第二十六章 16

 さらに一日が経過した。これでホルマリン漬け大統領の殺人倶楽部狩りが始まってから、四日目となった。

 一日目は激戦状態であったが、二日目はあまり交戦が無く、三日目には少なくとも午前中に限っては、交戦ゼロだ。身を隠してしまった殺人倶楽部の会員達を、ホルマリン漬け大統領サイドは、見つけることができなくている。


 純子の元に電話がかかってくる。相手は秋野香だ。そろそろかかってくるだろうと見越していたし、いかなる用件かも予測済みだ。


『提案がある』

「ほらきた。予想から全く外れない動きだねえ。あはは」


 電話での香の第一声に、純子が茶化す。


「こっちが立てこもって姿を晦まして埒が明かないから、何かのデスゲーム形式で、決着をつけたいんでしょー?」

『やはり予想済みか』


 電話の向こうで、香が重い溜息をつくのが聴こえた。


「こっちが優位な立場だし、こちらの提示する条件全て受け入れるというなら、聞いてあげてもいいよ」

『ならまず先にこちらからゲーム内容を述べよう。『ドラム缶蹴り』でいいか? もちろん殺人倶楽部会員全員に参加してもらう』


 香が定時したゲーム名を受け、純子は数秒思案する。

 ホルマリン漬け大統領はデスゲーム興行も行っている。数々の定番デスゲームというものがあり、組織の重要な資金源となっている。


「それかー。私は『貸し物競争』とかの方が盛り上ると思うんだけどなあ」

『貸し物競争をするにしては人数が多すぎる。こちらは外部の兵しか補充できない身であるし、そもそも生贄の提供も難しい。誰が出すのかという話になる』

「あれはホルマリン漬け大統領主催デスゲームの中では、一番残酷な遊びだよねえ」

『あのゲームを考案したのは絶賛不在中のボスだ。純子にも気に入ってもらえるとは、流石我等のボスの発想力といった所かな』

「そちらのボスさんとは全く面識無いけど、結構凄い人っぽいから興味あるよー」


 純子の台詞を聞き、香は押し黙る。香は自分が所属する組織のボスと数回しか会っていないので、あまりボスのことは知らないが、ボスなら純子とどう戦うだろうかと考えてしまう。


「で、条件として、裏通りに公開してもいいけど、実入りは全て私のもの。そちらは収入ゼロね」

『そんな欲深い要求を君がするとは思わなかったよ』


 金銭関係に関しては常に公平な取引をしてきた純子であるが故、この条件には、面食らってしまう香であった。


「でもそちらがゲームに勝ったら、組織の体面は保てるんでしょー? そもそも殺人倶楽部に喧嘩を吹っかけてきたのも、メンツのためなんだし」

『邪魔な商売敵を潰すためというのもある。我々の望みは、殺人倶楽部自体の抹消だ。一人残らず殺して、この世から消す。そして消したという事実を、裏通りに知らしめる』


 純子も殺人倶楽部を近々畳む予定であったが、それは香には教えないでおくことにする。


「それともう一つ。参加者はネットと電話の使用許可にしてほしいな」

『それは……それをやったらプレイヤー同士で場所の把握が出来て、ゲームの面白みが薄れてしまうような……。ゲームの場所には幾つもカメラを仕掛けて、生放送でゲームの様子をネット上に流すのだぞ。参加者も当然それを見ることができるから、見えない場所のチェックもできるし、従来のゲーム内容を根底から覆してしまう』


 ネットの閲覧と電話の許可の要求は、かなり受け入れがたいものだった。


「その方がいいよ。横の連携が取れた方が面白いって」


 純子のこの要求には、ある目論見が隠されていた。


『ならば……会場は広めの場所で、カメラで全てカバーできないようにする』


 大体予想通りの折衷案が返ってきて、純子はほくそ笑む。


「それでいいよー」


 カメラでカバーしきれない場が増えるという事は、カメラに映らない場所では、ゲームのルールに違反する行為――つまりズルもしやすくなるという事だ。そしてホルマリン漬け大統領がズルをしてこないわけがないと、純子は見越している。


「こちらが勝ったら――生き残った殺人倶楽部会員には、今後一切手出ししない約束をしてもらうよ?」

『わかった』

「あ、もう一つ条件いい? 私と真君も参加でよろしくー」

『それは……』


 絶句する香。さらに受け入れがたい要求だ。


「嫌なら受けないよ? ていうかさ、そこで言葉を濁すことないじゃなーい。私達を殺すチャンスをあげてるんだよー? それとも私達二人がそんなに怖い? 私達二人参加すればゲームはひっくり返ると思ってるのー?」


 からかう純子に、香は何も言い返せない。拒みたいが、拒める立場ではない。


『わかった。他に厄介な条件は?』

「あはは、面白いの思いついたらまた言うよ」


 精一杯の皮肉を口にする香に、純子は笑いながらそう返して電話を切った。


***


 安楽警察署留置所。

 裏通りの者専用の留置所は、それなりに警備が厳重である。しかし当直の警官達に重傷を負わせ、その男は堂々と脱走した。


「これは逃げているのではない。突破だ。警察の拘束を突破したのだ」


 床に伸びている警官に向かって、オンドレイ・マサリクは日本語でそう告げたうえで、留置所を後にしたという。

 警官達をのす際、十分に手加減はしてある。自分に殺意を向ける者に対してと仕事の上では、情け容赦の無いオンドレイであるが、それ以外では決して人を殺さないと心に決めている。


