第二十六章 34

 雪岡研究所に訪れた岸夫と優。


 岸夫の口から、純子に要請した。岸夫の精神を完全に光次の中に戻して欲しいと。


「記憶はもちろん引き継がれるけど、人格面にどういう影響を及ぼすかは、私にもあまり予想がつかないよー」


 実験室の一つにて、無数のコードで繋がれたヘッドギアを被って座った岸夫を前にして、純子は言った。岸夫のすぐ傍らには、優が佇んでいる。


「やめた方がいいんじゃない?」


 悲壮感たっぷりなオーラを出している優と岸夫を見て、純子が声をかける。


「いや、もう決めたことだから」

 うつむき加減で岸夫が言う。


「んー、何か岸夫君、言っちゃあ悪いけど、思い込みで突っ走っているあげく、自分に酔っているような、そんな気がするんだよねえ」


 純子の身も蓋も無い指摘に、岸夫はあんぐりと口を開けて純子を見上げる。


「私も薄々そんな気はしていますが、岸夫君が私と父のために決心してくれたので、尊重してあげてください」


 フォローと追い討ちの両方をかける優。


「わかった。じゃあいくよー」


 隣にある怪しい機材のスイッチを幾つか入れ、ディスプレイを開いて操作しだす純子。


「ごめん……怖いから、手繫いでて……」


 掠れ声で要望され、優は岸夫の手を握る。


 ヘッドギアが起動しだす。岸夫は自分の意識が薄れていくことに、自分が消滅していくような感触を如実に覚え、激しく恐怖する。


(神様……どうかお願いです。俺を……今の俺の心を……ちゃんと……)


 当てずっぽうの奇跡を期待している事はわかっている。自分の心を本体に戻すという目論見に、元々大した根拠は無い。純子の言う通り暴走していたと、もっと悪い事態になるかもしれないのに早まったことをしたと、今更になって岸夫は思いつつも、自分の目論見通りにことが運ぶ事を強く願った。


 優が握っていた岸夫の手が、それまで緊張に固まっていたのが、嘘のように力が抜けた。岸夫の肉人形から、岸夫の意識が完全に消えた。


「大丈夫だよー、優ちゃん」


 がっくりとうなだれる優に、純子が優しい声をかける。


「またいつでも戻ってこられるようにしてあるから。ま、岸夫君の気持ち次第だけど」

「え~、それじゃあ意味無いですぅ」


 岸夫の悲壮感溢れる決意は何だったのかと思いつつも、優は安堵の笑みをこぼしていた。


***


 雪岡研究所を出た優は、そのまま家に帰宅することに抵抗を感じ、殺人倶楽部のアジトへと向かった。竜二郎から呼び出しのメッセージを受けていた。


 岸夫を除くおなじみの四人がたむろしていた。殺人倶楽部が終わるという事は、すでに純子から全ての殺人倶楽部会員に通達されている。警察による殺人倶楽部の活動隠蔽も機能していいなので、現在は全ての活動も停止している状態である。

