第二十八章 15

 闇の安息所の休日、檜原姉妹は所属する組織の仕事が入った。


 華子と真菜子の二人は、都心にある高級料亭へと赴いた。

 二人共髪の毛は全て隠し、胸の膨らみもできるだけ抑えて女性だという事をわからなくしている。場合によっては女とわかる方がいい場面もあるが、女だと知られるとややこしい状況の方が多い。


 部屋には見慣れたものが転がっている。シーツがかけられているが、それが死体だということがわかる。二人の仕事の実に六割くらいは、死体の処理だ。別に檜原姉妹に限った話ではなく、彼女達が属する後始末専門の始末屋組織『恐怖の大王後援会』に属する構成員の大半は、半分以上は死体処理の仕事をしている。

 すでに仕事には慣れているが、元々人だったものを見て、華子は全く抵抗を感じないわけでもない。いろいろと考えてしまう。

 姉の真菜子も、何も感じずに作業をしているだけではないという。


『逆に何も感じなくなったら、人として駄目になる気がする。もう馴れたし、作業そのものは淡々とこなせるけどね。でも、その人のことを考えてしまう。死んだ場所、何で死んだのか、どういう人だったのか、どんな顔で死んでいるか、いろいろ照らし合わせて、どうしても想像が働く。私達が扱う死人てさ、ろくに供養さえせず、墓にも入れず、死んだという事実さえ抹消される人達だからね。殺された人も多いし……』


 かつて真菜子は、華子にそう語った。姉が自分とほぼ同じような気持ちであったことに、華子は少し嬉しくもあり、仕事への抵抗がかなり和らいだ。

 シーツがめくられる。今日の処分対象は女性の死体だった。衣服の乱れた芸者の死体。苦悶の形相のまま死後硬直しており、一般人が見たなら一生忘れられそうにない思い出になること請け合いだと、華子は思う。死因は絞殺だった。


(どこかの金持ちが、酔ったはずみでうっかり殺害。その揉み消しかな……)


 想像をめぐらしながら、手を合わせて瞑目する華子。真菜子も同じように軽く祈っている。


「畳の処理は?」


 仕事中はできるだけ会話を交わさないようにする決まりであるが、死体だけシーツごとくるみながら、華子が訪ねた。

 例え出血が無くても、死体から排出された糞尿が垂れ流されている事があり、その掃除も仕事のうちだ。今回は糞尿が畳に染みこんでしまっている。


「畳は面倒ね……交換しないと。畳も剥いでいく」


 真菜子が言った。ひどい時など、床そのものを交換しなくてはならなくなり、短時間で別のチームを呼ぶ必要がある。今回も畳の交換など、二人の手には余る。

 事前に状況も細かく説明があれば、最初から床でも畳でも処理できるチームを手配して、こんな無駄な時間と人員の浪費と手間は無くて済むが、今回の依頼者はその辺を怠った。後で追加料金を高めに払わせるパターンだ。そして粗悪依頼者としてチェックリストに入れて、依頼がかぶった際には、後回しにされる。


 二人の指先携帯電話が振動する。ディスプレイを投影すると、暗号で非常事態の旨が書かれていた。外でチェックしている同僚が、料亭の中に私服刑事が入っていったのを目撃したという。

 こういうトラブルも少なくはないが、タイミングの悪い警察の介入は、トラブルの中でもかなり面倒な部類に入る。これは一概に依頼者の落ち度とも言えない。完全に秘匿したうえで、組織に処分を依頼しなくてはならないというルールは無いし、そんなルールを設けたら仕事自体が減る。また、些細な行き違いや運の悪さで発生する、不可抗力なケースも多い。


 刑事が部屋に来るまでの間に、死体の処理だけはできる。問題は畳の隠滅と、死体を持って刑事に見つからずに脱出できるかどうかだ。


(お姉ちゃん……)


 思わず口に出してしまいそうになる華子。仕事の間は、お姉ちゃんと呼ぶのは厳禁だ。


(どうするの? どうしたらいいの?)


 縋るような目で華子は姉を見つめるが、それに対して真菜子は、怒りを帯びた視線で妹を睨みつけた。


(役立たずの能無しの分際で、いちいち私を不安そうな目で見ないでよ。どうせ解決策は私が考えるんだし、貴女はせいぜい私の足を引っ張らないように、私の言うことにちゃんと従うだけなのよ)


 忌々しげに心の中で罵倒する真菜子。だがそんな余計なことを考えている暇も無い状況であるはずだと意識し、ますます妹のことが疎ましく感じられる。この余計な思考による時間のロスも、全部華子のせいだと。


(使いたくなかったけど、あの手段を用いるしかないみたいね)


 できれば使いたくない手段の用意はあった。しかしこの手段は一度使うと、二度目の使用は限りなく難しくなる。少なくとも組織には、使う時は最終手段のつもりで使えと指示されている。


「緊急手段」


 短く呟き、真菜子は華子の方に手を伸ばした。正確には、華子が持つ大きな鞄にだ。

 鞄を引ったくり、真菜子が中から取り出した物を見て、華子は驚いた。姉が何をするか理解したのだ。

 真菜子が手にしているのは、農薬噴霧器のようなものだった。金属製の円筒状の缶から、長い噴射筒とホースが伸びている。しかし噴霧されるのは農薬ではない。


 噴射口から炎が噴き出され、汚れている畳を燃やす。汚れた部分が炎によって燃やされて、死体の証拠の隠滅にはなったが、畳に火がついて燃え広がる。

 消火はしない。火事の責任ももたないし、自分達とは関係無いとしらばっくれて済ますことにする。これが現在における最良かつ、唯一の突破手段であると、真菜子は判断した。他に良い方法もあったかもしれないが、少なくとも真菜子には思いつかない。


 唐突に真菜子が作業着を脱ぎ出し、髪も顔も露わにする。作業着の下には普段着を着ている。これも万が一の備えである。


「華子は脱がなくていい。そのままブツを運んで。私が引きつける。早く行って」


 有無を言わせない口調の早口で告げると、真菜子は部屋の外へと飛び出し、料亭の入り口の方へ向かった。


「火事ーっ。火事よーっ! 誰かーっ! 火事ーっ!」


 廊下を走りながら、大声で叫ぶ真菜子。


 果たして真菜子は、目つきの悪い、明らかに私服刑事とわかる二人組と出くわす


「ああっ、早く消火器を! 奥の部屋が燃えてるの!」

「店の人に知らせろ」


 上役と思われる年配刑事が、若い刑事に指示をする。


「あんたは店員では無いようだし、客にも見えないな」


 刑事が真菜子に問いただす。店員なら消火器がある場所もわかりそうなものだし、店員ではない自分達に消火器を求めることもない。まだ店が開いていないのだから、客であるはずもない。


「警察の方ですか?」


 刑事を見つめ、真菜子は直球で問いただす。言い当てられた刑事は、ますます胡散臭そうに真菜子を見る。


「失礼、そういう臭いを感じたもので。私はこういう者です」


 真菜子が懐から名刺を取り出し、刑事に渡した。

 名刺にはこう書かれていた。『アンゴルモア探偵事務所 奥多摩アイ』と。


「ほう……あのアンゴルモアの探偵さんか……」

「新米ですけどね」


 唸る刑事に、真菜子は愛想笑いを浮かべる。


 アンゴルモア探偵事務所は、実在する大手探偵事務所である。その筋では有名だ。真菜子は奥多摩アイという偽名でもって、その事務所の所員として登録してある。連絡すればちゃんと確認も取れる。

 しかし、実はこのアンゴルモア探偵事務所そのものが、恐怖の大王後援会の息のかかった組織なのだ。自分達の組織がいざという時に利用するために、恐怖の大王後援会が作った探偵事務所である。恐怖の大王後援会に所属する構成員は全員、偽名を作ってアンゴルモア探偵事務所にも登録してある。


 どうしても切り抜けるのが困難な事態に直面した際には、アンゴルモア探偵事務所の所員という立場を用いて切り抜けるわけだが、これは本当にどうしようもなくなった際の、最後の手段にするようにと、恐怖の大王後援会の構成員達は指示を受けている。

 もしあまりにも多用してしまうと、個人だけの問題ではなく、トラブルの場に必ずアンゴルモア探偵事務所の者がいるという話が広まってしまい、この緊急手段自体を、組織全体で使いづらくなってしまうからだ。


「店の人にも許可はとってあります。ここで調べものをしていたら、火事が起こって……」

「そうか……」


 胡散臭そうに真菜子を見つめる刑事。関連性を疑っている眼差しだが、相手が有名な探偵事務所の者とあれば、探った所で情報を出さないのは目に見えていると、諦めていた。


 素顔のまま、真菜子は堂々と店を出る。警察が裏口も固めているとはとても思えない。死体を作った相手を嗅ぎまわるため、常連として通っているこの料亭へ、捜査に訪れただけであろうと判断する。

 同僚の車は裏口で先に華子を回収し、真菜子が出てくるであろう表口の近くへとやってきた。


「随分と強引な手を使ったな」

「他に方法無かったし、目的だけなら達成できたでしょ」


 運転席の同僚に声をかけられ、後部座席に座った真菜子は淡々と言い返す。隣には作業着のままの華子がいる。


「一切波風立てず、波風の痕跡も無く後始末ってのがうちらの信条だ。それなのに火事を起こすとか……。最悪の場合、組織の看板に泥を塗る可能性もあるぞ」

「状況は後で全部報告するし、あの状況で他の手段があったにも関わらず、思いつかなかった私に落ち度があると責められるなら、それは仕方ないと受け止める。でもね、今ここで貴方に嫌味をグチグチ言われるのは、納得できないけど?」

「言い過ぎた……。悪かった。嫌味のつもりじゃなく、釘を刺しただけだよ」


 冷たい口調で真菜子がまくしたて、運転席の同僚はバツが悪そうに頭をかき、車を走らせた。


「お姉ちゃん……」


 隣にいる真菜子だけに聞こえる小声で、華子が口を開きと、手を伸ばし、真菜子の手に自分の手をそっと重ねた。


「まだ仕事中よ。その呼び名は……」

「ごめん……わかってる。でも、どうしても今は言わせて。私、お姉ちゃんのこと、凄く誇らしい」


 嬉しそうに微笑む妹を一瞥し、真菜子は呆れ顔になる。


「馬鹿じゃないの? 全然大したことしてないのに。使えるカードを切っただけの話じゃない。そういう過大評価はいらない」

「でも私じゃきっとどうにもできなかった……」

「うるさい。いつまでもくだらないこと言わないで。これから私は、上に報告もしなくちゃならないし、仕事は終わってないのよ」

「ごめんなさい……」


 姉のすげない物言いに、しゅんとした顔になって華子は手を引っ込めようとする。


 その手を真菜子に握られ、華子は驚いて姉の顔を見た。

 真菜子はもう片方の手で車体に頬杖をつき、そっぽを向いていたが、華子の手をしっかりと握り続けていた。

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