「これは逃走ではないっ。いずれ勝つための戦術! 最後に勝てばそれでよし!」


 警察署を出た所で嬉しそうな笑顔で、オンドレイは叫んだ。


***


 四股三郎、笹熊、香と、ホルマリン漬け大統領の大幹部三名が同じ部屋に集い、殺人倶楽部との決着戦について話し合っていた。


「デスゲームで決着するという話は、殺人倶楽部狩りサイトで発表した。すぐに裏通り中に広まるだろう」

 香が報告する。


「勝てますかねえ……」


 三日間の戦果がいまいちだったので、疑わしげな声を漏らす四股三郎。


「絶対に勝つなどと、そんな確証、あろうはずがない。敗れた時の事も想定した方がいい」

 淡々と香が言う。


「むしろ私は敗れた方がいいとさえ考える」


 古参大幹部のその発言に、驚いたように笹熊を見る香と四股三郎。


「えっ? 何故?」

 四股三郎が驚いて尋ねる。


「大幹部達の中には、雪岡純子との協調派が未だいる。あるいは彼女と争いを構えることを反対する者もな」

 笹熊が言った。


「ここで徹底的に負けておいて、さらに我々の組織を追い詰めることで、大幹部の意思を統一し、ホルマリン漬け大統領の組織全体で、全力で雪岡純子そのものを抹殺しに動くこともできよう。それが私の思い描いた絵図であり、最大の理想的展開だ」


 微笑をたたえながら語る笹熊の考えに、香はまるで同意できなかった。


「今は全力じゃないのですか?」

「大幹部の君達と私の三人だけが動いている状態で、全力などと言えるのか? 言えないだろう。しかも目的は雪岡が作った殺人倶楽部の壊滅だ。雪岡の抹殺ではない」


 見当違いなことを口にする四股三郎に、笹熊ではなく香が答える。


「正直私はそういう方向にもっていかないで欲しいと願います。我々が一丸となったところで、雪岡を打ち破れる保障は無いですが、こちらに甚大な被害が出るのは目に見えているからです。それに、今回負けた程度で、大幹部の意思統一などできませんよ。私でさえ懐疑的だし、決戦そのものを避けたいと思っているのに」

「そうか……少し理想論が過ぎたか。言われてみれば確かにそうだな」

「私は当面の戦いに勝利するために注力します」


 香の反論を受け、諦めたように息を吐く笹熊。


「せめてボスがいればな……。話は全く違ってくるのだが」


 笹熊が呟く。いなくなったボスに、笹熊が絶大な信頼と畏敬の念を抱いていることを、香は知っている。


(飽きたからといって組織を放り出すようなボスに、いつまでも執着しているというのもどうかと思うがな)


 笹熊の愚痴を聞き、香はそう思ったものの、自分もかつていろいろと執着していたことを思い出し、気恥ずかしさを覚えた。


***


 ホルマリン漬け大統領と殺人倶楽部の確執が、ホルマリン漬け大統領主導によるデスゲームで決着をつけるという事と、ゲーム内容の発表がなされ、たちまち裏通りの住人の間に広まった。裏通りの住人のみが見られる匿名掲示板やSNSでは、この件の話題で盛り上がりを見せている。


『よりによってドラム缶蹴りか』

『時間かかるから、正直見る方も面倒なゲーム』

『俺は好きだぞ。集団ゲームとしては実に楽しい。段々少なくなっていく参加者のサバイバル具合が』

『このゲーム、ホルマリン漬け大統領が本気で殺すつもりでかかれば、殺人倶楽部に勝ち目なくね?』

『きっと事前に戦力を明記し、雪岡純子との間に合意があったうえで開始されるだろうさ。そうでなければ、見る方も楽しくない』


 これらのサイトは全て会員制であり、表通りの住人は見ることができないが、一応壺丘は見ることができるので、定期の打ち合わせにきたライスズメと正義にも見せた。


「殺人倶楽部の者にも通達があった。殺人倶楽部の会員は全員強制参加。逆らったら依頼殺人対象ということだ」


 ライスズメが報告した。


「真から電話があった。オーナーの雪岡純子と共に、殺人倶楽部陣営で参加するそうだ」


 特に重要なことでもないと思ったが、一応報告しておく壺丘。


「彼等がホルマリン漬け大統領との抗争に気をとられている間に、こちらも準備は着々と進めておこう。真とライスズメは参加になってしまうので、正義は私の手助けを頼む」

「ああ」


 壺丘に頼まれ、正義が頷いた。具体的にどんな手助けをすればわからないが、ここに来ていつも喋っているだけで、具体的に何かしたわけではない正義からすると、やっと行動できるので、少し楽しみであった。


「参加に割かれるのは一日程度だから、その日以外は力を貸せるぞ」

「では頼む」


 申し出るライスズメに、壺丘が頷いた。

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