 にも関わらず、優達のグループは頻繁にアジトに集り、やくたいもない雑談に興じる日々が続いていた。

 しかしわざわざメッセージで呼び出されるからには、相応の用事があるのだろうと思う。それが何であるかは伝えられなかったが。


「実は僕の所に連絡がありましてねー。うちのグループのメンバーを全員揃えて欲しいと」

「誰にですかあ?」


 竜二郎の言葉を訝る優。


「純子さんです。今後の活動に関して説明してくれる人が来るとか」

「純子が説明するんじゃ駄目なのかって話だが、今後とやらは気になるな」


 竜二郎と鋭一が言う。


「私達にだけですかあ? 他の殺人倶楽部の人達は?」

「その辺もちょっとわからないんですよねー。僕達だけ特別扱いみたいです」


 優の質問に、竜二郎は肩をすくめる。


 それからしばらくして、アジトに来訪者が訪れた。

 背広姿の、壮年と中年の間くらいの歳の男だった。


「私は防衛省所属の朱堂春道と申します」

 男の身元に、五人は少なからず驚く。


「雪岡嬢からもそのうち通達があるでしょうが、殺人倶楽部という存在は、近いうち消滅します。国が守らなくなるからです」


 すでに殺人倶楽部の全員が純子から聞いていることなので、そこに驚きはしない。


「私の目的は、かつて殺人倶楽部に所属していた者達の中で、優秀かつ、殺す相手もある程度選ぶくらい分別のある者を、陰の国防機関に配属させるための勧誘です」


 朱堂の訪問理由を聞いて、五人はまた少なからず驚いた。


「もしかしてそれ、最初から決まっていたことですか? だからこそ、殺人倶楽部が認められていたと?」


 竜二郎の問いに、朱堂は微笑んだ。


「はい、雪岡嬢とそういう取り決めの元に、殺人倶楽部は保護されていました」

「その無理している感が凄い愛想笑いはいらない。気持ち悪い。普通にしていてくれればいい。あんたはあまり普段から愛想のいい人間ではないだろ?」


 鋭一の指摘を受け、朱堂の笑顔が引きつる。


「なら普通にしておきます。子供ばかりなので、怖がらせないようにという心遣いでしたが」


 無表情になる朱堂。確かに普段の朱堂は、愛想の悪い男だ。


「そっちの方がいい。俺はむしろ愛想笑いがデフォルトになっている人間の方が、よほど信用ならん」


 鋭一が真顔できっぱりと言った。


「どうして?」


 鋭一に尋ねる卓磨。嫌な予感を覚える竜二郎。


「こいつと付き合いが長いからだ」


 腕組みしたまま親指で指してくる鋭一に、竜二郎はやっぱりと思い、苦笑を浮かべる。


「なるほどお」

「納得しないでくださいよー」


 納得する卓磨に、笑顔で突っこむ竜二郎。


「話を戻しますが、断ることができない理由はわかりますよね?」

 朱堂が確認する。


「ええ。僕達の殺人記録は全て記されていますしねー。言いなりにならなければ、殺人犯として即御用。なるほどねー、人生そのものを国に捧げる奴隷となるわけですか」


 にこにこと笑いながら喋る竜二郎に、朱堂は悪い意味で感心していた。流石は殺人倶楽部などに入り、なおかつその中でも雪岡純子に目をかけられている者達だと。


「日頃からひどい扱いはされないと思いますが、危険な任務を命じられることはあるでしょうね。それも断ることはできません。雪岡さんはただの遊びのつもりであったのかもしれませんが、国家権力が力を貸してその遊びに付き合う代わりに戦闘用の超常の力を有し、人を殺すことも抵抗無く、命令に背く事もできない優秀な兵士で構成された、影の国防機関を創るためという、先の目的が有りました」


 殺人倶楽部に隠された真相を暴露され、五人は顔を見合わせる。


「殺人倶楽部はそのために認可されていたんですねー」

「正直すごく面白そうなんだけど」

「ああ。殺人倶楽部の先の活動は示唆されていたが、思ったより悪くないな」


 竜二郎と冴子が表情を輝かせる。鋭一も微笑を浮かべていた。


「騙されたと怒ったり嘆いたりしはないんですね」


 一同のリアクションを見て、不思議そうに朱堂が言う。


「殺人倶楽部なんていうファンタジーが実現している時点で、すごいことだし、それが実現した代償がそれなんだろう。俺は納得できるし、受け入れられる。そこで愚図るような奴は……いるかもしれないが、このグループにはいないさ」

 と、鋭一。


「朱堂さんはそれを報せるためだけに、ここに来たんですかあ?」


 優が尋ねる。殺人倶楽部全員ではなく、何故自分達だけの所に訪れたのかと、その辺の疑問も混ぜて尋ねてみた。きっと教えてくれるだろうし、大体どういう理由かは察していたが、あえて彼の口からはっきりと告げてもらいたいとも考えて。


「雪岡嬢から、一番見込みのあるグループは君達だと聞いて、自分の目で確かめにきました。全ての殺人倶楽部会員の前に赴く予定はありませんよ。最初に命ずる仕事もすでに決まっていますし、その担当は私で、任せるのは君達だからです。殺人倶楽部全体にもそのうち知らされるでしょうが、急務なので、まず先んじてというわけです」


 大体、優の予想していた通りの答えが、朱堂の口から返ってきた。


「ますます嬉しい話ですねー。ハードな仕事は真っ先に僕等に回されそうだし、退屈せず済みそうです」

「うんうん、一度刺激を知っちゃうとね。平凡な人生にはもう戻れないよ」

「報酬はどれくらい貰えるんだろ。他に仕事しなくても食っていけるだけかな?」

「流石東大生。真っ先に打算。しかもニートも思慮に入れるとは……やるな」

「いや、それいつもの嫌味でなく、本気で感心している感じが、カチンとくる……」


 楽しそうに喋りだす目の前の子供と若造達に、朱堂は小さく溜息をついた。根っからの社会派である朱堂からすると、彼等のような人種は最も相容れない存在だ。これからそんな彼等の世話を見なくてはならない事が、憂鬱で仕方がなかった。


***


『そんなわけで、一応殺人倶楽部の件はこれでケリがついたかなあ』

「おつかれ~。中々いい人材揃ってるねえ~」


 純子から電話で報告され、白狐弦螺は選別によって絞られた、元殺人倶楽部会員のリストを見ながら、満足そうに微笑む。


「殺人倶楽部が公に暴露された時は、ちょっと面倒だなあと思ったけどねえ。壺丘って人を敵として選んだのは純子でしょ~? ああすることも計算に入れてたんだろうけど、あれってただの遊びなのぉ? それとも狙いが有るのかなあ?」

