第二十八章 20
闇の安息所を出た来夢と克彦の二人は、タスマニアデビルへと赴き、先日仕事の依頼があったフリーの武器商人と雑談を交わしてから、アジトへと戻った。
アジトの前に着いた所で、克彦がよろめき、パンダの形に切られた植木にしがみつく。
「克彦兄ちゃん、一杯しか飲んでないのに、かなり酔ってるね」
「まだ酒に慣れてないっていうか……強い酒だったせいっていうか、あるいは俺の体質の問題なのかなあ? 酒に弱いのかも……」
組織の面々とタスマニアデビルに定期的に通うようになって、克彦も酒を口にするようになったが、美味しいとは思えないし、悪酔いばかりしている。
「俺も酒飲みたいのに。お酒は十三歳過ぎてからとか、裏通りなのに規制するなんて」
酔っ払っている克彦の背を擦りながら、不服げに言う来夢。
「十五歳になるまでは一杯だけっていうルールもあるが、どういう基準かわからないなあ。まあ俺は一杯でこの様だけど……」
「もう一つ疑問。あの酒場のマスター、何でクマの着ぐるみなんだろ。今度聞いてみよう。そうしよう。できれば中味も引きずり出そう」
「それは無理があるだろ……」
会話をかわしつつ、アジトの中の部屋へと戻る二人。
「仕事も無いし、明日もまた安息所行くか?」
ソファーで死にそうな顔で横たわりながら、克彦が尋ねる。
「うん。赤猫騒動が解決するまでは、こまめに足を運ぶべき」
真顔で頷く来夢。
「来夢は俺のための付き添いだけど、来夢の方が俺よりも、あそこにいる人達と仲良くなってる感じあるよなあ」
やっかみも込めて克彦は言った。
「そうでもないよ。俺が特に気に入ったのはユマと優くらいだし」
「美香とも結構仲良さそうじゃん」
「あれは仲いいっていうのとは違う」
からかうように指摘する克彦に、来夢は不機嫌そうな声を発する。
「しかし俺達はどちらかが赤猫に憑いて、襲ってきても能力使ってすぐ逃げられるけど、他の人は大丈夫なのかな?」
「過信は禁物。確かに克彦兄ちゃんは亜空間に逃げればいいし、俺は重力で相手を封じればいいけど、もし街中で赤猫とやらに憑かれたら、ただ逃げて済む話でもなくなる。通行人に襲いかかるのを止めないといけないから」
「そ、そうか……」
来夢に注意され、克彦は意外そうな顔で頷いた。
(来夢も変わったな。昔は無関係な周囲にまで気配りする奴じゃなかったのに。これも蔵さんの影響なのかな……)
ふと、克彦はそんなことを考える。
「純子からメッセージきた。純子が赤猫に取り憑かれたって」
ホログラフィー・ディスプレイを顔の前に投影した来夢の報告に、克彦は驚いた。
「あの純子がっ?」
「みどりと累で必死に応戦して、何とかなったらしい。で、赤猫の正体がある程度わかったらしいよ。錆びついたぜんまいが巻かれたかな」
やっと進展があったというニュアンスを込めて、来夢は言った。
***
暁邸。優は父の光次とお手伝いさんの鮪沢鯖子の三人で、夕食をとっていた。
「ずっと気になってて、しかし私の口からは言いづらかったことがあるんだが……」
夕食が終わり、鯖子が台所に片付けをしに行ったタイミングを見計らい、光次は躊躇いがちに口を開いた。
「優、最近ちゃんと学校に行ってるか? 国の秘密機関に赴いたり、私の付き合いで闇の安息所に通ったり、中国拳法の道場や雪岡研究所に訓練に行ったりで、どう考えても学校に行ってる時間無さそうなんだが……」
自分のような駄目な父親が、自分を支えてくれている娘に説教などおこがましいと自覚しつつも、それでも光次は心配になり、その件について触れずにはいられなかった。
「心配かけてごめんなさぁい。はい、ほとんど行ってません」
謝罪しつつもあっさりと答えた優に、光次は啞然とする。
「週に一回か二回って所ですねえ。勉強もほとんどしていませんし。あ、でも大丈夫です。政府の秘密機関経由で、どんなに学校通わずとも、テストの点が悪くても、ちゃんと卒業できるように取り計らってもらいましたあ。裏通りの力も中々のものですが、国家権力はもっと凄いですねえ」
あっけらかんと喋る優を見て、光次は複雑な気分になる。
「君は……それでいいのか?」
優を普通の女の子でなくしてしまったのは、他ならぬ自分のせいだと、光次は受け取っている。しかしだからといって、自分にどうこうできることでもないと、光次は認めてもいる。
「父さん……。今更になって、世間一般の父親みたいなことは口にしてほしくないです。流石におっとり星からやってきたおっとり星人の私でも、ちょっとだけ怒りますよう?」
「私はおっとり星人の子をもった覚えは無いが……」
「キャトルミューティレーションされてチェンジリングです」
「何を言ってるかわからないようでわかるが、それが真実なら、私の血は引いてないという話になってしまうよ」
「真実だったら怖いですねえ。父さん、今更私は普通になんて戻れません。戻る気も無いです。私はもう普通の人生に興味が無いですし、私自身も普通じゃないんです。殺人倶楽部なんて設立して、そこで活動していた時点で、普通の人生とは決別したんです。こんな話、したくないですし、父さんの口から一番言ってほしくなかったことです」
珍しく優が怒りを訴えているのを見て、光次は大きな溜息をつく。
「それでも言わせてほしい。心配するのは当然のことだ。いや……自分のことしか頭になかった私が、やっと娘のことも心配できるようになったんだからね」
