第二十八章 21

 現代科学では脳波を用いて、機械の操作も可能であるし、通信する事も可能になっている。それ故に、ドリームバンドという機械で仮想世界へとトリップする事ができるのだ。

 その気になれば脳波入力式での電話も、十分に可能である。コンピューターへの入力もまた然り。だがそれらは世の中へあまり普及しないように、全世界で制限が成されている。電磁波による脳への悪影響と、脳波を使っての入力が人を退化させるという危険性が説かれているからだ。


 実際に、ドリームバンドを用いたバーチャルトリップ式のゲームは、長時間のプレイで体に悪影響が出た報告が多いため、これらのゲームも長時間の継続はしない方がよいと、キツく言われている。

 脳に仮想世界の映像を投影し、なおかつ自分の分身も投影できるのであれば、現代の科学技術を用いれば、人間の体により強い影響を与える事も可能である。例えば違法ドリームバンドによる、身体機能のドーピングの例も数多く存在する。しかしその代償は凄まじく、老化の促進や様々な身体障害の発生など、人体を様々な形で破壊する。

 人の記憶に暗示を植え付けることも当然可能だ。それも踏まえたうえで、公の場に売り出されているドリームバンドは全て、サブリミナル効果などが付与されていないか、厳しくチェックする機関を通されたうえで販売されている。


 純子も過去幾度か、ドリームバンドによる人体改造を試みたが、避けられないリスクが伴ううえに、大した成果も上げられず、これならば他の方法で改造した方がマシという結論に至り、以後ドリームバンドによる人体改造という発想は、純子の中から消えていた。

 それ故に、純子は今まで全く気がつかなかったとも言える。自分の中で否定された方法。しかもそれを、肉体の強化ではなく、マインドコントロールという禁忌に用いるという発想。判明してみれば、非常に単純明快でわかりやすかったはずなのに、何故わからなかったのかと、純子は不思議に感じるほどだった。


 翌日、優と美香と七号以外のメンツが闇の安息所に揃う。美香と七号は昨夜から引き続き、始末屋としての仕事が入って来られないとのこと。


「というわけで、赤猫はドリームバンド経由で、ここでドリームバンドを使用した全員の頭の中に、インストールされたってわけだよー。つまり、闇の安息所のドリームバンドが発端てわけね」


 いつもの屈託の無い笑顔で、純子が衝撃の真実を伝える。まだ話を聞かされてなかった安息所の旧メンバーは驚きの表情を見せた。


「解除の方法もわかるかもしれないし、私の方で回収と調査してもいいよねえ?」

「わかりました」


 純子がペペに申し出ると、ペペはあっさり了承した。


「あ、それとこれは言いにくいことだけど、きっと皆も同じこと考えているだろうから、言っておくねー」


 笑顔のまま、弾んだ声で純子は言った。


「犯人はおそらく安息所の中にいる誰かだよー」


 空気が凍りつく。真菜子が眉根を微かに寄せる。華子などはあからさまに顔色を変えている。ユマはうつむき加減になっている。


「同じ仲間同士でそういう疑念を持ちたくはないけど、仕方無いかもね」

 管理者のペペが、憂いの表情を見せて告げる。


「一度取り憑かれた人は違うだろうから、対象は絞れるかも」

 と、華子。


「ここまで判明することも見越して、そう思わせるためにわざと自分にも取り憑かせた可能性もあるじゃない」


 直後に、真菜子が妹の発言をあっさりと否定する。


「ペペさん、このドリームバンドは普通にお店で買ったものですか?」


 毅が問う。昨夜毅の体は派手に破壊されたが、もしものためのスペアの体が一つあったので、今日はそれを使ってここへ来た。


「ええ。精神療養用のソフトがインストールされたドリームバンドは、普通の電気店には置いてないけどね。かなり高価なもので、専門筋の店でしか仕入れられないの」


 ペペの答えを聞いて、その場にいる何名かは、二つの可能性を考えた。ドリームバンドに仕掛けを施したとすれば、その専門筋の店に関わる何者かの仕業か、あるいはやはりこの安息所に通う誰かの仕業か……。


「その店も教えてほしい。調べてみる」

 来夢が名乗りでる。


「褥通りにあるジャンク屋で、『デミウルゴス』という名の店です」

「安楽市じゃあ、裏通り御用達の有名なジャンク屋だな」


 ペペに教えられ、毅が言った。


「流石にあの店の店主が悪意をもって、そんなことするとは思えないけど……。来夢君、調査する時、俺も連れてってください。俺が卸売り組織の長をしていた頃、店主とは顔馴染みでしたから、話してみます」

「わかった。来て」


 毅の申し出に、微笑んで頷く来夢。


「私もデミウルゴスはよく利用してるけど、あそこはあくまでジャンク屋だからね。商品に責任を持つような店ではないよー。当然、買っても壊れてたものとかあるし。ヤバいものもたんまり売ってるし。そもそもペペさん、何でそんな店で、精神療養用のドリームバンド買ったの?」

