第二十六章 33
優が中学校を卒業した時の春休み。優は犬飼とこんな会話を交わした。
「創作物に限らず、何でもかんでもすぐ規制しろという考えは大嫌いだ。もちろん実行することも、実行する奴等もな」
暁邸の縁側に座り、渋い表情で曇天を見上げながら、犬飼は語った。
「科学文明停滞しているとか言うけどさ、それでも過去から未来へ――時代の移り変わりと共に、世の中いろいろ便利になるし、新しい良いものだって生まれてくる。でも本当に時代そのものが良くなっているか? 人間は進化しているか? 失っているものも多いぜ」
昔の方が良かった論は、まだ十五歳の優にはいまいちピンとこない。
「昔はおおらかだったからな。過去に遡るほど、世の中はおおらかだ。時代が進むほど、法によってあれやれこれや規制されていって、自由の無い、居心地の悪い世の中になっている。誰が何のためにこんな風に、世の中を鎖で縛っているんだ? それで誰が何の得をしてるんだ?」
そこまで言われて、優も理解できた。確かに昔の方が、規制は厳しくなかったように思える。
「いずれ世界は、徹底管理されたディストピアに一直線なんですかねえ」
今の中でお茶を入れながら、優が言った。
「かもしれないぞ? 法治国家で法は絶対とされているが、法や倫理なんて、いきすぎちまうと煩わしいものでしかない。裏通りはその抵抗勢力とも言えなくも無い――かな?」
犬飼が少なからず裏通りに携わっていることも、優は知っている。具体的にどのような関わりがあるかまでは、詳しくは知らないが。
「俺の小説が、規制大好きなPTAの婆共に、何度もあげつらわれたのは知ってるよな? 青少年の育成に悪いとか何とか。馬鹿馬鹿しい。世の中には悪が溢れかえっているし、その悪の影響を受けないようにするのは、子をきちんと躾けるという、親の役割だろうに。そいつを放棄して、別の何かのせいにしてやがる。そんな馬鹿親の餓鬼なんて、どーせ何を規制しても、馬鹿にしか育たねーよ。ああ、思い出すだけでも忌々しい。そのうちあいつら一箇所にまとめて、焼き殺してやろうかな。それでスカっとするかなあ?」
「ひょっとして犬飼さんが小説書くの辞めちゃったのって、それが原因なんですかあ?」
「いや、違うよ。そんなゴミ虫共のせいで筆折ってたまるかっての」
優の質問に、照れくさそうに笑った後、犬飼は何とも言えない渋い顔になった。
「創作意欲に陰りが出たのは、丁度脳減文学賞貰った時だったかな。賞だのもらってちやほやされてもさ、あまり嬉しくなかった。むしろ冷めてたわ。何故かって? 小説っていう表現技法が駄目だと悟ってしまったからさ。人の心を掴むには弱すぎるし、表現の限界ってもんがあるんだ。心理描写や情景描写をいくら文章で掘り下げられても、絵や音や動きのついた表現技法にはかなわないからな」
犬飼の話を聞いて、優はショックを受けた。優は犬飼の小説が大好きだったのに、作者である犬飼本人の口から、小説が他の表現技法に劣っているなどと言われたのは、かなりキツかった。
「文学を権威づける馬鹿がのさばってる時点でお察しだろ。権威主義めいたものが絡んだ文化は、その時点で終わってるんだ。いくら高尚気取って、他を幼稚だ低俗だと見下しても、文章では絵や映像よりも強く人の心が掴めない。実は俺、漫画も描けるんだよ。超下手だけどな。で、ある時試してみたんだ。ネットでね、匿名で小説と漫画発表してみて、どっちが評価されるか。結果は見るも無残。俺が描いた超下手な絵の漫画がわりとウケていて、アクセス数ン十万になっているのに、こっそり匿名で、しかし決して手抜きせず本気で書いた小説の方は、アクセス数300くらいときた。これが真実であり現実だ。伴の奴は、ネットいう媒体のせいだとかぬかしているけれど、とてもそうとは思えんわ」
そこまでまくしたてたところで犬飼は、いつの間にか隣に出されていた湯のみに気がつき、中の茶を一気に飲み干す。
「私……その考えはおかしいと思いますぅ……。文章には文章の魅力がありますし、私は小説が一番好きです。犬飼さんの小説がその中でも一番好きでぇす」
気の利いた言葉が思いつかず、優は震える声で、ストレートに思ったことをそのままぶつけた。
