第二十七章 6

 真がタクシーで見ろ苦慕殺の本部事務所前に到着すると、道路には死体が幾つも転がっているという惨状であった。

 当然、通行人の姿は無い。いや、二体だけある。死体として転がっている、どう見ても銃撃戦の巻き添えを食ったと思われる、母子の亡骸が。

 マフィア達が通行人もお構いなしに乱射したのは明白だ。冷たい怒りを覚えつつ、真はマフィアの背面を取り、銃を撃ちまくった。


 突然の奇襲を受け、マフィア達は混乱する。それを機と見て、これまで防戦に徹していた見ろ苦慕殺の構成員達も、一斉に遮蔽物から身を乗り出して、撃ちまくる。

 混乱したマフィアは一部で同士討ちも行っていた。真が思わぬ所から急襲したせいで、大人数で挟まれたか包囲されたと錯覚したことによるものだった。


 戦いの趨勢は、真の参戦によって一気に変わる。真自体の参加による戦力の増加も大きいが、全体の流れの変化がそれ以上に大きい。


 数分後、マフィア達は全滅していた。マフィアの何名かが途中で逃げようとしたが、真はそれを見逃すこともなく、逃げる彼等を後ろから撃って悉く殺した。


「ふー、よく来てくれた。本当助かったよ」

「君一人の参戦でこうも違うとは……いやはや驚きです」


 阿久津と毒嫁が姿を現し、真に声をかける。


「そっちも結構被害が大きかったようだな」


 本部事務所側の道路に転がる死体を見て、真が言う。


「本部の強化を三倍にしましょう。少し手狭になってしまいますが、仕方有りません」

「商売の方にも影響が出ちまうな。でもまあ確かに仕方無い」


 毒嫁の進言に、渋い顔でツルツルの頭をかく阿久津。


「あるいは外部から人を雇った方がいいかもな。薬仏市内にこだわらなくてもいいし」

「それは護衛組織のメンツ上、難しい話なんだわ」


 真の提案に、阿久津は苦笑いを浮かべる。護衛組織が外部の人間を雇ったとなれば、その組織に力が無いのかと疑われる信用問題に関わるので、護衛組織は戦闘面で外部の力を借りるのは難しい。もちろん例外もあり、仕事優先でお構いなしに外部に協力を請う組織もある。


「その理屈だと、僕が力を借してるのもどうかっていう話になるぞ」

「いや、そいつは金払って助けを求めたわけじゃないからノーカン……」


 阿久津が苦笑いを消し、真顔で一点を見つめた。

 確認しなくても、真にはその視線の先にあるものも、真顔になった理由も理解した。巻き添えになった母子の死体を見たのであろうと。


「安楽市や他の暗黒都市でも、こんなことはあるって聞くが、薬仏における裏通りの災禍に巻き込まれる表通りの死傷者の数は、桁が違う」


 殺された一般人を見て、阿久津は怒りを押し殺して語る。


「俺は……人を――この国を食い物くらいにしか思ってない、糞ったれのマフィア共から、人も国も守ってやりたいと思って、奴等とやりあっている。他所とは違って、この薬仏じゃあ、警察もまるで働いちゃくれねーからな。ここは日本の中で、国にも見捨てられちまった場所だ。いや、生贄にされた町と言ってもいい。移民とマフィアの防波堤にされているってことは、国のための人柱みたいな土地ってことだからな」


 阿久津の顔には、色濃く哀愁が漂っていた。ずっとこの土地に暮らして、いろいろと嫌なものを見て、しかし未だに阿久津は人の心は失っていない。無関係な人間の死にも、ストレートに怒りを覚える心を失っていない。


「しかしそんな意気込みを持っていても、意気込みだけじゃどうにもならなくて、この様だ」

「この土地に住んでいる人間は、ここから離れるということはできないのか?」


 真が口にした言葉に、阿久津は小さく微笑み、かぶりを振る。


「相沢君よ、それはあまりにも思慮の足らん発言だぜ? 一つの土地に住んでいる人間てのは、そうホイホイと他所に移れるもんじゃないんだ。いろんなしがらみにとらわれる。あるいは精神的な部分での、土地への依存て奴もある。それにだな、危険な土地に住んでいても、自分に危険が降りかかるまでは、危機感も無いもんだ。もちろん経済的な事情もあるしな。自由奔放に住処や生き方を変えられる奴なんざぁ、世の中に一握りしかいねえぜ」

「そういうものか……」


 阿久津にたしなめられ、真は自分の発言を恥じた。うっかりしていたとはいえ、表層を見て安易な理屈だけを口にしてしまった事を意識した。


***


 ここ数十年間、胡偉が抱く女は全て強姦によるものだ。

 強姦が魂の殺人だというフレーズをよく耳にするが、胡偉は全くその通りだと同意する。だからこそ強姦はいい。女の体より先に、心を殺す作業がたまらなく心地好い。その反応が胡偉の心を昂ぶらせる。


 かつては好きになった女と、体と心を同時に重ねたこともある。しかし今やそれがどんなものだったか、胡偉には思い出せない。少なくとも、一方的な支配と陵辱による欲望の放出より楽しいものであったとは思えない。


 人を殺した後には必ずといっていいほど、胡偉は女を犯したい衝動に駆られる。

 犯す相手は大抵ローティーンの少女だ。あまり歳が低すぎると、女として見ることができない。逆に歳が高いと、反応がいまいちで燃えるものがない。そもそも自分より体の大きな女は苦手だ。自分より小さな女でないと征服欲が沸き起こらない。

