第二十七章 4

 それは、黄強(ホアンジァン)……がいつも見る光景。


 裏路地を歩く。そこかしこに転がる死体。

 それらは全て見覚えがある。自分が殺した者達だ。

 乱戦でも無い限り、殺した相手は大抵覚えている。忘れることができない。記憶に焼きついてしまっている。

 死体の脇を通り過ぎる度に、黄強は怯える。殺した者の脇を黙って通ってしまっていいのだろうか? そんな気持ちになってしまう。自分でもその理由がわからない。


 途方もない罪悪感がまとわりついてくる。殺した者達は最早動かない。動けない。動くはずがない。


 しかし彼等は目だけで、黄強の動きを追っていた。

 黄強は必死に彼等と目を合わせないようにするが、彼等の目の動きが全て見えてしまっている。脇を通りぬける度に、死体の目だけが動き、恨めしそうに黄強を見送るのだ。


 後ろから一斉に動き出して、自分へと殺到してくるのではないかと、そんな恐怖にとらわれる。その後、自分も死体の仲間入りとなり、地獄で彼等に永遠に嬲られ続けるのではないかと、想像してしまう。


 立ち止まり、振り返る。死体は動かない。恨めしそうに見るだけ。安堵するが、彼等が自分を見つめている事実に代わりはない。


 そのまま裏路地を歩いていくと、生きた人間が自分の前を歩いてくる。

 彼等が一斉に銃を抜く。黄強も銃を抜く。


 果てしなく繰り返される殺し合い。いずれ自分も殺される側になると、強く意識する。


「嫌だ……死にたくない」


 殺しながら、涙を流し、本音が口から漏れる。


 裏路地を新たな死体で埋め、その横をまた歩いていく。死体の視線を受けながら、歩いていく。

 果てしなく繰り返される殺し合い。いつか終わりが来ると、覚悟を決める。死の覚悟が、恐怖を和らげてくれると信じて。罪の意識を薄めてくれると信じて。


 いつもの悪夢から目覚める。この悪夢を見た後は、首筋にぐっしょりと汗をかき、枕を濡らしている。心身ともに最悪の気分だ。

 シャワーへ直行し、かなり熱くした湯を身に浴びる。魂が冷え固まってしまわぬよう、少しでも熱くしておきたい――そんな感覚の元に、悪夢の後にはいつも熱いシャワーを浴びる。


 人を殺める仕事に手を染めて、もう三年半になる。十分にベテランの域だ。この三年半は実に濃密な時間だった。

 一方的に相手の命を奪うだけではなく、交戦することも数限りなくあった。その全ての戦いに勝利したからこそ、今こうして生きている。

 だからといって、自分が死なないなどとは思っていない。それどころか、長生きできずに、戦いの末に敗北して無惨に死ぬ様ばかりを心に思い描いている。そう思うことで覚悟を決め、恐怖を薄めて、死地に臨める。


(俺のような人間は、長くは生きられない。幸福も掴めない。それは覚悟しておかないと駄目なんだ)


 シャワーのハンドルをきつく握り締め、黄強は思う。


(そう……せめて最期は、戦いの末に、恐怖も無く、満足して死にたい。自分より強い敵と戦い、納得して死にたい。ついにその時が来たと……)


 それが黄強の行き着いた、ささやかな願いであり、常に意識している事であった。それ以外の望みなど、黄強には無かった。


***


 現在、黄強は日本の薬仏市という場所で待機している。


 薬仏市における状況は理解している。そして彼が所属する魂魄ゼリーが、無数の組織と同時に交戦状態にあることも。黄強もそれら幾つかの組織との戦いに、何度か駆り出された。

 組織に所属する優秀な殺し屋達が何人も駆り出され、知り合いの殺し屋達が何人か消えた。いずれも手練れであり、彼等の死が、今回の戦争がいかに激戦か如実にわかる。自分もこの戦いで死ぬ可能性が高いのではないかと、黄強は意識せざるをえない。


 黄強は一年前まではフリーの殺し屋であったが、その腕と功績を見込まれ、魂魄ゼリーに所属する殺し屋の一人となった。

 正直フリーの時代よりはずっと実入りがよく、仕事も安全になった。仕事の実行にはサポートがつくことも多い。組織の歯車となった事への抵抗は無い。気ままに一人で仕事を選べなくなった代わりに、得られる物の方がずっと多かったと、黄強は受け止めている。


 ただし、明らかに自分がかなわない敵との戦いになっても、拒むことはできない。

 今回の薬仏市の抗争はそれではないかと、黄強は疑っている。すでに同僚の殺し屋達が何人も命を落としているのを知ると、そう判断せざるをえない。組織のトップが舵取りを誤って、無謀な戦いをしているのではないかと。


 黄強は薬仏市にある中華飯店へと呼び出されていた。

 その店は魂魄ゼリーの傘下にあるうえ、地下室は組織の拠点の一つとなっている。そうした店を魂魄ゼリーは、薬仏市に幾つも設けている。


 地下室には、黄強の見知った顔が幾つもあった。魂魄ゼリーに所属する殺し屋達だ。いずれも腕の立つ者ばかりである。もちろん知らない顔も多い。


「アメリカ勢が増えたな」


 知り合いの殺し屋が黄強に声をかけてくる。魂魄ゼリーは中華マフィアとアメリカのギャングが合併した組織であるが、この二つの勢力が交わる事はあまり無い。独立して動くことの方が多い。しかし今回のような大仕事の時は、一つの組織として目的に臨む。


