第二十七章 30

 風は向かい合う両者の横向きに吹いている。現時点で、互いに風下にも風上にもいない。

 真は警戒する。できれば胡偉を風上に向かって動かさず、自分が風上に立ちたい。


 先に真が動いた。横にステップを踏み、銃を撃つ。その数、二。


 弾道を見切った胡偉は動かない。一発はフェイント。もう一発は腹部を狙っている。

 弾丸は胡偉の腹部に直撃したが、胡偉は全くひるんだ様子を見せない。防弾繊維で防いだわけではない。衝撃すら完全に殺している。


「減力肉粉が風の強いこの場では使えないと思うか? 確かに散布は無理だけどな」


 にやにや笑いながら胡偉が言った。己の体を刻んだ粉に触れると、全ての運動力が失われるという能力。使い方によっては極めて厄介だ。


「どうせ服の中に隠しているか、自分の体になすりつけてあるんだろ? でも肉粉は一度きりの使い捨てだし、同じ場所に二度攻撃すれば、攻撃は通る」

「ミルクから聞いていたのか……しかし当てられた場所に補充すればいいだけの話だ」


 補充の暇も与えず連続攻撃されれば危険だが、胡偉とてそこまで間抜けではない。


「さらにもう一つ攻略法がある。言わないけど」

「あっそ。なら、さっさと使わないと、死ぬぜ?」


 真の言葉に対して鼻を鳴らし、胡偉は駆け出した。風上に向かって。


(やっぱりそうきたか)


 真も胡偉の動きに合わせて駆ける。胡偉に風上を取らせないために。

 胡偉が風上を取った場合、風に乗せて減力肉粉を散布されたら厄介だと、真は考える。風の力そのものに作用するかしないかも不明であるし、風に乗せて使ったとしても、それが上手く当たるかどうかも怪しい所だが、それでも運悪く作用するとなれば、遠方から自分の動きを止める事が可能になってしまう。


 ふと、真の足が止まった。

 右足の感覚が消えた。動きもしない。


 そしてそのタイミングを狙い済ましたかのように、胡偉が真めがけて銃を三発撃つ。


(まさか……)


 体勢が崩れた真であったが、強引に身体をひねって勘だけで銃弾の回避を試みる。


 三発撃たれたうちの一発が、真の頬をかすめたものの、それだけで済んだ。


 体勢を立て直して反撃する真だが、胡偉は悠々とかわす。


(屋上の床に減力肉粉を仕掛けておいたのか。踏むと発動するような形で……)


 何が起こったのか、真は理解していた。


(しかも、僕が風上を取らせないように動くことも計算したうえで、誘導したってわけか……)


 まんまと風上を取った胡偉を見据えて、真はさらに理解する。


「わかったか? これが年の功って奴だ」

 肩をすくめ、憎々しげに笑う胡偉。


(一箇所だけとは思えないな。減力肉粉を床に仕掛けるにしても、この風だから、床に撒いただけでは吹き飛んでしまう。何か仕掛けがありそうだが……)


 高速で頭をフル稼働して、その仕掛けが何であるかを考える真。


 一つだけ、可能性を思いつく。屋上の床はタイル状になっている。タイルとタイルの隙間に粉を詰めたとしたら、風で吹き飛ばずにも済む。

 この考えが正しければ、タイルの隙間だけを踏まないように気をつければいい。遮蔽物がろくにない場所で銃撃戦をしながら、足元にも気を遣うのは、中々面倒な話ではあるが。


 一方で、胡偉は案の定、風上から減力肉粉を散布する。


 この能力を破る方法はあるが、それは一種の賭けでもある。確実に破れる保障があるわけではない。故に、その方法を試すのは最後まで取っておいて、できるだけ回避しておきたいと、真は考えている。


 真は胡偉の所から吹く風を避けんとして、弧を描くようにして大きく回りこむ動きで、胡偉に迫っていく。

 胡偉から見ると、真のこの動きは実に嫌なものだった。風上にこだわって後退しても、ビルの端に行ってしまう。そして大回りで時間を取るとしても、風で飛ばした肉粉は確実に避けられる。


(シンプルな答えではあるがな。それを……こうも早く気がつく奴なんて、そうそういねーぞ)


 いともあっさりと、自分のポジションの優位の死角を見抜いて攻めてきた真に、胡偉は嬉しくなってしまって、自然と笑みがこぼれた。


(こいつは、警察官なんぞになりやがった馬鹿息子とは違う。こいつは俺と同じ世界を選び、力を磨きあげた。俺の血を引いてるという、ただそれだけを意識するだけで、俺は嬉しくなっちまう。しかもそいつが俺を殺しにきてるとか、楽しすぎるわ)


