第二十七章 12

 現在、魂魄ゼリーは薬仏市において、五つもの組織と同時に抗争を展開している。

 五つの組織が協力しあって、魂魄ゼリーを同時に戦闘することは、中々難しい。ある程度は共闘できるものの、互いの組織の本部や活動区域がかなり離れている。薬仏市自体もそれなりに広いので、どこかの組織と魂魄ゼリーが抗争に入っても、組織間の距離によっては、すぐに援軍は出せない。


 その護衛組織『グレーター・ヒップ』が狙いをつけられたのは、魂魄ゼリーが抗争中の組織の中では二番目の規模を持つ力の持ち主であり、そのうえ他の四つの組織と地理的に離れた位置にあり、すぐに他の組織が援軍に駆けつけられないと見なされたからだ。

 時刻は夕方。見事な夕焼けが空を彩る下、大勢の中国人とアメリカ人、そして数少ないが日本人も交えた集団が、グレーター・ヒップの本部ビルを包囲し、襲撃を開始する。


 アメリカ勢と中国勢である程度分けた編成だが、完全には分けきらない。ある程度は両者を混ぜてある。これは何をするにしても、魂魄ゼリーの最初からの方針だ。少数派とした混ざった者に対し、不当な扱いは厳禁とされているため、これまでトラブルが起こった報告も無い。


 アドニスを含めた部隊は、最も激戦地帯となる正面を引き受けた。直接戦闘を好まず暗殺を得手とする者達は、遠距離からの狙撃に徹してもらっている。狙撃が下手という輩もいたが、構わず狙撃班に回す。

 ビル正面はすでに屍の山が出来ている。ビルの中から次々とグレーター・ヒップの構成員が沸いて出てきては、屍となって倒れる。さらに外部や別拠点にいたグレーター・ヒップの構成員が正面に駆けつけてきてはまた、屍となって倒れる。


「アドニスとあいつがいなかったらこっちも犠牲が多かったろうな」

「ああ……」


 魂魄ゼリーの殺し屋の一人が、隣にいる同僚に話しかけ、話しかけられた方も、目の前で無双を続ける二人を見ながら、頷いた。


「ジャーップジャップジャップジャアァァァップ!」


 魂魄ゼリー陣営の後方では、イルカ怪人アンジェリーナが、次々と殺されていくグレーター・ヒップの面々を見て、嬉しそうに叫びながら拍手したり小躍りしたりしていた。


 遮蔽物にろくに身を隠そうともせず、アドニスと葉山の二人はビル正面をせわしなく動き回り、拳銃で次々とグレーター・ヒップの構成員達を死体へと変えていく。リロードの際すら、隠れようとしない。それどころか、隠れもせずにリロードをしてみせて、敵の気を引きつけているようにすら見えた。本人達の意図はともかく、実際にその役目は果たしている。


 外部で雇った殺し屋達と魂魄ゼリーの殺し屋の即席チームにも関わらず、連携も問題なく行えた。それなりに腕の立つ者ばかりであるし、どのような動きをすれば良いのか、口で確認しなくても自然とわかる。


 やがて援軍も来なくなり、ビルの中から出てくる構成員も途絶えた。

 ビルの後ろと横からも、別働隊がビルの中へ侵入している。正面組は十分に敵を引きつけ、彼等別働隊が働きやすくしたと見ていい。


「ジャ、ジャ、ジャーップ! ジャ、ジャ、ジャァアーップ!」


 戦闘が終わった所で、アンジェリーナがかけ声と共に、拳を斜め上へと何度も突き出す。


「何て言ってるんだ?」


 敵を掃滅し終えて、アンジェリーナとはかなり離れた位置にいるアドニスが、隣にいる葉山に尋ねる。


「僕もアンジェリーナの言葉はわかりませんが、あれはきっと突入を促しているか、称賛しているかのどちらかでしょう」

「ああ……言われてみればそれっぽく見えるな」


 葉山の解説を受け、アドニスは言った。


「突入するんですか?」


 葉山がアドニスに尋ねる。一応ここの指揮役はアドニスという事になっている。その指揮役が先頭に立ち、最も危険なポジションをしている事に、最初は疑問を抱く殺し屋もいたが、その人間離れした戦闘力を目の当たりにして、どうでもよくなった。