「陳威も王白竜も朱軍も死んだぜ。こいつら皆バイパーに殺されたらしい」


 さらに他の知り合いが近づいてきて、覇気の無い声で言った。


(こいつも死相が出ている気がする)


 その知り合いの顔を見て、黄強は思う。それはただの思い込みかもしれないが、彼の中にある脅えは、確かに見受けられる。そして他人に恐怖が悟られるようになった奴は、臆して死ぬ可能性が高くなるというのが、黄強の持論だ。


「バイパーは昔からマフィアを敵視してたからな」

「行動原理がいまいちわからん」

「わからんも何も明白だ。奴の心は日本人寄りだということだ。マフィアに日本侵略されているような形が嫌なんだろう」

「あいつも移民なのに、日本人からイジメられなかったのか……? やっぱりわからん」

「さらに相沢真も参戦してくるとか、どうなってるんだ? 何か雪岡純子の逆鱗に触れるようなことしたのか?」

「出る杭を打つが、日本人の性質だ。そしてそれが連鎖する全体主義国家でもある。薬仏市にある裏通りの組織複数に一斉に敵視された結果、その組織のいずれかと、雪岡純子が懇意だった可能性も有る」


 殺し屋達がぺちゃくちゃと喋りだす。彼等は意外に喋りたがりが多いことを黄強は知っている。普段孤独であったり、恐怖を紛らわせたかったり、理由はいろいろだが、無口でクールでニヒルといった、いかにも殺し屋のイメージを帯びた殺し屋など、黄強は自分以外にあまり見たことがない。

 黄強は無口であるが、会話が嫌いなわけでもない。しかし自分からは滅多に他人に話しかけない。建設的な話題が振るのがいまいち苦手であるからだ。

 知り合いなど、同業の殺し屋と情報屋しかいない。仲良くなった所で、明日にも死んでいなくなる可能性の高い人間――そう意識してしまうと、進んで友人を作る気にもなれない。


 殺し屋達が喋っている最中、地下室の扉が開き、殺し屋を管理担当する幹部が現れる。驚きの人物を伴って。


(ボス……の一人、胡偉がこんな所に直々に?)


 スカジャン、Tシャツ、カーゴパンツという、機動性の高そうなラフな格好をした小柄な老人を目の当たりにし、黄強他、組織の中国勢の殺し屋達は少なからず驚いていた。殺し屋風情の前に、ボスが直々に姿を現すなど、考えられることではない。


「かつて俺もただの殺し屋だった」


 現役の殺し屋達を見渡し、魂魄ゼリー中国側首領の胡偉は不敵な笑みを浮かべる。

 身長150センチあるかどうかの小柄な男だ。しかもその服装からして、威厳もへったくれもない。街中にいる普通の老人にしか見えない。だがその笑みを見ただけで、黄強は背に薄ら寒いものを感じる。


「一介の殺し屋であろうと、生き延びれば、その気が有れば、ここまでのし上がることもできる。しかし……死んだ奴には何もできない。うちの殺し屋が何人も殺されていると聞いた。嘆かわしい限りだ。何故死んだ? 何で生き延びなかった? 俺はお前達に死ねと命令したことは一度たりともないし、死ぬ事を許した覚えもないってのによ」


 一体何の演説だと、内心げんなりする黄強。しかも語り終えていない胡偉の思想は、自分とは露骨に合わないような気がしてならない。


「首領たる俺が直接命令を下してやるから、成し遂げろ。死ぬな。生き延びろ。危なくなったらさっさと逃げろ。生きていればまた組織に貢献できる。故に死ぬことは決して許さんぞ」

(最も死地に近い者達をつかまえて、死ぬなときたか……)


 予感通り、胡偉が口にした言葉は、胡偉の好まざる代物だった。

 だが説得力はある。この小さな老人が元殺し屋であるということは初耳であるが、嘘ではないとわかる。そもそもそんな嘘をつくとは思えない。


「『ヌーディスト・スクール』の奴等もくる。増援だ。さらには、外部から腕の立つ奴も雇う。日本の裏通りのフリーの殺し屋もな。諍いを起こすんじゃねーぞ」


 ヌーディスト・スクールとは、魂魄ゼリーアメリカ勢の前身組織である。かつてはアメリカ最強勢力ギャングであったが、新興勢力である『戦場のティータイム』との抗争に敗れて、アメリカに居場所を失くして、落ち武者よろしく魂魄ゼリーに加わった。

 両者が交わらないせいもあるが、今の所、アメリカ勢と中国勢との軋轢が生じたという話は無い。


 その後、胡偉は立ち去り、幹部からそれぞれの担当をわりあてられる。それぞれの携帯電話に、メッセージで伝達された。


「俺は抗争中の見ろ苦慕殺担当かー」

「やべー、バイパーと当たっちまった。ボスのお言葉に甘えて、生き延びること優先だな」

「黄強は誰よ」


 尋ねられ、黄強は無言でディスプレイを反転させる。


「相沢真か。バイパーよりはマシなんじゃないか?」

「かもな……」


 同僚の言葉に、気の無い返事をする黄強。相手がどれほどの強さかなど、実際に会ってみないとわからない。現時点でマシかマシでないかなど、推し量れるものかと、黄強は思っていた。

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