第二十八章 16

 休日後の闇の安息所。その日はかなりの人数が集っていた。華子真菜子の姉妹、ユマ、美香と七号、克彦と来夢、優と岸夫、毅。来てないのは、純子とみどりと累の三人だけだ。


「とても言いにくいのだけど……私の立場では特に言いにくいけど、でもこれは、絶対に黙っていてはいけないことだから、正直に言いますね」


 皆を前にして、深刻そうな面持ちで前置きをおくペペに、何人かは得体の知れない不安を予感し、察しのいい何人かはペペが何を打ち明けようとしているか、わかってしまった。


「昨日、私は赤猫に取り憑かれたの。で……たまたま出会ったユマちゃんを殺そうとしたわ」

 ペペが硬質な声で告白する。


 ユマは皆の顔色を伺うが、真菜子は特に怖がっている様子は無い。きっとペペを信じてくれているのだと、ほっとする。毅、優、岸夫、来夢、克彦も顔色に変化は無い。華子はおろおろとしているが、華子だから仕方がないと思い、特に何とも思わない。

 露骨に様子がおかしいのは七号だった。その隣にいる美香も、七号を気遣うように見ている。七号がおかしい理由も知っているかのように、ユマには見えた。


(この二人は……ペペさんに不審を抱いている? 七号さんは明らかに……怖がっている?)


 ユマの目から見て、七号は動揺を超えて、はっきりと恐怖しているように見えた。しかしそれにしてはおかしい。多少怖がる程度ならまだわかるが、すっかり青ざめた顔で、かたかたと震えている。怖がり方が尋常ではない。まるで自分が殺されかけたかのような有様だ。


「七号ちゃん、大丈夫?」


 ペペも七号の様子がおかしいことに気がつき、声をかけた。


「ごめんなさいにゃ……」


 うつむき加減だった七号が顔をあげ、ぽろぽろと涙をこぼし、鼻声で謝罪を口にする。


「ど、どうしたの……?」


 美香と反対側の隣の席にいた華子が、戸惑いの声をあげる。


「にゃーも……赤猫に取り憑かれたにゃ……。でも……みんなに言うのが怖くて、言い出せなくていたにゃ……。ペペさんは正直に言ったのに、にゃーはとんでもにゃいチキンやろーで卑怯者にゃ……。生まれてすみませんにゃ……」

「すまん! 私もそれを知っていた! 私に襲いかかったが、何とか止めた!」


 美香が音を立てて椅子から立ち上がり、体が垂直になるほど深々と頭を下げる。


「オリジナルは悪くにゃいんにゃーっ。オリジナルはちゃんと正直に言うべきだと言ったのに、にゃーはこわくてこわくてしかたにゃくて、にゃーの気持ちが落ち着いて、自分で言い出せるようになるまで、待っててほしいとお願いして……それで言えなくていたら……先にペペさんが……ふにゃあぁぁぁ~んっ」


 ひとしきり釈明した後、号泣しだす七号。


「確かにチキンで卑怯だけど、許すよ」


 重い空気の中、空気に屈する事無く真っ先に発言したのは、来夢だった。


「泣くくらい罪の意識があるわけだ。で、そのまま黙っていればいいのに、そこで白状したんだから、許すしかない。許さざるをえない。ここで許さないのはどうかしてる。ここで許さない奴こそ、人間的に許されない」


 きっぱり言い切る来夢に、隣にいた克彦は思わず微笑をこぼす。


「おお、過激だけどいいこと言いますねえ、来夢君。私も同感ですよう。でもそれ以前に、七号さんは迷っていて、美香さんはそれを見守っていたのだから、美香さんはもちろん謝ることはないですしぃ、七号さんだって、先にペペさんが口にしたというだけの話で、卑怯どうこうの話では無いと思います」


 優が私見を述べつつフォローする。


「いや、卑怯だよ。卑怯なのは間違いない。七号は卑怯者だ。でもそれくらいの卑怯な心、許容範囲。そもそも許す許さないとかいうほど悪いことしてない。だから許す」


 同感だと言いつつ自分の言葉を否定した優に、来夢はあくまで引くことない意を示しつつフォローする。


「来夢、よく本を読んでいるわりには、お前の表現、微妙におかしいぞ」

「普通の表現じゃ物足りなくなって、強い言霊を込めたくて、いろんな言葉遣いを試している所」


 突っ込む克彦に、来夢は言ってのける。


「嘘をついたり一人で秘密を抱えて黙っていたりするのって、しんどいものだからね」

 と、ペペ。


「表面上の優しさだけではだめ。本音の語らいが必要だし、心から相手を認め合い、許しあわないと」

「理想はそうだろうけど、そんなの難しい」


 ペペの言葉を即座に否定する来夢。


(この子、何か嫌だ……。小さいくせに知った風な口ばかりたたいて……)


 華子は来夢の発言に、あまりいい印象を抱かなかった。来夢自身に悪印象を抱きつつある。


(相変わらずこの子は面白いな。口が悪いようであって、物事の本質を突き詰めようとする姿勢が感じられる)


 華子とは逆に、ユマは来夢に好感を抱いている。新人達の中では、最も会話をかわした相手でもあるし、来夢の喋り方や主張も、ユマの琴線に触れるものがあった。


「とりあえず、七号ちゃんも私も含め、ここに出入りしている人は皆、赤猫に憑かれて人を襲いかねないってことよ。これまで以上に注意して、すぐに対応できるようにしておいて」