父のその言葉に、優ははっとする。
「ごめんなさい。それは喜ばしいことですね」
「皮肉っぽく聞こえるよ」
「皮肉で言ったつもりはありません。でも、子供の立場で親に言うことではないですね」
「逆もまた然りだけどね。元はと言えば、全部私が悪いことであり、優が謝ることなんて何一つ無いよ」
自虐も込めて光次が言ったその時、優の電話にメールが届き、目の前にディスプレイを投影する。
「純子さんからです。純子さんが赤猫に憑かれて……でもおかげで、赤猫のことがいろいろとわかったとのことです。赤猫は……闇の安息所のドリームバンド経由で脳に仕掛けられた、暗示作用とのことです」
「それであの場所を出入りしている人達が、突然おかしくなるわけか」
優の報告を聞いて、光次は驚きつつも納得する。
「明日に重要な話があるそうですが……私、明日は中国拳法の道場のお稽古の日なんですよねえ。そっちの方、サボりたくはないですし、父さん、岸夫君で一人で行ってきていただけませんかあ?」
「え……私一人で……? 赤猫が発動したらどうするんだ?」
「それは私も同じですし、気にしてたら何もできませんよう。運悪く赤猫に憑かれないことを祈っておきましょう」
「ま、そうだけどね……」
考えてみれば、そうならないことを祈るしかないという結論に行き着く。完全な安全策は、閉じこめて誰とも会わないで済ませる事だが、誰もそんな目にはあいたくはないだろう。
(そこに危機があるというのに、危機感無く適当に過ごしていて、その結果ポカして大事な者を失えば、きっとすごく後悔するでしょうが、あの場に今出入りしている皆、そこまで考えてはいないか、それを回避できる自信があるかってことですよねえ)
腹が据わっているといえば聞こえがいいが、どちらかといえばアバウトなように、優には見えた。自身も含めて。
***
その日の美香は、闇の安息所を出た後、裏通りの仕事を夕方から夜にかけて一つこなし、かなり遅くなってから、美香の住居も兼ねている裏通り用事務所に帰宅した。
「お帰りなさい、オリジナル。大日向まどかさんが遊びに来てたよ」
「そうか! 間が悪かったな!」
十一号の報告に、顔をしかめる美香。大日向まどかは表通りの同業者で、表通りにおける唯一の友人である。かつて美香に、ホルマリン漬け大統領のクローン販売に関しての調査依頼をしてから、交流を持つようになった。彼女の依頼があったからこそ、今こうして美香はクローン達と過ごしているし、ツクナミカーズというグループも結成できた。
「まどかさんのお母さん――大日向七瀬さんも一緒に来て、少し喋りました」
十三号が告げた。大日向七瀬は安楽警察署少年課の婦人警官にして、裏通りの生ける伝説の一人であり、菩薩の大日向の通り名で知られている。彼女の説得によって、裏通りに堕ちた多くの未成年者が、裏通りから足を洗って表通りへと戻っていった話は有名だ。
「せっかくオリジナルのことを友達と思ってくれてる子なんだから、大事にしてやらねーと。うひっ」
「お前に言われなくてもわかってる!」
二号にからかわれ、あっさりとむきになって怒鳴る美香。
「つーか赤猫ってのはどうなったよ。まだ原因わかってないん?」
「まだだ!」
二号が少し真顔になって問い、美香は不機嫌そうな顔のまま端的に答える。
「殺意そのものを他人の頭に植え付けるとか、ひどい話です。犯人が許せません」
十三号が珍しく憤りを見せる。七号の件もあって、温厚な彼女でさえ、頭にきているようだ。
「ああ、赤猫を仕掛けた者は、凄まじい悪意の持ち主だ! 見境無い殺意は、真っ先に身近にいる親しい者へと向けられる! そして親しい者や愛する者を手にかけるという悲劇に見舞われる! それを意図的に発生させているのだぞ! ゲロが出そうなほどの大悪党だろう!」
美香も怒りを露わにする。
「その悪意を持つ者が、あの安息所に潜んでいて、陰で私達を見てせせら笑っているのかと思うと、断じて許せん! 腸(はらわた)でゲロが茹であがる!」
「ハラワタまでいったらそりゃうんこだろー」
「汚い言葉を平然と使うな!」
突っ込む二号を叱る美香。
「ゲロはいいのかよっ!?」
呆れて言い返す二号。
「構わん! 誰だって飯を食えば腹の中でゲロになる!」
「それを吐き出すのがゲロであって、腹の中でのもんをいちいちゲロとは言わんわーいっ。大体うんこだって誰だってするわーいっ」
「そういう問題ではない! 人前で口にして汚いか汚くないかの境界線というものがあるという話だ!」
「うはっ、あたしだってそういう次元で話してたのに、問題すりかえたのはオリジナルの方じゃーいっ」
「お前はっ……!」
二号と定番の不毛な言い合いの途中、メールが着た。純子からであった。
「純子も赤猫に憑かれただと!」
いつにも増して大声で叫ぶ美香に、クローン達も驚愕した。
「純子ちゃん達、大丈夫かにゃ?」
「案ずるな! 赤城毅以外全員無事だそうだ! 毅もスクラップになったが一応生きているらしい!」
心配そうに尋ねる七号に、美香が告げる。
「そして赤猫についていろいろとわかったようだ! 闇の安息所の利用者達が、どうやって赤猫に憑かれたのかもな!」
純子の報告を見た限り、赤猫を仕掛けた犯人は、やはり闇の安息所を出入りする者達の中にいる可能性が高いと、美香は推測した。
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