 真の動きを凝視しながら、胡偉は喜びに打ち震え、真の動きが変化した瞬間を狙い、銃を撃つ。

 ある程度弧を描くように動いていた真だが、そこから急に胡偉めがけて一直線に突進した。接近戦を挑む動きだ。それを予想していたかのように、胡偉が真の動きに合わせて銃を撃ってきたが、真は体勢を低くしてかわし、そのまま向かっていく。


 二発目を撃とうとした胡偉であったが、その前に真の手が動いた。


「ぐっ……!?」


 長い透明の針が、胡偉の銃を持つ手を貫いていた。


(肉粉の効果は無かったな。服の中には仕込んであるかもしれないが、剥きだしの生身に塗ってはいない)


 そう判断した真は、胡偉がひるんでいる間にさらに距離を詰め、接近戦が可能な間合いまで肉薄した。


(何で俺はこんなに嬉しいんだ? ついこないだまで知りもしなかった孫が、遊びにきたことがよ……)


 間近で放たれる凶暴にして強烈な殺気に晒されながらも、胡偉は戦いに集中することなく、全く別のことを考えていた。


 真の手からはいつの間にか銃が消えていた。代わりに、両手にはそれぞれ、胡偉の手を貫いたのと同じ、透明の長針が握られている。


 上体をかがめた姿勢で、胡偉の目前にて殺気を迸らせる真。


 胡偉は慌てることなく、不敵な笑みを浮かべたまま、真の額へと銃口を移動させる。


 銃口が額の真ん中まで動き、引き金が引かれたその時には、真の頭部は軽く横に逸れていた。


 真の頭部が左に逸れる動きに合わせるかのように、真の右手が胡偉の腹部へと繰り出される。

 胡偉の首から上はともかく、服をまとったそれ以外の部分は隙だらけだった。減力肉粉を服に仕込んでいるが故に、守る必要も無いと考えていた。

 真はその隙を見て、あえて減力肉粉でガードされているであろう、胡偉の鳩尾を狙った。


「痛っ!?」


 胡偉は驚いた。針がわずかにだが、腹に刺さっていたのだ。


「足りないか」


 真が呟く。右手の動きは針ごと減力肉粉によって止められ、機能しなくなっている。しかし減力肉粉の効果が完全に発揮したわけではない。


 減力肉粉は呪術の一種であると、真はミルクから習った。飛び道具なら確実に防ぐが、手にした武器や肉体での直接攻撃の場合、攻撃者の意思の力が直接加わる。すると肉粉は攻撃者そのものに直接作用するが、これは呪術がかかるのと同様の作用である。故に、その呪術に対して抵抗(レジスト)できれば、肉粉の減力効果を打ち破ることも可能という理屈である。

 ようするに物凄く気合いを入れて攻撃すれば、減力肉粉の効果を突き抜けるという話であったが、その気合いも足りなかった。


 真の左手が動く。針が刺さったままの、胡偉の腹めがけて。針の刺さった箇所めがけて。初撃によって服に仕込まれた減力肉粉が失われた、わずかな範囲を狙って。


「ぐっ……」

 呻き声を漏らし、胡偉は目を剥いた。


 真の左手の針は胡偉の鳩尾を――その奥にある腹腔神経叢と横隔膜を貫いていた。


「はがっ、はぐっ、はがっ」


 おかしな声をあげ続ける胡偉。呼吸困難に陥り、苦痛に喘ぎ、倒れてのたうちまわる。


「勝負有りか」

 黒斗が呟く。


(やっと……わかった……)

 苦痛に喘ぎながら、胡偉は理解した。


(ああ、そうだ……あいつもそうだった)


 警察官になった息子が自分を訪ねてきた時に見せた、朗らかな笑顔と真剣な怒りの表情を思い出す。


(あいつに……昔の自分を見ちまったんだ。重ねちまったんだ。思い出しちまった。思い出されちまった。だから……許せなかった。殺すしかなかった)


 横向きに倒れたまま、胡偉は真を見上げる。真の手には針ではなく、銃が握られていた。

 最早今の胡偉は、遡上の鯉だ。その気になれば真はいつでも殺せる。少しでもおかしな動きを見せれば、頭部に銃弾を見舞えるだろう。


(こいつも同じだ。俺の心を乱しやがって。昔の俺を心の奥底から引っ張りだしやがって。馬鹿孫が。だから馬鹿息子と同様に、生かしちゃおけねえと思ったし……嬉しかったんだ。昔の自分を引っ張り出して、昔の青臭かった正義漢の自分に……申し訳ないと思っちまった。そんな感情がほんの一瞬、沸いちまった。そんなセンチな自分が許せず、今の腐った自分が許せず、何よりそう思わせちまった馬鹿息子と馬鹿孫が許せねーんだよ)


