第二十八章 28

 雪岡研究所にて、毅は一心不乱に、ドリームバンドに精通したマッドサイエンティスト達の絞込み作業を行っていた。


「毅君、少し休みなよー」

 毅の元にコーヒーを持ってくる純子。


「青ニート君も手伝ってくれるっていうから、少し任せて寝た方がいいよー」


 毅は昨夜から不眠で作業に没頭している。一度火がつくと熱中するタイプであるという点では、自分と似ていると、純子は思う。


「そうですね。ちょっとクラクラしてきました……。でも、今調査してもらっている三人の情報待ちですし、ここの絞りこみができたら休みます」


 コーヒーを取り、毅は言った。


 候補で怪しいのは七人にまで絞られていた。毅の情報待ちが済めばその中からさらに絞られる。


「この三人も……シロで良さそうです。残り四人、お願いします」


 毅は純子に向かってホログラフィー・ディスプレイを飛ばすと、ソファーに寝転がった。


「毅君おつかれさままま。ふーん……この四人ね。確かに怪しさ満点で、誰が犯人でもおかしくない経歴の持ち主だねえ」


 コーヒーカップを片手に、毅に飛ばされたディスプレイを覗く純子。


 四人共、人間の脳構造への可能性に強い関心を抱き、ドリームバンドを用いて脳に変化を及ぼす人体実験を行ったか、あるいはそうした違法ドリームバンドの製造で現在も活躍中の者達である。

 もちろんそれだけなら他にも何人もいるが、その中でも特に技術力を持ち、特に脳への執着が強く、特にドリームバンドにこだわった者で、明らかに何かしら事件を起こしそうな危険な輩など、様々な条件で厳選して絞った結果が、ディスプレイに映る四人である。

 絞込み対象から外された者の中に犯人がいるかもしれないし、そもそも対象候補の二十四人の中にはいないかもしれない。だが可能性として高そうなのはこの四名に行き着いた。


「久留米狂悪……この人が今の偽名を使う前に起こした事件が、かなりそれっぽいかなあ。ていうか、この人だと思うんだけどねえ。でも、その後消息不明になっているし、この人はちょっと保留しておこう」


 四人の中の一人の名を口にする純子。この久留米という人物、名前を変えて過去を消したつもりでいるようだが、名前を変えた事も、ばっちりと調べられてしまっている。しかし、判明しているのはそこまでだ。

 可能性としてはもっとも高いが、行方不明というのが難点だ。そうした人間を探すアテもあるが、純子にとっては面倒な組織を頼らないといけなくなる。


「超常の力でも頼らないと無理っしょ~」


 純子の後ろからディスプレイを覗きこみ、みどりが言った。


「みどりちゃん、できる?」

「サイコメトリーは無理だったし、あたしじゃお手上げかも。まだ美香姉の運命操作術の方が見込みあるかもねえ。レアーだけど、クレアボヤンス系の能力者や術師に依頼するしかないんじゃね?」

「透視や千里眼かあ……。確かにレアだねえ。私の知り合いには一人しかいないし、その知り合いとはちょっと……」

「ン百人とかン千人も改造マウスいるのに、その系統の能力者はいないって、不思議だぁね~」

「まあ……気が進まないけれど、依頼してみるかなー。それで済むんだし」

「ひょっとしてオーマイレイプですか?」


 電話を手に取る純子に、累が尋ねる。


「そそ。私やミルクは、あの組織とはいろいろ確執あったからねえ……。ミルクは元々あそこの一員だったけど。まあ依頼してみるよー」


 以前にもどうしょうもなくなった際は、オーマイレイプを頼っていた純子だが、他の懇意にしている情報組織との繋がりもあるので、出来る限りは避ける方針にしている。


***


 久留米狂悪が行っている研究は、人間を完全に殺人マシーンへと変える事である。


 人の脳に直接映像を見せるドリームバンドを通じ、断片状にした暗示を与えることによって、幾つかのパターンの条件が整った際に、脳の中で情感や本能を司る部分である大脳辺縁系に急激な暴走をもたらし、同時に、言語機能や理性等の思考回路を司る大脳新皮質の機能を部分的に低下させて、破壊衝動や殺人衝動を促す。実の両親で実験し、破壊衝動に関してのみは成功したと言える。

 怒りや殺意は大脳辺縁系より発生するが、大脳新皮質の前頭葉で抑制される。久留米は前世紀において、前頭葉の切除を行うロボトミー手術が行われていた事にヒントを得て、この方法を思いついた。


 だが久留米の理想は、殺人衝動だけに集約することだ。理性もある程度残した上で、残った理性は全て殺意のために注がれる。目の前にいる者を殺すことだけに集中し続ける完全な殺人マシーンの製造。

 協力者の女に用意させたドリームバンドに、殺人暗示プログラムをインストールして、女に返して実験を行ってもらったが、情報屋に調べてもらった結果、殺人衝動は長続きしないことがわかった。これでは失敗だ。


 久留米は世界を憎んでいる。人を憎んでいる。人は悪だと信じている。悪は脳から来ると断じている。

 ならば悪である脳をいじって、悪同士争わせてやろう。久留米はそんな単純な結論に至り、それを実現させるために、何の疑問も持たず、己の人生を注いでいる。


 薬仏市へと拠点を移した久留米だが、やることは変わらない。今後もドリームバンドを用いて、人の脳をいじり、人の世に混乱をきたしてやろうという野心は、失っていない。

 そんな久留米の元に、メッセージが届いた。


(これはっ!)


