第二十六章 17

 雪岡研究所にて、純子と真は殺人倶楽部のチャットルームを覗いていた。


 ホルマリン漬け大統領との決着をつけるためのデスゲームに対しての反応を見ると、皆思った以上に士気が高い。この数日、刺客と戦い、追い回され、篭城モードに入っていた事への反動も有るのだろうと、純子と真は見ていた。


「殺人倶楽部をもうすぐおしまいにする事は、今言わない方がいいねえ。士気に響くかもだし」

「先に言っておくべきだと思うぞ。ホルマリン漬け大統領を退けて、喜んでいる所でへこます事に、何とも思わないのか?」

「んー……あ、いや、それは……」


 真の指摘を受け、純子は複雑な表情になる。


「でも終わるのは予定していた事だしねえ。こればっかりはどうにもならないよー。士気低下を避けるためにも、後で言うしかないしー」

「会員になる時点で、伝えるべきことだったな。でもそれを言うと、終わる事を意識して気持ちよく活動できないとか何とか、そう言うんだろ?」

「んー、まあねえ……全部読まれちゃってるなあ。あはは」


 純子が頬をかいて笑う。


「後だしみたいなやり方はどうかと思うな。まるで詐欺みたいだ」

「筋を通すことで一時の夢と意識させてしまうか、真実を最後まで語らずに一時の夢を夢と思わせずに心から楽しませるか、そのどちらかしかないんだよねえ」


 純子のやり方に不服を訴える真であったが、純子のその言葉を聞き、自分が一つの考え方だけを見て、それを正しいと思いこんで押し付けている事に気がついた。


「ごめん。浅慮だったな、僕。独りよがりというか」

「気にしなーい。いつだって真君はそうじゃなーい。あ……」


 謝る真に、つい純子は本音を口走り、しまったと口を押さえる。


「気にはした方がいいことだろう。お互いにさ」

「うん……すまんこ」


 フォローも兼ねて言う真に、純子はさらに頬をかきながら謝った。


***


 優は岸夫を連れて帰宅した。父がずっと寝たきりになってしまったので、連れてきたのである。

 岸夫の意識が光次に戻ると、岸夫の体は自動操縦の肉人形となって、雪岡研究所へ戻る仕組みであるが、ずっと岸夫が健在のままで、光次は目覚めようとしない。


「どうして父さんに戻らないんですう?」

「実は暁光次の精神が大きく不安定になっている。今戻ると、暁光次の精神はより追いこまれて、壊れてしまうかもしれない。だから戻らないでいるんだ」


 家に来る前に優が岸夫に尋ねると、そんな答えが帰ってきたので、互いをリアルで会わせればどうにかならないかと優は考えて、連れてきた。

 あてずっぽうな思いつきであったが、寝たきりの光次の前に岸夫を連れて来ても、やはり何も起こらない。


「どんなに頑張っても、手を尽くしても、どうにもならない……かなわないことってありますよねえ。これもまさにそうです」


 父の顔の横にうずくまり、優は言った。


「私のやったことも、皆無駄でした。あはは……」

「無駄にはしない」


 岸夫の呟いた一言に、優は少し驚いた。


「無駄にしないために、俺はついてきたんだ。そしてこれからも……。諦めずに、何か方法を探そう。俺はそのために、何でもするよ。だって今ここにいる俺は、暁光次の妄想というだけではなく、優さんが望んだから生まれたものなんだしさ。優さんが理想とする形にするため、俺、頑張ってみる」

「具体的にどうすればいいか、考えがあるのですかあ?」

「ううん……。ごめん、全然思いつかない」


 優に問われ、うなだれる。


「ごめん、頼りなくて。でもしばらく君と一緒にいるよ。そうしたいのが俺の本心だし」

「その気持ちだけでもとっても嬉しいです」


 フォローのためではなく本心で告げ、優は微笑む。岸夫がそう思うということは、父親が自分を大事に想っているということと同じだと、優は受け取っていた。


「気持ちだけで嬉しいというのは口だけで、女の本心ではないってさ。心の中では頼りないって落胆している。気持ちだけあって力の無い男なんて、女にとっては一番失望して落胆して軽蔑する対象。うん、これは暁光次の考え」


