第二十八章 11
その日、美香は表通りの方の仕事にうちこんでいた。
「最近さー、オリジナルは七号を甘やかしすぎだよな~」
クローン達と共にプロモーション映像の撮影を終え、一息ついたところで、二号が不満たっぷりな顔でそんなことを口にする。
「二号……七号は心の病気のための治療中なんですよ。それなのにそんなことを言ってはいけません」
いつも通り、十三号が丁寧に注意する。
「おーおー、いつも通りのいい子ちゃんが何か綺麗事言ってらー。本質も見えてねーよーだし。同じDNA持ってて、どうしてこうオツムの出来が違ってくるのやら」
「では二号よ! その毒を吐く理由を聞かせてもらおうか!」
スタジオ内にて、他にスタッフもいる中で、険悪な声を発する美香。
「オリジナルの時間を奪ってるだろ。付き添いなんているか? 一人で行かせればいいのに、甘やかしすぎだっつーの。ぺっ」
睨みつけてくる美香を堂々に睨み返し、二号は言い放つ。美香の表情が和らいだ。
「私を心配してくれているようだが、その点は大丈夫! 私もいい息抜きになっている! 知り合いも多いしな!」
これは強がっているわけでも、クローン達を心配させまいとしているわけでもなく、美香の本心だ。
「でも……オリジナルをにゃーに付きあわせているのは、歯切れも悪い事実にゃ……」
「紛れもない事実、ね……」
表情を曇らせて言う七号に、十一号が訂正した。
「オフの時間で、オリジナルも他にしたいことあるかもしれないのにゃ。今の事件が解決したら、にゃーはできるだけ一人で安息所に行くよう心がけるにゃ。オリジナルもたまに来てくれるだけでいいにゃ。二号はよく指摘してくれたにゃ。憎まれ役御苦労にゃ」
七号が二号に向かってにっこりと笑う。二号は無言でそっぽを向く。
「二号……そういうつもりだったのですか。でももう少し言葉を選ぶようにしましょうよ」
「うひっ、いちいち言葉を選んだらあたしがあたしじゃなくなりますわ~。憎まれてるぐらいが丁度いいの。仲良しごっこして、言いにくい本音も言えず、知らず知らずのうちにストレス溜まってくるくらいなら、誰かが憎まれてでもガスをぬいてやらねーとだぜ」
十三号がさらにやんわりと注意したが、二号は少し真顔になって主張した。
「二号の悪態はガス抜きのつもりなのか、本当にただの悪態なのか見極めが難しいことがあるのが問題なのよね……」
「全くだ!」
十一号が言い、美香が同意する。七号も十三号も話を聞いていた周囲のスタッフも、笑みをこぼす。
その笑みが即座に消え、表情が固まった者がいた。七号だ。
「あれ……? 七号ちゃん?」
七号の様子がおかしいことに真っ先に気がついたのは、美香達のマネージャーの女性だった。
マネージャーが七号の顔を見て訝った直後、美香もおかしな気配を察知した。
(殺気だと!?)
スタジオ内で殺気という名の電磁波が放たれているという、おそるべき事実。表通りのスタッフ達も沢山いる。そこに裏通りの者が襲撃をかけてくるのは、最も避けたい事だ。
しかし外からの襲撃ではない。殺気を放っている者が誰かも、美香はすぐにわかった。七号だ。
十一号も感じ取り、マネージャーに飛びつくようにして、その体を抱きすくめて七号から離す。
マネージャーがつい今までいた空間に、炎柱がたち、そして消えた。
明らかに七号の仕業である。少なくとも美香とクローン達にはそれがわかった。
スタジオ内にいる全員が固まる。何か超常的な、よくないことが起こったという事くらいは認識した。
「全員避難だ! ここにいると危ない!」
美香の叫びに応じ、スタッフ達がスタジオの外へと逃げていく。
七号は無表情のまま、今度は十三号めがけて真空の刃で攻撃したが、十三号は大きく跳躍してこれを回避する。
「やめろ! 七号!」
美香が叫ぶと、七号は美香の方を向き、紫電を放射状に放つ。殺気に反応して避けようとしたが、完全にはかわしきれず、紫電の一筋が美香の下腹部を突き抜け、痺れて膝をつく。
「おんどりゃあっ、何しとんじゃあ!」
二号が怒鳴り、ポケットの中から何かを取り出し、七号の足元へと投げつける。七号は反射的にかわす。
「どういうことなの!?」
マネージャーを逃し、スタジオの出入り口で十一号が叫ぶ。スタッフは無事に全員逃れることができたので、美香は胸を撫で下ろした。
「おそらく……七号が赤猫というのに取り憑かれたのだろう……」
痺れが取れぬ状態で、苦しげに言う美香。
闇の安息所で不可解な殺人事件が起こり、事件を起こした者は赤猫なる者を見たと口にしていた。安息所を出入りする者達はその話を聞いてから、赤猫に取り憑かれた者は、無差別な殺人衝動にとらわれて、手近にいる者を襲いかかるという認識である。
クローン達もその話は聞いている。しかしあまりにも現実味が無い話として、警戒するには至らなかった。
