第二十八章 19

「うっひゃあ……まさか純姉とタイマンでやりあうことになるたぁね~」


 向かい合った純子の殺気にあてられ、みどりは呟く


「あばばばば、こんなに強烈で鋭い殺意を浴びせられるのは、久しぶりだぜィ。上っ等ッ」


 みどりは純子を見据え、いつもの口を大きく広げて歯を見せるあの笑みではなく、目を細めて口角をわずかに吊り上げただけの、不敵な笑みを浮かべてみせた。


「未知の能力も使うようで……何とも言えませんが……、触れられないようにしてください。純子は、掌で触れた物質に様々な作用をもたらします。原子分解もできますから……」


 累が忠告するが、純子のその能力はみどりも知っている。


「原子分解だけではなく、純子はオーバーライフ達の中でも、特に近接戦闘に長けています」

「あたしもそれは知ってるよォ、御先祖様」


 さらに忠告する累に、みどりは言い返す。みどりもオーバーライフの端くれである。他のオーバーライフとほとんど接点は持たずに、転生を繰り返してきたが、それでも他のオーバーライフ達の噂は、嫌でも耳に入ってきてしまう。


 オーバーライフの中でも破壊者として分類され、警戒されている者。オーバーライフの中でもステップ2という上位に属する存在。歴史の闇を生き続ける雪岡純子の名は、出会う前から散々聞いていた。支配者というカテゴリーに分類されるオーバーライフ達からは厄介者扱いされており、殺害する機を狙われているという話も有名だ。しかし迂闊に手を出せば返り討ちされるため、手が出せずにいるという話も。

 そんな伝説の存在と毎日仲良く一つ屋根の下で生活してきたみどりであるが、それがある日唐突に敵として襲い掛かってきたという、現実味に乏しい現実。


「そっちから来いよ、純姉。早くしねーと、赤猫は時間切れで、せっかくのその殺意も閉店しちゃうぜィ。みどりはそれまでお見合いでも構わないんだよォ~?」


 知能まで無くなったわけではないので、この煽りも通じるだろうと信じ、みどりは挑発する。


 みどりの胸中は複雑だった。今現在、みどりは純子の精神に、己の精神分裂体をサイコダイブさせて探っている最中であり、できるだけ赤猫憑きの状態を持続しておいて欲しいとも思っている。しかし純子の赤猫憑きが持続している間は、純子が本気で殺しにかかってくる状態でもあるし、さっさと元に戻って欲しいという気持ちもある。


 みどりの挑発に乗ったかのように、純子が鞭化した赤い右腕を横薙ぎに振るう。


 みどりは上体を大きくかがめてかわすと、純子から見て右側へと回り込み、接近する。

 純子の振るわれた右腕の鞭が、接近するみどりへと、純子から見て左側から振るわれる。


 予測しやすかったその攻撃も難なくかわし、みどりは攻撃直後の純子の喉元めがけて薙刀を振るい上げた。


 純子が左手で薙刀の刃の部分をキャッチする。刃と言っても、みどりの持つ薙刀は木刀であるが故、打撃にはなっても斬撃にはならない。

 原子分解を発動させんとする純子だが、みどりの使用する薙刀はただの木刀ではない。神木から削り、様々な形で幾重にも祝福された神器である。例えオーバーライフの超常の能力であろうと、容易に破壊は不可能だ。


 力そのものを退けられたのを感じ取り、純子は薙刀をしっかりと掴んだまま、己の身を薙刀の下方へと強引に滑り込ませる。

 しかしこの動きは、みどりも読んでいた。


「人喰い蛍」


 至近距離から、雫野流妖術で最も使いかってがよい攻撃の術を使用するみどり。殺傷力、攻撃範囲、発動の早さ、回避のしづらさといい、これを編み出した奴は凄いと、この術を習得した際にみどりは感心したほどだ。この術を編み出した人物は今、同じ部屋で浮遊生首と化している。


 三日月の形で上から下へと明滅する光がみどりの前方――純子の周囲に現れる。何十――いや、何百という数のそれは、どう考えても回避不可能な形で、純子の上下左右前後を包囲していた。


(空間転移で逃げるしかないだろうけど、多少は食らうはずだぜィ)