 しかし自虐的に語る岸夫に、優はむっとする。


「父さんて、そんなひねくれた目で女の人を見ていたんですかぁ……。娘の私のこともそんな風に思うんですかぁ……」

「ごめん。余計なこと言っちゃった」


 苦笑いを浮かべて謝罪する岸夫。


「父さんの気持ちや記憶も引き出せるなら、もう少し教えてもらってもいいです?」

「何を聞きたいの?」

「自殺させた母さんの事をどう思っています?」


 優の問いに、岸夫はしばし沈黙した。


「なるべく考えないようにして、逃げている。逃げ続けているよ。卑怯だよね。本当に卑怯だって俺も思う。これが僕の本体の心……。自分でもげんなりするよ。あ、ごめん……他人事みたいで」

「いえ……教えてくれてありがとうございます」


 諦めたように優が礼を口にする。岸夫の口から告げられた父の本音は、想定していなかったわけでもない。やっぱり――という気持ちだ。


 いっそこのまま目覚めず、ずっと岸夫のままである方がましではないかと、優は一瞬そう考えてしまった。


***


 ここで缶蹴りという遊びのルールを説明しよう。


 鬼を一人決め、地面に円を描いてその中心に缶を置き、子が缶を思いっきり蹴り飛ばす。

 鬼は缶を拾ってきて円の中心に立て、鬼が何秒か数えた後に、子を見つけに行く。

 鬼が隠れた子を見つけたら、缶の場所に戻って、缶を踏みつけて、見つけた子の名を口にする。

 缶を踏まれて名前を呼ばれたら、鬼が子を捕まえた事になり、円の中へと入れられて、身動きを封じられる。

 缶を踏まれる前に、子が缶を蹴り飛ばしたら、見つけられて名を呼ばれようとした子も、見つかって円の中にいる子も、全て自由になる。缶を蹴り飛ばすのは、円の中で拘束扱いの子全てに権利がある。例え缶を鬼が踏んだ状態でも、名前を呼ばれる前であれば、子は鬼が踏んでいる缶を蹴り飛ばせる。鬼が缶を強く踏んで蹴られないようにするのも有り。


 ルールは地方によって差異があるが、アジトにいる卓磨、竜二郎、鋭一、冴子の四人が知っているのは以上のような代物であった。


 ホルマリン漬け大統領が提供するゲーム『ドラム缶蹴り』は、この缶蹴りを基本としている。


 普通の缶蹴りとの違いは、缶は文字通りドラム缶を使い、このドラム缶の中にはたっぷりと毒ガスが濃縮されているということ。

 地面に書く円の代わりに、部屋を使うということ。捕まった子は、この部屋の中に文字通り拘束される。

 最初に缶を蹴飛ばす事も無い。子は缶のある部屋から離れた位置から、鬼は缶の近くからスタートする。

 鬼は一人ではなく複数であるということ。そして部屋の外でなら鬼も子も交戦可能である。


 部屋の中では戦闘行為は認められず、子がドラム缶を倒す行為と、鬼がそれを防ぐためにドラム缶を支える行為のみが許される。鬼はドラム缶の上に乗って、見つけた子の名前を叫ぶ。

 決められた時間になると、部屋の扉が閉まり、ドラム缶は爆発する。ドラム缶の爆発は一時間ごと。時刻が丁度0分を回る度に爆発。爆破に巻き込まれれば当然タダでは済まないし、何より、中に詰まっている毒ガスが室内に充満する。室内に捕まっている子も、ドラム缶を倒しにきた子も、ドラム缶を守ったり踏んだりする鬼も、毒ガスの餌食になる。そして新しい毒ガス入りドラム缶が用意される。


 一度に固まっていられる人数の上限は六人。七人以上で五分以上近い場所にいるのは禁止。

 毒ガスが発生する時間帯になるまでに、子は捕まらないようにしつつ、捕まった子を助けないといけない。また、鬼も毒ガス発生時間前には、部屋から出ないといけない。


 人数によってゲームの終わる時間は変わるが、かなりの長時間行われる。大体六時間。人数の多い場合は九時間や十二時間という事もある。あるいは交戦が盛んに行われて片方が全滅に近い状態に陥り、三十分も経たず終わる事も有る。


「缶蹴りというより棒倒しに近いな」

「しかしまあ、殺人倶楽部の命運を決めるに相応しいデスゲームとも取れますねー」


 アジトにて、ゲーム内容をチェックした卓磨と竜二郎が、それぞれ感想を述べた。

 ちなみにこの時代、つい何年か前まで全国の学校で禁止されていた、棒倒しも組体操も復活している。近年まで行われていた、ハイパーゆとり教育を見改めた反動で、子供は千尋の谷に突き落として上から岩の雨を降らす勢いで育てよ――という風潮になったからだ。