「ありがとな。傷つけちゃったかな……? ちょっとキツいこと言っちゃったか……ごめんよ」
優の方を振り返り、優が鳴きそうな顔をしていたのを目の当たりにし、犬飼はここ数年感じたことのないような、果てしないバツの悪さを覚え、謝った。
犬飼の人生において、優ほど自分を慕ってくれた者はいない。
みどりも自分を慕ってくれているが、彼女の中味はほぼ人外であり、幼児の時点ですでに精神年齢は犬飼より年上であった。
優は子供としての目線で、犬飼のことを尊敬できる年長者として慕ってくれた。犬飼にしてみれば嬉しくないはずがないし、優のことが可愛くて仕方無い。そんな優が今にも泣き出しそうなほどに哀しませたことに、きりきりと胸が痛む。
「まあ……凄く悔しいんだ。悔しいけど、俺はそれでも文章の世界が好きだからな。俺が伴みてーにもっと馬鹿なら、愚民らには文学の深みがわからないだの言って、他を貶めて勝手に悦に入っていることもできただろうが、俺はそんな風に考えられるような、おめでたい脳構造してねーからさ」
優を傷つけているのはわかるが、話を途中でやめるのもどうかと思い、全て吐き出しておくことにする。それによって、優にも感じる所があるだろうし、彼女の成長にも繋がるのではないかと、犬飼は計算もしていた。
「そのうち混乱して、何も書けなくなっちまった。書きたいけど書けないんだ。だから俺は、リアルで物語を創ることにした。文章ではなく、物語をリアルで実践して作りあげる」
犬飼の言葉に、優は父親のことを思い浮かべた。嫌でも思い浮かべてしまう。
光次は現実から妄想へと逃避した。小説を書くでもなく、頭の中だけでひたすら物語を作り、その主人公になって逃げ続けているだけ。しかし一方で犬飼はというと、それを現実で実現するとのたまっている。
優は、犬飼が最後に書いた本を思い出す。『神様は劇作家』というタイトル。この世の全ての人間は神々が書いた脚本の通りに動く役者、主人公がそれを知り、神々が作り上げた舞台の上にいながらも、神と同じ力を手にし、世界を思い通りに動かしていくという話だ。
「目の前にいる人間をひっぱたいたらどうなるかなーとか、可愛がってる猫を途中で首絞めたらどうなっちゃうかなーとか、そういう変なこと考えたことねえか? 俺はいつもそんなことばかり考えてる。ここで火つけたらどうかなあとか、ここで命綱切ってみたいなーとか。で、猫の首を絞めるようなひどいことはしないが、それ以外は結構やっちまう。バレないようにな」
「私もそれ、やってみたいですぅ」
優の思わぬ申し出に、犬飼は血の気が冷める思いを味わった。
(余計なこと言って……こいつに悪影響与えちゃったか?)
その可能性を全く考えなかったわけでもないが、流石にはっきりと言われると、不味いことをしたと思ってしまう。
「そ、そのうちな……。うん、そのうち一緒にそういうことやって遊ぶのも……いいかもな」
動揺しつつ言葉を濁す犬飼であったが、この時は想いもよらなかった。優がしっかりとプランを立てて、犬飼の小説を現実にしようと望み、そこに自分の父親まで絡めてくるなどとは。
***
ライスズメを退けた真が、リビングへと戻る。
「殺さなかったのー? ていうか、私が実験台にして殺さないように追い払ったって感じかなあ?」
ソファーに腰かけた純子が真を見上げ、いつもの屈託のない笑みを広げる。
「何で殺す必要がある? 実験台って何のことだ? あいつはただ挨拶にきただけの話だ。ここに攻め込んできたなら、わざわざ呼び鈴なんて押さないだろ」
「あははっ、そうきたかー」
ぬけぬけと言う真がおかしくて、純子は声をあげて笑った。こう返してくるとは思わなかった。
「で、雪岡。殺人倶楽部を認めさせるため、協力させるために、支配者層の連中とどんな取引したんだ?」
「みどりも興味あるわ~。そろそろタネ明かししてよォ~、純姉」
「ああ、教えるって約束してたねー」
真とみどりにせっつかれ、純子は殺人倶楽部なるものを、如何に機能させていたかの真相を語ることにした。
「そんなに面白い真相でもないけどね。殺人倶楽部で鍛え上げた人達を、国お抱えの戦士として献上するっていう取引をしたんだよ。霊的国防の一環としてねー。そうなれば国側としても、大きな益があるわけだしねえ」
