第二十七章 28

 アドニス・アダムスは殺人鬼の家に生まれた。

 父も母も殺人鬼であり、会って互いに殺し合おうとして互いが殺人鬼だと知り、そこで恋に落ちて結ばれたという。

 アドニスは三人兄弟の長男で、両親の他に父方の祖母もいる六人家族で育った。

 アドニスも祖母も、この夫婦が殺人鬼であることは知っていた。そのうえで自分達の趣味である殺人の協力までさせられた。祖母は気弱で、父が子供の頃からずっと言いなりであったらしい。


 父は癇癪持ちで、祖母や三人の息子によく理不尽な暴力を振るった。殺人鬼であることも手伝い、アドニスはこの父が怖くて仕方なかった。

 母は父が子に暴力を振るうのを見ても、全く気に留めずに笑っているような人物であった。この母は母で怖かった。暴力こそ働かないが、殺人衝動もその残酷さも、父よりずっと強い。そして父は暴力を振るう一方で子の面倒もちゃんと見るが、母は子に対して全く無関心であった。


 ある日、末っ子が家の中で殺された。


 家の前で殺されていた。第一発見者は隣の家の者であったため、たちまち通報された。

 家の中に警官達が立ち入り、一家は事情聴取を受けた。


 父親はこの日荒れた。警官に一家が目をつけられたからだろうと、アドニスは思った。


 翌日、朝起きていたら次男が部屋で死んでいた。戸締りはしっかりしていたにも関わらず。

 両親共に混乱したが、長男が先に死んでいるにも関わらず、警察には知らせずに自分達だけで遺体を処理した。いつも彼等がやるように……。


 この時点でアドニスは、家族の仕業であると、初めて疑う。

 父か、母か、あるいは意外にも祖母か。アドニスは誰も信じられず、その日は震えながら自室で寝ていた。


 そのアドニスの部屋の扉を開ける者がいた。

 父だった。手には父が殺しの時に使う大振りのナイフが握られていた。

 とうとう自分の番だと震えるアドニスに、父は無表情に告げた。


「二人を殺したのは、家族の誰かだ。お前じゃないことはわかっている。もちろん俺でもない」


 父はそう言うと、ナイフを持たぬ手で、そっとアドニスの頬を撫でる。


「お前は絶対に守る。もう我が子を殺させやしない。安心しろ」


 静かに、そして力強く言い切る父であったが、この時点でアドニスは父を信用していなかった。油断させておいて、殺そうしてくるのではないかと疑っていた。


 深夜、斧を手にした祖母がアドニスの部屋へと入ってきた。父は犯人が祖母であった事に躊躇い、反応が遅れ、祖母の斧を首に受けてしまう。

 しかし父も反撃を忘れなかった。ナイフで祖母の腹を深々と刺して、二人揃って絶命した。


 その後、母は逮捕され、アドニスは養護施設へと送られる。


 祖母がどうして家族を襲うようになったのは、真相は大分経って、祖母の日記が見つかった事で明らかになった。カルト宗教にハマり、夫婦が殺人を犯していたのは悪魔の仕業だと思い、子を生贄に捧げる事で悪魔を追い払えるなどと、おかしな解釈をしていたのだという。

 アドニスの中で父は、命がけで自分を救ってくれた人物という結果だけが残った。殺人鬼であろうとも、よく自分を殴るような酷い親でも、この事実の前にも上にも来ない。


 この日以来、アドニスは二つの事を胸に刻みつける。一つは、父が命がけで救ってくれた命を決して容易く失わないこと。もう一つは、この先何があろうと人としての心を失わず、自分にも守りたい者が出来た時は、臆する事無く守りにいくことを。


 だがアドニスはまだ、命をかけて守りたいと思うような者とは、会っていない。


***


 アドニスの意識が戻ると、真とバイパーが側にいた。


 真が一人で脚の傷を縛っていた所に、満身創痍のバイパーがやってきて、今度はそっちの応急処置をしていたのである。

 バイパーは胴体の傷と左目の傷が特にひどく、すぐに病院へ行った方がよいと思われたが、真の戦いを最後まで見届けると言ったので、出来る限りの処置だけをする。目には見えていないが、脇固めを食らった関節の痛みもかなりのものだ。


「何故殺さない?」

 アドニスが問う。


「殺さずに済んだんだから、自分の運の良さに感謝しておけよ。僕は殺し合いが好きだし、殺すのも好きだが、殺さずに勝負をつけることができた相手を、無理して殺したいとは思わないよ。そんな必要も無いだろう。相手になお殺意があるようなら、きっちりと殺すけどな。あるいは殺したくなるような下衆だったら」


 真のその言葉を聞いて、アドニスは己の心を見透かされた事に、情けないと感じる。真の言うとおり、もしも自分に戦意があるなら、目が覚めた時点で戦いの継続を挑んだはずだ。


(本当は凄く運が悪いんだけどな)