 ペペが一同を見渡し、警戒を促す。


「普通ならここで怖がりそうなものだし、もっと深刻な空気になりそうだけど、皆裏通りの住人で度胸あるから、皆落ち着いてますね」


 毅が一同を見渡し、微笑みながら言った。最初は現実味が無くて緊張感が無かったが、それだけではなく、いざとなったら即対応してやるとして、腹をくくっているという部分が強い。


(一人だけ怯えている子もいるのよね……)

 華子を見ながら、ペペは思った。


***


 その後、安息所ではそれぞれ何組かに別れて、雑談をしたり本を読んだりドリームバンドを試したりなどして、一時を過ごしていた。

 克彦がドリームバンドで治療しているので、来夢は毅と話をしていた。


「そっか……君が蔵さんの組織を継いだんですか……」


 知っていたが、あえて相槌をうつニュアンスで言う毅。


「蔵さん、無駄死にしたわけじゃなかったんだな。俺のせいであの人を死なせたのかと思って

気に病んでた」

「毅のせい?」


 来夢が怪訝な声をあげる。


「蔵さんはね、俺に影響されて独立して一旗上げようと思ったそうです。その結果殺されたから……俺が余計なこと言わなければよかったと……」

「多分おじさんは毅に感謝してる。俺も感謝。おかげでおじさんと会えた」


 力強く言う来夢の言葉に、毅は救われた気持ちになった。


 その隣ではペペと七号が喋っている。


「ペペさんが口に出さなければ、にゃーはずっと秘密を抱えた苦しいままだったのにゃ……。確かにペペさん言うとおり、嘘や秘密は苦しいにゃ……」

「一思いに打ち明けたから、楽になったでしょう?」

「すっかり楽ちんでりらくっすにゃー」


 ペペに問われ、七号は上機嫌に弾んだ声をあげる。


(月那美香、今は誰とも話してない。今がチャンス)


 安息所に置かれていた、精神障害にまつわる本を読んでいる美香を見て、ユマは決意する。


(よし……声かけよう。さっきのやりとり見ても、美香さんはいい人みたいだし、無視とか絶対にしないと思うっ)


 読書中に声かけるのもどうかと思ったが、交流をする場なので、構わないだろうとユマは自分に言い聞かせた。


「あの……お話……しても、よ、よろしいでしょうか?」


 元気よく声をかけようと思ったユマであったにも関わらず、照れ全開のぎくしゃくした喋りになってしまい、顔に血がのぼるのが自分ではっきりとわかった。ユマもどちらかといえばシャイな方だ。


「一向に構わんぞ! 遠慮などしなくてよろしい! 付き添いとはいえ、私もここに足を運ぶ者の一人だ!」


 朗らかな笑みと共に美香の口から返ってきた言葉に、ユマは安堵する。


「美香うるさい。大声出さないで。うるさい大声出さないでって何度も言わせないで」

「ごれでも控えでるっ」


 来夢が注意し、美香が無理矢理押し殺したような低い声を発する。


「無理しなくてもいいと思う。それが美香さんの持ち味なんだし」


 数日前の自分なら信じられない言葉が、自然とユマの口から出る。美香のような人間には、嫉みや反感や嫌悪感しか無かったというのに。


「呼び捨てでいい。私のような年上に敬語も使えん無礼者相手、気遣いなど無用」

 笑顔のまま美香が言った。


「ユマ、あまり美香を甘やかさないで。そういう持ち味のキャラだから仕方無い的雰囲気で、周りが甘やかして、普通なら許されない無礼も許される空気出来ているけど、それに屈して甘やかしたら、美香のためにもならない」

「お前も人のことは言えんだろうが! お前は私の保護者か!」

「真も同じこと言ってたから、俺も共感しているだけ」

「あいつ……」


 来夢が横から茶々を入れてくるのは、ユマとしてみれば都合が良かった。ユマの緊張が少しほぐれる。


「美香って、思って頼りずっと砕けた人だったのね。もっと固い人だと思ってた」


 思っていたことを少し柔らかい表現で伝えるユマ。


「よく言われる。悪いイメージばかりが定着している。すっかり珍獣だ。別にこういうキャラを作っているわけでもないのにな」


 心なしか物憂げな表情を見せる美香。


「さっき謝った場面とか、ちょっとぐっときた」

 ユマは力を込めて言った。


「記者会見なんかの芸能人の謝罪って、茶番ぽくて全く信用できないものだけど……今の美香のは、本当に心から謝ったって感じで好感持てたよ」

「そうか。まあ……記者会見の謝罪など、信用できなくて当然だな! あんなもの、謝意など欠片も無いが、とりあえず世間に叩かれるのを回避するために、謝るポーズをしているだけだ。腹の底では舌を出しているか唾を吐いている! 芸能人に関わらず、経営者や政治屋の謝罪会見もな! そして視聴者もそれをお見通し、謝る方も見抜かれている事を承知のうえという、馬鹿馬鹿しい予定調和だ! しかし! 私が謝る時は、謝るべきと心から思った時だけだ!」

「美香うるさい。学習能力無いの? 脳みそ両棲類並?」


 美香の隣に座っている来夢が、いやそうな顔で、先程よりキツめの口調で文句を言う。


「すまなかった……」

「謝意と誠意があっても、学習機能のぜんまいを巻かないと無意味だよね」

「ぐぬぬぬ……」


 謝ってもなおも辛辣な言葉を投げかける来夢に、美香が唸る。そのやりとりがおかしくて、ユマは自然と微笑がこぼれた。

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