「うっひゃあ、そういう仕組みだったのか~」
どうして殺人倶楽部の存在が国に認められて保護されていたのか、みどりと真は納得した。
「殺人倶楽部なんていう超剣呑な代物、どうして国家権力が守ってるのかと思ってたけど、純姉との間にそんな約定があったんだね~」
「デーモン一族率いる『貸切油田屋』が日本の力を削ごうと暗躍していたのが、こないだの『ルシフェリン・ダスト』の騒ぎでわかっちゃったからねえ。日本としては、対抗するために、戦力の増強を計りたいだろうと思ってさ。私の口からこの話を持ちかけたら、絶対にのってくれると確信してたよ。この遊びをするには、今が丁度いい機会だと思ったんだー」
「ラストは雪岡が敵をこさえて、殺人倶楽部会員の中から、使える精鋭の選別を行う予定だったが、ホルマリン漬け大統領の介入があって、その選別の手間が省けたというわけか」
敵味方区別なく自分の都合の良い方に利用する純子にしてみれば、ホルマリン漬け大統領が殺人倶楽部を敵視して喧嘩をふっかけてくるのは、カモネギ以外の何者でもなかっただろうと、真は思う。
「へーい、疑問があるわ。殺人倶楽部に入るような連中って、殺しに酔っているヤバい奴等もいたわけだし、そんな奴等が大人しく言うこと聞く~?」
当然の疑問を口にするみどり。
「殺しに酔うだけならともかく、殺人倶楽部のルールを無視して勝手に殺しだしたり、善人悪人見境無く殺したりするタイプは、途中経過で選別して振るい落としていったよ? そういう人はその後の活動でも、使えないだろうしねー。殺人倶楽部の決まりあれこれは、殺人数を増やしすぎずに抑えるためとか、警察への圧力を事前にかけやすくする事もあったけど、そういった選別のためというニュアンスもあったんだよー」
と、そこで純子は笑顔で真を見た。
「ルール無視した人は、依頼殺人という形で、善人悪人選ばず見境無く殺す人は、真君が殺すという形で、それぞれリーズナブルに粛清できたしね」
「僕の行動まで織り込み済みのプランか……」
頭の中で渋い顔になった自分を思い浮かべる真。
「殺人倶楽部の連中に大人しく言うこと聞かせるため――国お抱えの暗殺者にならざるをえないようにするため、最後に殺人倶楽部を派手に潰すことも、純姉の筋書き通りってわけか~」
「幾つか誤算や予想外の出来事もあったけどねー。ホルマリン漬け大統領が関わってくるとは思っていなかったし。まあ警察に、殺人倶楽部のメンバーリストをホルマリン漬け大統領に流させて、参戦するよう仕向けたのは私だけど。相対する勢力が生まれる事や、世間に暴露される事も見越していたし、もしそれらが発生しなかったら、私の方から有る程度、意図的に発生させるつもりだったよー。もっとも壺丘さんは、私の想像をかなり上回る派手な動きをしてくれたけどね」
みどりに向かって言い、悪戯っぽく笑う純子。
「殺人倶楽部を期間限定としていたからこそ、支配者層の連中が認めていたという面もあるんだよねえ?」
と、みどり。
「もちろんそれもあるよー。こんな組織を恒久的に持続されるようなものなら、支配者層の人達もたまらないでしょー」
「ホルマリン漬け大統領は正にそんな組織じゃないか」
真が突っこむ。殺人倶楽部よりずっとタチの悪い組織であり、相当長い間、一般人を残酷な方法で殺して、それをショーにしている。しかし警察も中枢も抑えられずにいる。
「あの組織を管轄して保護している支配者層は、私が今回取引した人とはまた別みたいなんだよねえ。私も詳しく知らないし。調べればわかるかもしれないけど、そのつもりもないし」
「あんな組織を守っている時点で、相当ろくでもない奴なんだろうな。支配者層は善人が多いと言っていたお前の弁も、信じられない」
「支配者層にもいろいろいるんだよー。どっちかっていうと善人の方が多いけど、悪人も多少はいるって感じかなあ」
その悪人とやらを突き止めて殺せないかと真は思う。もし正体が掴めたら、そして機会があったら、ホルマリン漬け大統領という悪辣な組織を潰すために、必ずやってやろうと、心に決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます