第二十八章 29

 夕方の闇の安息所。警察署への面会を終えた安息所の面々は、それぞれ帰宅している。


 ペペはいつも通り残っている。しかし今日はペペの他に、ユマも残っていた。普段なら、他のメンバーがお暇しようとする際に、一緒に席を立つというのが定番だ。大体どこでもそうだろう。一人が帰ると言い出し、じゃあ自分もと、次々と去っていく。

 しかしユマはその日、残っていた。

 ペペと二人きりで残れば、ペペの何かが掴めるかもしれないと、そういう目論見がユマにはあった。


 ユマははっきりとペペを疑っている。


「ユマちゃんには言ってなかったかな? お出かけイベントは神怠植物公園に行く事にしたわ。精神障害者保健福祉手帳があればタダで入れるし」


 部屋の掃除をしていたペペが、掃除機を止めて声をかける。


「ところで、帰らないのはどうして? 何か話したいことがあるの?」


 ペペの方からアプローチしてきた。これはユマにとって都合が良かった。何も言わなければ、ユマの方からあれこれ探りを入れるつもりであった。


「ん……ちょっと……面会でのことが尾を引いてて、気疲れしてる」


 ペペから視線を逸らし、うつむき加減になりながら、ユマは言った。


「まあ……丁度いいわね。ユマさんにだけ、伝えたいことがあったから。一応ここの発足からいる最古参だし、ユマさんになら安心して話せることだし」


 思わせぶりな言い回し。相手を安心させようとする柔らかい声。しかしユマは少しもペペを信じていなかった。


「檜原さん達に気をつけて」


 ペペが唐突に口にした言葉に、ユマは思わず顔を上げた。


「どういうこと?」

「赤猫を仕掛けた真犯人は、華子ちゃんか、あるいは姉妹揃っての可能性が高いからよ。姉妹がグルじゃないにしても、華子ちゃんは凄く怪しい」

「どうして……そう思うの? 根拠を聞かせてほしい」


 ペペの顔を見つめ、意図せずキツめの声を発するユマ。


「まず華子ちゃんは犯人が純子ちゃんだって言ってきた。大した根拠も無くね。そこで私は疑惑を持った」

 真顔でペペは語りだす。


「それから私はいろいろ考えたわ。私は華子ちゃんの……いや、檜原姉妹の秘密も知っているし」

「秘密って?」

「ユマちゃんも調べればわかるわ。姉の真菜子さんの方が、重病の精神病患者だったのよ。暴れて手がつけられないから、閉鎖病棟に入れられていたほどにね」


 それはユマも初耳であった。そして意外であった。真菜子は健常者だとばかり思っていたし、いつも冷静で、華子を支えている妹思いの姉だと信じて疑っていなかった。


「その後、姉妹で暮らしているけど、真菜子さんは華子ちゃんに毎日虐待して、華子ちゃんはそれにずっと耐え続けているの」

「それが根拠?」


 平静を装って尋ねるユマ。ペペの話は、ここまではっきり言うからには、嘘とも思えない。確かに調べればすぐわかりそうなことだ。


「もう一つあるわ。犯人がいるとしたら、絶対的な安全圏をキープすると思うのよ」


 それはそうだろうとユマも思う。


「誰かが赤猫に取り憑かれても大丈夫な状況を維持できる。ある意味華子ちゃんと真菜子さんなんて、一番危ないでしょ? 二人暮らしでどちらかが取り憑かれたら……と思うと。でも彼女達が赤猫を制御できるとしたら、何の心配もない。赤猫が判明した後なら、二人暮らしなんて警戒してしかるべきなのに、依然としてあの二人は同じ家で生活してるのよ?」

(それって……ちょっとおかしいような……)


 ベベの言葉に、ユマは納得できなかった。それどころか疑問を覚えていた。


「これらの条件が揃うとどうもね……。一番怪しいのはあの二人という事になる。純子ちゃん達は積極的にこの問題を解決しようとしているし」


 そしてペペは一度赤猫に憑かれている。そうなると、確かに檜原姉妹しかない事になる。ペペの推理に辻褄は合う。ある一点の可能性を除けば――


「私は疑わないんですか?」

 ユマが問う。


「今言ったように、犯人は絶対的な安全圏をキープする。ユマちゃんは赤猫に憑かれた私に襲われているじゃない。この時点で違うわ」

(それこそ犯人として疑われなくするための、自作自演かもしれないじゃない。ペペさんの赤猫憑きも含めて。そんな論法……幼稚すぎる)


 その可能性があるので、ペペの推理には穴がある。それどころかユマの中でどんどん疑惑が強まっていった。


「ペペさん、一応気をつけておきますけど、随分とペペさんらしくないですね。不和と疑惑を嫌うペペさんが、はっきりと犯人を断定するなんて」


 椅子から立ち上がり、ユマは哀しげな声音で言う。


「そうね……。自分でもそう思うわ。でも、私は確信してるし、これ以上の犠牲を出したくないから、ユマちゃんに警戒してほしいから、注意を促しているの」


 ペペのその言葉を信じることができたら、そして真実であったら、どれだけ救われるだろうかと思いつつ、ユマはそれ以上会話をしようとせず、別れの挨拶すら告げず、無言で安息所を去った。


