第二十八章 12

 七号が雪岡研究所で改造されて得た超常の能力は、本人でも制御が困難な、非常に厄介な代物であった。

 感情が暴走すると、能力も暴走してしまう。それでいて七号自体が精神的に不安定なので、周囲に危害も及ぼしかねない。元々歩く地雷のような存在ではあった。


 しかし今、七号の心は明らかに殺意一色で塗りつぶされ、完全な暴走状態になっている。おまけに制御が難しいはずのその能力は、殺意に染まったことによってか、制御された代物になっているよう、見受けられる。


(二号、お前が頼りだ!)


 声に出さず叫ぶ美香。すでに二号が仕掛けを施していた場面を、美香は目撃していた。果たして七号は気付いているかどうか。


 完全に狂戦士状態になっているのか、殺意で正気は失っているが知性は残っているのか、よくわからない。前者ならやりやすいが、後者であれば厄介だ。

 無表情のまま無差別な殺意を迸らせる七号。スタジオの中の空気が荒れ狂い、置かれてあった物が飛び交う。


 十一号が七号へと突っ込むのを見て、美香は目を剥いた。


「よせ! 十一号! 偶然の悪戯!」


 自分を中心とした広範囲に超自然現象を発生させる七号が、己の能力を制御できる状態となった現在、肉弾戦を仕掛けるのは非常に悪手と美香は判断し、制止をかけつつ、運命操作術を発動させる。百戦錬磨である美香にはすぐにそれがわかったが、いかんせん十一号は経験が足りなかった。


 照明が七号の間近に落下し、七号がそちらに気をとられる。


(狂戦士化したわけではなく、知性は残っているようだな! 判断力はある! 今回はそれが良い方向に作用した!)


 照明の落下に反応した七号を見て、美香は安堵する。


「熱っ!」


 炎とまではいかないが、熱風が吹き付けられ、慌てて後退する十一号。美香の声に反応し、身を引くのが少し遅れたら、危なかった。

 それだけではない。運命操作術の作用で、七号が直前までスタジオ内に突風を吹かせていたことにより、照明の一つが七号の近くに落下し、七号の気を引き、十一号に対する攻撃が微妙なものとなっていたのである。


「いくわ」

 二号が短く告げる。


 先程二号が七号に向かって投げつけたのは、己の能力を発動させるための触媒であった。二号の能力――オーガニックトラップは、有機物を触媒として増殖させ、様々なトラップへと作り変える。触媒次第にもよるが、巨大なトラッブや複雑なトラップは、能力を発動させるまでに多少の準備時間を要する。

 投げてから十分な時間が稼げたので、二号は能力を発動させた。


 七号の足元に投げたのは、餅だった。七号がスタジオ内で吹かせた突風にも舞い上がることなく、床にへばりついていた。

 その餅が瞬時に膨れ上がり、さらには広がり、七号の体に横から襲いかかる。


 至近距離から突如現れた白い巨大餅。七号はかわすことも、能力で退けることもかなわず、その全身に浴びてしまう。


「あんころもちならぬ七号持餅、いっちょあがり~。うへへへ」


 七号を捕獲した二号が、気色悪い笑い声をあげる。


「見事!」


 美香が称賛した直後、七号が紫電を美香めがけて放つ。餅から顔を出しただけで身動き取れない状態でありながらも、能力を発動して攻撃はできた。


「この狂乱化は、時間経過で解けるの?」

 七号の攻撃をかわした美香に、十一号が問う。


「話に聞く所によるとそうらしい! いや……誰かを殺さない限り解けないという可能性もあるが!」

「おいおい、冗談じゃねーっスよ……」


 美香の言葉を聞き、クローン達は青ざめる。


 しかし美香の悪い予測は外れたようで、七号はいつもの七号の表情に戻った。目も元通りになっている。


「オリジナル……みんにゃ……にゃーは……」

 泣き顔になる七号。


「どうやら自分が何をしたか、全部記憶にあるようね……」


 七号の様子を見て、十一号が言った。それは辛いことだろうと思う。身内を殺そうとしていた時の記憶も、殺意に染まっていた自分の感情の記憶も、全てあるのだから。


「私、何もしませんでしたね……」

「私なんか足引っ張っただけだし……」

「この無能共とは違い、あたしは一番活躍した。褒めることを許してつかわすっ」

「気にするな! 十三号! 十一号! 調子に乗るな! 二号! しかしよくやった!」


 美香がクローン達をねぎらう。


 二号がオーガニックトラップを解くと、七号に貼り付いていた餅も綺麗さっぱりと消失した。七号は呆然とした面持ちで、涙を流している。


「七号、気にしなくていいんだぞ」


 七号を正面からぎゅっと抱きしめ、美香が優しい声をかけた。


「目の前に赤猫が浮かびあがって、それ以外見えなくなったにゃ……。体中真っ赤で、目は真っ黒にゃ。白目の部分が無くて、リトルグレイみたいに真っ黒なのにゃ……。その後、皆を殺すことだけで頭がいっぱいになったのにゃ……」