 今までこちらから何度連絡しても無視してきた、あの協力者の女からだった。

 急いで電話をかけると、あっさりと相手は出た。


「今更どういうつもりだ!」

『こっちにもいろいろとあったのよ』


 激昂する久留米に、相手は冷めた声で告げる。


『指定した日時に、神怠(じんたい)植物公園へ来て欲しい」

「何故そんな場所に私が行かなくてはならんのだ! こっちから連絡しても出なかったくせして、いきなり呼び出しをかけるなど!」

『いろいろ事情があって連絡できなかったし、来れば全てを伝えられる。そして貴方にもお願いしたいことがあるの。もちろん、お冠なら無視してもいいけど。でも話を聞いてから判断してもよくない?』


 久留米も馬鹿ではない。相手はきっと、自分が食いつくだけの何か美味しい話題を用意したのだろうと、その時点で判断する。その餌で自分を釣って利用しようという事も。


「いいだろう、話してみろ」


 久留米はこの話にのった自分が心底馬鹿だったと、後で後悔する事になる。


***


 面会を終えて、一旦闇の安息所へと立ち寄ったものの、檜原姉妹はすぐに安息所を後にした。とてもではないが、他のメンバーと雑談する気にはなれなかった。

 昨日今日と、いろいろありすぎて、華子が心底参っている。真菜子にもそれははっきりとわかる。


「しばらく……安息所に行くの、やめる?」


 歩きながら、意外な言葉を口にする真菜子に、華子は驚いた。


「お姉ちゃんの言葉と思えない。私がそんなこと口にしたら、また逃げるのかとか、そんなこと言いそうなのに……」

「もう逃げてもいい気さえしてきた。華子だけじゃない。私もかなり堪えている」


 言いつつ、真菜子は煙草を取り出す。


「煙草、持ってたんだ。やめたと思ったのに」

「どうしょうもない気分になった時には、吸って落ち着けるためにとっておいた。最後の最後のお守り。今、そんな気分だった」


 華子に指摘され、真菜子は取り出しかけた煙草をしまう。


「やっぱりやめた。まだ……どうしょうもないという程ではないし。ちょっと格好悪い」


 そう言って真菜子は華子の方に顔を向け、茶目っ気に満ちた笑みを浮かべてみせる。

 姉のこんな笑顔を見るのは、華子は久しぶりであった。


(お姉ちゃんの中に、傷は残っているはず。昨日の悪夢もそうだった。でも……お姉ちゃんは確実に変わった。私は変わらないのに……)


 自分より後ろにいたはずの姉が、知らぬ間に自分を追い越していた。しかし真菜子は、華子を追い越して、そのまま離れて先には走って行かない。ずっと華子の前にいて、華子にペースを合わせて走っている。華子もそれをわかっている。


「ねえ、お姉ちゃん、怒らないで聞いて」

「怒りそうなことなら言わなくていいし、容赦なく怒るよ?」

「じゃあ怒ってもいいから聞いて。私ね……赤猫ってのは雪岡純子の仕業だと思ってたけど、考えてみたらそれはおかしい。純子は赤猫の問題を解決しようとしてくれている。あの毅も」

「貴女……犯人に目星つけてるの?」

「お姉ちゃんが犯人だと思った」


 華子の言葉に、真菜子は立ち止まり、絶句して妹を見た。


「私だけが、お姉ちゃんの秘密を知っている。お姉ちゃんなら……そういうのを生み出しても不思議じゃない。でもそれは……多分お姉ちゃんも無意識のうちに、やったことなんだろうなって思う。今のお姉ちゃんは、そんなことしない」

「二重人格的なもの? でも……」


 真菜子は怒ることもなく、冷静に考える。


「そうね。昔の私なら……そういうものを求めても不思議じゃない。でも今の私は、そんなもの望まない」

「でも昨夜、悪夢にうなされてたじゃない。リモコンは赤猫。エアコンは……」

「こじつけよ。それ以上言わないで」


 姉に睨みつけられ、華子は口をつぐむ。


(でも……可能性は無くも無い。昔の私が、まだ私の中に確かに存在して、私の知らないうちに……)


 そう考えるとぞっとする真菜子である。


(余計なこと言ってくれて……この馬鹿……)


 帰ったらこの愚かな妹を何回も引っぱたいてやろうと心に決め、真菜子は再び歩き出した。華子も無言で姉の後を追った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る