「それは別働隊に任せておけばいい。向こうが援軍を欲したら何人か送ろう。敵の援軍が他所からやってきたら、ここで俺達が始末しなくちゃならないからな」


 と、アドニス。最初からそこまで決めて臨んだわけでもない。敵の出方を見て今決めたことだ。

 遮蔽物に隠れて遠巻きに射撃を行っていた殺し屋達がいる方に、アドニスと葉山は戻る。


「アドニス、あんたとあいつがやりあったらどっちが勝つかね」


 アドニスと顔馴染みの殺し屋が、葉山を親指で指して冗談めかして問う。


「あいつは俺より強いかもなあ」

 にこりともせず、アドニスは言った。


「へえ、あっさり認めちゃうのかよ」

「別に謙遜しているわけじゃないが、自分が世界で一番強いなんて思ってるわけでもないからな。事実としてそう感じる」


 淡々と語り、アドニスは葉山を見た。


「ジャ~ップ、ジャプジャプッ」


 葉山が戻ってくると、それをねぎらうかのように、アンジェリーナは奇怪なステップを踏みつつ、頭の上で拍手する。


「アンジェリーナ、いい子にしてましたか? 他の殺し屋さん達に迷惑はかけていませんか」


 そのアンジェリーナの頭部を葉山が撫でようとしたが――


「ジャップ!」


 喜びから一点して怒りの声をあげ、葉山の手を叩くアンジェリーナ。心なしか表情も怒っているかのように、傍からは見えた。


「ふっ……蛆虫の僕にはやはり、触られたくありませんよね……」


 哀しげな声と表情でうなだれる葉山。


「まあ、何にしてもおかしな二人だ」


 葉山とアンジェリーナを見やりつつ、アドニスはそう呟くと、煙草を取り出して咥えた。


***


 魂魄ゼリーの薬仏市本部ビルにて、胡偉とマードックの二人は、対立していた組織の一つであるグレーター・ヒップ陥落の報を受け、勝利の祝杯をあげた。


「援軍を連れて来て失敗したらどうしようかと思ったが、ほっとしたぜ」


 マードックがシャンペンを呷る。


「ま、確信なんてありゃしないからな。所詮は下の者任せ、戦力比もわからん戦いだ。しかしそれにしたって、自信はあったんだろ?」


 マードック同様にシャンペングラスを片手に、胡偉が問う。


「まーなー。かなりの腕利きを投入した。貸切油田屋に投資してもらったから、高値の殺し屋をそれなりに雇ったし、そいつらの評判を見た限りでも、金の分の働きはしてくれると思っていたさ」


 そう言ってマードックは肩をすくめた。


 現在魂魄ゼリーは、貸切油田屋という国際規模の巨大金融組織の支援を受けている。これはマードックと胡偉、それにごく一部の幹部だけが知ることだ。

 マードックが独自に調べて得た情報によると、貸切油田屋は他のマフィアにも支援しているらしい。その条件は、日本に大規模な侵攻をかけること。彼等は日本の裏通りの弱体を目論んでいる。


「貸切油田屋がというより、あの組織を仕切っているデーモン一族が――と言ったほうがいいな。この間のルシフェリン・ダスト騒動の失態で、火がついたと見える」


 そう言って胡偉がおかしそうに笑う。


「火がついた割には、マフィアに金を出す程度だがね。まあ、金を出す以外に、奴等に大したことが出来るとも思えねーけどよ。あいつら金さえあれば何でもできるっつー、御目出度い考えだからな」


 嘲りを込めて言い放つマードック。生まれも育ちも貧民街の彼は、生まれながらの金持ちというだけで、デーモン一族は嫌悪の対象でしかない。


「好奇心で聞いていいか? お前には嫌な質問になるかもだが」

 と、胡偉が前置きを置く。


「何だい?」

「『戦場のティータイム』もデーモンの連中に大金掴まされて、日本の裏通りを切り崩す尖兵となる可能性はあるか?」

「別に嫌な質問でもねーよ。俺はあの組織のこと、そんなに嫌ってるわけでもない。キングも――あの組織のボスも、さっぱりした奴だしな」


 かつてマードックが、アメリカ最大のギャングであったヌーディスト・スクールという組織に所属し、戦場のティータイムという組織と激しくやりあったことを気遣った胡偉であるが、マードックは朗らかに笑い飛ばした。


「そしての可能性は100%無いと言い切れるな。ボスのキングは俺以上に、お高く留まった金持ちやら、澄ました権力者が大嫌いな、反骨心旺盛な奴だし、絶対に体制サイドには与しやしねーよ。奴は根っからのギャングで、骨の髄までギャング。あの女こそ俺が見た最高のギャングだ」

「かつての敵をベタ褒めか。そりゃ負けるわけだ」

「うっせーよ」


 からかう胡偉に、照れくさそうに笑うマードック。


「戦場のティータイムにも参戦してほしかったんだがね。四十年もちこたえてきた防波堤である薬仏市だが、そろそろガタがきている。最近は安楽市にもマフィアが侵入しつつあり、それを完全には防げなくなっている。今が攻め時だ。デーモン一族でも何でも、支援があるのは有りがたいし、実にいいタイミングだ」


 胡偉が言う。日本の暗黒街を制すれば、この国をより滅茶苦茶にしてやれるという算段が、彼の中では立つ。


「どうして薬仏市は防波堤になっていたんだ?」


 不思議そうにマードックが尋ねる。日本の裏通りの事情に疎いというだけではなく、都市が防波堤という言葉が、いまいちピンとこない。


「多くのマフィアがここに集っていたから……かな。ここを飛び越えていきなり別の暗黒都市で拠点を作っても、袋叩きにあうのがオチだ。しかし薬仏では、例え拠点を築いても、袋叩きになるまでには至らない。複数の海外マフィアが集うが故に、日本の裏通りの組織とも十分やりあえるのさ」

「なるほど。で、今はそのバランスが崩れ、薬仏にしっかりと根をおろした組織が、他の暗黒都市にも侵入できるようになったと」


 胡偉のその説明で、マードックはあっさり理解した。


「そういうことだな。例えば安楽市にいきなり組織の本拠を構えても、すぐに潰されるが、薬仏市に本拠を構えたうえで、安楽市に支部を幾つも同時に作って人と資金を流し続ける形にすれば、そうそう簡単には潰れない。パイプラインとしての拠点となりうるまで巨大化した組織が、今や薬仏市には現れはじめている」


 その先走りマフィアは、魂魄ゼリーとはまた別口の中華系マフィアであったが、かなり強引に安楽市に自分の組織を根付かせようとしている。

 今回の抗争で薬仏の裏通りの組織を弱体化に追い込み、海外マフィア組が全体的に、この都市での勢力をさらに拡大したならば、安楽市辺りに進出しようと、目論む胡偉であった。

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