 犯した少女は必ずその後に殺すようにしている。この殺害によってまた女を犯したくなるという事は無い。この殺しは別口だ。それ以前に、性欲は放出されている直後であるし、連続してまたすぐ復活するという事も無い。


 胡偉にとって人の命を奪うという行為は、相手の人生そのものを奪い、全否定するに相当すると受けとっている。人一人の命を根こそぎ否定して台無しにしてやったという意識を強く持つことが、このうえなく心地好い。勝利感と達成感と征服感で満たされる。全能感すら覚える。胡偉にとって、これほどの快楽は無い。


 今日も胡偉は少女を犯す。そして犯した少女を殺す。殺した少女は自らの手で捨てる。

 胡偉は少女を捨てる時、部下には任せない。人の命を奪うことを好む胡偉だが、犯して殺した女にだけは敬意と感謝の念を抱き、供養として、自分の手で捨てる。それが自分に残った最低限の良心だと意識していた。


「じゃあな、ありがとな」


 そう言ってまだ年端もいかぬ少女の亡骸を窓からドブ川へと放り投げた後、川に浮かぶ裸の死体に向かって、手を合わせる胡偉。


「で、そこにいるのは誰だ? 俺の命をとりにきたってわけじゃあないみたいだが」


 路地の曲がり角に潜む何者かに向かって、胡偉は声をかける。


「無礼、お許しを」


 現れた人物のことを胡偉は知っていた。会話したことはないが、組織に属する腕の立つ殺し屋ともなると、一応把握している。


「黄強か。昨日見た時と、ちっと顔つきが違うな」


 自分のことなど覚えていたことに加えて、この指摘である。黄強は驚きを禁じえなかった。


(流石……長年にわたって大組織の首領を務めた男は、一味違う)


 会話次第ではここで殺されることも覚悟して臨まねばならないと、改めて気を引き締める。


「お願いがあってきました」

「ほうほう、よほどのことのようだな。直属の上司を越えて、ボスの俺に直談判とは」


 真剣な面持ちで自分を見つめる組織の歯車を見上げ、おかしそうに笑いながら胡偉は言った。

 組織のボスに直談判にきたのは、直属の上司たる、殺し屋達のまとめ役である幹部相手に頼んでも、絶対に聞き入れてもらえないとわかりきっているからだ。


「相沢真担当から外していただいて、別のターゲットにしてほしいのです。俺はあいつを殺そうとしましたが、あいつは俺を殺さなかった。俺には――実力はもちろん、仁義のうえでもあいつを殺せない」


 黄強の申し出に、胡偉の顔色が変わる。それまで好々爺だったのが、悪鬼の形相となっている。


「俺の一番嫌いな言葉を吐きやがったな。それだけで殺されても文句は言えないが、興味深い話だから、一応まだ殺すのは待ってやる。どんな経緯があったか話せ」


 殺気を滲ませながら胡偉は命ずる。


 黄強は真への襲撃と、そこでのやりとりを包み隠さず話した。

 話を聞いて胡偉は、相沢真へという人物に対して強い興味が沸き、黄強への怒りと殺意は急速に薄れていく。


(まあ、こいつは殺さなくていいな)


 胡偉は思う。殺さない理由は二つ。単純に、使える男であるから生かしておく。どんなに神経を逆撫でされる発言をされても、ある程度使える者は殺さない。失敗も赦す性分だ。ただし無能な者には一切容赦しない。

 もう一つは、黄強には大きな功績があると見なしているからだ。相沢真が魂魄ゼリーに牙を剥いていることは知っていた。自分の孫にあたる少年であることも当然、胡偉は知っている。どういう人物で、何のために敵対してきたか知らなかったが、黄強のおかげで少し知る事ができたし、多大な興味が沸いた。これは胡偉の価値観からすれば、黄強の功績といってよい。


「無礼も失態も手前勝手なお願いも全部許してやろう。ただし、新しい仕事をくれてやるから、そいつを遂行しろ」

「はい」


 言葉の割には優しい声音で命ずる胡偉に、黄強はかしこまる。


「相沢真を俺ン所に連れてこい。最初に命じた奴はあっさり殺されちまったが、見逃してもらったお前なら、できるかもしれん」


***


 再襲撃に備え、今夜は見ろ苦慕殺のアジト本部に泊まることにした真であった。自分のやりたいこともあるが、余裕があるうちは力を貸すと阿久津に告げておいた。


 与えられた部屋で情報チェックしていると、魂魄ゼリーアメリカ勢のボスが、明日来日するという情報を得る事ができた。

 他に目ぼしい情報は無い。バイパーが相変わらず暴れていて、魂魄ゼリーに甚大な被害を与えているといった程度だ。


 そのバイパーからやっと、真の元へ電話がかかってきた。


『人の隠れ家に死体のオマケつきで言伝置いてくとか、どういう神経してんだ!?』

 バイパーの第一声は怒号だった。


「そこにいたら襲われたんだ」

『俺は尾行されないよう気遣ってるし、お前狙いだろっ。襲われたなら襲われたで、死体を始末屋組織に頼んで片付けるとか、それくらい気まわせねーのかっ』

「すまない……。こっちも忙しくて気が回らなかった」


 小さく息を吐き、謝罪する真。


『で、どんな用件だ』

「電話じゃちょっとな……。会って話したいから、時間作ってくれ」


 電話でというより、見ろ苦慕殺のアジトで話すのが落ち着かない真である。ここにいれば、誰かに聞かれる可能性もある。完全に信用はしていない。

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