 そう思った直後、胡偉の脳裏にこんな言葉がよぎった。


(いい歳こいて、馬鹿はお前だろ――)


 自分に向けて発せられた自分の声。昔の自分の声。もう一人の自分が、自分をなじっている。


「何をさっきからへらへらしてるんだ?」

 胡偉を見下ろして、真が問う。


 傷口に減力肉粉を塗る胡偉。これで痛みを抑え、喋ることもできるだろうが、回復したわけではない。肉粉の影響が消えればそれまでだ。神経を麻痺させているだけである。


「今更になって思うのさ。どこかで俺は道に迷って……おかしな方向に走り続けて、あとは何が何だかわからなくて……」


 今喋っている胡偉は、それまで真の前にいた胡偉ではない。絶望し、悪へと浸るより前の胡偉――相沢鉄男だ。


「そのままただ迷ってくたばるだけで終わるはずだった。でもそんな風に終わらせず、酔狂な神様が、お前を遣わしてくれたのかねえ。俺からしてみると本当……運命を感じるわ……」

「僕の前にもう一人、あんたの運命を変えられる存在と遭遇しているはずだ」


 胡偉の中に起こった変化も、胡偉が何を言っているかも理解し、真は言い放つ。


「ああ……ポリなんかになりくさった、せがれの事だろ……」

「その時に修正することもできたんじゃないか? 僕の父さんは、その救いの手をあんたに差し伸べたんじゃないのか? あんたはその救いの手を、最悪の形でふいにしたようだけど」


 意識して穏やかな口調で、しかしキツい事実を突きつける真。


「でも僕は、あんたを修正してやるつもりはない。ただ、殺すだけだ。僕が殺さなくてもバイパーが殺すだろうし、バイパーが殺さなくても芦屋が殺す。芦屋が殺さなくても、きっと他の誰かに殺される。まあ、バイパーも芦屋も見逃さないと思うけど。僕に殺されるのが一番マシだろ?」

「げへっ、げほほっ、ははははっ、本っ当に……生意気な餓鬼だよ……。げほっげほっ、餓鬼の頃の俺より……生意気だ」


 銃口を頭に向けて確認するように言う真に、胡偉は咳き込みながら笑う。


「その割には嬉しそうな顔してるじゃねーかよ。どこかで知らない所で、孫が逞しく育って、自分の前に敵としてたちはだかったのが、嬉しくてたまらないんだろ?」

「かもな……」


 バイパーの指摘を受けて、胡偉は素直にそれを認めた。


「僕だって、爺の立場になったら……僕も恨むかもしれない。薬仏市を――マフィア流入を防ぐための人身御供にして、平和を貪る日本国民全てをな。そういう意味ではあんたも犠牲者だ。本当の悪は、大を救うために小を犠牲にする奴等だろう。犠牲にされた小の者は、大を噛み殺す権利もあると、僕は考える」

「はは、わかってるじゃないか。初めて我が孫が誇らしく思えたぜ。んじゃ……そろそろキメてくれ」


 笑顔のまま瞑目する胡偉。


「さよなら、爺さん」


 別れの言葉を告げ、数秒の間を置いてから、真は引き金を引いた。


「見届けさせてもらった……。幹部連中やもう一人のボスに、全て伝えておく」


 黄強が胡偉の死に顔を見つめながら告げる。満足そうな顔だと、黄強の目には映った。


「いや、お前はマフィアだから逮捕するけど?」

 黒斗がにべもなく言う。


「見逃してやれよ。それにお前の逮捕って、逮捕じゃないじゃんかよ。処刑だろうがよ」

「仕方ないな……」


 バイパーの訴えを聞き、黒斗は黄強を見逃してやる事にした。


「とりあえずお前達は俺が病院まで運んでやるよ」

「うおっ」


 黒斗がバイパーの体を片手で軽々と担ぎ上げ、背中から翼と噴射口をせり出す。


「お前もその足でよくそれだけの動き出来たなあ」


 アドニスにやられた真の銃創を見て、黒斗が呆れ気味の声を発する。


「痛みを無視する術を知っているからな。とはいえ、放っておいていい傷でもないし、今回は甘える」

「顔の傷だって放っておいていいもんじゃないだろ」


 黒斗が微笑み、真の体も空いているもう片方の手で担ぎ上げると、ロケットを噴射して一気に、魂魄ゼリーの本拠地ビルより飛び去った。

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