抗できなかったら、僕達三人でも危険でしたしね」


 一度純子が憑かれた事で、解析を行い、今や抵抗可能となったが、それが可能なのはオーバーライフの三名だけだ。備えた能力による解析は、赤猫の発生を食い止める術(すべ)を見つけたに過ぎない。

 未だ純子達の脳にも、赤猫は巣食っている。赤猫の情報が普段は断片化して脳内に散っているため、現時点では、自分の中にいる赤猫の洗脳効果を防ぐ事しかできない。


 ドリームバンドのプログラムそのものを技術的に解析しなければ、赤猫そのものを除去する事はできないし、何より実証ができない。そのために純子は今までずっと、闇の安息所に通わず、研究所でドリームバンドの解析作業を行っていた。

 そしてドリームバンドの解析がある程度済んだが故に、敵が仕掛けてくることも承知のうえで、こうして純子も皆と共に行動している。

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