第二十七章 5

 クラブ猫屋敷を出た真は、バイパーに会いに、彼の潜伏場所へと向かった。ミルクから一応潜伏場所は教えてもらったが、移動する可能性が有るとのことだ。


 抗争中にバイパーがクラブ猫屋敷に立ち寄らないのは、近所に迷惑がかかりそうだという理由である。確かに、住処に戻る途中に襲撃され、近隣住民を脅かす可能性は有る。


 バイパーの潜伏場所は、繁華街はおろか、住宅街からも離れている場所だった。周囲は林であったり草原であったり畑であったりする、人気の無い場所に建てられた、四階建ての古ぼけたマンションの廃墟。

 入り口横の看板を見ると、『築・昭和五十年』と書かれている。一世紀以上昔に建てられたマンションということで、その汚さと古さにも、真は納得する。コンクリートの寿命は条件によって変わるというが、これはよくもっている方なのだろう。


(尾行されてる……か)


 後方を意識する真。近くの林以外に隠れる場所も無いし、その林とて道路からわりと離れているので、尾行するには難儀な場所である。そして尾行者はただこちらの動きをチェックしているだけで、襲ってくる気配は無い。


(仲間に報せてはいるだろうから、ある程度時間が経ったらやってきそうだな)


 丁度いいと思いつつ、マンションの中に入る。


「バイパー、いるかー? 相沢だー」


 中に入った所で、声をかける。人の気配は全く感じない。

 埃の中に無数の大きな足跡があるので、ここにいた痕跡はある。その痕跡を全く消そうとせず堂々としている辺り、バイパーらしいと真には感じられた。


 足跡が扉の一つ前で途切れている。おそらくはその扉の中の部屋に潜伏しているという事だろう。

 扉を開けて中に入ると、ある程度掃除がなされたうえで、大きな寝袋、食料品、食い散らかしたゴミ袋などがあった。明らかに生活の痕跡がある。


(罠を仕掛けるようなタイプではないし、留守ってことか)


 生活している風を装い、実際には別の部屋で生活しつつ、この部屋は監視したうえで罠を仕掛け、侵入者を殺すというトラップを仕掛けるのは、潜伏生活での教科書通りの基本であるが、真はそれを知りつつも、警戒せずに侵入していた。


(時間のロスだが、帰るまで待つか……)


 まだ食べていない食料品やら寝袋が置かれている限り、潜伏場所を移したはずがない。


(襲撃者ともこの中でやりあうことになるから、バイパーには迷惑かもしれないが)


 窓の外を見る真。いや、窓の外に己の姿を見せた。


(草露ミルクがもう少し協力的だったら、電話で話してそれで終わりなのに。まあずっと電源切ってるから通じないわけか)


 そう思った直後、窓から見える道に車が止まり、中から三人の男が降りるのが見えた。遠目にも、彼等の動きだけでわかる。明らかに荒事に長けた者達だと。


***


 黄強は二人の殺し屋と共に、マンションへと突入した。

 中にはターゲットである相沢真がいる。三対一であるなら、開けた屋外より、屋内で接近戦を挑んだ方が、勝率が高いと判断した。できるだけ至近距離に詰めて、三人がかりで一斉に襲いかかるのが理想だ。


 まず室内に一人が飛び込むが、扉に仕掛けられていた超音波震動鋼線であっさりと切断された。

 もう一人はそれを見て、鋼線を素早く切断して飛び込んだが、真に透明の長針を投げつけられ、喉から頚椎にかけて針が貫通して果てる。


(なるほど、強いな。あっという間に二人を始末するとは)


 ナイフを抜く黄強。三人同時に飛び込んでいたら、自分もやられていたと見る。彼だけは少しテンポを遅らせて飛び込むつもりでいた。


(情報に目を通した限り、銃ではかないそうにない。奴が出てくるのを待ち、接近して仕留める)


 黄強は接近戦や、屋内において相手に十分に近づいてからの暗殺を得手としていた。銃も使えることは使えるが、銃撃戦はさほど長けてはいないと、自分では思っている


 一方真は、もう一人刺客がいたはずだと思い、無造作に通路に出る。

 真のこの動きは黄強の狙い通りだ。至近距離で側面を取る黄強。一歩踏み込めば真に届く距離で、ナイフを構えている。


「随分と迂闊だな。この距離なら銃よりナイフの方が有利だぞ、坊や」


 ニヒルな声で黄強が告げる。すでに十中八九、勝利を確信していた。


「雪岡に見せてもらった古い漫画には、そんな台詞が出てきた記憶があるな」

 だが全く臆した様子を見せない真。


 真が懐から手を抜く。男がナイフを走らすが、真が手にした銃を振るい、ナイフは弾かれた。驚く黄強の眉間に銃口が当てられる。


「漫画と同じようにはいかなかったな」


 目を丸くする黄強を見つめ、真は言ってのけた。


「大した子だ……その若さで」


 余裕ぶって呟く黄強だが、自分の全身が細かく震えている事がわかる。


「世界には未成年の兵士が何十万人といる。それを知らないからこそ吐ける、平和ボケした台詞だな、それは」

「そうか……俺は心のどこかで、油断していたか。なら……仕方無い。油断した者から死神に命を刈り取られる世界だ。それを忘れていた俺には、死が相応しい」


 恐怖を押し殺し、覚悟を決めにかかる黄強。いや、死の覚悟への念を強めて、少しでも恐怖から遠ざかり、潔く死のうと心がける。

 真はそんな黄強の心理を見抜き、不快な気分になった。


「お前みたいなタイプは好かない。戦って死にたいだけが目的なら、僕が望みをかなえてやるよ」

 真の殺気が漲る。


(何だ……これは……)

 黄強は総毛立ち、息を飲んだ。


(こんな恐ろしい殺気……初めてだ。殺す気と書いて殺気だが、ここまで強い殺す意思は……無かったぞ。ここまで人を殺すことを強く意識して、それを外にぶちまけられるものなのか?)