 泣きながらも、自分の精神の変化を語る七号。


「元々あの闇の安息所に出入りしていた者達だけでなく、最近入った者全て、赤猫の呪いがかかったというわけか! 呪いかどうかもわからんが、これは呪いそのもの! 七号に発現したとあれば、私も当然危険!」

「オリジナルがおかしくなっても、あたしがまた何とかしてやる。でも……その安息所とやらに行った奴がおかしくなるなら、あたしはそこに行かない方がいいよね? 捕獲に長けたあたしがおかしくなったら厄介じゃん」

「そうだな!」


 冷静に確認する二号の言葉に、美香が頷く。


「とりあえず純子に報告だ! この意味不明な現象の正体を一刻も早く解かねば、また犠牲者が出かねない!」

「周囲のモンも気が気じゃねーし、さっさとよろしく頼むわホント……。つーかこの無茶苦茶なスタジオとか……スタッフにどう説明すんのよ」


 美香が携帯電話を取り出してメールを送る一方で、二号がスタジオを見渡して苦笑する。


「オリジナルだけに負担はかけられません。説明は私がしましょう」

「サンクス! 頼む!」


 申し出る十三号に、美香は爽やか笑顔を向けて礼を述べた。


***


「なあ、純姉、御先祖様、禿警部、オマケ一名……。この事件は、ちゃんと解決させたいわ~……」


 留置所から出た所で、みどりが唐突にそんな台詞を口にした。


「俺の名前は松本完ね。まあ梅津さんのオマケ扱いでもいいけど、覚えてくれると嬉しいかもね」

「みどりはさァ、今の二人の心の中、ダイレクトに見ちゃったからね。自分の大事な家族を手にかけてしまった苦しみと絶望、嫌というほど伝わってきたよォ~……。ひどすぎるよ、こんなのさ」


 主張する松本を無視して、みどりは悲しげな、そして悔しげな顔で語る。


「それと……ムカつくわ。どう考えてもこれは人為的だ。仕掛けた黒幕がいやがる。一体どこのどいつだよ、こんな悪趣味極まりないことやりくさったのわ……。赤猫なんてものを作って、人の頭に埋め込みやがったのは」

「ああ……できることなら、彼等の無罪も証明したい。超常の力が絡んでいるなら、そいつは結構キツいんだけどな」


 静かに怒りを訴えるみどりを見て、梅津も胸が熱くなるものを感じる。


「お前、いっそ警察になったらどうだ? 雪岡研究所の所員なんかしてるより、そっちのがあってるかもしれないぞ」


 半分冗談、半分本気で言う梅津であった。


「ふわぁ~……やめとくわ~。どう考えてもみどりは、公僕は向かねーし。ていうかね、あたしは純姉の所で働いてなんかいねーから。ただの居候だよぉ~」


 そう言って歯を見せて笑うみどり。


(この二人、どっかで見たことあると思ったら、以前あたしの信者を殺しまくってくれた刑事二人だわ。やっと思い出した)


 恨む気は無いが、みどりの胸中は複雑だった。


「あ……」


 指先携帯電話を取って、メールボックスを目の前に投影し、その内容を見て純子は声をあげた。


「七号ちゃんが赤猫発現させたってさー。上手いこと取り押さえて、犠牲者は出さなかったって」

 純子が報告する。


「犠牲者を出すか出さないかで違いがあるかもしれないぞ。みどり、一応そいつの心も調べてみてくれ」

「オッケイ、禿警部」


 梅津に向かって、にかっと歯を見せて笑いながら敬礼するみどり。


「まだ禿ちゃいねーってのっ」

「ま、いざとなったら、純姉に頼んで、実験台になって髪生やしてもらうってのもありじゃね」

「いいねえ。梅津さんは意表をついて怪人タイプがいいかもねえ。髪を維持するために、他人の髪を食べ続ける怪人髪食い男とか」

「ねーよ……改造もねーけど、意表をつくのもねーよ……」


 好き勝手言うみどりと純子に、梅津は顔をしかめて吐き捨てた。

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