 純子が疑問をぶつける。


「私も殺し屋だった頃に、店長さんにはよく世話になったのよ。それで御贔屓ってことで」

 気恥ずかしそうな顔でペペ。


「ペペさん、殺し屋だったんだ……」


 意外そうな声をあげる克彦。とてもそんなイメージではない。


「仕事以外で……感情任せで人を殺してしまった事があってね。それがきっかけで、殺し屋を辞めたの。犯罪そのものは隠滅したけど」


 自嘲混じりにペペが語り、空気が先程とは違った意味で重くなる。


「私のこと軽蔑した? とんでもない罪を背負って、ぬけぬけと生きているのよ」

「裏通りにはそんな人多いでしょ。俺だってそうだ」


 ペペの言葉に対し、珍しく険悪な声を発する毅。自分の嫌な記憶を思い出しただけではなく、どうもペペが同情してもらいたくて、そんな風に言ってるように聞こえた。


「じゃあ、早速行ってくる。行くよ、克彦兄ちゃん」

「今からかよ」


 立ち上がり声をかける来夢と、微苦笑をこぼす克彦。


「ぜんまいが巻かれたら動かないと」


 来夢と克彦と毅が部屋を出て行く。


「あの二人、仲いいわね。男兄弟もいいものね」


 出ていった克彦と来夢の二人を指し、真菜子が言う。


「実の兄弟ではないけど、まあ兄弟分みたいな関係だよねー。弟分の来夢君の方がぐいぐい引っ張って、それを補佐して守る兄の克彦君ていう構図だけど」


 にたにたと笑う純子。急に純子の笑みが邪なそれになった理由を知るのは、累とみどりだけであった。


「デミウルゴスって店を調べて何かわかるのかな」

「毅君も言っていたように、デミウルゴスの店長さんが、何かしたようには思えないわ。そんなことしたら商売にも響くだろうし」


 何の気無しに呟くユマに、ペペが言った。


「私もそう思うけどねー。でも仕入れ先に責任は持たない人だからさー。その辺から洗えば、何かわかるかもしれないよー」

 と、純子。


「何かずっと暗い話ばっかりで嫌だな……」

 華子が暗い面持ちでぽつりと呟く。


「気分変えるためにも、近々皆でお出かけイベントしましょうか」

「いいですね」


 ペペの提案に、真菜子が微笑む。


「ここでは不定期にお出かけイベントをして、皆でいろんな所に行ってるんです」


 純子経由でここに出入りするようになった新規メンバーを意識して、ペペが説明する。


「結構な人数だし、どうせだから近場で遊ぶより、遠出の方がいいかなーとも思うんだけど、どうかな?」

「おっけーですー」

「お任せー」


 反対する者はいなかった。


「じゃあ引き続き考えておくね」


 笑顔でペペ。場の空気が少し和んだので、ほっとしていた。


「前は東京ディックランドとか、阿弥陀粒マリンパークにも遠出しましたよね」

「高尾山に登ったりとかー」


 華子とユマが言う。


「上手く仕事が入らなければいいけどね」

 と、真菜子。


「今回都合の合わなかった人は残念だけど、また何度も行くんだから、いずれ都合は合うわよ」

 愛想よく笑い、ペペが言った。


(今更だけど……どうも檜原姉妹は、純子経由新メンツとの間に壁を感じますね……。ユマはそんなことない感じですが)


 今のおでかけイベントどうこうのやりとり一つ見ても、そう感じる累であった。


***


 安楽市内に最近できたばかりの中国拳法道場。その開設したばかりの道場に、優は通うようになっていた。


「今日も私一人ですねえ」


 師範であり経営者である、眼鏡をかけた中年男と向かい合い、ジャージ姿の優は遠慮無く言う。


「一応お前さんも含めて三人いるんだけどね。他の二人は土日しか来ないから」


 道場主の男――李磊が、溜息混じりに言う。


「ま、俺にとっては趣味の副業だからね。人いないのは哀しいけど、経営難で潰れるとかはないから安心していいよ」

「確かに師範は悲しそうです。今も魂が抜けそうな顔してますよう」

「お前って顔のわりには毒を吐くし、容赦が無いよね」


 優の言葉に李磊は苦笑する。

 しばらく二人で組み手をした後、休憩時に李磊が気になっていた事を口にした。


「お前、知り合いに相沢真って奴いる? あるいは親しい?」

「はい。私の知り合いですけど?」


 唐突に真の名前を出されて、優は小首をかしげた。


「動きの節々に、あいつと似た癖があるからさ。正確にはサイモンの……俺の昔の仲間の癖だけどね」

「雪岡研究所に通って、真君にはCQB習ってまぁす。最近はお留守みたいですけど」

「ふーん、あいつが人に教授する立場になるとはね」


 感慨深そうに微笑む李磊を見て、優もつられて微笑む。


「師範は真君とどういう関係なんですかあ?」

「もう四年か五年前になるかな。同じ傭兵部隊にいたんだよね。とはいっても、あいつがいたのは半年くらいだけど」


 懐かしそうに微笑む李磊を見て、傭兵として戦場で銃を撃ちまくっている真と李磊の姿を思い浮かべて、優も微笑む。


「ま、半年といっても……あいつは結構印象深い奴だったし、濃密な半年と言えなくもないかな」

「師範も今は傭兵辞めて、拳法師範として堅気のお仕事ですかあ」

「いんや。傭兵辞めてからは、中国の秘密工作員として、この国で働いているし、堅気とは言えないね」

「それ、人前で言っていいんですかあ? 秘密じゃない工作員ですよう?」

「お前も国の秘密超常機関に勤めてること、あっさりばらしてるじゃないか。この時点で秘密じゃない超常機関だ」


 優に突っ込まれ、李磊は言い返す。


「ばらすなと言われてませんし、ばらしても別に大した影響無いと思いまぁす」

「そっかー。じゃあ俺もそういうことにしておこう」


 もし第三者がこの二人のやりとりを見れば、スローテンポな部分やズレている所がそっくりだと映るであろうが、互いにその自覚があまり無いので、似たもの同士という意識は生じなかった。

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