 間近で膨大かつ凶暴な殺気をあてられ、黄強は愕然として、その場に膝をついてしまった。死の恐怖の前に力が抜けてしまった。


(覚悟が足りなかったのか……。いざ本当の死を前にして、俺はこんなにブルってる……)


 これまでも死にそうになった事は何度かあった黄強だが、ここまでどうにもならない状況に陥ったのは初めてだ。

 やにわに真が銃を下ろす。


(何だ? 油断させておいて、それでまた殺して楽しむつもりか?)


 徹底的に懐疑的になる黄強。死の覚悟をゆるめることや油断することが、自分の死の引き金を確実に引く――そんな気がして。

 だが、それは杞憂であることもわかった。真から殺気が劇的に消えたからだ。


「どういうつもりだ?」

 呻くように尋ねる黄強。


「そんな風に、死にたくない助けてくれって顔で、必死に懇願されまくったら、殺す気も失せる」


 真の言葉を聞いて、今度は啞然とする黄強。

 無論、声に出して命乞いはしていない。しかし――無意識のうちに途轍もなく情けない表情で、死の恐怖と生の渇望を訴え、しかもそれを相手に悟られたということは、理解できた。

 恥辱と安堵が黄強の胸に去来する。


「死の覚悟を決めていたと思っていたはずなのに――いざそれいつを前にして、小便ちびる一歩手前とか、情けない……」


 黄強が床に手をつき、そのはずみで目から液体がこぼれおち、床を濡らした。


「本気で見逃すつもりか?」

 黄強が顔を見上げ、確認する。


「僕は危険だと感じたなら、例え女子供が命乞いしてきても殺す。相手がゲスだとわかったら、例え降参してきても無抵抗でも殺す。お前はゲスではないし、もう僕と戦うつもりも綺麗さっぱり無いだろ」

「そんなもん、見てわかるのか?」

「お前はわからないのか? この世界でやりあっていると、そういうのが見えてこないか? 相手と戦えば、さらにわかりやすいだろ。自然と伝わるっていうか」


 真のその言葉に、黄強は息を飲んだ。衝撃的ですらあった。


「俺は……そこまではいってない。そんな境地まで無い……そんなゆとりは無かった……」


 これは明らかにかなわない、自分の物差しでは測れない存在だと、黄強は認める。


(こんな奴がこの世にはいるのか……。そして、何のために、こんな奴がこんな世界で生きている?)

 強い疑問を覚える黄強。


(俺と違って、明るい。命のエネルギーに溢れているように見える)


 殺しの世界で生きている者は、誰もが自分のように退廃的かつ虚無的だと思っていたのに、この少年は全く違って見えた。


「俺は……前向きな目的も無く……生きてきた。お前は何のために生きている? 何か目的があるのか?」

「ある」


 ふと口にした黄強の疑問に、真は即答した。


「何よりも深いが高く、暗いが明るい、そんな目的がある」

「なるほど、どういうものか何とはなしにわかったよ。で、望みをかなえてくれるんじゃないのか?」


 相手に殺意が無いとわかったうえで、しかし思わず皮肉ってしまう黄強。


「僕の個人的意見だが、お前は殺し屋に向いてないよ。死の覚悟なんてくだらないものに頼って、恐怖を受け入れないんじゃあな。それじゃあ、殺し合いしていても楽しくないだろ。恐怖は楽しむもんだ。いちいち死の覚悟なんて意識しないで、見苦しくても生き延びる執念をもって足掻き続けることが、生にも勝利にも繋がる。生きるのが第一だ」


 真の言葉を聞き、ボスと似たようなことを言っていると思い、黄強は苦笑する。


「もう一つ聞きたい。お前は、殺した相手を……覚えているか?」

 黄強が問う。


「面白い戦いをした奴はね。あとは、多少会話した奴も。でも大半は忘れてるかな」

「ふふふっ、あはははははっ」


 その真の答えに、突然笑い出す黄強。


「俺は忘れられずに、何度も夢に出てくるよ。なるほど、お前の言うとおりだ。俺には合わないんだろうさ。でも、この生き方を今更変えられもしない」


 そう言って黄強は立ち上がり、真に背を向けた。


(畜生……。俺の思想を――殺し屋としての姿勢を、こいつは全て否定しやがった……)


 激しい脱力感と倦怠感を覚えつつ、黄強はその場より立ち去った。


***


 黄強が出て行った直後、見ろ苦慕殺のナンバー2の毒嫁夢雄から電話がかかってきた。


『現在、本部が襲撃を受けている最中です。どうか助けていただきたい』

「今から行って間に合うのか?」


 それなりに距離が離れているし、移動中にケリがついてしまうのではないかと危ぶむ真。


『しぶとく篭城しています。敵の数が多くて、外からの援軍待ちになっています。組織の者も集めていますが、一応相沢君にも助っ人になってほしくて』

「わかった。結構離れているから、間に合うかわからないけど」

『それと、魂魄ゼリーの新たに追加されたデータを、今のうちに送っておきます』


 電話を切り、真はメモ帳を取り出し、自分の電話番号と名前を書いた書置きを置いておく。帰ってきたバイパーに連絡してもらうためだ。


 毒嫁から送られてきたデータには、外部から雇ったと思われる殺し屋のリストが書いてあった。おそらくは魂魄ゼリー内にいるスパイが、情報を流してくれているのだろう。

 その中の名の一つを見て、真は目を見開き、動悸が激しくなるのを意識する。


 殺し屋達の名の中に、苗字二文字だけでこう書かれていた。葉山――と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る