***


 夕方。安息所を出た来夢、克彦、優、岸夫の四名は、絶好町繁華街にあるペデストリアンデッキ上の、大理石の椅子に揃って腰かけていた。


「壊れかけた人間の姿。見てみたかったけど、見たくないような、興味だけで見てみたいなんて思うこともいけないような。そうか、これが本当の不謹慎か」


 優の話を聞いて、来夢がそんなことを呟く。


「僕もね……徹底的に心が壊れたんだ」

 岸夫が口を開く。


「心の苦痛が極限までいって、僕の場合は、現実から逃げた。妄想の中へと引きこもり、現実と妄想の区別さえつかなくなった。明らかに心が壊れた状態だったと言っていいよ。そして周囲にも凄く迷惑かけた」


 安息所のメンツの中では目立たない岸夫が、自分のことを語っているので、来夢も克彦も新鮮な気分で聞く。一方で優は、今の岸夫が、父親の光次がそのまま喋っているかのように見えていた。


「人の心の痛みって、体の痛みどころじゃないくらい痛む。心の傷って物凄く厄介だよ。目にも見えないから、理解してもらえない。そして理解された時、人は同情してもくれず、蔑みや恐怖の視線を向ける」


 岸夫の話を聞いて、克彦は自己嫌悪に浸る。


(この子は俺よりずっと辛い目にあってそうだ。俺は……一年間孤独に彷徨っていたとはいえ、恵まれている。来夢という理解者がいる。絶対的な相棒がいる。それを捨てて勝手に飛び出したんだから、本当馬鹿だよな)


 岸夫と自分を照らし合わせての、自己嫌悪であった。


(何か、来夢に嫌味言われそうな気配……)


 そう思い、克彦は来夢をチラ見する。

 来夢の顔を――いや、目を見て、克彦は絶句した。


(これが……赤猫か?)


 瞳孔が大きく広がり、異様な気配を帯びている来夢を目の当たりにし、克彦は立ち上がる。


 優も克彦と来夢の様子がおかしいことに気がついて、立ち上がった。

 その直後、来夢より反重力が放たれ、三人の体が大きく吹き飛ばされる。


 一斉に吹き飛ばされ、倒れる三名。通行人達はその光景を見て、何かと凝視するが、特に足を止めはしない。


 優と克彦は早めに反応したため、来夢の攻撃を多少抑えて食らう事ができたし、受身を取る事もできた。しかし岸夫は全く反応できなかった。

 優と克彦が立ち上がって来夢を見るが、岸夫は倒れたままだ。その岸夫に、来夢の視線が向く。来夢の上着が破れて上半身が裸になり、背中からは板のような翼と、布のようなものが生えている。


「やめろ!」


 克彦が叫ぶが、来夢より無慈悲な重力弾が放たれ、倒れた岸夫の体へと落下した。

 目の前で、岸夫の体がぺちゃんこになる。来夢が顔見知りを殺してしまったことに、克彦は絶望する。


(赤猫とか言われても……現実味無くてずっと油断してた。気を抜いていた。あるいはどうにもならないから普段通りでいいやなんて思ってたけど……もっと真剣に解決を考えるべきだったんじゃないのか? おかげで来夢が……)


 岸夫には悪いと思いつつも、克彦は岸夫の死より、正気に戻った来夢が悲嘆に暮れることの方が心配だった。


「大丈夫ですよう、克彦君。しっかりしてくださぁい」


 優がいつもの間延びした声と共に、ぺちゃんこに潰された岸夫を指す。


「え……?」


 岸夫の面影があるそのぺちゃんこの死体は、人のそれでは無かった。生物ですらない。機械が散乱していた。


「ロボット……?」

「まあそんな感じです。それより、今は来夢君をどうにかしましょう」


 来夢の視線が、通りがかりの一般人へと向く。


(ヤバい。今度こそ殺してしまう)


 克彦が亜空間の扉を開き、黒手を出したその時、立て続けに銃声が響いた。


 見ると、優がペデストリアンデッキの道路めがけて何発も発砲している。デッキの上にいた通行人は、裏通りの抗争が始まったと思い、一斉に避難しだす。

 そして来夢の注意も、通行人から優へと向けられる。


「これで集中できまぁす。問題は来夢君の攻撃が――」


 喋っている途中に、優が吹き飛ばされる。来夢の重力弾を正面から食らったようだ。


(パンツ見えちゃった。いや、何考えてるんだ、俺っ)


 記憶にしっかりと焼きつけながらも、来夢へと意識を集中させる克彦。


「痛たた……問題は、来夢君の攻撃が目に見えないことなんですよねえ。銃弾と違って、どこから飛んでくるかもわからないですし」


 優が喋っている間に、今度は克彦めがけて重力弾が放たれる。

 斜め上から飛来した重力弾。黒手が自動的に動き克彦を守らんとするが、来夢の方が力は上だった。黒手ごと克彦の体が押し潰され、地面に横向きに倒される。


「来夢……お前になら俺、殺されてもいいと思ってるんだ」


 黒手のおかげでダメージはかなり軽減されているので、克彦はすぐに立ち上がると、正気を失っている来夢に向かって、不敵な笑みをたたえながら語りかけた。


「でもこれは違う。お前の意思じゃない。純然たるお前の殺意でないと駄目だ。受け入れられない。抗うぜ」

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