 真は思う。偶然の跳弾によっての敗北したアドニスである。


「今は二対一だ。見ての通りボロボロだけどな。それでも戦えないわけじゃあねーし、どうやってもここからお前に勝ち目はないぜ? それでも足掻くか?」

 バイパーが問う。


「あの葉山を倒したのか。大したものだ。そんな奴まで加わっては、勝ち目など無い」


 バイパーを見上げて称賛するアドニス。


「葉山も生きてるぞ。ついでにあのイルカも」

 どうでもよさそうにバイパーが言う。


「二人揃って甘ちゃんか? お前達がそんな態度でも、相手まで合わせてくれるわけじゃないぞ」

「相手や状況を選ぶ。ここのボスだけは命乞いしようと、容赦なく殺すつもりでいる」


 忠告するアドニスに、真が淡々と告げる。


「葉山はいいのか? 今ならまだぶっ倒れているから、とどめさすならさしてこいよ」

「いいよ、別に」


 バイパーに確認されて、真は嫌な事を思い出す。先ほど、すれ違い様に謝罪した葉山の事を。


***


 屋上ヘリポートはかなり強めの風が吹いていた。


「風邪ひいちまいそうだな」


 胡偉が呟くが、風を避けて屋内に入ろうとはしない。そして風邪をひく云々より深刻な問題がここには有る事にも、胡偉はちゃんと気がついている。


「随分と遅いな。マードックの奴、手下を仕向けて殺そうとしてるんじゃねーだろうな」


 冗談めかして言う一方で、その可能性も十分有りうると胡偉は見る。こんなナンセンスな決闘で命を散らすなど、彼の立場からは見過ごせないだろう。

 事実、マードックを乗せたヘリは、まだ視界に入る場所を飛んでいる。隙を見てこちらを救いに来ようとしているのは明白だ。


(助けにこられてもな……。ここには芦屋黒斗もいるし、俺の状況詰んでるんだがな)


 溜息をつく胡偉。普段、部下には何がなんでも生き延びろと言っているにも関わらず、その自分が投げやりモードになってしまっているのが、非常に情けない。


「黄強……」


 気を紛らわせるため、唯一残った護衛に話しかける。


「お前は何でここにいるんだ?」


 声をかけられても、黄強はすぐには答えられなかった。


「はっきり言うが護衛なんてもういらねー状況だぜ。お前にできることが何かあるとでも思ってるのか?」


 それは胡偉にも当然わかっている。


「それでもいざという時、何か役に立てる事もあるかもしれません。それにこれは自分の務めですから、果たしたいと……」

「そんなこじつけめいた理由より、もっと根本的な理由があるんだろ~?」


 意地悪い声を発する胡偉。


「俺の最期を見届けたい。そうだろ? 図星だろ?」

「はい」


 胡偉の指摘に、黄強があっさりと頷く。この素直すぎる反応に、逆に胡偉の方が呆気に取られた。


「お前も死ぬかもしれんぞ。流れ弾とか、あるいはもっと別な理由でな」

「覚悟のうえです」

「そんなくだらねーことに覚悟決めるとか、俺の手下失格だな……」


 決意の眼差しで自分を見る黄強に、胡偉は苦笑いを浮かべる。


「くだらなくはありません。俺にとっては重要なことです」

 黄強がきっぱりと言う。


「どう重要なんだ?」

 胡偉が怪訝な面持ちになる。


「ボスのことを気に入ってしまったからです」


 真顔で告げた黄強のその言葉を聞いて、胡偉は再び啞然としてしまった。


(俺のどこに、人から気に入られる要素があるってんだよ。アホなのかこいつは……)


 わけのわからない苛立ちを覚える胡偉。


「ボスにとってこれからの時間は、例え身の危険を冒してでも、非常に重要なものなんでしょう。そんなボスのことを見届けたい。そう思うのはおかしな感情ってわけでもないでしょう?」

「てめー、調子こきすぎだ」


 胡偉が銃を抜いて、黄強の額の中央に突きつけるが、黄強は全く動じた様子を見せない。


(こいつは……何つー目をしているんだ……)


 微塵も恐怖を見せずに自分を見つめる黄強に、胡偉は呆れてしまった。

 ひどく幼い瞳。羨むような視線。


「俺には誰もいないから、ボスが妬ましいですよ」

 黄強がぽつりと言った。


「ボスには……例え殺しにくるとしても、ボスのことを思って会いに来てくれる、ボスの血を引いた奴がいる。あいつを見た限り、ボスのことを憎くて殺しにくるってわけでもなさそうですし」

「殺し合いするのに……まだ一回しか会ってないのに、もう縁が出来ちまってるわけか……」


 黄強の言いたいことを理解し、胡偉は渋い表情で言った。


「はんっ、俺は誰もいない方がよかったんだがな。一人でよかったんだ」


 自分の行いが大人気ない気がして、バツが悪そうに銃を引っ込める胡偉。感情任せに部下を殺すような、地下組織の頭目というのは、胡偉の価値観からすると、ひどく無様な代物と映る。自分がそれを行いかけていた事が恥だ。一方で無能を晒した部下は、何の躊躇なく始末するという一面もあるが。


「来た」


 黒斗がぽつりと呟く。その呟きは風の音で遮られ、胡偉達の耳には届かなかったが、胡偉と黄強も、気配で察した。

 屋上の入り口に、真とバイパーの二人が姿を現す。


「とうとう来たか……清算の時間が」

 呟き、胡偉は喉の奥で笑う。


 黒斗は無言で二人の方へと向かっていく。二人が負傷していたからだ。特にバイパーが酷い有様だ。


「救急グッズ持ってきてよかった。しかしまた随分とひどくやられたね。お前をここまで追い詰めるとは、誰の仕業だ?」


 救急グッズを取り出して、バイパーの手当てを始めながら、黒斗が尋ねる。


「はっ……お前には、もっとボコボコにされただろうが」

「その後にちゃんと手当てもしたし、救急車も呼んでやったし、見逃してやったんだから、一生感謝するんだぞ? しかもこれでまた貸し一つ追加だぞ」


 忌々しげに吐き捨てるバイパーに、黒斗はにっこりと笑ってみせた。

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