『もちろん狙いはあるよー。これから弦螺君が作る国防機関が、元は殺人倶楽部の会員で構成されているってことも、調べればすぐわかるようにするためだよー。他国に対しての示威にもなるっていうか、箔をつけるために、気遣ってあげたんだよ?』

「あはは、お気遣いどーもー」


 正直余計なことだったような気もしたが、そう見えて、自分にはわからない布石を置いたのかもしれないと、弦螺は勘繰っていた。


「今後も協力お願いするかもだよう。『貸切油田屋』が思った以上に動いてるみたいなんだ」


 殺人倶楽部から純子のマウスの精鋭部隊を選別し、新たな超常国防機関を設けたのも、日本の力――裏通りの力を殺ぐために暗躍する、貸切油田屋に対抗するための一環だ。


「あっさりと『ルシフェリン・ダスト』を退けて弱体化されたことで、向こうも火がついたみたいだよう。日本を市場として狙っているマフィアに、支援しちゃったりしてるるる」

『あー、薬仏市の海外マフィアが派手に暴れだしたのは、それかー』


 最近薬仏市がいつにも増してキナ臭い理由を知り、純子は納得する。


『まあ、私が興味惹くネタがあったら、協力するよー。じゃあねー』

 一方的に電話が切られる。


「今は興味成しかあ。残念」


 弦螺が笑顔で呟き、机の上に置かれていたスナック菓子の袋を手に取る。

 無理矢理協力させる手も、あることにはある。しかし――


(優秀な雪岡純子製マウスの兵士を相当数得る事ができただけで、かなりの成果と見ていいし、あんまり欲張らない方がいいよね)


 短期間で力有る者を量産できる純子の助力を得られたことは、非常に幸運だったし、それだけで満足すべきだと、弦螺は自分に言い聞かせる。

 欲をかいてこれ以上求めるには、危険な相手だ。制御できる自信も無いし、何をしでかしてくるかわからない性質の持ち主でもある。今回は向こうから話を持ちかけてきてくれたので、ある程度は安心して話にのることができたが、こちらから依頼する形で今後も積極的に取引を続けるのは、やめた方がいいと弦螺は考える。


「って、この考え方が、もういかにも支配者っぽいっていうか、管理者っぽくて嫌だよう……あ~あ……」


 今いる立場も地位も、弦螺が望んだものではない。巡ってきて仕方なく、だ。話に聞くところによると、世界中の闇の権力者達の多くが、自分と似たような境遇だという。


「世の中には喉から手が出るほど権力が欲しい人、いっぱいいるってのにねえ。ま、自分のために権力を欲しがるような人に、この座を譲れるわけもないけど~」


 独りごちると、弦螺は空になったスナック菓子の袋を丸め、ゴミ箱へと放り投げた。かなりの距離があったにも関わらず、丸まった袋はゴミ箱の中に入った。


***


 帰宅した優は、父親の部屋を訪れた驚き、固まった。

 光次が布団から起きて、布団もかたして部屋の掃除をしていたのである。


「もう大丈夫だ。長いこと辛い想いをさせてごめん」


 掃除の手を止めて、優に向かって頭を下げる光次。


「岸夫が――もう一人の私が全てを私に託したんだ。優と共にいた想い出も、強い決意も……岸夫の強さそのものも」


 光次が微笑んでみせる。その笑みが優には岸夫の笑みと重なって見えた。


「妄想の中で私が振舞う岸夫の正体は、私が失ったと思いこんで、心の奥底に押し込んでいたもう一人の私だった。戦い、前に進む心そのものだった。現実でその気持ちと向き合うことができなかったから、妄想へと逃げて、そこで何度も岸夫を出していた。だが、もう逃げないよ」


 今までの光次とは別人のように、力に満ちた声できっぱりと宣言する。


 優は――笑いもしなければ泣きもせず、ただじっと父を見つめていた。ずっと望んでいたことが実際にかなって、信じられなくて呆然としてしまっていた。


「それとね、別に岸夫は消えてはいない」


 照れくさそうに笑みを浮かべ、頭をかく光次


「そもそも消す必要も無いけど、それ以前に消えるわけもない。あれは私の中にある、確かなもう一人の私なんだから。私が死ぬまでは消える事はないよ。岸夫は岸夫で、一人で勝手に盛り上っていたけどね」

「その勝手な所も……岸夫君も父さんも……一緒ですよぉ」


 掠れた声で言うと、優は父に抱きついて、泣きじゃくりだした。

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