「目が……」
十三号は、七号の目の変化を見た。微妙に色がおかしい。瞳が黒一色になっている。
「七号の能力を考えると……難しいだろうが、犠牲を出さずに取り押さえるぞ」
紫電のダメージのせいで弱々しい声であったが、強い意志を込めて、美香はクローン達に促した。
***
みどり、累、純子はその日、闇の安息所には行かずに、梅津と松本と共に留置所へと向かった。
目的は安息所に出入りをしていて、殺人を犯した狛江誠と八丈勝美に会うためだ。
毅もこちらに来たがっていたが、毅だけは安息所の状況をチェックしてもらうために、安息所に通わせておいた。
「二人に赤猫ってのを絵で描いてもらったよ」
梅津がディスプレイを出し、三人に見せる。ディスプレイには二つの画像が映り、どちらも瞳が黒く塗りつぶされ、全身真っ赤の猫の絵だった。
「赤猫だねー」
見たまんまを口にする純子。
「頭の中にこいつが現れた事だけは、はっきりと記憶してるってさ。またいつか現れるかもしれないと、二人共怯えてるよ。狛江誠の方は特にひどいな。時折、錯乱しだす」
松本が報告する。
八丈勝美と狛江誠と接触し、みどりがそれぞれの精神へとダイヴを果たす。直に会いにいかなくても、みどりなら精神分裂体を留置所まで飛ばして同様のことができるが、梅津や松本、そして純子や累も同伴した状態で行った方がいいと判断した。そもそもここに訪れたのも、梅津に呼ばれたからである。
「ふう……二人共、心のバリアーが超厚くて手間取ったわ~。それでも何とかいけたけどね。赤猫の記憶だけはわかったよ。記憶にあるヴィジョンは、まあ絵の通りだわさ。でも……」
二人の精神の中へと潜ったみどりが、梅津や純子達に説明する。
「これは幽霊に取り憑かれているとかじゃあない。思念というにもちょっと違う……。確かに精神に仕掛けが施されている痕跡はある。でも何か……どう伝えたらいいんだろ。トロイの木馬っていうのか……。いや、精神に埋め込まれた地雷か……うーん……この感覚を言葉にして伝えづれ~」
頭を抱えるみどり。
「でもみどりがそう言うなら、確かにあの二人の意志による殺人では無いということですね」
と、累。
「実証はできんがな……」
梅津が苦々しげに言う。例え幽霊の存在が明らかにされ、超常の領域にメスが入れられ始めている昨今の御時勢であろうと、超常の能力による無実の証明は、できないわけではないが難しい。しかも精神云々となると余計に困難だ。
「赤猫ってのは確実にいる。安息所に出入りしている人間の中に、術師か能力者がいて、同様に出入りしている人間の頭の中に、赤猫を埋め込んだと見るのが無難かなあ……」
みどりが陰鬱な面持ちで言った。微かに瞳に怒が帯びているのも、隣にいる累には見てとれた。みどりが人前でこのような感情を見せるのは珍しい。
「みどりちゃん、自分の中に赤猫がいるかどうかはわかる? あるいは私や累君の中にも」
純子が問うと、みどりははっとする。
「ああ、それを忘れてたわ~。まずそっから始めるべきだったね。やってみる。禿警部もね」
「意地でも言う気だな」
「意地でも否定してやる」
みどりの言葉に微笑む松本と、憮然とする梅津。
しばらくの間、みどりが立ったまま沈黙する。数分程経ってから、みどりが渋面になって口を開く。
「むう……いてもいなくてもわからない。いや、あたしの力では見抜けないっていうかね。一度芽が出ないと、土の中に種が埋まっていても、土の中までは掘り起こせないっていうか。物凄く巧妙に隠されているんじゃないかなァ」
頭をかくみどり。
「一度発現すれば、わかるということですか?」
尋ねる累。
「うん、一度発現すると、頭の中に赤猫が浮かんで、それしか見えなくなるんだわ。そうなれば当然、頭の中に記憶が残るんだよね。だから一度発現した人なら、あたしにもその人の心の中の赤猫が確認できる。つまり、芽が出たようなもん。ふえぇぇ~……しかしこれ……どんだけ巧妙に仕込まれてるんだって話だよォ~。赤猫発現の記憶も、今何度も巻き戻して観察しているけど、何がトリガーになって赤猫が出てきたのか、ちっともわからないぜィ」
その気になれば相手の覚えていない記憶も掘り起こせるみどりだが、その自分の力をもってしてもわからないのが歯がゆく、そして不思議だった。
「目の前で発現すれば……あるいはあたし自身が赤猫に取り憑かれれば、解析(アナライズ)できるかもしれないけどね。でもそれは、御先祖様や純姉でもできそー」
「この三人の中の誰かが殺人衝動にとらわれたら、やばそうだけどねえ」
みどりの台詞を聞いて、純子は微苦笑をこぼした。
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