第二十七章 29

 黒斗に手当てをしてもらってから、真は胡偉と黄強のいる方へと歩いていく。


「ふん、バイパーまで連れてきたのか。ぼろぼろみてーだが」


 入り口近くで黒斗と共に遠巻きにこちらを見ているバイパーを一瞥し、胡偉は鼻を鳴らす。


「真が仕留め損なったら俺が殺してやる。ま、多分その機会はねーだろうがな」


 口角を片方吊り上げ、バイパーが笑う。


「お前さんにも腹が立つ。自分と無関係な所で熱くなる奴は皆大嫌いだわ。人間皆、利己主義者であるべきだろ。それが自然界においても正しい姿だ」


 再びバイパーの方に視線を向け、胡偉は語る。


「趣味で女子供を殺しているような奴は、利己主義とかそういう範疇を超えてるだろうが」

「力が有る者は、弱者を蹂躙する権利を持つ。俺はそいつを行使して楽しんでいるだけだ」


 バイパーの指摘に対し、憎々しい笑みをひろげて嘯く胡偉。


「俺は人を殺すのが大好きだ。ライフワークと言ってもいい。無惨に他者の命を否定したその時こそ、甘美な勝利感で満ち足りる。この世界は、奪う勝者と奪われる弱者で成立しているからな」


 恍惚とした顔で語る胡偉。


「俺とどこか似ているかな。いや、似て非なる者か」

「僕にも似たような感情はあるさ。人を殺した後は満足感と達成感がある。ただしそれは、双方合意のうえで殺し合いをしたうえでの時だな。こいつはただ、弱い者いじめが好きなだけの屑だ」


 バイパーと真が続け様に言う。

 せっかく悪ぶってみたのに、真っ向からは否定もせず、大して嫌悪感も表さない二人に、胡偉は拍子抜けする。


「ここは正義の味方らしく、『こんな悪い奴許せなーい!』と燃え上がる所じゃねーのか?」

 おどけた口調で胡偉が言った。


「僕らが正義の味方に見えるのか? 特にバイパーなんて見た目からして悪党そのものだろ」

「何故そこで俺を引き合いに出す?」


 真の言葉に苦笑するバイパー。


 胡偉は大きく息を吐く。どうも調子が狂う。警察官になった息子は自分の前に現れた際、正義の味方丸だしの反応ばかりだったが、この孫はまるで違う。

 そして胡偉は妙な懐かしさを感じる。調子は狂うが、この孫とは波長が合うような気がする。自分と同じくアウトローな生き方をしているという点も大きいだろうが、自分の遺伝子は、この孫に濃く受け継がれているのではないかと、そんな気がした。


「何でだろうなあ……。俺は……随分と昔から、お前のことを知っているような、そんな気分なんだ」

「僕も同じ気持ちだよ」


 胡偉の言葉を受け、真は言った。


「きっと似たもの同士だと、互いに本能で察知しているからじゃねえかなあ」

「似て非なる者だ」


 バイパーと同じ台詞を口にする真。微妙な否定。それが胡偉の心に刺さる。

 ふと思ったのだ。似て非なる者だからこそ、こうして対立する事になったのではないかと。


「お前と会って、忘れていた感覚が……何十年かぶりに俺の中で蘇っていやがる。お前の父親と会った時は、こんなことなかったのによぉ……」


 言いながら頭をかく胡偉。


「まだ餓鬼のお前に言ってもわからんが、歳をくえば心も老いていく、心が擦れていく。物の見方や感じ方も、どんどんヒネくれてねじくれていく。得るものもあるが、失うものもある」

「僕は心も老いないらしいけどな。そしてわかった。なるほど、ミルクがあんたを不老化しなかった理由は、それもあったかもな。肉体の老いを止めるのは大して難しくないが、心の老いは止められない。ただし、心が老いることの無い者も稀にいる」


 純子や累の受け売りであるが、胡偉の話を聞いて納得できた。


(雪岡はそんなのお構いなしに、自分のマウスを全て不老化しているみたいだけど)


 声に出さずに付け加える真。


「ミルクは罪滅ぼしで俺に力を与えてくれた。整形もしてくれた。おかげさまで俺はチャイニーズマフィアのボスになり、その後は殺戮の日々だ。大嫌いな日本人を殺しまくってやった。ミルクが罪滅ぼしなんてしなかったら、こんなことにならなかったのになあ」


 胡偉のあてつけを聞き、バイパーが顔をしかめて舌打ちする。黒斗と黄強は、誰のことを口にしているのかわからない。


「ミルクが力を与えなくても、お前はどこかで力を得て、人を殺しまくっただろうさ」

「まあ、そうだろうな。俺はどう転んでも、憎しみをぶちまけて殺しまくる人生を送ったさ」


 真に言われ、胡偉は素直にそれを認める。


「一番聞きたかったこと聞くぜ」

 胡偉が目を細め、問う。


「今まで知りもしなかった、顔も見たことも無いお爺ちゃんを、こうしてわざわざ殺しにきた本当の理由は何なんだ? これは勘だがよ……。お前は父親をすごく慕っていて、あんな風にされて怒って、それで仇討ちとか……そんなノリとはちょっと違う気がするんだわ」


 胡偉のその質問には、バイパーや黄強も興味をそそられた。


「父さんとの思い出はほとんど無い。でも、母さんからいろいろと話は聞いていた」

 真は話しだした。


「実の父の非道を止められず、返り討ちにあったのは無念だったろう。大して記憶も無い父親の無念を晴らしに、全く会った事も無い祖父の非行をやめさせに、わざわざ赴く。それって変かな? 正直これって、僕しか止められない――というのは言いすぎにしても、僕が一番相応しいと感じた」

「そんな理由でか? お前自身の気持ちは……動機となる感情は何か無いのか?」


 真の話を聞いて不思議そうな顔をする胡偉。


「恨みは無いし、記憶の無い父親に愛情を抱くことも難しい。でも、恨みが無ければ……愛情を覚えていなければ、仇を討ちに行かない方がいいのか? 真実を知ったからには、動かないでいる方が変だと僕は感じる。それにさ、母子家庭で育ったとはいえ、父親のことを意識しなかったわけじゃないし、ひき逃げ犯が捕まって無い事に対しても、何も思わなかったわけでもない」


 真の話を聞き終え、胡偉は考えた。


(何もせず暮らすという選択をするか、自分に力が有る事を頼りにして真相を確かめに行くか、俺がこいつの立場なら……暇なら後者、そうでなければ前者だな)

 小さく微笑む胡偉。


「ようするにお前はあれだ。暇人ってことだな」

「暇人なのは確かだが、価値の無い事に動きはしない。父の仇討ちと迷惑爺の成敗は、僕が動くだけの価値は有る」


 真の言葉を受け、胡偉の顔から微笑が消える。


 不快を覚えたわけではない。むしろその逆だった。自分の血を引く者が、孫が、命がけの遊びをせがみにやってきた。その価値があると、この小僧は口にした。


(何で俺は嬉しさを覚えてるのやら……)

 奇妙な気恥ずかしさを覚える胡偉。


「まあいい……。そろそろ始めるぜ。そいつ以外はそのまま下がって見ていろ。ここまでお膳立てして有り得ないと思うが、手出しすんじゃねーぞ」


 黄強、バイパー、黒斗をそれぞれ見やり、胡偉は言った。


「そいつ、は無いだろ。僕はあんたの血を引く、実の孫なんだ。名前で呼んだらどうだ?」

「あ? じゃあ実の祖父にその糞生意気な口の利き方もねーだろ?」


 つっかかってくる真に、胡偉は憎々しげな笑みを浮かべてそう返す。


「子が親や爺婆に生意気言うのは、子の特権じゃないかな? 僕には男親がいなかったし、代わりに生意気言わせてくれ」

「じゃあお前が先に俺のことをお爺ちゃんと呼んでみろ。話はそれからだ」

「ごちゃごちゃうるさい、糞爺。これでいいか?」

「おうおう、よくこの糞爺の元を訪ねてきた。お小遣いに鉛の弾をやろう」

「それは僕からプレゼントする予定だ。ボケ防止のためにな」

「お前の三倍以上生きている俺に、勝てるつもりでいるのかよ」

「五十五倍近く生きている奴に勝つために修行中なんで、三倍程度の奴に手こずるわけにもいかないな」


 真はずっと淡々とした口振りのままだが、胡偉は段々語気が荒くなっていく。


「いつまでお喋り続けてるんだ、あの二人は。さっさと戦えよ……」

 バイパーが思わずこぼす。


「何か、あの二人、似てるね」

「ああ、口の悪さとかヒネくれ具合はそっくりだ」


 黒斗が言い、バイパーも同意した。


「ふん、観客様がうるさいから、始めてやろうぜ」

「そうだな」


 やっと臨戦体勢に入るが、強風にさらされて向かい合いながら、二人は中々動こうとはしない。


(時間がひどくゆっくり流れている感覚だ。やべえな。何だ、こりゃ……)


 胡偉の方は動けなかった。いざ戦う構えになって、竦んでしまっていた。


(俺も歳食ったし、これまで修羅場をくぐってきたからわかる。こいつは俺とは全く質の異なる死線を越えてきた奴だ。俺は……際立って強い奴と戦った経験は、そんなに無い。雑魚多数相手に大立ち回りしていた程度だ。それはそれでキツかったけどな。だがこいつは……おそらくは自分と同じか、自分より強い奴とも何度も戦っている。そのうえで――何より重要だが、今こうして生き延びている)


 ただ向かい合っているだけで、真のことがいろいろわかってしまう。その理解によってもたらされる答えが何であるか、胡偉は理解して受け入れた。だからこそ、恐怖を感じている。


(見た目は餓鬼だが、中味は戦鬼。こと戦闘となると、爺の俺よりずっと濃密な経験を積んでいると見たね)


 その恐怖を押し殺すように、胡偉は真に向かって手をかざして、ちょっと待ったの合図を送ると、くたびれたジャケットのポケットから煙草を取り出し、一服やって気を落ち着ける。


(正直、勝てる気がしないが……それでも粋がる餓鬼には、お仕置きしておかねーとな。それが年長者の務めだ)


 恐怖を一緒に外に追いやるかのように、紫煙を吐きだす。


(この爺は心底悪だと言えるか? 僕はノーだと思う。悪には違いないが)


 一方で、真は真で、考える所がいろいろあった。胡偉と向かい合って戦闘体勢に移行した時点で、いろいろと伝わってくるものがあった。


(この爺を悪に貶めた原因を無視していいのか? 仕方無いで済ませていいのか? 僕はノーだと思う。社会も責任を取らされる。社会が個人に苦を押し付けたら、その個人が社会に牙を剥くのも、当然の流れだ。この爺もそういう哀しい奴だ。だからといって、爺が許されるわけもない。殺しておくのが一番いい。本人にとっても、周りにとってもな)


 同情する部分はあるが、胡偉は許されない。そして本人も望んでいない。現時点では本人も気付いていないが、胡偉の心の奥底にある本心が、真には見えていた。

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