 みどりがそう思った直後、純子めがけて一斉に光が襲いかかる。


 しかしみどりの予想に反して、純子は逃げなかった。そのままの勢いで、みどりに攻撃を仕掛けてきたのだ。


 予想外の攻撃続行に、みどりは避けることができなかった。下から伸びた純子の脚が、みどりの顎をとらえて蹴り上げる。

 大きくのけぞって倒れ、みどりは意識を失いそうになる。一方で純子は、全身にみどりの人喰い蛍を被弾していた。


 その時、みどりの双眸が大きく見開かれる。

 純子の精神深くに潜ったみどりの精神分裂体が、とうとう純子の中で、赤猫のヴィジョンを視認したのである。

 全身が鮮やかな赤い色の猫。目は真っ黒で瞳は確認できない。あるいはそれが全て瞳孔なのかもしれない。純子も今現在、頭の中でそれを認識しているのが、みどりにはわかった。


(こいつの……正体がわかった。そしてあたしには、精神世界からの除去は不可能だわ。絶対に不可能ってわけでもないだろうけど、みどりの力では足りない……)


 のけぞって倒れて天井を仰いだまま、みどりは思う。


(でも……あたし以上に精神干渉能力長けている奴なんて、この地球上にそうそういない気がするわ~。殺意の投影という一点に対して超特化していて、単純にそのパワーが絶大だから、力押しで解除となると、精神干渉能力に長けた人間を何人も集めないといけない。それなら……別の方法を模索した方が良さそうだよね)


 倒れたまま動こうとせず、みどりは考える。


「みどりっ!」


 みどりがもう戦闘不能なのかと錯覚し、累が思わず叫んだ。


「イェア……大丈夫だよォ~、御先祖様ァ。もう解いた」


 純子の意識の奥深くで赤猫を発見し、その正体にも大分迫ることが出来たみどりは、純子の赤猫を解除していた。しかし――発現の解除は出来ても、精神から完全に除去する事は、みどりにはできそうにない。それは途轍もなく複雑に、脳の中に組み込まれているものだと理解した。


「痛たた……体中穴だらけ。神蝕っと」


 正気に戻った純子が顔をしかめ、体細胞を増殖させて、傷を全て埋める。右手も元に戻す。再生能力が乏しかった純子だが、最近、再生というには微妙に異なる能力を身につけ、肉体の損傷を補うことができるようになった。

 みどりが起き上がり、純子に抱きついた。


「ふえぇ~……純姉……怖かったよォ~。ほっとしたよォ~」

「すまんこ」


 力いっぱい抱きついてくるみどりの頭を、純子が屈託の無い笑みを浮かべて、よしよしと撫でる。


「でも純姉があたしの前で赤猫を発現させたおかげで、いろいろわかったよォ~」

「赤猫憑依中の私の心の中に潜ったんだよねー?」


 純子の問いに、みどりは頷く。


「うん。あれは幽霊の類じゃない。呪いでもない。精神操作の能力ですらない。これは脳に施された純然たる暗示……催眠作用。やっとわかったわ……。つーか、誰一人として気付かないってのも、判明すると間抜けだぜィ」

「何がわかったんです?」


 未だ生首だけの状態の累が問う。未だ毅が死なないように肉体的にも霊的にもキープしている有様だ。


「赤猫がどうやって、あたし達の脳の中に入ったかだよォ~。赤猫が発現中の純姉の精神にダイブして、徹底的に探りまくった。元を辿ってみた。物凄く複雑っていうか、赤猫は、精神の中に仕掛けられた四次元のパズルの完成品だと思えばいい。普段はバラバラになって、脳の中でピースが漂っているけど、何かしら条件が整うと、ピースが合わさってこのパズルが完成してしまう。つかね……純姉の頭の中で、その四次元ピースを逆再生して追いかけるの……超しんどかったよォ~」

「で、どこから侵入してきたんですか?」


 中々確信に触れようとしないみどりに、少しじれったさを覚える累。


「赤猫の正体は、ドリームバンドを通じて、脳にかけられた暗示作用だわさ。あたし達全員、闇の安息所でドリームバンドかぶったじゃん」


 みどりがとうとう確信に触れ、純子も累も驚きの表情を浮かべた。


「おそらくは闇の安息所にあるドリームバンド全てに、仕掛けがしてあるよォ~。断片的に暗示をかけることで、容易に悟られないようにしているんだわさ。んで、何らかの作用で、それらの断片が一つにまとまって――四次元パズルのピースが揃って、赤猫が発現するのよ」

「超常の能力じゃあなくて、ドリームバンドで脳をいじくっていただなんてねえ。マッドサイエンティストの私がそれに気付かないなんて……んー……不覚」


 純子が微苦笑をこぼしつつ頬をかく。


「その条件がわかれば、止められるのでしょうか? ていうか、純子。いい加減こっちを何とかしてください。僕も、毅も。いや、せめて毅だけでも何とかしないと……死にかけているのを必死に繋ぎとめているんですから」