「交戦可能なら、鬼を見つけ次第殺しまくればいいんじゃないの? わざわざこんなゲームに沿う必要も無いじゃない」


 冴子が主張する。


「ただの殺し合いにはならないと思いますよ。子がそのつもりでも、鬼側は相手を交戦によって殺すよりも、毒ガス入りドラム缶のある部屋へと、子を拘束するのが、最も効率の良い勝利ですから。無駄な交戦は極力避ける動きになりそうですね。逆に子が積極的な交戦にもっていって、それが思い通りになれば、短時間でケリがつきそうですが」

「見つけたら、部屋の中に入って缶の上に乗って、見つけた子の名前を叫べばいいだけだからな。鬼側からすれば、進んで交戦する必要は無いな。しかし子側からすると、冴子や竜二郎の言うとおり、鬼を殺して回った方が優位に立てるのは間違いない」


 竜二郎と鋭一がそれぞれ言う。


「鬼ってのは、引き続きホルマリン漬け大統領が雇う殺し屋とかになるのかな?」

 卓磨が疑問を口にする。


「あの組織は基本的に、戦力となる者を外部から入れるしかないっていうから、そうなるだろうな」


 と、鋭一。ここ数日間に殺人倶楽部を襲っていたのも、全て外部の殺し屋達だが、生き残りがそのままゲームへと引き継がれそうだと、鋭一は見ていた。


「どういう場所で行われるのか、現時点ではわかりませんが、ちょっと脳内シミュレートした所、これは鬼の人数や場所によっては、圧倒的に鬼側に分があると思います。実際鬼の勝利が多いらしいです。子は鬼を減らすのには交戦して殺すしかないですけど、鬼はゲームのルールにのっとって、子を減らす事ができますから。鬼が上手いこと子の人数を減らし続ければ、どんどん救助は困難になるでしょう」


 何時になく真顔で言う竜二郎。


「例えば鬼が六人くらいでつるんで行動し、子を見つけた際、六人の鬼のうち四人が壁となって子の追撃を防ぎ、二人がドラム缶のある部屋に行く係となると、例え四人の壁を突破して逃げた二人を追うことができたとしても、残りの二人もばらばらに逃げたとなれば……ほら、これだけでも鬼の方が有利で子が大変だと感じませんか?」

「普通の缶蹴りは鬼が一人だからな。しかし複数の鬼となれば……」

「そのうえゲームは長時間繰り返し行われる……か」


 竜二郎の仮定を聞き、鋭一と冴子が難しい顔で呟く。


「子側で事前に相談して、綿密に作戦を立てた方がいいですね。殺人倶楽部の会員全員で作戦を立て、分担も決めましょう」

「いつぞやの殺人倶楽部会員全員集合で、殺人倶楽部の会員は、我が強くて協調性乏しい奴ばかりって印象があるし、うまいことまとまるか不安だな」


 そう言って竜二郎がディプレイを投影し、呼びかけを行うが、鋭一が懐疑的な言葉を口にする。


「純子さんにもメール入れておきますねー。会員にも連絡入れておきまます。あ、そうだ……」


 竜二郎がディスプレイに、ホルマリン漬け大統領のサイトを映し出す。


「おお、やっぱりありますね。過去に何度かホルマリン漬け大統領が、このゲームを開催し、その様子が映像化されて販売されています。これを参考にしましょう」

「参考にできないようなゲームにする可能性もあるぞ。その販売されている映像は、ゲーム内容を参加者や視聴者に、楽しませる目的としてのゲームだろうが、俺達が参加するのは、ホルマリン漬け大統領が俺達を潰すためのゲームだからな」


 さくさくと話を進める竜二郎に、さらに懐疑的な言葉をぶつける鋭一。


「それって、あいつらに一方的に有利で、私達が何やっても負けるような設定にされるってことじゃない?」


 冴子が胡散臭そうに言った。


「表向きは正々堂々と勝負してくるでしょう。このゲームはホルマリン漬け大統領のメンツをかけて、行われるものですから、露骨に公平性に欠ける代物でしたら、例えホルマリン漬け大統領が殺人倶楽部に勝利しても、裏通りの評判がさらに悪くなってしまいますよ」

「裏通り相手に発信するのに表向きとは、これ如何に」


 竜二郎の言葉を卓磨が茶化したが、全員見事にスルーしたので、卓磨は切なげな面持ちでうなだれる。


「ただし、冴子さんの危惧通り、見えない所では、いろいろと卑怯なことをしてきそうな気がします」


 その卑怯なことが何であるかは、流石に竜二郎でも現時点では想像がつかない。

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