 視線で自分の体と、毅の体を指して、純子を促す累。


「ああっと、すまんこ」


 純子が累の神蝕を解き、元の体へと戻す。さらに毅の体を抱え上げ、別の部屋へと運んでいった。


「みどりちゃんの話を聞いて、いろいろ考えたんだけど……」


 しばらくして、純子がリビングに戻ってきて言った。すでに累も生首状態から元に戻っている。室内は増殖した臓物やら筋肉が散乱し、血飛沫まみれの酷い有様のままだ。


「さっきの累君の問い――赤猫発現の条件を止められるかどうかってのは、条件がある時点で、止められると思うよー。でもさ、私がもしこの仕掛けを施すなら、条件を一つに絞ったりはしないよ。条件そのものもランダムで、しかも時間で変化するように作るよ。五感を通じての様々な刺激、感情の変化、キーワード、それらが幾つか揃った際に発動する。それは発動しやすいとも言えるし、しにくいとも言えるね」

「純姉の推理が正しければ、留置所にいる二人は、変化の乏しい空間だから、刺激が足らず、条件が確立されにくいかねえ?」

「それもあるけど、それ以前に留置所の勝美さんと誠君は、一人で収容されているから、赤猫の発現もわかりづらいかなあ。それよりみどりちゃん、赤猫発現でわかったこと、他に無い?」

「えっと……幾つかあるわ」


 それからみどりは、純子の精神に現れた赤猫を解析し、判明した事を幾つか語って並べた。


 赤猫は時間経過で消える。憑依(?)は長続きしない。

 一度赤猫に憑依されると、みどり以外には解除できない。時間経過を待つしかない。

 みどりは赤猫の憑依状態を解くことができるが、頭の中に巣食う赤猫を、完全に除去できるわけではない。

 防ぐ方法は一応あるが、常人には不可能。解析(アナライズ)を行ったオーバーライフにのみ抵抗(レジスト)可能。つまり純子、累、みどりだけが自己防衛できる。

 赤猫そのものの正体は暗示作用によって浮かぶヴィジョンであり、深い意味は無い。


「つまり、赤猫のデザインは製作者の趣味か何かね」

 純子はそう推測する。


「この時点で、あたしは完璧に赤猫の憑依は防げるぜィ。純姉と御先祖様にも憑依を防ぐ方法教えておくよ。でもこれって、オーバーライフ限定だわ。普通の人間が防げないんだから、事態が解決したとはとても言えないっしょ」

「ようするに、赤猫の発現を防ぐわけではなく、発現した赤猫の憑依に対して、抵抗して防ぐわけだねー」

「そういうこと。だからあたしもあえて憑依と表現したしね」


 理解してくれた純子に、にかっと歯を見せて笑うみどり。


「私達だけしか赤猫を防げない原理が、いまいちわからないんだけど。みどりちゃんと累君で精神分裂体を投射して、安息所にいる人達の精神に取り憑いてガードはできない?」


 純子の疑問に、みどりは困り顔になる。


「ふえぇ~、ただの憑依なら不可能じゃないけど、これは心の内部からの侵蝕だからねえ。憑依ってのはあくまで表現の問題で、幽霊の憑依とはわけがちがうよォ~。誰かが赤猫を発現した際には、すぐにそれを知ることくらいはできるけど、抵抗(レジスト)を肩代わりするのは当然無理だしね」


 口にはしなかったが、みどりが精神を一部融合している真に対しても、そのようなことは不可能だ。完全に精神融合してしまえば話は別だが、正直みどりはそんなことをしたくない。


「じゃあさ、米中大戦で累君がやったような……あるいはみどりちゃんが薄幸のメガロドンのテロの際に警察その他を動かさないようにしたような、強烈な暗示作用を与えて――暗示の上書きをして、発現を抑えるってのは無理?」

「ふわぁ~、無理無理とても無理。というか全然性質が違うよォ~。さっきも言ったけど、赤猫はに安息所を訪れた人全員の精神に、パズルがバラバラのピースとなって潜り込んでいる状態なんだわさ。今のあたし達にもね。内部からの侵蝕だし、外からの暗示でどうにかなる性質じゃないんだよ。ああ、お涙頂戴展開で、親しい人が声かけて洗脳解くとかも、全く通じないからね。純姉は取り憑かれてみてわかっただろうけど」

「うん、殺すこと以外の意思が全く無い状態だった」


 頬をかく純子。あれはあれで面白かったと、こっそり思っている。


「具体的な解決策は判明していませんけど、かなり進展がありましたね。何より大きいのは、闇の安息所のドリームバンドによる暗示によって、赤猫が植えつけられたということがわかったことです」


 累が言い、純子を見た。みどりも純子を見る。次に動くのは誰が適材適所であるか、二人の視線が物語っていた。

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